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連載

伊東潤「もっこすの城 熊本築城始末」 vol.2

熊本城を作った男の一代記! 父から秘伝書を受け継いだ藤九郎は、肥後に日本一の城を築くため、苦難に立ち向かう。伊東潤「もっこすの城 熊本築城始末」#7-2

伊東潤「もっこすの城 熊本築城始末」

      二

「義父上、お加減はいかがですか」
 藤九郎の声に、弥五郎がわずかに目を開けた。
「まさか──、帰ってきたのか」
「はい。何とか帰れました」
「よかった」
 ほっとしたようにため息をつくと、弥五郎が続けた。
「向こうは、地獄のようだったと聞いたが」
「はい。とても帰れるとは思いませんでした」
 渡海した者の約四人に一人、加藤家中は約三人に一人が半島に骨を埋める、ないしは嘉兵衛のように帰ることはなかった。
「よくぞ──」
 弥五郎がき込む。それを見た妻が、弥五郎の上半身を起こして水を与えた。それでせきは収まったが、弥五郎の目の下には青黒い隈ができ、肌も土気色をしている。
 ──死期が近いのか。
 せいかんそのものだった弥五郎の変わり果てた姿に、藤九郎には言葉もなかった。
「藤九郎殿が帰ってこられたのも、神仏のご加護のお陰だ」
「はい。たつからもらったふじさきはちまんぐうのお守りが、私を守ってくれました」
 藤九郎が首から下げた守袋を示す。すでにそれは汗と汚れで、「藤崎八旛宮」と書かれた文字さえ判別がつかなくなっていた。
「よかった。本当によかった。こちらでも、そなたが行ったきく川の付け替えがうまくいき、溢れ水がなくなり、新田が増えた。皆はそなたのことを神のようにあがめている」
「わたしなどは一介の職人です。此度のことは、すべてここに住む方々の努力のたまものです」
「そう言ってくれるか」
 弥五郎の瞳から一筋の涙が流れる。
「皆様のお役に立ち、これほどの喜びはありません」
「積もる話は山ほどある。だが、わしも長くはない」
「何を仰せで──」
「いや、慰めは要らん。自分の体は自分が最もよく分かっている。ただ心残りなのは、又四郎の行く末を見てやれぬことだ」
「そのことなら、心配は要りません。わたしが後見して義父上の跡を継がせます」
「いや、そうではない。又四郎、これへ」
 藤九郎の背後に控えていた又四郎が、ひざをにじって前へ出る。
「父上」と言ったきり、又四郎が言葉に詰まる。
「又四郎、そなたは百姓になるのが嫌だと言っていたな」
「いえ、そんな──」
「もはや本心を隠さずともよい。そなたは藤九郎殿に付き従い、城取りになりたいのであろう」
 唇をんでうなだれた又四郎を見て、藤九郎が諭すように言う。
「又四郎、そなたは義父上の跡を継ぎ──」
「いや、待ってくれ」
 弥五郎が藤九郎を制する。
「わしもよく考えた。子がわいければ、好きな道を歩ませてやるのが、親というものではないかとな」
 藤九郎がぜんとする。
「義父上、ということは又四郎が跡を継がずともよいと仰せか」
「うむ。すべてを子に押し付け、この世を去るのも気が引ける」
「しかし菊池川の付け替えによって、この周辺の収穫は安定してきました。それでも、この土地を他人に譲られるのか」
「ああ、構わぬ。わしの死後、あちらで死んでいった下級武士の方々の次三男に田畑を分け与えてやることで、少しは皆の役に立てる」
「そこまでお考えだったのですね」
 その時、藤九郎の脳裏に嘉兵衛の遺族のことが浮かんだ。
「義父上さえよろしければ、以前、わが婚礼に駆けつけてくれた佐屋嘉兵衛殿のご遺族を、この地に入植させたいのですが──」
「そうか。あの御仁は、あちらでお亡くなりになったのだな」
「いや、それには事情が──」
 藤九郎が嘉兵衛の消息を伝える。
「いずれにせよ見事な覚悟だ。それほどの方のご遺族に、この地を耕していただけるなら本望だ」
「ありがとうございます」
 藤九郎が又四郎に向き直る。
「又四郎、義父上はそなたのことをよく考え、そなたの望みを聞き入れて下さると仰せだ。しかしそれも、そなたの気持ち次第だ。やはりそなたが家を継ぎ、この地を耕して生きるというなら、それはそれでよいことだ。そなたの気持ちを聞かせてくれ」
 又四郎は正座し、両手を膝に置いている。うつむいているので表情までは分からないが、その両手の甲が震えている。
 弥五郎がかすれた声で言う。
「又四郎、構わぬ。たんのないところを聞かせてくれ」
「はっ、わたしは──」
 又四郎は顔を上げると決然として言った。
「城取りになりとうございます」
「そうか」と言って弥五郎の顔に笑みが広がる。
 だが藤九郎は、又四郎に言っておかねばならないと思った。
「又四郎、城取りは技によってろくむ仕事だ。しかし此度のから入りで、わしは幾度となく危うい目に遭った。つまり死と隣り合わせの仕事でもある。それでもよいか」
「構いません」
 又四郎がきっぱりと言う。
「それだけではない。いかに厄介事(難問)が立ちはだかっても、城取りは設けられた期限までに城を造り上げねばならぬ。言い訳もできぬし、他責にもできぬ。石の切り出しが遅れても、大工の頭数がそろわなくても、すべては城取りのせめになる」
「分かっております」
 又四郎の目を見れば本気なのは分かる。だが藤九郎は、念だけは押しても押し足りないと思っていた。
「城取りはたいへんな重荷を背負っている。万が一、で建物や石垣が崩れれば、城取りが責を負うことになる。ましてや敵に攻められ、落城ともなれば──」
 藤九郎が言葉を切る。そうした言葉を口にすることで、藤九郎も初めて自分の仕事の責任の重さを痛感したのだ。
「城取りは、ただでは済まぬ」
「はい。覚悟はできております」
 又四郎が言い切る。
「分かった」と答えた藤九郎は、弥五郎に向かって言った。
「又四郎はかように申しております。城取りになることをお許しいただけますか」
「ああ、許す。藤九郎殿の迷惑になるかもしれぬが、又四郎を頼む。もしも才覚がないと見抜いたら、また覚悟が足りないと感じたら、どこぞにでも放逐してくれ」
「分かりました。又四郎の一身お預かりしました」
「ああ、煮るなり焼くなり好きにしてくれ」
 弥五郎が笑った。だがその拍子に咳き込んだので、妻が背中をさすっている。
「藤九郎殿、わしは又四郎が一人前になる姿も見られず、また、そなたとたつの子の顔も見られずに死ぬのは口惜しい。だがこれも運命さだめだ。男なら胸を張って運命を受け容れねばならぬ」
 藤九郎の背後からはすすり泣きが聞こえる。嫁のたつと藤九郎の妹の里だ。時折、はなをすするのは藤十郎に違いない。
「義父上──」
 藤九郎が感極まったように言う。
「いつか又四郎と日本一の城を造ってみせます」
「そうか。それを一目見たいものよの」
 そう言うと弥五郎は目を閉じた。
 その五日後、皆に看取られ、弥五郎はめいへと旅立っていった。

      三

 ひでよしの死によって唐入りも終わり、誰もが国内にせいひつが訪れると思っていた。しかし朝鮮陣での豊臣家中に入った亀裂、すなわち憎悪とおんねんは、海を越えて国内に持ち越された。
 清正は十二月二日、はかに着くと、本国の肥後にも寄らず上洛の途に就いた。
 この時、一足先に帰国していたいしみつなりが、博多に着いたばかりの諸将に「明年入京すれば茶会を開いて慰労しましょう」と告げたところ、清正は立腹し、「わしなど他国で七年も苦労したが、いちもんの金ももうからず、茶や酒さえない中で過ごしてきた。それゆえ、ただひえがゆをもって答礼するのみ」と答え、二人の間はさらに険悪なものになった。
 かくして国内に暗雲が垂れ込め始めていたが、それでも清正は、隈本の城下町の建設を忘れてはいなかった。すでに武家屋敷となる新町を囲むように土居と堀によるそうがまえを造っていた清正だが、まずは商業の振興をと考え、新町に隣接する古町一帯に本格的な商人町の形成を御普請奉行のやけかくもんに命じた。
 これを担当したのが藤九郎だった。藤九郎は古町にすでに集住している商人たちを、いったん末町に移住させて区画整理を行い、新たな商人町の建設に着手していた。
 ところが慶長四年の正月が明けると、風雲は急を告げてきた。

「なんと、殿に呼ばれておおさかに行くだと!」
 藤十郎が驚く。
「ああ、すぐに来いとの仰せだ」
「でも、何をしに行く」
「殿は大坂屋敷とふし屋敷を、より堅固なものにしたいらしい。それ以上、詳しいことは聞かされておらん」
「でも大坂に行くということは、大坂の城が見られるではないか」
「そうなのだ」
 これまで大坂城を見たいと思ってきた藤九郎だが、一度もその機会は訪れなかった。だが、ようやくその機会がめぐってきた。上方の情勢が緊迫したものになりつつあるので、どうなるかは分からないが、遠くから眺めるだけでも構わないと思っていた。
「よし、分かった。それで出発はいつだ」
「次の船便なので、二日後だ」
「それまでにやっておかねばならないことが、山積しているな」
「いや──」
 藤九郎が言いにくそうに言う。
「此度は、わしだけで行く」
「えっ、どういうことだ」
「そなたには、わしの代わりを務めてもらう」
「つまり、隈本に残れと言うのか」
「そうだ。わしの代わりが務まるのは、そなたしかおらん」
 藤十郎が浮かし掛けた腰を下ろす。
「そいつはうれしい言葉だが、そばやく(補佐役)がおらぬと、向こうで苦労するのではないか」
「ああ、そうだ。だから此度は又四郎を側役として連れていくつもりだ」
「又四郎を──。やつに側役が務まるのか」
「何事も経験だ。そなたに大坂城を見せられないのは残念だが、こちらにも、やらねばならぬ仕事がまだまだある。それをすべて、そなたに託したい」
 藤十郎が満面に笑みを浮かべる。
「分かった。兄者の目はわしの目だ。兄者が大坂城を見れば、わしが見たも同じだ」
「そう言ってくれるか。すまぬな」
「こちらのことは任せてくれ。兄者のようにうまくやれるかどうかは分からぬが、できるだけのことはやってみる」
「分かっている。そなたを信頼している。好きなようにやれ」
 藤十郎が涙ぐむ。
「われら兄弟、初めて別々の仕事をするんだな」
「ああ、そうだ。そなたが一人前になったからだ」
「よし、やってやる!」
 藤十郎が胸を叩いた。
「その意気だ。早速だが──」
 藤九郎が図面を開く。
「城の中核部を造る前に外辺部の守りだ。殿は『外から造れ』と仰せだからな。そこで白川の南の川に治水を兼ねて大きな土手を造ろうと思う」
「つまりるい兼土手だな」
「そうだ。さらに南のみどり川はふね川と合流させて水量を豊富にする。さすれば外堀の役割を果たしてくれるはずだ」
「いわゆるしま対策だな」
「そういうことになる」
 二人の談義は深夜にまで及んだ。藤九郎は自らの考えを懇切丁寧に藤十郎に伝えた。
 翌日、大坂に連れていくことを又四郎に告げると、飛び上がらんばかりに喜んだ。
 数日後、藤九郎は又四郎を従え、百貫港から船に乗り、一路大坂を目指した。

>>#7-3

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「カドブンノベル」2019年9月号収録「もっこすの城 熊本築城始末」第 7 回より

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