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連載

寺地はるな「トマトとりんご」 vol.21

【連載小説】夫の実家に帰省した正月。夫が急に同居の話をしはじめて――⁉ 寺地はるな「トマトとりんご」#5-3

寺地はるな「トマトとりんご」

※本記事は連載小説です。

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 一日中子どもの相手をするのがつらいと言ったら、夫から「子どもがかわいくないのか」と真顔で訊かれたことがある。その時は「子どもがかわいくない」と「つらい」はイコールでつながっているのではない、それぞれ異なる要素だ、と思ったのだが、あらためて考えるとそれもまた違う気がした。かわいいからこそ、つらい。そういう見方もあるのではないか。
 できるかぎり大切にしたい、邪険にあつかいたくない。だからこそ「子どもの相手がつらい」と思う自分を人でなしのように感じ、なおさら落ちこむ。
 そんなことを考えながら、希和は新幹線のシートに頭を預けて眠る夫の顔を見ている。福岡の夫の実家に向かう新幹線は満席で、デッキには立ちっぱなしの乗客の姿もあった。はやめにチケットを買ってよかったと、毎年思うことをまた思った。
 以前はお盆休みを利用して夫の実家に出向いていたから、もっと乗客が多く感じられた。年末は夏に比べればやや余裕があるが、それでも夫の実家への訪問が憂鬱であることにかわりはない。前の座席をうかがうと、窓際の晴基は携帯ゲーム機のちいさな画面にかがみこむようにして夢中で遊んでいた。
 夫の父は市内の会社に勤めていたが、去年定年退職した。夫の母は近所の工場でパートをしていて、そちらは今も続いている。夫には姉と妹がおり、いずれも同じ市内に住んでいる。年末の三十日から正月二日まで夫の実家に泊まるのが、ここ数年の定番だった。
 自分の親とあと何回会えるかわからない、と夫は言う。だから一年に一度ぐらいは顔を見せて親孝行をしなければならないと。まちがってはいないのだろうが、どうしても夫の「親孝行ごっこ」につきあわされている、という感覚がつきまとう。
 夫の両親が、自分たちの来訪をそれほど喜んでいるように見えないからかもしれない。夫の姉や妹が産んだ孫たちは、常に彼らのそばにいる。そのせいか、夫の両親が晴基に向ける関心は薄い。
 実際に夫の母が親戚の誰かに「内孫、外孫なんていうけど、やっぱりお嫁さんが産んだ孫より自分の子どもが産んだ孫のほうがかわいいに決まってるよねえ」と話しているのを聞いたこともある。
 夫にはそのことは話していない。夫は自分の姉や妹の子と晴基をくらべたがる。張り合いたがりもする。姉の子の絵が絵画コンクールで特選だったと聞けば「晴基も入選したことぐらいある」と言い出す。妹の子の成績が良いと聞けば、「晴基も国語は得意だよな」と必死になる。聞いているほうが恥ずかしい。
 そのくせ、その会話のあとで夫はかならずと言っていいほど、ひどく不機嫌になるのだ。そうして八つ当たりみたいに、晴基に「誰それちゃんはもっと行儀がよかった」「誰それくんはお前より飯を食うのがはやい」などと、ぐずぐずお説教をはじめる。
 晴基がそれをどう感じているかはわからないが、愉快でないことだけは確かだ。年に一度しか会わないいとこたちとは屈託なく接しているように見えるが、あまり感情をストレートに表現しない子だから、心配はつきない。
 夫の実家は山沿いの古い日本家屋だが、水回りは去年リフォームをしている。結婚したての頃はみ取り式のトイレが薄気味悪かった。暗い廊下も、和室も好きではない。
 荷物をほどく間もなく、夕飯がはじまる。ああ、また鍋なんだ。テーブルにセットされた卓上コンロを見てこっそりため息をつく。いっしょに鍋料理を食べると仲良くなれる、というような話を以前、誰かに聞いた。でもそれはきっと、なんのためらいもなく他人とひとつの鍋を箸でつつきまわせるような人間だけが誰とでも仲良くなれる、の間違いだ。
 夫の姉と妹たちはそれぞれ元日に顔を出す。
「希和さん、これ運んで」
 台所から声がかかった。希和はとんでいって、大皿を受けとる。カニの足や豆腐や白菜が盛りつけられていた。
 一年ぶりに会う夫の母は、ひとまわり小さくなったように見える。腰が痛いの、肩が痛いの、胃の調子が悪いのと会うたびぼやくが顔色はむしろ以前より良い。もう子どもたちも全員家庭を持ち、面倒を見なければならない孫たちもある程度大きくなって、余裕ができたのだろう。
 夫の父はあまりしやべらない人で、食事の時はさらにその傾向が強くなる。たまに自分の妻にたいして「箸」とか「リモコン」とか単語を発するだけだ。晴基は寄せ鍋には手をつけず、白ご飯だけをのろのろと口に運んでいる。
 また夫が好き嫌いが多いのどうのと言い出すのではないかと警戒していたが、夫は機嫌よくビールを飲みながらテレビを見ていて、晴基の箸が進んでいないことにはてんで気がつかないようだった。
「しかし、この家も古くなったよなあ」
 鍋のなかみがあらかた食べつくされた頃、夫が居間を見回す。テレビボードの上には写真がいくつも飾られている。孫たちの七五三の写真や、夫婦で旅行に行った時の写真。お土産でもらったような置物やほこりをかぶったプリザーブドフラワーもその隙間に節操なく並んでいる。壁が黄ばんでいるのは、夫の父がかつてたばこを吸っていたせいだ。
「あら、リフォームしたからきれいでしょ」
 鍋にごはんを投入しながら、夫の母が唇をとがらせる。
「トイレと風呂と台所だけだろ」
「じゅうぶんよ」
「ぜんぶきれいにすればよかったのに」
「だってもうお父さんとお母さんしかいないんだから、ちょっとぐらい古くったっていいよねえ、お父さん」
 声をかけられても、夫の父は無反応だ。テレビの画面に視線を固定したまま、コップを口に運んでいる。
「でも、俺たちがここに引っ越して同居するって可能性もあるよ」
 夫が突然そんなことを言うので、希和はせそうになった。
 夫の母はフフンと笑い、卵を溶きはじめる。自分が食事につかった箸と小鉢で。
 寄せ鍋のあとに雑炊をつくる時、彼女はいつもそうする。希和はいつもその雑炊を食べる時は、息を止めて流し込む。
「こっちにって、あんた仕事はどうするの」
「今すぐってわけじゃないよ、でもあと何年かしたら、こっちでのんびり過ごすのもいいかなあと思う時もあるよ。おやたちもさ、今は元気だけど年取ったら体の自由がきかなくなるし。そしたら長男の俺が面倒みるべきでしょ」
 今日の夫はよく喋る。そんなことを考えていたなんて、はじめて知った。夫の母は「あら、頼りになるねえ」とまんざらでもなさそうに笑っていた。

「本気にしたらだめよ」
 後片付けの最中だった。希和が皿を洗っている時に夫の母が近づいてきて、そう告げられた。
「え?」
 意味がわからず、希和は彼女の顔を見返した。
「さっきの、かずたかの話よ。同居するのどうのって」
 夫の母がじれったそうに唇をゆがめる。
「あの子は昔っから調子が良くて。根が優しいのね。私らを喜ばせようとすぐに心にもないこと言っちゃうんだから。こっちに来て同居なんてね、無理に決まってるよ」
「はあ……」
 曖昧に頷く希和に、夫の母がまた一歩近づく。
「希和さん、すごい顔してたよ。和孝が『同居』って言った時。そうよね、嫌に決まってるよね」
 見られていたのか。気まずさに胃がきゅっと縮み上がる。希和がうつむくと、夫の母がかすかに笑った。息を吐いただけかもしれない。
 なにをどう答えても言い訳になる。同居するとかしないとかそのものより、夫が自分になんの相談もなく話したことが嫌だったのに。夫の母が言うとおり喜ばせようとして言っただけのことだとしたらなおさら。自分の両親を喜ばせるためなら妻や息子の感情はないがしろにしていいと思っているとしたら、あまりにもひどい。
「心配しないで、希和さん」
 だいたい同居なんて、こっちが気詰まりよ。ごく小さな声でそう続けた。夫の母は希和に背を向けていた。だから、どんな顔でそう言ったのか、ひとりごとのつもりで聞こえないように言ったのか、それとも希和にぎりぎり聞かせられるぐらいの声量で言ったのかは、判断できなかった。

#5-4へつづく
◎第 5 回全文は「カドブンノベル」2020年10月号でお楽しみいただけます!


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