menu
menu

連載

増田俊也「眠るソヴィエト」 vol.8

ヤマビトの酒で酔いの回った当麻は――。未知を求めて山奥へ進む異界冒険記! 増田俊也「眠るソヴィエト」#5-1

増田俊也「眠るソヴィエト」

※この記事は、2020年2月10日(月)までの期間限定公開です。



前回までのあらすじ

医学部を卒業するも医者にならず、大学に再入学した当麻一郎は、謎の生物を探す雑誌のアルバイトに採用され山奥へと向かった。森の中で男を見つけたが、男は一言も話さず森へ消えた。獣用の落とし穴に落ちた当麻は身動きが取れなくなるが、森で見た男・黒彦に救われる。黒彦が仲間と暮らす場所に辿り着いた当麻は、ヤマビトと名乗る集団の長・鍵谷と出会う。当麻を医者だと知った鍵谷は、当麻を受け入れ、集団のメンバーに紹介した。

詳しくは 「この連載の一覧
または 電子書籍「カドブンノベル」へ

      1

 夜の食事が続いているこの空間は三度の食事のほか、様々な行事に使われる場所で、「昭和広場」あるいはたんに「広場」と呼ばれているという。
 月明かりがぼんやり森のを照らしているが、それは葉先だけであり、墨汁を流したような漆黒の闇が延々と続いている。
 ほんの数日前まで森のなかで独りで野営していたときは感じなかった恐怖のようなものが私の腹の底にわだかまっていた。そもそも彼らは何者なのか。かぎたにには聞ける雰囲気はないし、あさひにもなにやらはぐらかされたような気がする。進退わからぬときは黙って待つしかないことを、私はしんしゆう大学時代に独りで冬山を繰り返し、信条としていた。
 陶製のさかがめがあちこちに置いてあり、私も何杯つがれたのか途中でわからなくなっていた。横に座る者に聞くと、ここの者たちはこの酒をししざけと呼んでいるらしい。猪の何かを使って発酵を促しているのかもしれない。
 鍵谷がやってきて横にかがんだ。
とう。忘れてたが、携帯電話は持ってるのか」
「ええ。持ってますが」
「ここは携帯は禁止なんだ。帰るまで預かっておく」
 手のひらを突き出した。
「預かるって、どうして──」
 私は言いかけた。しかし彼のまなしには有無を言わせぬ意志があった。しかたなくポケットから携帯を出し、彼の手に載せた。鍵谷はそれを大仰にわしづかみし、をそらさぬまま言った。
「写真撮ってないよな。こいつで」
「はい。撮ってません」
 胸が騒いだ。
 ビッグフットを探しにきたことはここでは言わないほうがいい。写真を撮影して帰ると報酬がもらえるなどと言えるわけがない。
「写真フォルダが見たい。パスワードか何かあるんだろ」
 つかんでいた携帯を鍵谷は私に差しだした。私は動揺を悟られないようにうなずき、パスワードを解除して鍵谷に返した。鍵谷は手元でスクロールしはじめた。
「カメラは持ってないな」
 チェックしながら鍵谷が聞いた。
「カメラ?」
「ああ、携帯電話じゃなくて本物のカメラだ」
「ええ。持ってないです」
 声がうわずった──。携帯では撮っていないが一眼レフでくろひこを何枚か撮っている。見つかったら何をされるかわからない。夕方、激怒しながら黒彦の顔面を蹴り続けていたときの形相を思いだした。
「なんだ、女の写真が一枚もないじゃないか」
 画面を操作しながら鍵谷が言った。
「お、あったあった。誰だ。彼女か」
 破顔して私にその画面を見せた。姉のみどりのものだった。このあいだ帰ったとき、一緒にファミレスへ行き、向かいに座っているのを撮ったものだ。恥ずかしいからやめてと笑いながら写っている。
「えらいれいな女じゃないか」
「姉です」
 私が言うと鍵谷はそれ以上は詮索せず、またスクロールを始めた。
「よし。どうやらないみたいだな」
 携帯をズボンのポケットにねじ込んで立ち上がった。そしてたきの向こう側へ歩いていき、誰かの横にあぐらをかいた。私は気づかれぬよううつむき加減にザックを横目で見た。広場の隅の樹にたてかけられたままだった。
 後ろから肩越しに酒甕が伸びてきた。
 振り返ると黒彦が立っていた。
 杯を受けた。
 黒彦がそのまま黙って立っているので飲み干した。すぐにまた酒を満たされた。黒彦はまだ見ている。しかたなく飲み干した。そこに酒をつぐと、ようやく黒彦は向こうへ行った。
 いいかげん酔いがまわってきた私は何も食べずに飲むのがいけないのかとわんの肉をかじったが効果はなく、胃のに嫌な感じの疲れがあった。
「やっぱりしいでしょう、このお酒」
 声をかけられて振り返るとリサコだった。
「そういうことにしておきましょう」
 私が言うと、リサコが笑った。
 どうせ鍵谷の女だろうと思うと冷めて見てしまう。その視界は先ほどからぐらぐら揺れはじめ、霧のようにかすんでいた。ときどき旭のほうを確認すると、旭のほうも気になっているようで何度か眼が合った。さまざま聞くに旭がいちばん話してくれそうだが、それでもさっきは嫌そうにしていた。
 私は地面に大の字になった。
 甘くて飲みやすいが、相当にアルコールが強いらしい。
 頰に当たる焚火の熱と、背中に感じる山の冷気の差がサウナと水風呂を同時に体験しているような不思議な感覚である。背中を通して人々の声が響くのは、声が私の肺のなかで響いて増幅されているのだろうか。酔いはさらにまわってきている。このまま眠ってはだめだと自分に言いきかせた。この集団を信頼してもいいのかさえわからないのだ。眠ってはだめだと繰り返すうちに記憶が消えた。
 気配を感じて眼を開いた。
 月明かりのなかで人影が動いていた。
 驚いて上半身を起こした。心臓の鼓動が一気に速くなっていた。
「あ、起きましたか」
 女の声だった。
「…………」
「気持ちよく眠っていたのでそのままにしておきました」
 眼を凝らしたが、リサコではないように見える。他には誰も広場にはいない。まだ心臓は高鳴っていた。
 焚火は火力を失い、おきになって妖しく光を放っている。女がその熾火へ手を伸ばし、掛けてあるかんを取った。そのとき熾火の柔らかい光にほんのり照らされ、女の顔が見えた。たしかにリサコではない。夕食のとき離れた場所に座っていた三十代半ばの細面の女だった。
 大きな椀に薬缶の湯を注ぎ、それを私に差しだした。
「どうぞ」
 受け取った。地面に置こうとすると、女は飲むのを待っている。口をつけてみると知った味と匂いだった。黒彦が山のなかで作ってくれた、あの干肉を湯に浸した干肉スープである。椀を傾けて熾火にかざしてみると、ふたつみっつの干肉の塊が見えた。
 女が首をかしげた。
 感想が聞きたいのだろう。
「これ、飲んだことがあります」
「───?」
「黒彦さんにごそうになりました」
「黒彦に?」
「ええ。山で作ってくれました」
 女が視線を落として何か考えている。そういえば旭もげんそうな顔をしていた。暗い森のなかからふくろうの声が響きはじめた。すると別方向からの梟の声が和しはじめた。寂しい声だった。
「どこから来たんですか」
 女が聞いた。
「東京です」
 答えると、女の表情が少し華やいだ。
「東京って綺麗ですよね」
 表情が崩れると、目尻のしわが深くなり、歯茎の長さが目立った。顔の作りが小さいので若く見えるが、もしかしたら四十歳を超えているかもしれない。
「一度くらい東京に行ってみたいです」
「いつからここに?」
「ずっと、です」
「え?」
「ずっとここにいます」
「山から下りたことがないんですか?」
 驚いて聞くと、彼女が眼を陰らせた。
 その陰った眼を細め、首を傾げた。
「お名前聞いていいですか。私はといいます」
「当麻です。当麻いちろうといいます」
 右手を差しだすと、亜希はほほみながら握り返した。柔らかい手だった。
「当麻さんは今日はどこで寝るか聞いてますか」
「あそこで寝てはだめですか」
 私は先ほど鍵谷に連れられて入った建物をさした。あそこなら入口が開けっ放しで、横になったまま外を警戒できる。万がいち建物のなかで何かあっても逃げだせる。しかし亜希は首を振った。
「あそこは神殿といって、昼の休憩時にごろごろするだけの場所なんです」
「そうなんですか。じゃあ、みなさんどこで寝てるんですか」
「それぞれです。いくつかに分かれて」
「そうですか。じゃあ、僕はここでいいですよ」
 おかしなところでは眠るに眠れない。
 亜希がまた首を振った。
「この時間はまだいいですけど、朝方になると夜露にれます。このあたりはひどいんです」
「寝袋がありますから」
 言いながら立ち上がろうとすると足がもつれた。
「酒が残ってるようですね」
 亜希が笑いながら立ち上がった。そして私の手をとった。
「布団が余ってますからうちへ来てください」

#5-2へつづく
◎第 5 回全文は「カドブンノベル」2019年12月号でお楽しみいただけます!



関連書籍

カドブンノベル

最新号 2020年1月号

12月10日 配信

ランキング

アクセスランキング

新着コンテンツ

TOP