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連載

増田俊也「眠るソヴィエト」 vol.6

当麻を助けた男の正体は? 未知を求めて山奥へ進む異界冒険記! 増田俊也「眠るソヴィエト」#4-2

増田俊也「眠るソヴィエト」

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「なんだか少し温かい」
「ああ。この大岩の上がバイパスとなって川が分岐して、そこに大きな澱みを作ってある。その澱みの上部だけ樹の枝を落としてあるから昼間に熱を吸収してるんだ」
 見上げると、たしかに大岩の奥のほうの枝が払われて、そこだけ青空が覗いている。
 滝壺から出ていく小さな排水路は川とは別方向へ流れていた。
「ちっこいポコチンさらしてねえで、入ってこい」
 鍵谷がげらげら笑って滝壺の岸に腰掛けた。驚いたことにペニスはまだ屹立していた。彼はその先端に固形石鹼をこすりつけ、白く泡だった亀頭を左手のひらで包むようにしてこすりはじめた。右手は竿さおの部分をゆっくりとでている。私が驚いていると鍵谷はにやりと笑って「とうも体を洗え。汚くしてるとうちのメンバーが嫌がる」と言った。鍵谷の後ろにはいくつかの木製おけが積んである。おそらくそこが洗い場になっているのだろう。
 鍵谷の陰茎を見ないように滝壺の中に続く石製階段を下りきると、私の腰ほどの深さがあった。視線の高さに鍵谷の自慰があるので、しかたなく私は奥の大岩のところまで歩いていく。小さな滝となって落ちてくる水を片手ですくうと、太陽の温かみを感じた。顔を近づけるとかすかに緑の香りを含んでいる。鍵谷に指摘されずとも自分がそうとうに汚れているのはわかっていた。山に入ってからすでに一週間以上がつ。そこにはあのあなわなに落ちた数日間も含んでいるし、そこから道なき道をくろひこと歩いた二日間もある。
 左手に握り締めていたタオルのなかから固形石鹼を出した。
 妙なにおいがするが、手触りから石鹼であるのはたしかだ。水にらして両手のひらでこすると泡立った。後ろを振り向くと鍵谷からは大岩が邪魔して見えない位置だった。石鹼をいじっているだけで「おまえもこうしてこすってみろよ」とでもからかわれそうなので首筋にこすりつけながら岸に腰掛けた。タオルで本格的に泡立てて改めて首筋から洗っていく。焦茶色に汚れた泡が滴り落ちるので、〝湯船〟が汚れないように私は岸に上がった。木製桶がひとつ転がっていたのでそれを手にし、水をすくってあぐらをかいた。頭上の枝々から降ってくる蟬の声に微妙な変化があった。見上げると樹々の隙間から覗く空の青さが、群青色に変わりつつあった。夜の蟬たちと交代する時間なのだ。早く体を洗わないと暗くなってしまう。
 胸、腹、太腿、どこも真っ黒である。こびりついた汚れは強くこすってもなかなか落ちなかった。ひととおり洗い、桶の水をかぶった。まだ汚れが落ちてないところをもういちど洗い、桶で水をすくってかぶった。そして頭髪に石鹼をこすりつけ、頭皮を爪でがりがりとこすった。そのあいだにもあたりは暗くなっていく。急いで頭に水をかぶってゆすぎ、滝壺に入り、水のなかを歩いて大岩の陰から出た。しかし座っていた鍵谷の姿はそこから消えていた。
 滝壺の真ん中あたりに木の葉が五~六枚浮いて、ゆっくりと動いている。先ほどは枯れ枝が一本浮いていただけで葉はなかったと思う。げんに思いながら「鍵谷さん」と一声あげて川のほうへ歩いた。どこにも彼の姿はない。滝壺を上がり、再び川へ入ると、驚くほど冷たかった。
 ふくろうの声が薄暗い森に響きはじめていた。
 不安が込み上げた。
 そもそも鍵谷たちは何者なのか、知らされぬままここまで引っ張ってこられた。
 急いで川を渡った。
 岸に上がってあたりを見まわしたが、鍵谷はいなかった。
 体を拭こうとすると先ほどまで棚に置いてあったタオルがなくなっている。リサコが使い、鍵谷が使ったのだからなくなっていても不思議はないが、何か一枚置いておいてもいいのではないか。しかたなく着ていたTシャツで体を拭い、しかしあまりに濡れては着ることもできないので半分ほど拭いたところでジーンズの裾に近い部分で拭いていく。
 空の群青色は深くなり、星が瞬きはじめていた。こんなところで一人にされてはたまらない。夜蟬の震えるような声が背中を撫でるのも気味が悪かった。
 急いでジーンズをはいていると、しげみのなかから赤子の泣き声が聞こえた。心臓が高鳴った。村のようなものがあるのだから赤ん坊がいてもおかしくない。しかしその泣き声は繁みの暗闇のなかから聞こえたのだ。人間ではなく動物の子供だろうか。だとしたら親が近くにいて、子供を守るために襲ってくることもありうる。熊か。いのししか。あるいは日本猿か。
 離れたほうがいい──。
 とつに判断し、Tシャツをかぶり、靴を履き、走って逃げようとしたそのとき「誰だ」と繁みのなかから声がした。鍵谷の声に似ていた。
「そこにいるのは当麻か」
 また声があがった。
 今度ははっきりと鍵谷とわかった。
「はい。そうです」
 答えると、繁みがガサガサと音をたて、中から鍵谷が現れた。下はジーンズをはいているが上は裸のままだった。
 鍵谷の後ろの繁みが割れ、リサコが現れた。チョコレート色の皮膚でもわかるほど頰が上気している。Tシャツの下に湿っぽい汗をかいているのは触らなくともわかった。
「よし、戻るぞ」
 鍵谷が言って歩きはじめた。
 リサコが続いていく。
 その後ろから私はついていった。
 リサコが数歩先で落としていく女の匂いに、不覚にも下半身が反応した。裸のときにはぴくりともしなかったのに、少し情けなくなった。
 石畳の細い道は先ほどと違ってほとんど先が見えない。しかし暗闇にぼんやり見える鍵谷もリサコもちゆうちよなくその闇のなかを歩いていく。はぐれないように私は歩いた。

>>#4-3へつづく ※10/31(木)公開
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