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連載

伊東潤「もっこすの城 熊本築城始末」 vol.3

熊本城を作った男の一代記! 父から秘伝書を受け継いだ藤九郎は、肥後に日本一の城を築くため、苦難に立ち向かう。伊東潤「もっこすの城 熊本築城始末」#7-3

伊東潤「もっこすの城 熊本築城始末」

      四

 ──これが大坂城か。
 慶長四年正月下旬、大坂に初めてやってきた藤九郎は、その城の巨大さに足がすくんだ。
 それは又四郎も同じらしく、天守の方を眺めつつ息をのんでいる。
「藤九郎さん、これが城ですか」
「ああ、城だ。間違いなく城だ」
「大坂の町全体が城なんですね」
 大坂城の第一期工事(普請作事)は、てんしよう十一年(一五八三)九月から開始され、翌年八月、秀吉が本丸御殿に入ることで終了する。
 第一期工事の終了から二年ほどった天正十四年(一五八六)二月、秀吉は第二期工事を開始した。この工事は、本丸地区を取り囲む二之丸の構築が目的で、二之丸堀は堀幅四十四間(約八十メートル)、石垣の高さは十六間半(約三十メートル)という途方もない大きさとなった。第二期工事は天正十六年(一五八八)三月頃に終わる。
 天正十八年(一五九〇)のわら合戦で、小田原城惣構のけんろうさを目の当たりにした秀吉は、惣構の有用性に目を付け、第二期工事の終了から六年も経たぶんろく三年(一五九四)、第三期工事に着手する。
 第三期工事は、全長七十三町(約八キロメートル)にも及ぶ惣構を構築し、三之丸と呼ばれる城下町地区をにようした。いまだ防御力強化の工事は続けられていたが、この時点で、大坂城はほぼ完成したと言ってもいいだろう。
 藤九郎は、そのさんぜんと輝く天守をぼうぜんと眺めるしかなかった。
 言うまでもなく、大坂城内とくに二之丸内に入るのは容易なことではない。だが藤九郎たちが行くのは、大坂城そとくるうちまちにある加藤屋敷なので、外曲輪に入る時、惣構にある内町門で、一度だけしよ(通行手形)を提示するだけで済んだ。
 屋敷に着いたという報告をすると、早速、清正が会いたいという。藤九郎は旅装を着替えただけで、荷も解かず、清正が待つという対面の間に駆け付けた。
「木村藤九郎、参上仕りました」
「よくぞ参った」
 清正の顔はいつになくしようすいしていた。
「殿、お顔に心労が表れているようですが、いかがなされましたか」
「そうか。久しぶりに会う者は皆そう言う。よほど疲れているように見えるのだな」
 清正が苦笑いする。
「それがしにまつりごとは分かりませんが、いったん国元に引き揚げ、しばし養生なされたらいかがでしょうか」
「そなたにまで気を遣わせてしまったが、心配は要らぬ。それより、そなたを呼びよせた理由を教えてやる」
 清正は帰国後の情勢変化を詳しく語った。
 慶長三年十二月、加藤清正をはじめとする朝鮮在陣諸将の引き揚げが完了した。博多に戻った諸将に対し、石田三成は「いったん帰国し、年が明けたら伏見に来てほしい」と告げたが、得るものが全くなかった外征の結果と石田三成ら奉行衆への不信感から、双方の雰囲気は最悪だった。
 翌慶長四年正月、大老と奉行は秀吉のおき(遺命)を奉じてひでよりを大坂城に移し、後見のまえとしいえもこれに従った。
 一方、とくがわいえやすは伏見にとどまり、豊臣家の執政として政務を統括し、奉行衆は大坂と伏見を往復して双方の調整に務めるという新体制、いわゆる「秀吉遺言覚書体制」が発足した。
 だが半島で芽生えた豊臣大名間のいさかいは、国内に持ち越された。
西にしろうゆきなが)やぶのしようがわしを陥れようとしていたのは、まごう方なき事実だ。しかしわしは弥九郎を救いにスンチヨンソンじゆんてんじよう)に向かった。幸いにして弥九郎の脱出が成ったと聞き、途中から引き返したが、帰国すると、あたかもわしが弥九郎を見捨ててきたかのように吹聴するやからがいる。しかも弥九郎は帰途に寄った釜山の本営が焼き払われていたことに怒り、わしの嫌がらせだと言っていると聞いた。引き揚げるのに際し、城を焼くのは定法だ。わしは弥九郎が釜山に寄るなどと聞いていなかったからな」
 清正には珍しく多弁だったが、冷静に話を聞いていると、双方には抜き難い憎悪の念があり、互いの行動を悪意から出ているものと解釈しているということに気づいた。
せんえつではございますが、なにぶん戦の時は誤解が生じやすいもの。帰国して時を経れば、小西殿とも奉行衆とも誤解が解けるのではないでしょうか」
「そうであればいいのだがな。石田治部らは徒党を組み、前田殿を担いで、ないを政権から追放しようとしている。内府は亡き殿下が生前、執政に任命されたのだ。それを排斥するということは、殿下の遺命にそむくことになる」
「まさに──」
 政治状況は日に日に変わっており、普請作事方の藤九郎はあいづちを打つしかない。
「また、大坂城内に不穏な動きありという雑説も入ってきている。それゆえわしは内府を守るべく、明日にも兵を引き連れて伏見に移ろうと思うている」
「伏見に──」
「そうだ。ふくしままさのり)、あさよしなが)、くろながまさ)らと力を合わせ、大坂方の攻撃に備えるつもりだ」
「そこまで事態は緊迫していたのですね」
「ああ、もはや抜き差しならぬところまで来ておる。そこでだ──」
 清正が鋭い視線を藤九郎に向ける。
「わしが不在となれば、この屋敷もいつ何時、奉行らに押さえられるか分からぬ。しかし何の抵抗もせずに、明け渡すわけにはまいらぬ。そなたには気の毒だが、わしが戻るまでに、この屋敷の堀を深くし、塀を高くし、多数のやぐらを建てるなどして、構えを厳重にしてほしいのだ」
「もしも普請作事が終わらぬうちに、敵が来たらいかがいたしますか」
「この屋敷には、留守居役とわずかな兵しか置いていかぬ。その時は屋敷を焼いて退去せよ」
「なるほど──、で、留守居役にはどなたを任命なされたのですか」
「ああ、そのことか」
 清正がにやりとする。
「そなたに任せたい」
「ま、まさか──」
「ここにいる宿老どもは伏見に連れていく。いいもりもとおおらは国元にいる。ここで留守居役が務められそうなのは、そなたしかおらぬのだ」
「しかし、それがしは一介の城取りです」
「はははは」
 清正が高笑いする。
「城取りでは留守居役ができぬという理屈はあるまい」
「まあ、そうですが──」
「案じずともよい。奉行どもも馬鹿ではない。よほどのことがない限り、戦などにはならぬ」
「それを聞いて安心しました」
 清正が持っていた扇子できようそくを叩く。
「そのうちわしは大坂に戻る。その時、そなたは伏見に移り、同様に屋敷の構えを堅固にしてほしい。その時は伏見屋敷の留守居役を任せたい」
「承りました」
 藤九郎と背後に控える者たちが、深く平伏する。
「いずれにせよ、たいこう殿下亡き今、何が起こるか分からぬ。気を引き締めて事に当たれ」
「分かりました。留守居役を承ったからには、つつがなく仕事を全ういたします」
「任せたぞ」
 清正の瞳は、藤九郎に対する信頼に溢れていた。
 ──その信頼に応えるためにも、やり遂げねばならぬ。
 藤九郎らは緊迫の度合いを深める大坂で、屋敷の構えを強化していくことになる。

 朝鮮陣で生じた清正ら武功派と石田三成ら奉行派の対立は、帰国後、さらに深刻になりつつあった。その混乱は徳川家康と前田利家を巻き込み、豊臣家中の分裂へと進んでいった。
 事はそれだけではなかった。
 家康が秀吉の遺命を破り、諸大名との間に婚儀の話を進めていたのだ。これには前田利家も立腹し、双方の間に大きな疑心暗鬼が渦巻き始めた。
 正月十九日、利家と五奉行により詰問使が伏見に下向する。本来なら、この使者たちに家康が謝罪すれば済む話だったが、逆に家康は激怒する。
 家康は婚姻を進めていたことを棚に上げ、「異心ありと言われても全く身に覚えがない。どこの誰が家康謀反を言い立てているのか。はっきりさせてほしい」と詰問使をしつせきした。
 この剣幕に驚いた五奉行は二月二日、そろって頭を丸めた。さらに家康を除く四大老と共に、豊臣家の執政である家康に忠節を尽くすというしようもんを提出する羽目に陥った。結局、家康が武力を背景にして押し切ったのだ。
 その後、家康と諸大名の子弟間の婚儀は滞りなく進められ、奉行衆は屈服を余儀なくされた。一連の騒動は、最終的には家康の勢威の大きさを示すことになり、三成をはじめとする奉行らは面目を失った。
 このままでは亀裂が深くなるばかりと思った利家は二月二十九日、伏見に赴いて家康と面談し、豊臣家の行く末を語り合った。さらに三月十一日、今度は家康が大坂に赴き、病床にあった前田利家を見舞うなど、事態は沈静化に向かっていた。
 ところが三月下旬、大坂屋敷の普請作事を終えた藤九郎が、伏見に赴こうとしている矢先、何の前触れもなく清正が大坂屋敷にやってくると、「これから登城する。わしに従え」と告げてきた。

      五

 清正によると三月二十六日、家康が大坂方と対立する意思のないことを明らかにするため、伏見城からむかいじま城に移ったという。
 向島城とは秀吉在世時に別荘のような役割を果たすべく造られた小城で、ぐら池の中にある向島に築かれていた。この城はぶん橋と呼ばれる橋だけで伏見とつながっており、その橋を落とせば防御力は高まるものの、周囲から孤立する位置にあり、大坂方を安心させるにはもってこいの立地だった。
「内府が一歩引いたことにより、奉行どもは面目を保つことができ、一息ついていることだろう。それゆえこの機に登城して上様(秀頼)に拝謁し、内府への誤解を解こうと思う」
「しかし城には、石田殿もおられるのでは」
「ああ、いるだろう。太閤殿下健在の頃から、拝謁したいと申し出ても断られてきたわしだ。此度もそうなるだろう」
「では、いかがなされるおつもりか」
「それには策がある」
 清正が薄く笑う。おそらく成算があるのだろう。
 だが清正の供をするということは、ただのものさんではない。いつ何時、藤九郎もやりを取って戦うことになるかもしれない。
 ──覚悟を決めておかねばならぬな。
 藤九郎は心中、大きなため息をついた。
「むろん、そなたの身の安泰は約束できぬ。もし嫌なら嫌と──」
「いえ、お供させていただきます」
「それがよい。この機会を逃せば、大坂城を見ることはかなわぬかもしれぬからな」
「仰せの通りです。あれほどの城の本丸に入れる機会など、そうそうありません。万が一、城内で死んでも悔いはありません」
「よくぞ申した。そなたも加藤家中だな」
 清正が高笑いする。
 加藤家の武士は、清正の名に恥じない出処進退をせねばならず、少しでもきようの心を持ったり、きような振る舞いがあったりすれば、腹を切らねばならなくなる。
「よろしくお引き回しのほどを」
「よし、登城は明日だ」
 この夜、藤九郎は興奮し、なかなか寝つけなかった。

 翌朝、清正一行五十人余が外曲輪の内町にある屋敷を出た。本町橋から西惣構堀を渡り、二之丸に通じる大手門で過書を提示すると、門衛たちは慌てふためき、「しばし待たれよ」と制してきた。
 を降りた清正はしように座り、大扇子であおがせていると、かつちゆう姿の一団が駆け付けてきた。
「加藤殿、久方ぶりにそうろう
「おお、はや殿か。これは話が早い」
 大手口の警備に当たっていたのは、秀頼の身辺警固を担う大坂城七手組頭の速水もりひさだった。守久は清正より八つ若く、今年で三十歳になる。
「本日、ご登城とは聞いておりませんが、いかがなされましたか」
「臣下たる者、いつ何時でも登城する心構えが必要だ。奉行の承諾をもらえねば登城できぬとなれば、ここ一番の時、よき働きができぬではないか」
「それはそうですが、大名の不時登城は許されておりません」
 守久も弱り顔である。
「かつてわしがきんじゆで、そなたが小姓だったながはま城時代、城内でがあった。皆は不時登城できぬと言って、大手門前で門が開くのを待っていた。だがわしはそなたを誘い、ついべいを乗り越えて城内に入った。その時、城内の警固に当たっていた足軽が、われらをくせものと勘違いして襲ってきた。わしとそなたで三人まで突き伏せ、そのまま小火を出したうまやまで走り、火消しに努めた。幸いにして火を消し止めることはできたものの、皆は怒り、わしら二人に腹を切らせようとした。その時、殿下は『武士たる者、主の危急を知れば何があっても駆けつける。二人はあつれではないか』と仰せになり、われらに脇差をされた。それを忘れてはおるまいな」
 守久が迷惑そうに言う。
「それとこれとは話が違います」
「いや同じだ。武士たる者、何かあれば真っ先に主の許に駆けつけねばならぬ。かつて伏見でおおがあった時──」
「分かりました。お通り下さい。しかし本丸に行けるかどうかは分かりませぬぞ」
 守久が合図すると、音を立てて門が開いた。清正はさも当然のように、意気揚々と大手門をくぐった。大手門から入ると三之丸を経由せずに二之丸に入れる。
 一行は西之丸四重天守を左手に見ながら、本丸に通じるさくらもん口に出た。
 ──これが大坂城か。
 清正一行の最後尾にいる藤九郎は、視線を左右に走らせながら、すべてを記憶にとどめようとした。
 その石垣に使われている石の大きさ、建物の豪壮華麗さ、そして何よりも考え尽くされた縄張りの妙に、藤九郎は息をのんだ。横を歩く又四郎も、じんがさの下の目をぎらつかせながら左右に視線を走らせている。
 ──まず選地の妙だ。
 大坂城はうえまち台地と呼ばれる東西一里(約四キロメートル)弱、南北三里(約十二キロメートル)ほどの台地の北東端に築かれている。上町台地は北から南にかけてなだらかに傾斜し、それが大坂という地名の由来になったという。古くは台地上になにわのみやが築かれていたが、十五世紀末頃、じようしんしゆう中興の祖と言われるれんによが大坂御坊を設立し、浄土真宗の聖地・ほんがんとなった。
 しかしえいろく十一年(一五六八)にのぶながが上洛することで、この地の明け渡しを命じた信長と本願寺の十一年戦争が勃発する。海と河川をつなぐ舟運拠点であり、西国制圧の策源地となり得る大坂の地を、信長はどうしても手に入れたかったのだ。
 ──そして信長公は念願を果たした。
 天正八年(一五八〇)七月、信長との抗争に敗れた本願寺はしゆうに退去することになり、ようやく信長は、大坂の地を手にすることができた。
 かくして織田家の番城となった本願寺跡地だが、わずか二年ほど後に信長がほんのうで横死することにより、再び歴史の表舞台から姿を消す。
 その後、やまざきしずたけ両合戦を勝ち抜いて新たな天下人となったしば秀吉により、大坂城が築かれることになる。
 やがて一行は桜御門に達した。
 そこで待っていたのは、誰あろう石田三成だった。

>>#7-4につづく ※9/6(金)公開

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「カドブンノベル」2019年9月号収録「もっこすの城 熊本築城始末」第 7 回より


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