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連載

寺地はるな「ウエハース」 vol.13

【連載小説】「男子なのにかわいいものばっかり好きなのも心配だよな」という夫の言葉が、にぶい痛みとともに思い出される。 寺地はるな「マーブルチョコレート」#3-4

寺地はるな「ウエハース」

※本記事は連載小説です。

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「まあ、地元なので」
 希和は色鉛筆を動かし続ける。茶色いくまと黄色いひよこみたいな鳥のキャラクター。晴基も保育園に通っていた頃、このキャラクターが好きだった。「男子なのにやたらかわいいものばっかり好きなのも心配だよな」となにげない調子で夫が言った時に、さして疑問も持たずに頷いたことをにぶい痛みとともに思い出す。いったいなにがどう「心配」だったというのか、わたしたちは。
 先週、要はピンクのTシャツを着ていた。よく似合っていたし、子どもたちもその色についてどうこう言ったりしなかった。自分が子どもの頃は、男性がピンクを身につけていると、周囲の男子も女子も「女の色だ」とはやしていた。いい匂いのするシャンプーをつかっていた男子は「お姉ちゃんとお風呂入ってる」とからかわれ、男子が好むような遊びを好む女子は「男子に好かれようとしている」と嫌悪された。
 女向けの商品はとりあえずピンクにしておけばいいという考えかたは安直、と主張する記事をネット上で読んだことがある。読んだ時はなるほどそのとおりだと納得し、たしかに性別によって色を決めるべきでないと感じたのに、要のTシャツの色にいちいち「誰かになにか言われたりしないのかな?」などといらぬ心配をする。自分は要や子どもたちより、ずっと古い感性の持ち主なのかもしれなかった。
 鐘音ビルの所有者は鐘音小児科の大先生で、要が大先生の息子である、という事実に、葛西さんは意外なほど興味を示した。
「そうなの? お医者さんの家に生まれたのに継がないんだ?」
「病院は長男さんが継がれたし、お姉さん……わたしの同級生の、彼女もお医者さんなので、そのへんは問題ないのではないかと」
 えー、と葛西さんが身をよじる。
「親もきょうだいも医者なのにひとりだけ違うんだね。うわ、なんかいろんなアツレキがありそう。かわいそう」
 葛西さんの言う「あつれき」は外国語のように聞こえる。たまに要と大先生や若先生、つまり要の兄のけんが話しているのを見かけるが、仲が良さそうに見える。そもそも仲が悪ければ、わざわざ鐘音小児科の二階を選んで商売をしないだろう。そしてかりに仲が悪いのだとしても、それは彼らの問題だった。
「どんな感じ? やっぱ変わり者?」
 医者の家に生まれて医療関係に進まなかったから「変わり者」だと、葛西さんは決めつけている。みじんも悪意がなさそうなところが、かえっておそろしい。葛西さんは気さくな人だ、というさきほどまでの希和の思いと今感じたおそろしさは、相反するものではない。たいていの人の中に、あたりまえに共存している性質だ。たぶん、希和の中にも。
 要のことは、正直まだよくわからない。近所の人が言うほど無能でもろくでなしでもないということだけは感じているが、具体的に根拠を示せと言われれば難しい。同じ空間で時間を過ごしていてなんとなくそう感じるのだとしか言いようがない。だから「沢邉先生、遅いですね」と話を変えた。
「ああ。熱血と一緒なんじゃない?」
 葛西さんが言う「熱血」が三年生クラスの担任のあだ名であると知らされる。本人が熱血教師だからではなく、そういうイメージのある某芸能人に顔が似ているからという理由だった。
「坂口さんほら、とう町のイタリアンレストラン知ってる? あの先生たちがふたりきりで食事してたってうわさ
「噂、なんですね?」
「うん、や、でも、なんか保護者の中で見た人がいるんだよ! そうとう親しげな雰囲気だったらしくて。熱血は奥さんも子どももいるのにね。まずいよねー」
「はあ」
 葛西さんが「不倫はだめだよー」と続けて、色鉛筆をしまう。
「でも確かなことは、わからないんですよね?」
 思ったより強い声が出た。葛西さんが一瞬、驚いたように手をとめたのを目の端でとらえる。

 八月の十三日から十五日までのあいだ、『アフタースクール鐘』は休みになる。一階の鐘音小児科はすでに十二日から十六日まで休診のはり紙を出している。
「高校生の頃から盆は毎年祖父の家に行くので」
 慎重に窓の戸締りを確認しながら要が言った。今日は吉江さんが急病のため欠勤し、希和が十九時まで残った。子どもたちはすでに全員、家に送り届けた。
「いわゆる本家ってやつですね」
「本家」は、長崎にあるという。鐘音小児科の大先生はその長崎の家の三男だ。祖父は要が小さい頃になくなったので、記憶がない。それでも両親やきょうだいが「祖父の家」と呼ぶので、要もそれにならうのだと説明される。
ちゃん……も、行くんですか。長崎には」
「いや、あの人はここ数年顔を出さないですね」
 離島で診療所をやっている要の姉の理枝ちゃんは、この街にもほとんど戻ってこないのだという。
「でも希和さんのことを話したら、なつかしがってましたよ」
「電話とかするんですか?」
「スカイプで話します。たまにですけど」
 希和の妹は市内の実家に住んでいる。もしこの先彼女が遠方に越したとしても、わざわざ電話(あるいはスカイプ)で話すようなことがあるだろうか。仲が悪いわけではないし顔を合わせればそれなりに楽しく会話もするが、わざわざ、となると。
 そうするとやはり、鐘音家のきょうだいは世間一般と照らし合わせても仲が良い部類に入る。葛西さんが言うような軋轢はなさそうだ。
「お茶とか飲みませんか」
 あとは鍵を閉めるだけ、という段になって要が突然そう言い出した。その理由はわからないが、希和にとっても都合がよかった。要に話したいことがある。駅構内のファストフード店に行くことになった。
「この駅の周辺は、ちょうどいいカフェや喫茶店がないですよね」
「はい、わたしも以前からそう思ってました」
 まったくないわけではない。あることはある。ただあえてそこに入りたいかというと遠慮したくなる店ばかりだ。テーブルが異様に小さくて狭苦しいとか、騒がしいとか、異様に煙草たばこ臭いとか。
「今、仕事してて、なにか困ってることはないですか」
 コーヒーをふたつ買って窓際の席に腰をおろすなり、要が訊ねる。ずっとそれを話したくて、でも話す機会がなかったと肩をすくめる。
「子どもたちがいる時は、希和さんとあまり長く話せないから」
「そうですね」
 これまで働いたどんな場所でも、雇用主からそんなことを訊かれたことはなかった。「調子はどう」程度の声をかけられることはあったかもしれないが、わざわざ時間をつくって意見を聞かれたことなど一度もない。それを言うと、要はひとさし指で眉の上をいた。
「雇われ店長をしてた頃にオーナーの人から、スタッフの不満や愚痴は時間をつくってでも聞いておけと指導されてまして」
 雇われ店長っていったいどんなお店にいたんですかと訊ねると、眉を搔く指の動きがとまった。
「女の子がたくさんいる店です」
「女の子がたくさんいる店……」
 たいへんに興味深いが、まださきほどの要の質問に答えていないことを思い出した。
「とくにありません。……あ、宿題を見てあげるのが苦手です」
 子どもたちにどこまで口を出していいかわからなくて、と肩をすくめると、要は軽く頷いた。
「頭ではわかってることでも他人に説明しようとすると、どう言っていいのかわからないし」
「今後の課題ですね」
 要がノートを広げてメモしている。宿題。指導。←外注? バイト? と連なっていく文字たちを眺める。外注。まさかわざわざ宿題を見るためだけに新たに人を雇うつもりなのか。
 隣のテーブルではすりきれたようなシャツを着た老人が、紙コップのコーヒーをちびりちびりと口に運んでいる。奥のテーブルには高校生のグループ。時折、甲高い、楽しそうというよりは悲鳴のようにも聞こえる笑い声が上がる。
「美亜ちゃんのことがすこしだけ気になります」
 ずっと、要にそのことを相談したかった。美亜ちゃんのこと、としか、希和は言っていない。うまく言えないからだ。それでもじゅうぶん伝わったようだった。もしかしたら要も同じことを感じていたのかもしれない。
 あれから何度も考えたが、やっぱり美亜ちゃんの様子は、ただごとではなかった。床にこぼれるマーブルチョコレートの色と、見る間に白くなっていく美亜ちゃんの顔が何度も映像でよみがえってくる。いまになにか、とりかえしのつかないことがおきそうな気がしてならない。
「希和さんが心配してるのは虐待みたいなことですか?」
「いえ、そこまでは言ってないです」
 あわてて両手を振った。何度も美亜ちゃんの態度に不審さを感じながらも気づかないふりをしてきたのは、面倒だったからではない。虐待などという言葉を気安くつかうべきではないと思ったからだ。厳しく叱りすぎてしまうことは親なら誰にでもあるはずだし、それに適応しすぎてしまう子どもだって、たくさんいるはずだ。
「心配はいらないとは思うんですけど……お母さんもちゃんとした人に見えますし」
「ちゃんとした人だって行動を誤ることはあるんです」

#3-5へつづく
◎第 3 回全文は「カドブンノベル」2020年6月号でお楽しみいただけます!


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