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連載

寺地はるな「トマトとりんご」 vol.18

【連載小説】要が会っていた“パトロン”の女性の正体とは――。寺地はるな「ウエハース」#4ー4

寺地はるな「トマトとりんご」

※本記事は連載小説です。

>>前話を読む

 理枝ちゃんとの待ち合わせは、駅からすこし歩いたところにある路地に新しくできたカフェだった。その店を教えてくれたのは要だ。
「希和さんが好きそうなお店ですよ」
 要がなにを根拠にそんなことを言うのかわからなかった。まともに顔を見ることができなくて、そう言った時の要がどんな表情をしているのかもたしかめられなかった。
 このあいだ要さんを見かけましたよ、と切り出せば、おそらく屈託なく話してくれるのだろうが、それを自分が同じ屈託のなさで聞ける自信はない。
 スマートフォンの地図を見ながら、歩いていく。駅の近くの一階がスーパーマーケットになっている大きなマンションを行き過ぎて、整骨院や歯科、調剤薬局が並ぶ細い通りに入った。シャッターが閉まったままの店もいくつかあるが、クリーニング店や和菓子店に出入りする人の姿もちらほら見える。学区内ではあるが、このあたりは迷路のように入りくんでいてわかりにくい。
 カフェはすぐに見つかった。このあたりのごちゃごちゃと灰色がかった建物とは対照的な真っ白い外壁の家の両脇に木が植えられている。ベーカリーを併設しているらしく、ガラス張りの店内にパンが並んだ棚が見えた。
 約束の十分前に着くように計算して家を出たのだが、理枝ちゃんはすでに店内にいた。もうずっと会っていなかったけれども、すぐにわかった。髪は伸ばしていて、後ろでひとつに結んでいる。島の暮らしが長いせいか、記憶にある姿よりに焼けている。長袖のカーディガンの袖をまくって、テーブルに肘をついていた。
「お待たせ。ひさしぶり」
「待ってないよ、さっき来たとこ。ひさしぶり」
 すでにメールでやりとりをしていたからか、よく要から話を聞いていたせいか、あまり「ひさしぶり」という感じはしなかったけれども、何年も会っていない同級生同士のあいさつとしてはそう口にするのが妥当だろう。
「とりあえず、注文しようか」
「うん」
 高い天井でシーリングファンがまわっていて、テーブルとテーブルの間隔が広い。メニューにはキッシュとサラダのセットやケークサレとサラダのセットが並んでいて、いずれも有機野菜を使用している旨の記述があった。
 要が「希和さんが好きそうなお店」と言ったことを思い出した。自分は要からこういうのが好きそうな人だと思われているのだな、と考えた。もちろん嫌いではないが。
「希和ちゃん、ケークサレってなに?」
「甘くないケーキみたいな感じ。惣菜パン的な。塩味で、ハムとか野菜とか入ってる」
「へえ」
 ケークサレ何年か前にったな、となつかしくなりながら、メニューの写真を眺める。希和も何度かつくったことがある。余った温野菜なんかをてきとうに入れてつくるものであってわざわざ外で食べるようなものではないという印象だったが、理枝ちゃんは「へえ、おいしそう」と目を輝かせ、クリームチーズとドライトマトのケークサレを選んだ。希和がスモークサーモンとチーズのオープンサンドを注文し、店員が去ると同時に、テーブルに置かれた理枝ちゃんのスマートフォンが振動した。
「あ、かっちからだ」
 要がランドセルを背負っていた頃と同じ呼び名を、理枝ちゃんが口にする。
「夜は手巻き寿司にするからひかえめに食べとけだって」
 理枝ちゃんが久しぶりに帰ってきたとあって、理枝ちゃんのお母さんはすこぶるはりきっているらしい。毎晩宴会みたいなごはんつくるんだよ、と目を細める。
「三十過ぎた娘をさあ、いまだに食べ盛りみたいにあつかうの」
「今までは忙しくてぜんぜん帰ってこられなかったんでしょ。うれしいんだよ、お母さん」
「そう、忙しくてね、島から出られなかった。なんせお年寄りが多いし、他に病院もないしさ。でも」
 理枝ちゃんの言葉がふっと途切れる。近づいてくる店員が視界に入ったらしい。彼女がグラスを置いて去るのをたしかめてから、ふたたび口を開く。
「新しい先生が来るから、もういいの、わたしは。もうあの島に必要ない」
 ある人たちからは歓迎され、ある人たちからは疎まれた数年間だった。理枝ちゃんはそんなふうに言った。両極端の反応は、どちらも「よそから来た女性だから」という理由に基づくものだったと。
「わたしの後に診療所に入る先生は、もともとあの島の出身なんだって」
 男性で、五十代で、と無表情のまま指を折る。
「あの島でわたしはずっと『よそから来た人』だった。意地悪されるとか、そんなことはぜんぜんなかったし、ほとんどの人はやさしかったけど」
「けど、疲れちゃった?」
「うん。ま、どこに住んでも、疲れはするけどね」
 たとえばこれから東京なんかに出ていくとしても、ここでかな小児科を手伝うとしても、それぞれの疲れかたをするんだよねと理枝ちゃんは肩をすくめる。
 生まれ育ったエリアから遠く離れることなく今日まで来た希和の目には、やはり理枝ちゃんは遠い人だった。「これから東京なんか」という選択肢がまだ残っている理枝ちゃん。歩んできた道が違うから、これから進む道も違う。
「鐘音小児科を手伝う可能性もあるんだね」
「兄はそうしてほしいって」
 鐘音ビルを改装して病児保育施設を新たにつくろうという話が進んでいるのだという。
「なんか、すごいね。壮大だね」
 皿が運ばれてくる。ケークサレを指でつまんでしげしげと眺めている理枝ちゃんは「かっちはどう?」とあいまいな問いを発する。
「どう、って?」
「あの子、ちゃんとやってるのかなあと思って」
 理枝ちゃんにとっては、要はまだ小さいかわいい弟のイメージのままなのかもしれない。
『アフタースクール鐘』ではちいさな諍いがしょっちゅうおこる。子どもがたくさんいれば当然だ。
 以前せきくんがゆきのちゃんを携帯電話泥棒扱いしたこともあった。あれはでも、正式な利用者ではないゆきのちゃんを出入りさせていたことがトラブルの発端と言えなくもない。
「パトロンがいる、とか子どもの前で平気で言うようなところはあるよね」
「パトロン?」
 ははは、と理枝ちゃんが笑い声を上げる。
「きみこおばさんのことでしょ、それ」
 きみこおばさんなる人物は大先生の妹さんだそうだ。昔から要のことを「この子は大器晩成タイプだよ」とかわいがり、『アフタースクール鐘』を開業する際にも経済的な援助をしたという。理枝ちゃんにたしかめた「きみこおばさん」の外見は、希和が先日道端で見かけた女の特徴と一致していた。
「なんだ……親戚のおばさんだったんだ……」
 じつは腕を組んで歩いていたのを見たのだ、と希和が言うと、理枝ちゃんは「あー」と頷いた。
「スキンシップ過多なおばさんなんだよね。会うなり抱きついてきたりする」
 人さし指で眉の上をく、その仕草が要によく似ている。
「希和ちゃん、なんだと思ってたの? おばさんとかっちのこと」
 愛人みたいな、と答えて、ナイフで切りわけたオープンサンドを口に入れた。ライ麦パンが思った以上にかたく、しやくするのに時間がかかる。理枝ちゃんが皿に視線を落としたまま「ああ、そういうこと」と低く呟いた。
「失礼だよね、ごめん」
「わたしに謝ることじゃないけど」
 そうだ、謝る相手が違う。勝手に勘違いして、要によそよそしい態度を取ってしまった。反省していた希和は、理枝ちゃんが「そもそもなんで謝らないといけないの?」と続けたことにたいする反応がすこし遅れた。
「え、なに?」
「なんで希和ちゃんがかっちに謝らなきゃいけないの?」
「要さんがパトロンなんて言うから。なんか、こう、へんなことしてもらったお金で民間学童やってるのかと思ったんだよ。そういうのってなんか嫌でしょ。子どもに悪影響を与えるかなって」
「悪影響? 悪影響ってどういう意味? 子どもに関わる人は異性からお金をもらっちゃいけないの? クリーンじゃないからダメってこと?」
 あらためて問われて、考えこんだ。だってそんな人が保護者から信頼してもらえるはずがないでしょうという自分の感覚は、そんなにとがめられるべきものだろうか。ただでさえ「子どもを金儲けの道具に」なんて言われているのだ。答えられないでいる希和を、理枝ちゃんはじっと見つめている。
「黙っちゃったね、希和ちゃん」
「ごめん」
「謝らなくていいよ。わたしはただ希和ちゃんの考えてることが知りたいだけ。知らないことを知りたいだけだよ」
 知らないことを知りたいだけだと言う理枝ちゃんは、その場の空気を悪くしないように議論をあいまいに流すとか、そういうことをせずに生きてきたのだろう。ならば希和も、あいまいに流さず、自分と向き合ったうえで答えなければならなかった。
「悪影響」とはなんなのか。自分はどういうつもりで、その言葉をつかったのか。
 希和がおそれるのは、子どもたちが傷つけられることだ。脅かされることだ。汚されることだ。
 もし要がほんとうに異性の相手をすることで金銭を得ていたとしても、それが子どもを傷つけるとはたしかに言い切れない。その逆もそうだ。理枝ちゃんはクリーンという言葉をつかったが、クリーンな人が子どもを傷つけないという保証などない。
 すべての大人は子どもに悪影響を及ぼす可能性がある。
 ということは、深く考えずに「悪影響」と口にしたことになる。それらのことをまとまりなく思いつくままに話すと、理枝ちゃんがふっと笑った。
「希和ちゃんは、誠実な人だね」
「違うよ」
「たいていの人はめんどくさそうに『当然でしょ』、『常識で考えてそうでしょ』で終わらせるんだよ、こんな話は」
 ふふ、と唇をゆるませて、理枝ちゃんがアイスティーのストローに口をつける。希和も自分が頼んだホットのカフェラテをひとくち飲んだ。表面にはったミルクの膜が唇にはりつく。「悪影響」について考えるために、ずいぶん時間をつかってしまった。
「すでにこうだと決まっていることを、自分の頭で考えなおす人は少ない。『常識』に委ねるほうが楽だから……とか言うと、まためんどくさい女だな、なんて嫌がられるんだけど」
「嫌がられるの? 誰に?」
 理枝ちゃんは希和の問いには答えずにストローをみはじめた。「めんどくさい女」と言った相手は、おそらく男性だろう。恋人なのかな、とスモークサーモンを舌の上にのせて思う。島の人だろうか。
「理枝ちゃんがめんどくさい女なら、わたしもそうなりたい」
「なれないよ」
 希和ちゃんは希和ちゃんにしかなれないんだよ。理枝ちゃんはそう言って、グラスに残っていたアイスティーをストローで一気に吸った。氷が溶け落ちる音が、しんとした店内に大きく響く。

 良かったらまた会おうよ、と別れ際、理枝ちゃんは言い、数日後に診療所の引き継ぎや転居の準備のために島に戻っていった。当座は鐘音小児科を手伝うことに決めたようだった。
「両親は喜んでますよ」
 子どもたちにおやつを配り終えた、そのタイミングで話をした。今日はおやつづくりの日ではないから、市販のクッキーをみんなで食べる。食べながらうろうろ歩く子がいて、要はその子どもを座らせる。「行儀が悪いから」ではなく「食べながら動くと気管に入る可能性が高まって危険である」旨を、丁寧に説明している。なにかを禁止する際、要はかならず理由を教えるのだ。
「そうですか」
「あの人たち、昔から姉にたいしてはとくべつ心配性ですから」
 それは昔おこったあの事件に関係しているからではないか、と思ったが、口には出さなかった。要もそれ以上のことは言わない。
 希和のスマートフォンが鳴る。保護者の緊急メールだった。
 件名に「不審者」という文字が入っているのを見て、また誰か児童が被害にあったのかと気分が暗くなる。
「あ」
 いつもとすこし違う情報だった。駅前のスーパーマーケットの裏口にある公衆トイレに連れこまれて身体を触られた女子児童が保護されたと書いてある。悲鳴を聞きつけた人が通報して現行犯逮捕されたという。
「これまでと同じ犯人でしょうか」
 要にスマートフォンを渡して、読んでもらう。
「どうでしょうね」
 要は眉根を寄せて画面を見ている。LINEの通知音が短く鳴り、スマートフォンが返された。
 堤さんからのメッセージだった。
「犯人、岡野さんの旦那さんみたいですよ」
 なぜ、と思う。なにを根拠にそんなことを言うのか。逮捕の瞬間に居合わせでもしたのか。びっくりですよね、のあとに感嘆符がみっつもついている。
「希和さん、どうかしましたか?」
 心配そうに顔をのぞきこんでくる要をぼんやり見返しながら、自分は今どんな顔をしているのだろうと思った。衝撃と、当惑と、不快さとがまじりあう感情に、いくぶんかの好奇心のようなものが含まれているのを自覚して、希和はそんな自分自身に今とても腹が立っている。

#5-1へつづく
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