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連載

伊東潤「もっこすの城 熊本築城始末」 vol.17

天守台の石垣は美しい「扇の勾配」を見せていた……。熊本城を作った男の一代記。ついに大団円! 伊東潤「もっこすの城 熊本築城始末」#10-4

伊東潤「もっこすの城 熊本築城始末」

※この記事は、2020年2月10日(月)までの期間限定公開です。

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 九

「お味方大勝利」の一報が届き、隈本城下はわき立っていた。
 連日、祭りのように人が外に繰り出し、夜になっても賑わいは続いた。これで加藤家の繁栄は約束されたも同じであり、「われらの殿は百万石になる」などという噂まで、まことしやかに流れていた。
 宇土城を降伏開城させた清正は、いったん隈本に戻った後、十月二十一日、今度は北に馬を進め、西軍に付いたたちばなむねしげやながわ城を包囲した。立花勢はなべしま勢と戦闘中だったが、清正と黒田如水が宗茂を説得し、二十五日、宗茂は降伏開城を決意する。
 その後、清正はさつ方面に向かったものの戦闘はなく、十二月には再び隈本に戻った。

 そうした加藤家の躍進の陰で、藤九郎の衰弱は激しくなっていた。それでも連日、駕籠を使って茶臼山に登っていたが、いよいよ天守が完成するという九月末、駕籠に乗ることも辛くなってきた。
 遂に微熱と頭痛が引くことはなくなり、突然激しく咳き込むと、けつたんを吐くことも多くなった。
 ──わしは、もうだめかもしれない。
 おそらく風病をこじらせたことで体が弱り、眠っていた労咳が目を覚ましたのだろう。半島では多くの人々が労咳を患っていたので、おそらくどこかでうつされたのだ。
 十二月のある朝、いつものように駕籠かきを連れて又四郎が迎えに来た。
 藤九郎は又四郎とたつをちんとうに呼んだ。
「聞いてくれ」
 二人の顔に緊張が走る。
「どうやら、わしはもう長くはないようだ」
「何を仰せですか」
 その言葉にたつがえつする。だが反論しないということは、しばしば往診してくる清正の御典医から、それとなく見立てを聞かされているのだろう。
「たつ、多忙に任せて子をなすこともできずすまなかった。だが考えてみれば、わしの子はたくさんいる」
 二人が顔を見合わせる。
「わしの子は城だ」
 又四郎も涙をこらえながら言う。
「そうですよ。城取りの子は城です」
「わしはそれでよいが、そなたは祝言を挙げて子をなすんだぞ」
「えっ」
「そなたが、わが妹の里のことを憎からず思っているのは知っている」
 たつと又四郎の顔に笑みが広がる。
「ご存じとは驚きました」
「わしの目は節穴ではない」
 又四郎が頭をかく。
「恐れ入りました」
「姉さん女房だが、よろしく頼む」
「もちろんです。必ず幸せにしてみせます」
「だがわしは、そなたらの祝言まで生きていられそうにない」
 たつが涙ながらに言う。
「あなた様、殿の御典医は、病は徐々に退散し掛かっていると仰せです」
「気休めは言わぬでよい。自分の体は自分が最もよく知っている」
 藤九郎が口の端に笑みを浮かべる。
「ああ──」
 たつが板敷に手をつくと、その肩を又四郎が支えた。
「姉上、気をしっかりとお持ち下さい」
「そうだ、たつ。わしの妻として最期までぜんとしていてくれ」
「は、はい」
 たつが姿勢を正す。
「又四郎、たつ、今日は最後の登城日とする」
 又四郎が強くうなずく。
「分かりました」
「たつ、着替えを用意してくれ」
「はい」と言って、たつが座を立った。
「又四郎、ここまでよくやってくれた」
「そんなことはありません。私は──」
 又四郎が言葉に詰まる。
「そなたがいなかったら、わしは誰にも何も伝えることができなかった。そなたがいて本当によかった」
「そんな──。過分なお言葉です」
「返す返すも残念なのは、父上の秘伝書をそなたに渡せなかったことだ」
「そのことなら、ご心配には及びません。時間のある時にすべて目を通し、ほとんど頭の中に入っています」
「そうだったのか」
 城取りになると決めてから、又四郎は必死に学んでいた。だがそこまでやっていたとは、藤九郎は思わなかった。
「すでに己の学んだこと、経験したことを書き留め始めています」
「そうか。すべては引き継がれていくのだな」
 ──もう後顧の憂いはない。
 又四郎の成長が、藤九郎には何よりもうれしかった。それは、父や藤九郎の経験と知識を受け継いでいける後継者の誕生でもあった。
「城については、すべてそなたに任せた」
「えっ、どういうことですか」
「わしは本日限り、大木様の下役、つまり普請・作事の物頭の座から身を引く。だが城造りはまだ続く。わしの後任はそなたのほかおらぬ」
「でも私は──」
 又四郎はまだ十代後半である。
「そなたならやれる。わしがやってきたように、皆の心を摑めるはずだ」
 又四郎はしばし考えると言った。
「やってみます。いや、やらせて下さい」
「その意気だ。それと──」
 藤九郎が笑みを浮かべて言った。
「里を頼む」
「もちろんです」
「それにもう一つ──」
 藤九郎は少しちゆうちよしたが、思い切って言った。
「わしが死んだ後、たつに再嫁を説得し、再嫁先を探してくれ」
「そ、それは──」
 又四郎がうなだれる。
「わしの心残りはそれだけだ。たつはまだ若い。その上──」
 藤九郎が感極まる。
「あれほどのよきおなはおらぬ。再嫁すれば、また新たな幸せを見つけられる。どうか約束してくれ」
 しばしの間、唇を嚙み締めていた又四郎が言った。
「承知しました」
「よかった。これで心残りは全くない」
 その時、たつが着替えを運んできた。
「今日は城とのお別れの日だ。又四郎、主立つ者たちを茶臼山に集めてくれぬか」
「分かりました」
 又四郎が下男を走らせるべく、たつと入れ替わるようにして出ていった。
「これを着るのも今日が最後だ」
 藤九郎が羽織に腕を通す。
「そんなこと、仰せにならないで下さい」
 たつが涙声で言う。
「いや、物頭の座を又四郎に譲ったからには、わしは今日を限りに、城造りについて一切の口を挟まぬ。いわば隠居というわけだ」
「隠居なんて早すぎます」
 たつが嗚咽を漏らす。
 藤九郎は今年三十二歳になったばかりだ。
「わしなどと夫婦になり、そなたも運のない女だな」
「何を仰せですか。私ほどの果報者はおりません」
「そう言ってくれるか」
「当たり前です。好いた相手と添い遂げることが、女子にとって最大の幸せです」
「そうか。よかった。本当によかった」
 藤九郎は心底うれしかった。
 やがて二人に肩を支えられながら、藤九郎は駕籠に乗った。
「では、行く」
「いってらっしゃいませ」
 これまでと何ら変わらず、たつが送り出してくれた。
 ──こんな日々がもっと続くと思っていたのにな。
 藤九郎は駕籠の中で、初めて自分のために泣いた。

 十

 駕籠が下ろされ、又四郎の肩を借りて藤九郎が本丸に降り立った。
 ──もうここまでできたのか。
 晴天に大天守がきつりつしていた。そこには多くの職人が取り付き、漆喰を塗る作業を行っていた。
 用意されたしように藤九郎が腰を下ろすと、又四郎が言った。
「今のところ順調に来ています」
「そうか。一時は雨で随分と遅れたのに、よくぞここまでばんかいできたな」
「はい。これも皆のお陰です」
「そうか。一人ひとりが全力を尽くしてくれたのだな」
「はい。城造りにかかわる者全員が懸命に働いた成果です」
「これで殿にも、ご満足いただけるだろう」
「はい。必ずや──」
 そこに北川作兵衛らが駆けつけてきた。
「こちらに来られると聞き、急いで参りました」
「作兵衛殿、見事な仕上がりだ」
 天守台の石垣は美しい「扇の勾配」を見せていた。
「はい。天守を根太に載せるという形にしていただいたので、あの勾配を造ることに集中できました」
「よかった。天の父上もきっとお喜びだろう。あちらに行ったら、そなたの成長をご報告する」
「何を仰せですか。また一緒に城を造りましょう」
「いや、それは、わしではなく又四郎とやってくれ」
 又四郎が藤九郎の隠居を伝える。
「分かりました。そうさせていただきます。藤九郎さんは──」
 作兵衛が感極まったように言う。
「背後で見守っていて下さい」
 藤九郎がうなずくと、源内とすけもやってきた。
 源内がかつてと同じぼくとつな口調で語り掛ける。
「すでにご存じの通り、白川の流路変更がうまくいき、来年には城下まで水を引くことができます」
 佐之助も、出会った頃と何ら変わらぬ陽気な口調で言う。
「城下町作りも佳境に入りました。このまま行けば、各地から商人や職人が集まり、九州最大の城下町になります」
「そうか。二人ともよくやってくれた」
 藤九郎が満面に笑みを浮かべる。
 その背後から現れたのは金宦だった。
「金宦殿、素晴らしい瓦ができ上がったではないか」
 すでに藤九郎は、金宦から滴水瓦の見本をもらっていた。
「瓦なら、われらにお任せ下さい。しかしわれらには、ここまでの城は築けません」
「そうだ。皆の持つ力を合わせたからこそ、これだけの城ができたのだ」
 ──この城は、この国だけでなく朝鮮国の人々の力も借りてできたものだ。
 藤九郎は感無量だった。
「藤九郎」
 その時、背後から声が掛かった。
「あっ、殿」
「苦しゅうない。そのまま座っていろ」
「申し訳ありません」
 小姓が差し出す床几に清正が座す。そのため藤九郎と二人で、床几に座して城造りの様子を眺める形になった。
「どうだ、藤九郎」
「申し分のない眺めです」
「これが見たくて城取りになったのだろう」
「はい。この夫丸たちの掛け声、新木の匂い、人々が行き交うけんそう、この中にいる時こそ、生きている実感があります。これこそが城取りの本望です」
「そなたは最初から最後まで城取りなのだな」
「はい。生まれてから死ぬまで城取りでいられたことに、それがしは満足しています」
「死ぬまで、か」
 清正がため息をつく。
「はい。武門の皆様が戦場で命を懸けるなら、城取りは普請作事の場で命を懸けてきました。それがしも──」
 藤九郎が強い口調で言う。
「この場で討ち死にするつもりです」
「その覚悟ができているのだな」
「はい。無念ながら、病からは逃れられません。ただそれがしの命は逃れられなくても、それがしが蓄えてきた経験と知識は逃れられます。それは、ここにいる者たちに引き継がれていきます」
「その通りだ。人の命ははかないものだ。しかし人が築き上げてきたものは堅固この上ない。そなたの経験と知識を積み上げて造ったこの城も同じだ」
「ありがとうございます」
 藤九郎の胸底から熱いものが込み上げてきた。
 清正は突然立ち上がると、日の丸の描かれた鉄扇を掲げた。城を背景として、日の光を受けた鉄扇が神々しいばかりに輝く。
「藤九郎、あつれであった!」
「ああ、もったいない」
 藤九郎に言葉はなかった。
 ──わしの生涯は短かった。だが、これほど充実した生涯がほかにあろうか。
「殿、最後にお願いです」
「何なりと申すがよい」
かちどきを上げていただけませんか」
「勝鬨だと──」
「そうです。ぜひとも──」
「よし!」と言うや、清正は小姓に命じ、弓を持ってこさせた。
 清正は弓の弦を弾くと、ゆんづえで三度、地面をたたきながら大声を上げた。
「えい、えい、えい!」
 そこにいた者たちが、中空に手を突き上げながら応じる。
「おう!」
「えい、えい、えい!」
「おう!」
「えい、えい、えい!」
「おう!」
 清正の声が本丸いっぱいに広がっていく。それを聞いて何事かと集まってきた者たちも、勝鬨に応じ始めた。
 勝鬨は次第に大きくなり、天守を取り巻く渦のようになり、やがて隈本城下全体に広がっていった。
 その心地よい連呼を、藤九郎はいつまでも聞いていたいと思った。

 

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