menu
menu

連載

増田俊也「眠るソヴィエト」 vol.14

水浴場で当麻は裸のリサコと出会う。 未知を求めて山奥へ進む異界冒険記! 増田俊也「眠るソヴィエト」#6-4

増田俊也「眠るソヴィエト」

※この記事は、期間限定公開です。

>>前話を読む

      5

 朝から晴れ上がり、盛夏らしい気持ちのいい日だった。
 前日の狩猟で足首をくじいていた私は、大事をとってこの日は午後の山行を遠慮した。三日もすれば治る程度の軽い捻挫だったが、山では何が起こるかわからない。
 鍵谷と旭が山へ入っていくのを見送ってから、ゆっくりとすいよくをしようと道具を持って川へ行った。皆あの場所を渓流温泉と呼んでいたが、もちろん温泉など出はしない。秋冬には傍らにしつらえられたドラム缶が湯沸かし器となり、缶の下でまきを焚いて沸かした湯が流れ落ちるように作られていると聞いていた。夏はただの冷水だが森のなかでの水浴は格別の心地よさがあり、私もここでの入浴を楽しみにするようになっていた。
 着替え場へ行くと、先客が一人いて棚に服が畳まれていた。そっと一枚めくってみると女物の下着があった。亜希も美冬も小屋にいたので、リサコ以外にありえなかった。見えるところにはいないので、奥の浴槽のほうで体を洗っているのだろう。入っていっていいのか迷ったが、関口会ではそういったことを恥ずかしがるのは野暮だというふうがある。
 シャツを脱ぎ、ジーンズを下ろし、トランクス一枚になったところでもう一度ちゆうちよしたが、すぐに脱いで棚に置いた。
 タオルと固形せつけんを握って、いつものように冷たい川を渡り、大岩の陰へまわった。洗い場に座って体を洗っているリサコがいた。
 私は黙ってそれを見ていた。リサコが気づいて腰を浮かせた。私だと気づき、ほっとした表情でまた腰をおろした。そして満面の笑みを浮かべ「ハロー」と言った。チョコレート色の肌と天パーの髪、そしてハローという言葉が、この場の空気に妙に合っていた。
「こんにちは」
 私の声は微妙に震えていた。
「どうぞ、こちらにいらしてください」
 リサコが言って小さく笑った。
 丁寧な言葉遣いはふざけているのだろう。
 頭を下げ、私は川から浴槽のほうに移った。
 リサコはまた体を洗いはじめた。しばらく私は浴槽に漬かっていたが、全裸をさらしているリサコの前で意気地がないと思われるのも嫌なので、洗い場に上がり、リサコの横に座った。
 それを待っていたかのようにリサコは桶の水で石鹼を流し、私に裸体を向けた。張りのある肌が水をはじき、玉になって浮いている。あたりに薫る緑の匂いが彼女の若さを引き立てている。初めて会ったときは薄暮だったが今日は陽光の下である。眼をそらすわけにもいかず私もまっすぐに彼女を見た。
 リサコが白い歯を見せた。
「私のこと、ずっと気になってたでしょ」
「え?」
「私のこと、ずっと気になってるでしょ」
 彼女は頰を染めていた。初めてみる彼女の恥じらいだった。意外に普通の女の子のような態度だったので、余計に眼前の肉体が手触りのあるものに感じられた。
「でもあなたは鍵谷さんと付き合ってるんですよね……」
 私が聞くと、リサコは眉根を寄せて首を振った。
 そしてもう一度私の眼をじっと見て何かを言おうとした───が、突然のけぞって眼を見開いた。その視線は私の後ろにあった。振り向くと、森のなかで獣が立ち上がり、笹藪の上から上半身を出していた。巨大な熊だ。
 リサコが後ろから私にしがみついた。
 熊が一歩、二歩と、笹藪から出た。後ろ足だけで歩いている。獣ではない。人間だ。頭に頭部付きの獣の毛皮をかぶり、肩から背中、腰にかけて、毛皮を巻いていた。頭部の毛皮の下に鋭い眼光と鼻、口が見える。明らかに人間だった。
 男は荒い呼吸をしながらこちらを見下ろしている。
 距離は三メートルくらいか。腰に大きなけんなたと日本刀を提げている。男が呼吸するたびに獣のような臭いがはなみずまつとともに鼻から吹き出した。
 男が鼻のあたりにしわを寄せ、シャーッというかく音を出した。そして背負っている荷から後ろ手で何かをつかみ、こちらへ放り投げた。人間の腕だった。肩の下あたりで切断され、乾いた血が大量にこびりついていた。
 私はリサコの肩を抱きながら立ち上がって逃げる機をうかがった。武器がない。いや武器があってもこの大男に勝てるとは思えなかった。刺激すれば殺されるだろう。森へ入れば毛皮製のブーツを履いた彼が圧倒的に有利だ。こちらは裸足はだしだから森のなかを走れない。川に入るのだ。川に入って向こう岸まで渡り、昭和広場まで走るのだ。川では衣類を身につけているとそれが水を吸って動作が鈍くなるはずだ。
 男の眼はうつろで、表情が読めない。
 ちらりと地面の腕を見て驚いた。手首に蜘蛛の刺青が入っていた。そして彼が弓を引くうちに人差し指にできた特徴的なタコがあった。黒彦は殺されたのだ──。

#7-1へつづく
◎第 6 回全文は「カドブンノベル」2020年1月号でお楽しみいただけます!


「カドブンノベル」2020年1月号

「カドブンノベル」2020年1月号


関連書籍

カドブンノベル

最新号 2020年2月号

1月10日 配信

ランキング

アクセスランキング

新着コンテンツ

TOP