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連載

寺地はるな「いちご」 vol.3

近所に新しくできた民間の学童保育。息子がそこに出入りしているような気がして……。寺地はるな「いちご」#1-3

寺地はるな「いちご」

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 岡野さんのSNSのアカウント名には、なにかの日付との組み合わせで「apple」という単語が使用されている。八木さんは「chocolat」で、福岡さんは「kitty」だった。いずれも匿名だが、話している内容や画像で容易に彼女たちだと特定できた。
 例の先生、なんかちょっと??? またあのカフェ一緒に行こー。こんどは三人だけで(ハートの絵文字)こないだスイミングのあとで〇〇さんにロックオンされてたね(涙を流して笑う黄色い顔の絵文字)てかやっぱ一クラスって人数多くない?(うんざりしたような黄色い顔の絵文字)あの先生ぜったい全員の名前覚えてないよね(汗の絵文字)
 りんご、ショコラ、子猫。かわいらしい名前が発するにぎやかな言葉たちはたっぷりと毒を含んでいる。触れた場所からただれていきそうで、無意識に何度もスカートの膝に指先をこすりつける。
 爛れていきそう、とおびえながらも希和の指はまたスマートフォンの画面をスクロールする。
 彼女たちはここでも『アフタースクール鐘』の話をしていた。
 民間ってことはお金目的ってことでしょ。お金目的の人に子ども預けるって、やっぱどうなのって思っちゃう、というkittyのコメントを読んだところで、仕事の休憩時間がとっくに終わってしまっていることに気づいた。
 スマートフォンをトートバッグにほうりこんで、急ぎ足で休憩室を出る。壁に向かってパソコンを置いた机が並べられた業務室には窓がない。すでに席について仕事を再開している人は八割程度で、よかった遅刻したのは自分だけではなかったと胸をなでおろす。
 コメント管理、というパートの求人を見つけた時は、楽な仕事だと思っていた。口コミサイトに書きこまれたレビューに、ぼう中傷などが混じっていないかチェックするだけ。時給は千円。それ以前はフードコートで働いていたし、フードコートの前は工場で仕分け作業の短期パートに通っていた。
 ただパソコンの前に座って、他人が書いた文章を読めばいい、こんな楽な仕事はない、と思ったが、実際はチェックした件数がすくなければチーフから嫌味を言われるし、窓のない部屋でずっと座りっぱなしというのも存外気が滅入る。誹謗中傷よりも、どうでもいいようなことをだらだらと書きつらねた飲食店のレビューなどを読むのが苦痛だった。日記帳にでも書いておけと言いたくなる。
 将来の夢は保育園の先生です、と小学校の卒業文集に書いた。強い憧れを持っていたわけではなかったが、自分が書いた言葉に引きずられるようにして、高校・短大と進路を選択して、実際に保育士となり、二年ほど勤めた。結婚前の話だ。だけど今ではもう、保育園のような過酷な職場に復帰できる気がしない。自分のような「子どもってかわいいよね」程度のふわふわした気持ちの人間につとまるような、やわな仕事ではなかった。
 母の誕生日なのでこちらのカフェに予約をしたのですがうんぬんというどうでもいい投稿を読みながら、希和の意識はまた岡野さんのSNSに舞い戻る。例の先生とは沢邉あみ先生だろうし、「〇〇さん」はきっと誰か保護者のうちのひとりなのだろう。
 また誰かが、彼女たちのグループからはじかれる。あのカフェこんどは三人だけで、と書いてあったし。
 晴基が一年生の時に何度か岡野さんたちと一緒にお茶を飲んだことがある。入学式で前後の席に座っていて、連絡先を交換したのだった。なんとなくこのまま彼女たちのグループに加えてもらえるのかな、という漠然とした期待があった。
 岡野さんの娘が通っている子ども英語教室に誘われて、体験入学にも参加した。
 ピカピカした教室だった。色鮮やかな看板と、元気の良い講師の笑顔がまぶしかった。部屋の中なのに人工芝が敷いてあった。ダンスをしたり、リズムゲームをしたりしながら英語を学ぶというコンセプトらしかったが、晴基は体験入学がおこなわれる一時間のあいだ、どんなに促されてもひとことも言葉を発しなかったし、じっと立ち尽くしたままうつむいていた。月謝も入会金も、ぎょっとするほど高かった。
 うちは無理です。そう言ったら、岡野さんの頰からすっと表情が消えた。
「あ、そうなんだ」
 ふい、と顔を背けられて、それからは学校行事で顔を合わせても、挨拶を返してもらえない。
 どうすればよかったんだろう、といつも思う。あきらかに乗り気でない晴基を引きずってでも、あの教室に通わせればよかったのだろうか。家計をやりくりしてあの英語教室に通わせる費用を捻出すれば。そうすれば、自分はあっち側に行けたんだろうか。
 彼女たちのことなどすこしも好きではない。仲良くなりたいとは思っていない。それでもなお「あっち側」は、明るくまばゆい。

『アフタースクール鐘』の看板が掲げられて二週間後に、子どもたちの笑い声が聞こえてきた。
 ビルの二階だが誰でも入れるようになっているらしく、セキュリティー的にどうなの、という非難の声も聞こえてきた。利用者ではない子どもたちも遊びに行けるらしい。子どもを連れて小児科を受診したマンションの隣人は「二階からどすんどすんって、すもうでもとってるみたいな音がした」とぼやいていた。
 鐘音ビルの敷地には庭があって、鐘音小児科の待合室の大きな窓からは、その様子が見える。芝生はいつもきれいに整えられていて、隅にしつらえられた白いベンチとのコントラストが鮮やかだった。
 もみの木が一本植えられていて、十二月にはそこに電飾が施される。希和はパートの帰りに通りかかって、そのもみの木になにか木の札のようなものがり下げられているのに気づいた。
 かまぼこ板を半分にしたぐらいのサイズの、四角い木の札だった。上部にきりで開けた穴に毛糸を通して、枝にひっかけてある。もみの木は小児科の入り口近くの、通りに面した場所にある。敷地内に足を踏み入れなくても、希和はそれを見ることができた。油性ペンで「アイドルになりたい」「クロールがはやくなりますように」などと書いてあるところを見ると、絵馬みたいなものだろうか。しかしゲームのキャラクターの絵が描かれているだけの札もあれば、ひとこと「おすし」と書いてあるものもある。
 わけがわからない、と思いながら顔を上げたら、いちばん高いところに吊り下げられた札が目に入った。
 へなへなした字で、「こんなところにいたくない」と書いてある。晴基の書く字にそっくりだった。

#1-4へつづく
◎第 1 回全文は「カドブンノベル」2020年1月号でお楽しみいただけます!


「カドブンノベル」2020年1月号

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