menu
menu

連載

増田俊也「眠るソヴィエト」 vol.13

女性の匂いに反応した当麻は思わず――。 未知を求めて山奥へ進む異界冒険記! 増田俊也「眠るソヴィエト」#6-3

増田俊也「眠るソヴィエト」

※この記事は、期間限定公開です。

>>前話を読む

「どうぞ、ここに座って待っていてください」
 そう言って私をよけ、外へ出ていった。
 美冬は布団にもぐりこんで眠っているので頭が少しと片足の先が布団から出ているだけだ。森の奥からふくろうの寂しげな声が聞こえてくる。
 入口に座り、梟と虫たちの声を聞きながら亜希を待った。
 三分もたったころ亜希は戻ってきた。
 木製のおけを片手に提げている。
「体を拭きましょう」
「いえ、ほんとうにいいです」
「山のなかを歩いて帰ってきたんですよね。汗まみれですよ」
「いや、ほんとにもう」
 私はまた両手のひらを前に出して意志を示した。
 亜希がためいきをついた。
「わかりました。じゃあ足だけでも拭きましょう。土まみれです」
「いいです」
「いえ。布団が汚れますから」
 言ってその場に桶を置き、マグカップを差しだした。水が入っていた。礼を言ってそれを飲む私の顔を見ていた亜希は、タオルを桶の水に浸してしぼった。その姿を見て姉を思い出した。私が小学生のころ、草野球から泥まみれで帰ってきたのを怒って同じように足を拭かれた。姉のみどりは五歳上なので私が小学校高学年のころすでに高校生だった。
「さあ、ここに右足を乗せて」
 亜希が言って私の足首をつかみ、ズボンの裾をたくしあげて自分のふとももに乗せた。かかとに当たる柔らかい感触に心臓が高鳴った。汚い足を亜希は丁寧に濡れタオルで拭いていく。濡れた足が夜気でひんやりとした。つい先ほどまで布団のなかで温められていた彼女の体から生々しい匂いがたちのぼってくる。
 右足を拭き終わると左足に取りかかった。
「さあ、終わりました。ゆっくり寝てください」
 亜希は汚れた桶の水を道の脇の土にあけ、桶を敷台の横に置いて立ち上がった。
「どうぞ。もういいですよ。寝てください」
 そう言う彼女の手首を握り、私は引き寄せた。そして胸のなかにかき抱いた。彼女は驚いて体を硬くしている。
「すいません。姉のことを思い出してしまって……」
 私が言うと、亜希は体の力を抜いた。
 見た目は平均的な体格だが、こうして抱くときやしやだった。小鳥か何かを手のひらに乗せているような感覚である。
「さあ、寝ましょう」
 亜希が小声で言い、私の胸を軽く押した。
 私は肯いて彼女を離し、「ごめんなさい」と頭を下げた。
「男が泣いたらかっこ悪いですよ」
 亜希は右手を伸ばし、私の涙を手のひらで拭った。私は袖で顔を拭い、小屋に入ってジーンズを下ろし、布団のなかへ頭まで潜りこんだ。隣で寝ている美冬と同じように。
 しばらく亜希が部屋のなかを動く気配で眠れなかった。もういちど起き上がって抱きしめたい気持ちがあった。ようやく亜希の気配がおさまった。布団を少しだけ持ち上げて見ると、部屋の灯りが落ち、真っ暗になっていた。私はまた布団を頭からかぶり、深呼吸した。そのうちに眠ってしまった。

      3

 眼が覚めると朝だった。
 上半身を起こした。隣の美冬もその向こうの亜希もすでにいなかった。立ち上がって布団を畳み、外へ出た。蕗の葉が重なる隙間から朝雲がゆるゆると流れるのが見えた。
 入口敷台の上に水の入った桶が置いてあった。
 人差し指を入れてみるとかなり冷たい。指先をめたが味はしない。川の水か井戸の水かわからないがまだ汲みたてであろう。両手で桶を持ち、そのまま口をつけて飲んだ。昨日の疲れが出てふくはぎとハムストリングスに筋肉痛があった。
 女の笑い声が聞こえた。
 驚いて桶を下ろすと見知らぬ老女が向こうから歩いてくる。
「桶から直接そんなふうに飲むものじゃないですよ」
 乾いただみごえで言った。
 七十代、いや八十代だろうか。いまでは珍しくなった腰の曲がった老人である。両手に一本ずつつえを突き、古い着物を着ている。ボロ布にしか見えない粗末な着衣だ。近づくにつれやにがだらだらと流れ、固まったその目脂でほとんど片眼が塞がっているのが見えた。体全体からすさまじい悪臭を放っている。
「だめです!」
 老女の後ろから亜希が形相を変えて早足でやってきた。老女が振り返ったのを片腕で捕まえ、肩を抱くようにして向こうへ連れていく。老女の体重は三〇キロもないように見えた。
「亜希さん──」
 後ろから声をかけたが振り向きもせず、そのまま歩き去った。
 しばらくすると入れ違うように道の向こうから美冬が駆けてきた。私を見つけるとそこで立ち止まり、両手で何かを食べる仕草をした。私が肯くと、きびすを返して走っていった。私はそのまま靴を履き、昭和広場への道を行った。あたりにはせるほどの悪臭が残っていた。
 広場へ行くとみな集まって朝食をとっていた。しかし亜希の姿も、あの老女の姿もなかった。そして黒彦もまだ帰っていないようだった。
 鍵谷は機嫌よく私に横に座るように言い、リサコに山盛りの食事をつがせた。食事をしながら昨日の〝デパート〟で見つけたものの持ってこられていない物の話をした。あそこは女たちも好きなようで、話題に加わった。気のいい人たちだった。

      4

 鍵谷に「一週間なら」と期限付きで滞在を許されたはずだったが、彼は一週間たっても十日たっても何も言ってこなかった。こういうときは変な動きはしないほうがいい。じっとして風に任せるのだ。それが子供のころからの私のやりかただった。
 昼の間は森全体からミンミンゼミの声があふれ、その声のゆりかごに乗っているようなのんびりした日々だった。夜になるとセミの声に代わって草むらから虫の音が沸きたった。上空から見つからないように生活する小さな窮屈さはあったが、コミュニティのルールはほぼ他になかった。私のような人間には快適な生活であった。
 八月に入ると気温はさらに上がったが、三日に一度くらいは降る夕立ちが気化熱で森の気温を下げてくれた。下界のような蒸し暑さはなく、朝晩はむしろ冷んやりするような高山気候で過ごしやすかった。
 ときどき私は昭和広場の土の上を歩くクワガタやカブトムシを捕まえた。夜の間にあちこちの山から焚火や行灯の光に集まってきた虫たちだ。古い金魚鉢の上に金網で蓋をして飼っているのを、みんなに笑われた。
「子供じゃないんだから虫なんて捕るなよ」
 鍵谷はそう言いながら、自分でも見つけると捕まえて私にくれるようになった。その金魚鉢は神殿の入口横に置いてあるので、メンバーたちがいちごやアケビなどを餌として入れてくれたりもした。この二週間で私はすっかり溶け込んでいた。
 朝食をとって労働歌をうたい、午前中は神殿裏の作業場に男たちが集まってひきもの作業をした。女たちはそのあいだ樹の実を採取したり、野生の芋類を掘ったりした。昼食後は男たちは狩猟へ出かけて山鳥やきじいのししや鹿、ウサギやリスを捕った。女たちとともに肉の塩漬け作業をやったりもした。
 ここの主食はやはり肉のようだった。
 女たちでさえひとり一食四〇〇グラムから六〇〇グラムくらいは平気で食べていた。肉を主食にしているのだから当然だが、それでもはじめのうちは腹にこたえた。しかし十日ほど過ぎるうちに慣れてしまった。
 炭水化物は主にドングリの粉を挽いた練り物だった。親指の先くらいに丸めたものをスープに落としたり、焼いて菓子のように食べたりした。そのほか蕗やキノコの類が出たが、これもたいした量ではなかった。主食はあくまで肉というのは、ここでの憲法のようなものだ。
 四十数年続くこのコミュニティの正式名称は「せきぐち会」といった。最初のリーダー、関口てつ右衛もんの名前から取ったものだと伝えられていた。
 この山系には二つのグループがあり、もうひとつは「えんどう会」といい、関口会はこの遠藤会から分かれたグループであった。遠藤会は今でも五十人ものメンバーがおり、現在はここから二五キロほど離れたところにコミュニティを構えているらしい。ヤマビトグループはこの山には二つだけだが、東北地方を中心に全国に少なくとも二十数グループ残っていると聞いて驚いた。下界の人間に騒がれないのだろうかと疑問をぶつけると皆が教えてくれた。
 山に近い村人たちは昔からヤマビトの存在をなんとなく知っていたが、彼らが一人で猟をしているときにたまたま出会ったり、あるいは移動生活を送っている彼らの竈跡を発見するだけで、集団生活を営んでいる集落の現場を発見することはなかったため、その存在はうわさにはのぼっていても本当に接触した者はいないはずだという。明治に入ったころと第二次大戦後、戸籍制度の充実のため、警察をはじめ国や地方自治体の組織が山狩りのようなことを繰り返した。そのとき九割ほどは潰されたが、一割弱の者たちがはら太く山のなかに隠れ続け、その子孫が中心となっていまのヤマビトたちが残っているのだという。
 その後、彼らが見つからないのは警戒心が強いこともあるが、実際のところ現在でもアマゾン奥地に文明と接したことがないいくつもの民族が存在するのと同じで、深い山というのは経済的にまったく意味がないので普通の人間は近づかないという理由もあるという。海でいえば太平洋のど真ん中は自然といえば自然だが、じつはほとんど利用価値がないのと同じである。
 この山系の関口会と遠藤会は昔は食べ物を交換したり、その他の物も交換していたが、リーダーが現在の鍵谷になってから遠藤会とはいっさい交流を断っている。
 遠藤会など古いグループができたのは四百年前から二百五十年前だという。そこに後々さまざまな者たちが流入してきて、分派したりくっついたりしているという。一九六五年前後に学生運動からの流れで入ってきた者がそれぞれのグループのありかたに意味づけした歴史があるので、いくつかのグループにはいまだソヴィエト共産党に対する憧れがあるらしい。
 関口会の鍵谷は革新的で、下界と交わらないということにだけは厳しかったが、下界の文化であっても良いところは取り入れるという方針だった。ために服装も各人の自由に任せていた。課しているのはいれずみくらいである。鍵谷自身も肩に大きなの絵を彫っており、左の前腕には蜘蛛の巣の絵柄があった。ほかの成員も、みな左手首にそれぞれ蜘蛛を彫っていた。

#6-4へつづく
◎第 6 回全文は「カドブンノベル」2020年1月号でお楽しみいただけます!


「カドブンノベル」2020年1月号


関連書籍

カドブンノベル

最新号 2020年2月号

1月10日 配信

ランキング

アクセスランキング

新着コンテンツ

TOP