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連載

寺地はるな「マーブルチョコレート」 vol.11

『アフタースクール鐘』で働くことになった希和は、 ある女の子のことが気にかかり……。寺地はるな「マーブルチョコレート」#3-2

寺地はるな「マーブルチョコレート」

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「お手伝いする」
 美亜ちゃんは「お手伝い」が好きだ。希和が掃除をしていてもゴミの分別をしていても、手伝いたいと言って寄ってくる。手伝ってもらうとよけいに時間がかかってしまうのだが、だからと言ってするなとは言えない。経験を積む機会を与えるのが大人の役割だ。
 ただ、希和にはそのお手伝いをしている時の美亜ちゃんの態度が気になる。何度も「美亜ちゃん、役に立ってる?」と希和の顔を見ながら問うのだ。
「役に立ってるよ、ありがとう」と希和が言っても、別段喜ぶわけでもない。ただ静かに「あ、うん」と頷くだけだ。
「じゃあ、ゴミを捨ててくれる? あっちに『プラ』と書いてるゴミ箱が」
「うん、知ってる」
 みなまで聞かずに、美亜ちゃんはゴミをひっつかんでいく。
「美亜ちゃんは、夏休みの宿題進んでる?」
「もう終わった」
 学校の宿題のプリントのたぐいはすべて終わり、あとは絵日記を残すのみだという。
「それはすごいねえ」
 冷蔵庫からクリームの保存容器を取り出して、美亜ちゃんを振り返る。
「教室の宿題はあるけど」
「ああ、そうだね」
 美亜ちゃんは忙しい子どもだ。月曜から金曜まで『アフタースクール鐘』に来ているのだが、その五日のうち三日間は習いごとをしていて、希和や要が送迎をおこなっている。さいわいそれらの施設はすべて駅の周辺にあって、たいした手間ではないのだが、「子どもなのに大変ね」という感慨はある。週に二度の学習塾と、英語教室。『アフタースクール鐘』に来ない土日はピアノとスイミングに通っているというから、休む暇もない。
 美亜ちゃんのお母さんは、おそらく希和よりは若い。この『アフタースクール鐘』の利用者の六割はにい小学校の児童だが、美亜ちゃんは町に住んでいるから学区が違う。歩いて行ける距離ではあるが、線路を越えただけで学区が変わってしまうのだった。
 美亜ちゃんのお母さんについては「いつもぴしっとスーツを着こなした、いかにも仕事のできそうな女性」という印象がある。要にたいしても希和にたいしても「よろしくお願いいたします」「お世話になっております」と、かたくるしいと感じられるほどの挨拶をする人だ。
「美亜ちゃんは、一年生の頃はあそこに通っていたそうです」
 このあいだ話していた時に要が挙げた名前は、有名な民間学童の会社だった。美亜ちゃんがなぜそこを辞めて『アフタースクール鐘』にうつってきたのかはわからない。
 その民間学童には、希和も晴基が小学校に入学する直前に一度見学に行ったことがある。見学会の担当者は「放課後にお預かりして漫然と遊ばせるのが目的ではありません。『学校以外の場所でさまざまなスキルを子どもに身につけさせる場』だと思っていただきたい」と言っていた。真新しい設備、厳重なセキュリティ。同じ施設内にスイミング、ダンス、書道に学習塾、ピアノ、プログラミング等の教室がそろっていた。充実した内容にふさわしく、利用料金はめまいを覚えるほど高かった。
 本末転倒ってやつでしょ。持ち帰ったパンフレットをいちべつした夫は、そのように言い放った。
「金稼ぐために外で働くんだよね? なら、子ども預けるのにこんなに金使えないでしょ。意味ないよ、学校の児童クラブでいいって。希和が月給百万もらってんならともかく、パート代なんてたかがしれてるもんな」
 夫の言ったことはおおむね間違ってはいないのだが「たかがしれてる」は失礼だった。失礼だよと指摘しなかった。できなかった、のほうが正確だろうか。
「あなただって月給百万じゃないよね」という反論は、三日後に思いついた。
 あなたは子どもの世話をするのは母親の仕事だと決めつけているから、わたしの収入だけを基準に考える。あなたはわたしの手間をゼロ円だと思っている。放課後の子どもの世話をして複数の習いごとに連れていくという手間は、外注すればそれだけの金額になるということなのよ。そう言いたかった。三日かけて、ようやく考えがまとまった。
 いつもそうだ。希和は誰かになにか想定外のことを言われた時、とつに言葉を返すことができない。何日も考えてようやく「ああ言ってやればよかった」という言葉を見つけ出す。見つけた頃には、相手はもう自分が言ったことを忘れている。三日後に反論しても夫に「それならその時言ってくれたらよかったのに」「なんで今頃言うの?」とうるさがられるだけだとわかっているから、せっかく見つけた言葉もそのまま飲みこむことになる。
 いつからか「意見を交わす」ことがひどくおつくうになった。感情を言語化する、ということはたいへんな労力を要する作業で、すくなくともわたしにとっては大仕事、という思いが、希和にはある。これまでその労力を惜しんできたのだし、その結果こうして自分の言葉を持たない人間になってしまった。なんとかしなければならない。とはいえ、何年もかけてつくりあげてしまった性質を変えていくことは、容易ではない。
「じゃあつぎ、この袋を開けてお皿に出してくれる?」
 もっとお手伝いをすると言う美亜ちゃんに、マーブルチョコレートのファミリーパックの袋を渡した。スーパーマーケットで一度はカラフルなチョコスプレーを手に取ったのだが、割高だったので結局こっちを選んだ。マーブルチョコレートならば、もしあまってもそのまま食べられる。
 赤、黄色、茶色。あざやかな色彩が、白い皿の上にばらばらと音を立ててこぼれる。そのうちのいくつかは皿の縁にあたって床に落ちた。
「あらら」
 床に落ちたチョコレートを拾いあつめる。ふと顔をあげると、美亜ちゃんと目が合った。ぎゅっと身体からだをすくめたまま、じっとしている。
 なにか失敗した時、この子はいつもこういう顔をする。以前から気がついていた。お茶をこぼしてしまった時や、ゴミ箱を間違えて倒してしまった時。以前から気づいていたが、気づかないふりをしてきた。今も、そうしようとしている。
「ごめんなさい」
 ごめんなさい、ごめんなさい、と繰り返す美亜ちゃんの顔がどんどん白くなっていく。他の子どもたちがこちらを気にしているのが気配でわかる。その中に晴基が含まれていることも。
「だいじょうぶだよ」
 落としたら拾えばいいんだよ、とほほみかけたが、美亜ちゃんは身体をこわばらせたまま、希和を見つめている。

 床に落ちたマーブルチョコレートを拾う時、懐かしさすら覚えた。晴基もよくお菓子を落とす子だった。ガムやラムネの容器を開けるのがへたくそで、勢い余って床にぶちまけたことなんて一度や二度ではない。家でやられるのはまだよかった。ショッピングモールのトイレでそれをやられた時は、故意ではないとわかっているにもかかわらず、腹が立って頭をはたきそうになった。
 周囲の視線の冷たさも堪えた。いらいらしながらもう食べられないラムネを拾いあつめ、しょんぼりしている晴基をにらみつけたことを覚えている。とてもではないが当時は「落としたら拾えばいいんだよ」と微笑みかけるような余裕はなかった。晴基は敏感な子だったから、さきほどの美亜ちゃんのようにおびえた顔でうつむいていた。その顔を見ていると「こわがらせてしまった」という後悔と、ほんのすこしの優越感のようなものと、優越感を抱いてしまう自分への嫌悪が心の中で同じ比率でまじりあって、いかにもきたならしい色合いになった。
 わたしはこの子を支配できる。できてしまう。すこし怒っただけでこんなにもわたしを恐れるこの子。わたしはこの子をどうにでもできる。親の愛は無償かつ無限のものだとされているが、ほんとうは違う。子どもから親に向けられる愛のほうが勝っていて、それを使って親は子どもを簡単に支配することができてしまう。
 わたしが今この子に向けているのは、ほんとうに愛情だろうか、ほの暗い支配欲求にかられているだけなのではないか、もしくはただの八つ当たりではないか、といつも頭の片隅で自分に問いかけてきた。今でもそうだ。
「希和さん」
 要がいつのまにか背後に立っていた。子どもたちがつかったプラスチックのカップを洗う手をとめて、振り返る。
「子どもらを送ってきます」
 保護者が迎えに来る子もいれば、自宅まで送り届けなければならない子もいる。ひとりでは帰さない。ここ一、二か月のあいだに、女子児童を狙った事件が市内で頻発している。背後から忍び寄ってきていきなり抱きついたり身体を触ったりするのだそうだ。犯人はいまだに捕まっていない。
 部屋の中にはまだ美亜ちゃんと、もうひとりの一年生が残っていた。晴基はすでに自宅に戻っている。帰り際に空腹を訴えた晴基に「まだ夕飯の用意できてないのよ」と希和が言うと、晴基は「あ、じゃあカップめん食べてていい?」と声を弾ませ、どこか意気揚々と帰っていった。自分が手をかけてつくった料理よりもカップめんにテンションを上げる息子の様子を見るのは複雑な気分だったが、そもそも子どもとはそうしたものだというあきらめもある。
「もうすぐ吉江さんが来ると思うので、交替して帰ってください。おつかれさまです」
「わかりました、そうします」
 ふいに要がしゃがみこんだ。なにか落ちてる、と水色のまるい物体をつまみあげる。さきほど皿からこぼれたマーブルチョコレートがまだ残っていたようだ。
「あのトライフルっていうの、おいしかったです」
「そうですか、それはよかった」
「カスタードクリーム、お店のやつみたいでしたね。あんなのつくれるなんてすごいですね」
「簡単ですよ、あんなの。すごくないです」
「簡単って。希和さんにとっては、でしょ? 誰でも同じことが同じようにできるわけじゃないんだから、できることは『できるんだよ、すごいでしょ』と胸をはればいいんじゃないですかね」
 希和の返事を待たずに、要は子どもたちのほうを向く。
「じゃあ、行こうか」
 ありがとうございます、と言えなかった。言いそびれた。要たちが出ていく物音を聞きながら、ようやくそのことに思い至る。

#3-3へつづく
◎第 3 回全文は「カドブンノベル」2020年6月号でお楽しみいただけます!


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