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連載

増田俊也「眠るソヴィエト」 vol.2

当麻を助けた男の正体は? 未知を求めて山奥へ進む異界冒険記! 増田俊也「眠るソヴィエト」#3-2

増田俊也「眠るソヴィエト」

>>前話をよむ

「猿? 大きな?」
「そう。大きな猿。背丈は人間くらい」
「人間くらい?」
「そうだ。大きな猿をここに探しにきた」
「猿はこん山にぎょうさんおるが、丈はこんくらいだす」
 男が左手で背丈を表現した。
 日本猿の大きさだ。ビッグフットではない。
 がっかりしていると「じゃけんど、大きなナズミはおる」と男が言った。
ねずみ?」
「ナズミだす」
「ナズミ?」
 発音の問題だろうか。あるいは鼠とは言っていないのだろうか。
「人間くらいの大きさのナズミだす」
「そのナズミは二本足で歩くんですか」
「二本足で歩くだす」
「見てみたい」
「こんあたりにはおらんだす。もっと奥におるだす」
「あなたたちが住んでる深い森に?」
 聞くと、男が肯いた。
「僕もそこへ連れていってくれないか」
 男が身を固くした。
「だめだす」
「どうして。連れてってくれ」
「ここから帰るだす。ここから奥は入れないだす」
「入れないとはどういうことですか」
「おるたち以外は入れないだす。あんたは肩も治った。元気も出た。帰るだす」
「俺たち? 何人もいるんですか」
 男が鼻の上に皺をよせた。両眼に強い警戒心があった。
 私は両手でなだめるようにして静かに言った。
「連れていってくれないか、あなたたちのところへ」
 男が前歯をきだし、シャーッと声をあげた。唾が飛び散り、悪臭のする息があたりに広がった。私は半分立ち上がりながら後ろへ下がった。男は呼吸を荒くし、肩を上下動させている。またシャーッと声をあげた。いや、声ではなく喉の奥から激しく吹き出た擦過音だ。これ以上興奮させると危険だ。私は左手をそっと動かしてベルトの折り畳みナイフを確認した。
 そして右の手のひらを男に向けた。
「ただみんなに会いたいだけなんだ」
 男がまたシャーッと擦過音をあげた。
「おまえらゼカイビトを連れていくことはできんだす」
「ゼカイビト?」
「ゼカイビトは絶対に連れてくるなとおさが言うだす」
「長って、それはなんだ?」
「ゼカイビトは連れてくるなと言われとるだす」
 ゼカイビトというのはこの山にいる人間以外のことを指しているのか。長についての説明はなかった。
「長がいるってことは、やっぱりそこには何人もいるんですね」
「おる。ずっと奥だす。ずっとずっと奥」
「そこで何をしてるんですか」
 聞いた瞬間、男がシャーッと声をあげた。何に怒るのか判断できない。
 私は頭を巡らせた。
「そうだ。病気の人とかはいないか?」
「病気?」
「ああ。僕は医者なんだ」
「医者? 本当か?」
「ああ。本当だ。僕は医者だ。病気の人がいるのか?」
「おるだす」
「だったら僕を連れていったほうがいい。治療する」
 男が考えこんでいる。
 私はすかさず押した。
「だから連れてってくれ。俺は長の仲間だ。尊敬してるんだ。君が長を尊敬してるのと同じだ」
 男が首を傾げた。
「じゃあ、あんたもソヴィエトだすか」
 突然の言葉に驚いた。
 ソ連のことだろうか。それともこの男がいるグループのことだろうか。なんにしろソヴィエトだと言えば信頼を勝ち得るのは明らかだ。
「そうだ。僕もソヴィエトだ」
 男が破顔した。
「だら、長は喜ぶだす」
「そいつはいい。早く言えばよかった」
 男が片膝を立てて、私を抱きかかえた。私は彼に合わせ、同じように抱擁した。そしてひどい臭いがする背中を何度か叩いた。その背中は分厚い筋肉に包まれていた。

      2

くろひこだす」
 男は下の名前しか教えてくれなかった。
 名字も教えてくれと頼んだが眼をそらした。眉間の皺に拒絶の色が見えたのでそれ以上は聞かなかった。
 黒彦は今日これから八個のくくわなを確認に行き、獲物だけではなく罠も回収してここに戻り、すぐにつと言った。私を助けたことで帰る計画が二日遅れているので心配しているかもしれないという。
とうはここで待ってるだす」
「いや、僕にも猟を見せてくれ」
しとるでだめだす」
「もう大丈夫だ」
 言いながら右腕を動かしてみせた。
 本当のところ写真を撮りたかった。彼をだますようで気が引けたが、それでも撮っておきたかった。
 黒彦はしばらく口元の髭をうごめかせていたが、渋々といった風情で肯いた。
「おるの後ろからついてくるだす」
 言いながら石の上に座り、短い木の棒にひもを巻きはじめた。糸巻の要領である。紐は植物のつるり合わせて作ったもののようで、ごわついているのが見ただけでわかる。巻き終わるとそれを腰のベルトにはさみ、今度はナイフを石で研ぎはじめた。
 私はザックからスウェーデン製のシースナイフを出して腰につけた。ナイフは山でもっとも大切なものなので、破損や紛失を考え、二本持つのが正しい。シースナイフのシースとはケースのことで、折り畳みナイフとは違うまっすぐな刃をそのままケースに入れる。
 黒彦が立ち上がり、背負子しよいこを担いだ。背負子の横に弓と矢、そして日本刀を背負った。ベルトに大きな剣鉈とナイフを提げ、私をちらと見て黙って森へ入っていく。彼が歩く場所を私は注意深くなぞってついていく。
 頭上からはせみ時雨しぐれが降り、腐葉土から匂いたつ水蒸気が肌にまとわりつく。左右から虫の音が聞こえ、ときおり森の奥から獣の鳴き声があがった。
 黒彦は枝葉が多い場所を選んで歩いているように思えた。垂れ下がって邪魔な枝や蔓を剣鉈で払いながら前進するが、だったら樹々の少ないところを歩けばいい。しばらく考えて理由がわかった。つまり獣道と同じである。黒彦は見つかりたくないのだ。動物たちは外敵に見つかるのを極端に嫌う。だから上から見えない枝の繁った場所、そして左右からも見えない蔓植物の繁った場所を歩く。そこが踏み固められて獣道となる。
 そう思い至って、前を行く黒彦の背中を見た。静かに淡々と歩いているが、まとった空気はやはり普通の人間ではない。ときどきちらりと振り返って私がついてきているのを確認した。このあたりの森は私には深すぎた。
「一匹かかっとるだす」
 黒彦が右前方を指さした。

>>#3-3へつづく ※9/26(木)公開
◎第3回の全文「カドブンノベル」2019年10月号に掲載されております。


「カドブンノベル」2019年10月号

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