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連載

寺地はるな「トマトとりんご」 vol.1

【新連載】近所に新しくできた民間の学童保育。息子がそこに出入りしているような気がして……。寺地はるな「いちご」#1-1

寺地はるな「トマトとりんご」

 駅前のかなビルの二階に『アフタースクール鐘』という看板が掲げられていた。木曜の正午だった。
 が見つけたのが木曜の正午だったというだけのことで、看板自体は水曜に掲げられていたとマンションの隣人は言っていた。学校から帰宅したはるにその話をすると晴基はつまらなそうに「火曜日にはもうあったよ」と言い捨ててランドセルを床にほうり投げた。家に帰ったらまず所定の場所にランドセルを置くようにと、一年生の頃から何度も言っている。何度同じことを言えばいいのだろうと思う。同じことを同じように言っているだけだからだめなのかなとも思う。
 さまざまな人の証言をまとめると、看板は月曜の夕方にとりつけられていた、ということになる。看板の設置業者一名とオーセンセと「鐘音家の次男」が、もうすこし右だの、あと二センチずらせだの、やいのやいのと騒いでいたらしい。
 鐘音ビルの一階は小児科で、オーセンセ、とは去年長男に院長職を譲った医師のことだった。このあたりの人の発音では、大先生は「オーセンセ」と聞こえる。
 晴基の乳児湿しつしんを診察し、はじめてのインフルエンザの予防注射を打ってくれたのは大先生だった。痛みをともなう処置をする時は「これは痛いよー」と声をかける人だ。「痛くないよ」なんてだましてはいけない、子どもから信用してもらえなくなるからね、とのことだった。
 昔はこのあたりの子どもはみんな鐘音小児科に診てもらっていたと希和の母は言うが、近頃の鐘音小児科は駅裏にできた新しくてきれいな小児科に患者を持っていかれ気味で、いつ行ってもいているともっぱらのうわさだった。
 そこへ来ての『アフタースクール鐘』だ。設置していたのは専門の業者のようだが、看板の文字はいかにも素人くさい手書きで、鐘という文字のあとに書きかけてやめたような中途半端な点がついていた。鐘音って書いている途中で面倒になってやめちゃったんじゃないの、と笑うおばあさんもいた。「鐘音家の次男」ならば、いかにもありそうなことだと。
「鐘音家の次男、なにをはじめるつもりだろうね」
 鐘音家の次男にはさまざまな噂があった。たいていは良くない噂だった。
 高校生の時に人妻とつきあっていた、とか、その後関係がこじれて人妻に刺された、とか、いや刺したのは逆上した夫だ、とか、まことしやかにささやかれていた。
 県内でいちばんの進学校を卒業して東京の医大に入った長男と違って、次男は漢字もろくに読めないバカだとか、九九もできないとかとも言われていた。
 大先生がなんとかして私立の医大に入れようとしたけど本人がゴネたために入学すらかなわず、今はフリーターをしている、という話もあった。
 よく野良猫に話しかけてるらしいという他愛ないものから「河川敷に住みついてるおじいさんいるじゃない、そうあのボロボロの服着てる、あの人とこそこそ紙袋の受け渡ししてるとこ見かけたよ怪しいね」とか、黒塗りの車に乗せられる姿を見かけたとか、それからあきらかに未成年の派手な女の子と腕を組んで歩いていたなどという、おだやかでないものも多くあった。
 その噂の多くが根も葉もないものであろうと、希和には見当がついていた。鐘音家の次男の人となりをくわしく知っているわけではない。でも噂とはたいてい根も葉もないものだからだ。
 けれどもそれをわざわざ指摘したりはしない。
 田舎いなか町の出身である夫は「田舎の人は噂好きなんだ」とよく言うが、それはすこし違うと希和はこっそり思っている。土地は関係ない。どんな共同体にも噂を好む人は一定数存在する。彼らにとって他人のトピックスは生きる燃料であり、社交の場における潤滑油であり、精神安定剤でもある。
 鐘音家は代々医者の家系である。自己所有のビルも持っている。つまりは金持ちである。その家における不肖の息子の存在は、「その他」の人びとを安心させる。ああやっぱり、人生ってなにもかもすべて完璧ってわけにはいかないものよねえと、のびやかに笑い合うことができる。
 そして、夫の故郷と比べれば、というだけで、この街だって都会というわけではない。人口十六万ほどの、どこにでもあるような地方都市だ。
 それでも有名な家電メーカーの本社があるから税収が安定していると言われていたが、数年前にその本社が東京に移転してからはずっと財政難という噂もある。
 有名な観光スポットがあるわけでもない。国道沿いに大型ショッピングモールが誘致されて、商店街はシャッターをおろした店が目立つ。
 希和はこの街で生まれた。小中高と公立の学校を選択し、自宅から通える短大を卒業したあとは市外の保育園に保育士として就職した。夫とは友人の紹介で知り合って結婚した。
 マンションを買う際に夫が口にした「子どもを育てるのだったら君の実家に近いほうがいいだろ」という言葉を、当時はやさしさとして受け取っていた。
 今ならわかる。夫には、育児とは両親が協力のうえおこなう仕事であるという意識が、露ほどもない。希和の両親の近くにいれば、育児を「手伝う」のは自分ではなく、希和の両親になる。
 自分はこの、開けているようで静かに閉じている街から出ることなく老いていき、そして死ぬ。先が見えている。
 希和はだから、街の人びとが楽しむ噂話に水を差すような真似はしない。波風は極力立てない。なにを聞かされても、あいまいな微笑ほほえみを浮かべて「そうですか」「そうなんですか」「そうなんですね」を順繰りに舌にのせる。
 それに鐘音の次男をかばったって、自分自身にはなんのメリットもない。『アフタースクール鐘』がなんなのかもわからない。かばいようがない。
 年齢で言えば、ずいぶん下だ。希和が中学一年生の時に、むこうが小学一年生だった。鐘音家の長女であるちゃんとは同級生で、同じ料理部に入っていて毎日一緒に帰っていた。
 理枝ちゃんと他愛ないことをおしやべりしながら歩いていると、角から突然男の子が飛び出してきた。細い身体からだに背負った黒いランドセルは異様に大きく見えた。
 おねーえちゃん、と男の子は彼女に呼びかけ、前歯のない口を大きく開けて笑った。ちょうど歯の生えかわる時期だったのだろうが、ひどく間が抜けて見えた。
「これ、弟。かっちっていうの」
 ランドセルに手を添えるようにして希和に紹介してくれた理枝ちゃんがその時どんな表情をしていたのか、なぜかまったく覚えていない。そのあとふたりは寄り添うようにして歩き出した。
 おねえちゃん、さっきね、と喋っている言葉はすべてひらがなに聞こえた。ああ、うん、そうなの、とあいづちを打っていた理枝ちゃんは彼女のふたつ年上の兄、つまり鐘音家の長男と同じく成績優秀で、ふたりともいかにもかしこそうな顔立ちをしていたから、その弟を見て「似てないな」と思ったことを覚えている。
 小学生の頃の理枝ちゃんは、いつもお人形みたいなかっこうをしていた。赤やピンクのワンピースを着て、腰まで届くような長い髪を編みこみにしていた。
 優秀な彼女と自分がなぜ一緒に帰宅していたのか、希和はその経緯を思い出せない。なんせ二十年以上前のことだ。同じ部活だったから、家の方角が同じだったから、と言っても、属しているグループは違っていた。教室ではほとんど会話した記憶がない。
 なんとなく、って感じだったのかなあ。氷砂糖の袋をはさみで開けながら、希和は当時を思い出そうとしている。一緒に帰ろうね、と約束していたわけではなく、同じ方向に歩くうちに隣に並んでいただけなのか。
 話しかけなきゃ悪い、とでも思われていたのかもしれない。彼女、理枝ちゃんにはそういうところがあった。偉大なる公平さ。あふれんばかりの親切心。
 今はたしか離島だか人里離れた山村だかで、お医者さんをやっているんだっけ。理枝ちゃんらしいな。そんなことを考えながら、いちごを洗う。小粒のが売られていてよかった。瓶の中に、いちごと氷砂糖を交互に入れていくと赤と白の模様ができあがる。
 数日寝かせて氷砂糖が溶けたら、きれいに澄んだ赤色のシロップになる。乾いた布で瓶を拭き、百円ショップで買ったマットの上に置いてから、スマートフォンで写真を何枚も撮った。いちばんきれいに、かつおしゃれな雰囲気になるフィルターを選び、うっかり隅にうつりこんでしまったマグカップをトリミングで排除して、SNSに投稿する。いちごのシロップは炭酸で割るといちごソーダになるし、かんたんでおいしいです。いちごはまだまだたくさんあるから、ジャムもつくります。という他愛ない文章も添える。
 のゼリーをつくった時も、あんずのジャムを煮た時も、同じように投稿した。梅酒の時は、スーパーで買った梅なのに「実家の庭で採れた梅」と書いた。なんとなくそのほうが良いと思ったから。
 実際にいちごシロップをつくっている時より、自分の投稿を眺めている時のほうがいわゆる「ていねいな暮らし」をしているという実感がわく。
 うそをついている、という意識はなかった。いつも上機嫌でいるのが良い大人の条件であるとみんな言うではないか。機嫌よく過ごすために体裁を整えることの、いったいなにが問題なのかとすら思う。
 いちごはそのまま食べるのがいちばん好きだ。小粒だったり、すこしすっぱかったりしても、そのまま口にほうりこむのがいい。ジャムになったいちごはぶよぶよした食感があまり好きではない。
 シロップにしたって、ほんとうはそんなに好きでもないのだ。以前かき氷にかけて晴基に出してやったことがあるが、気のない様子で「色がうすいね」のひとことで終わった。いちごから抜け出た色は瓶の中では鮮やかだが、氷にかけるとたしかに淡い。着色料の赤さは超えられない。
 家族に喜ばれないとわかっていても、それでもやっぱり自分はたいして食べもしないジャムをつくって、その工程をひとつひとつ撮って投稿するだろう、と希和は思う。
 いちごを煮詰める際に取り除くあくは捨てずにとっておいて、牛乳を注ぐといちごミルクになりますよ、という文章も添えるのだろう。それはネットで得た知識であるのに、母や祖母から教わったかのように、子どもの頃からそういったものを口にしてきたかのように書くのだろう。
 いちごシロップの投稿にすぐさま「いいね」をくれるフォロワーたちの投稿には高確率で「#ていねいな暮らし」とか「#暮らしを楽しむ」とかいったタグがつけられている。今度から自分もそうしよう、と希和は考える。彩りの良いお弁当。図書館で借りた本とおやつの画像。お金のかかる趣味や交際をひけらかしているわけじゃない。なんとささやかで、いたいけな人生の楽しみかただろう。
 暮らしを楽しむ。いい言葉だ。希和は自分の「暮らし」に、おおむね満足している。概ねは。

#1-2へつづく
◎第 1 回全文は「カドブンノベル」2020年1月号でお楽しみいただけます!


「カドブンノベル」2020年1月号

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