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連載

増田俊也「眠るソヴィエト」 vol.40

【連載小説】洞窟に運びこまれた死体の正体は? 未知を求めて山奥へと進む異界冒険記! 増田俊也「眠るソヴィエト」#12-3

増田俊也「眠るソヴィエト」

※本記事は連載小説です。
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      4

 十三日目には寝床のなかから出ることができなくなっていた。気づいた老婆が水をわんで飲ませてくれたので死ぬことはなかったが、体重は一五キロくらい落ちていると思われた。朦朧とした頭で、楽に死ぬことばかりを考えた。
 どこかでガンガン何かをたたく音が聞こえたのはその三日後、十六日目であった。老婆が立ち上がり、部屋から出ていった。戻ってきたのは二十分くらいってからだった。
「行くだす」
 言いながら私の手を引いて立たせようとする。
 私は黙って首を振り続けたが、それでも「とうも行くだす」と両手でこちらの腕を引っ張った。
「どうしたんですか……」
 振り絞って出た私の声は、自分でも聞き取れないほどのかすれ声だった。
「当麻も行くだす」
 老婆は繰り返し言って腕を引く。
 しかたなく巣から転がるようにして出て、両手を突いて立ち上がった。まいでぐらぐらと風景が揺れた。手を引かれるまま壁に手をついて歩いていく。寝床を出ると凍えてきて体が震えた。途中で老婆が大きな毛皮を私の肩から掛けてくれると少しだけ寒さがゆるんだ。
 広間へ出て地上へ繫がる廊下を上がっていく。
 上まで上がると久しぶりに外の陽光が見え、あまりのまぶしさに左手で眼を塞いだ。そのまま手を引かれて鉄格子のところまで行くころには眼も慣れてきた。
 鉄格子の手前に誰かが倒れていた。
 一目見て、死体だとわかった。
 途中で旭だと気づき驚いて駆けよった。
 足がもつれて死体の手前でつまずいて転んだ。眼の前に旭の顔があった。
 首筋で脈をとった。
 やはり死んでいる。
 どす黒く変色した顔は、苦悶をそのまま残していた。
 散弾銃で撃たれた脚は真っ黒に変色している。死因は敗血症で間違いない。手を取って動かしてみた。死後硬直はまだ始まっていない。死斑は粒状で小さなものが二つ三つ散らばっているだけだ。心肺停止して三十分から一時間。死んですぐに運んできたようだ。
「運ぶだす」
 老婆が言った。
「食べるつもりか!」
 思わず大声が出た。老婆はしかしまったく動じたふうはなく、傍らに立てかけてある古いリヤカーをこちらに持ってくる。
「下に運ぶだす」
 言いながら旭の肩口を持った。そして足のほうを顎でさした。私に手伝えというのだ。私はじ気づき、両手のひらを老婆に向けた。老婆は意味がわからないのか黙って私を見ている。
 ふと鉄格子の向こうを見ると、三〇メートルほど離れたところに鍵谷と亜希の二人がいて、バケツの水を使ってブラシでリヤカーを洗っていた。私は立ち上がって鉄格子につかまり、それを前後に揺すった。ガシャン、ガシャンと音が鳴った。
「亜希さん!」
 大声を出したつもりが、かすれ声だった。亜希が気づき、こちらを見て驚いている。鍵谷もこちらを見た。そして亜希に何か言った。亜希が興奮したように何か言っている。それに対して「黙れ!」という鍵谷の声が聞こえた。亜希はその一言でしおれたように肩を落とした。
「亜希さん!」
 私はまたしゃがれた声をあげた。
 鉄格子を揺すって大きな音をたてた。
 亜希はちらりと一度見て、すぐに向こうを向いて両手で顔を覆っている。
「泣くな! うるせえ!」
 鍵谷の大声だけが聞こえた。
 しばらく鍵谷は亜希に向かって何か言っていたが、そのうちリヤカーをいて森のなかへ入っていく。亜希も後について消えてしまった。私は鉄格子を揺すり続けた。そのうち後ろから老婆に服を引っ張られた。振り向くと、すでに旭の死体はリヤカーに載せられていた。
 私は未練がましく亜希たちの消えた森を見た。
 老婆は何も言わず横に立っていた。五分たっても十分たってもそのままだった。根負けした私は肯いた。体力がもう残っていなかった。ほんの少し残っていたものを、いまの騒ぎで使い果たしてしまった。
 老婆がリヤカーを曳きはじめた。
 私は荷台の後ろのあたりを持って支えながらついていく。水溜まりをいくつか過ぎ、左へ行って地下洞窟への道を下った。
 広場に着くと、老婆が死体をリヤカーから降ろしはじめた。今度は私も手伝った。降ろし終えると老婆は奥へ行って、大きな木箱を引きずってきた。蓋を開けると空の箱だ。今度は大樽を転がしながらこちらへ持ってきた。立てるのを手伝って蓋を開けると塩が詰まっていた。
 老婆が塩樽の蓋を再び閉め、横向きに転がして旭の足もとに置いた。死体の足を持ち上げて角度を変え、樽に引っかけて挙上した。そして傍らの大きなナイフを手にし、もう一方の手で木椀を手にした。死体の脇に屈み込むと、木椀を死体の首のところに置き、ナイフで首筋を深く切った。鮮血が流れ出した。頸動脈である。心肺停止からやや時間が経っているので噴き出すというよりも流れ落ちる感じである。
 老婆はそれを木椀で受けている。
 まさかと思っていると、それを飲みはじめた。
 飲みほしてしまうとまた首の下で血を受け、一杯になったところで私に差しだした。
「いえ……」
 私が両手で拒絶すると、老婆はさらに強くこちらに差しだした。私は一歩下がった。
「飲むだす」
 老婆が言った。
 私は首を振った。
「飲むだす」
 私はまた首を振った。
「友達の血を飲むなんてできない!」
 老婆が首をゆっくり振った。
「友達だから飲むだす」
「だからできない!」
「そうすれば彼は死なないだす」
「…………?」
「彼は死なないだす」
「死んでるじゃないか」
「死なない。当麻のなかで生き続けるだす」
「…………」
「人も動物もそうだす。だからわしらヤマビトは動物の体を無駄にはしないだす。大切に扱って、わしらのなかで生きてもらう。そうするとわしらが死んだあと、わしらの体を食べた人間や動物のなかにも続けて生きていく。永遠の命だす」
 老婆が肯いた。
 私は空唾を飲んだ。
 両手を前に出すと、老婆がそこに木椀を載せた。
 静かに眼を閉じ、私はその椀を口に運んだ。

      5

 敗血症の血を飲んだのだから腹を壊すだろうと覚悟していた。しかし意外にも下痢は起こさなかった。あまりに長いあいだ断食していたからなのか、あるいは老婆のいうようにいつもここの冷泉を飲んでいるからなのか。
 老婆の説得が私にはに落ち、血を飲んでいる最中もとくに気持ち悪いとも思わなかった。むしろ胃の底から力がみなぎってくるような思いだった。旭が自分の体を私に差しだして「俺の分まで生きてくれ」と言ってくれているのだと思った。そうすると自然な気持ちで猪の塩漬け肉も食べることができるようになった。
 それからは日に何度かステーキほどの大きなものを二切れ食べては十時間ほど眠ることを繰り返した。三日ほど経ったときにはずいぶん気持ちが前向きになっていた。
 さらに数日たったころ老婆が一抱えもある猪の肉塊、しかも毛皮付きのものを持ってきた。形から想像するにももの部分だ。
 老婆から大型ナイフを借りて毛皮をいでいく。グループにいる間に何度か解体を手伝い、すっかり慣れていると思ったが、塩漬け肉はジャリジャリと音をたてて抵抗があるため、なかなか剝がすことができない。途中で老婆が奥からけんなたを持ってきて差しだした。ナイフのほうがさすがに良かろうと思ったが試しに使ってみると実にスムースに切れた。黒彦のものと同じく手入れが行きとどいているようだった。
 すべて皮を剝ぎ、手のひら大の肉をスライスして口に入れようとすると「うだうだ」と老婆が言った。二週間以上一緒に生活してきて、この言葉が「違う」という意味だとわかっていた。老婆が私の手からその生肉を奪いとり、奥の冷泉へ歩いていってそこで洗っている。塩漬けだから塩を抜かなければいけないのだ。いままで老婆はそれをしてから私に持ってきてくれていたのだ。
 老婆が立ち上がってよろよろとこちらへ歩いてくる。そして肉を私に差しだした。
「ありがとう」
「ほんどは夜中のあいだ漬けて塩抜ぎするのがええ」
 老婆が言った。
 私は肯いてその肉を頰張った。いから食べるのではない。体力を戻すために食べるのだ。いつかここを脱出して下界へ戻るために──。

      6

 入牢して一カ月たった。
 寒さがさらに厳しくなり、猪の大きな毛皮で体を巻いてから枯草の寝床に潜りこむようになった。さらに寒くなると枯草の上から毛布のようにもう一枚の毛皮をかけた。そのうち老婆と抱き合って眠るようになった。
 ある日、あまりに上が静かなので見に上がると、外は一面の雪景色になっていた。鉄格子のところまで行き、鉄格子を握り、小一時間も雪の森を見ていた。自然に涙がこぼれてきたがそれを拭く気力はなかった。頰から顎に滴った涙は凍ったように肌に貼り付いた。羽織っている猪の毛皮を頭からかぶった。
「当麻──」
 後ろから呼ばれた。
 振り向くと老婆が立っていた。
「出れやせんで寝とるだす。あきらめるだす」
 老婆と一緒に下へ降り、頭に残った外の景色を振り払うようにして枯草の寝床に潜りこんだ。眼を閉じて入牢してからの記憶を辿たどろうとしたが何も浮かんでこない。それは何もしていないからだと気づき眠りに落ちた。
 二カ月たった。
 腕時計のカレンダーでクリスマスも正月もわかったが、そういった日も淡々と生肉を食い、眠った。私に慣れたドブネズミとときどき遊ぶくらいだった。
 二人で生肉を食いながら老婆に聞いた。
「お婆ちゃん、名前を教えてください」
「漬物ばあだわな」
「それじゃなくて、本当の名前です」
 老婆はぼんやり壁を見て考えていたが「忘れたすなあ」と言って私を見た。
「思い出してください。子供のころ、呼ばれていたでしょう。なんと呼ばれてましたか」
「ああ、そうだすか……。なんとなくだすが、ハマと呼ばれておったような」
「ハマさんですか。いい名前ですね」
 私が言うと老婆は少女のようにはにかんだ。

      7      

 一月が過ぎ、二月となった。
 氷のなかに閉じ込められているような寒さだった。
 日に二度か三度、老婆が立ち上がって生肉を持ってきた。それを寝床のなかで私は貪り、這っていって冷泉を飲み、また寝床に潜りこんだ。
 上から「おい、当麻!」と声が聞こえたのは二月九日であった。寝床のなかで眠っていたのでしばらくは空耳かと思ったが、その大声は何度も聞こえてきた。
「当麻っ、出てこい!」
 隣を見ると、老婆も眼を開けていた。
 私が転がるようにして巣から降りると老婆も立ち上がった。
 毛皮を羽織り、二人で黙って上へあがっていった。
 鉄格子が開け放たれていた。
 その外に立っていたのは、やはり鍵谷だった。
 散弾銃を構え、後ろには黒彦、亜希、リサコ、ふゆと、成員全員を従えていた。
「こっち来い、当麻」
 鍵谷が顎と銃口を振った。
 私はゆっくりと前へ進む。そして鍵谷の前五メートルほどのところで止まった。鍵谷は散弾銃を私の太腿あたりに照準を定めて構えた。
「リサコをごうかんしたというのは本当か」
 あまりのことに驚いた。リサコを見ると顔を引きつらせている。
「どうなんだ、答えろ」
 鍵谷は銃口をさらに上げ、私の顔に向けた。
「いえ、してません……」
 私が答えるとリサコが「無理やりだったの。私は嫌だって意志を伝えたのに」と鍵谷の腕を抱えた。その腕を鍵谷が払った。
「聞いたか、当麻──」
「いや、でも本当にそういうことはないんです」
 私の声は震えていた。

▶#12-4へつづく
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