menu
menu

連載

寺地はるな「ウエハース」 vol.16

【連載小説】PTA広報として奮闘する希和。運動会には要も現れて――  寺地はるな「ウエハース」#4ー2

寺地はるな「ウエハース」

※本記事は連載小説です。

>>前話を読む

 岡野さんたちと親しくしたいのか、したくないのか、自分でもよくわからない。
「すくなくとも好きというわけではないんです、それははっきりしてて」
 ちょっとだけ話を聞いてくれませんか、と思い切って声をかけたら、要は「もちろん」とまじめな顔で頷いた。
 床を拭く手はとめない。要もまた希和の話にあいづちを打ちながら手を動かし続けている。もうすこししたら子どもたちを迎えに行かなければならない。自然と早口になる。
 昨日の運動会のあと、堤さんと連絡先を交換した。
「なにか知っておいたほうがいい情報とかまわってきたら、ちゃんと坂口さんにも伝えます」
 そう言ってなにやら重要な任務を得たかのように胸に手を当てる堤さんを思い出すと、希和の気分はいっそう暗くなる。堤さんに悪気がないことがわかるからなおさらだ。
 べったりと行動をともにする友人が欲しいわけではない。そんな保護者間のつきあいなど煩わしいだけだ、と感じる人間は、希和だけではないと思う。けれども、孤立はしたくない。なにかあった時に情報交換できる相手がいるのといないのとでは大違いだ。低学年の頃は、晴基が連絡帳を学校に忘れてきたので宿題の範囲がわからないとか明日の持ち物がわからないといったことがしょっちゅうあった。そんなことでいちいち学校に電話をするわけにもいかない。ちょっとしたことをける相手は必要だ。
 たとえば晴基が今後なにか学校でのトラブルに巻きこまれるとする。被害者にもなりえるし、加害者にもなりえる。そんな時だって、相談したり情報収集したりできる相手がいるかどうかの差は大きいだろう。
 二年生の頃に児童クラブで上級生に蹴られた時だって、晴基はなかなか自分からは言おうとしなかった。他の保護者に「なんか学童に乱暴な子がいるらしいよ」という話を聞かされ、何度も問い詰めてようやく「じつは……」と打ち明けてくれたのだ。
「もういい年の大人なんで、友だちがいないとか、そんなのたいしたことじゃないってわかってるんです。職場や習いごとの教室に仲がいい人がひとりもいなくても、わたしぜんぜん平気なんです。でも晴基のことを考えると、それでいいのかと思ってしまって」
「はい」
 要は真剣な顔で頷いている。誰かにちゃんと話を聞いてもらえる、という状況がありがたい。ひとりで考えていると、ぐるぐると同じところをまわっているような気分になってきて苦しい。
 ほんとうは夫とこそ、こういう話をしたい。昨晩、話そうとはしたのだがいつものように「んあ」と生返事をされて、それだけでもう話す気がせてしまった。
「自分が他の保護者の人たちと仲良くできないことで、教室での晴基の立場みたいなものに影響があるんじゃないかと思うと不安になるんです。やっぱりトラブルをおこさずにうまくつきあっていったほうがいいよねって。なんていうか……子どもを人質にとられてるみたいな感覚があるんですよね。親になってからずっと」
「人質?」
 要が段ボールをまとめていた手をとめる。テーブルには今しがたその段ボールから出したばかりのホットプレートが置かれていた。
 夏休みのおやつづくりの時間が思いのほか子どもたちに好評だった。毎日は無理でも週に一度はおやつを自分たちでつくる日を設けよう、ということになった。今日はフレンチトーストの予定だ。
「希和さんは誰に人質をとられてるんですか? その岡野さんって人? それとも学校?」
「どっちも違う……違うんですけど……」
 しいていえば雰囲気とか空気とか、目には見えない大きなものだ。
「だいじょうぶですよ、と僕が言うのは乱暴でしょうか」
「そうですね。乱暴というか、無責任な感じはします」
 要が相手だとほかの人としやべる時より言葉がすっと出てくる。ちゃんと聞いてくれる、という実感があるからだ。
「すみません。でも彼らはもうなんにもわからない赤ちゃんじゃないですよね。子どもには子どもの世界がある。たとえ親から『あの子と仲良くしちゃだめ』と言われても自分が仲良くする相手ぐらい自分で選びますよ。選べます」
「そうでしょうか」
 だいじょうぶです、と要はやけに力強く繰り返す。すっかり納得したわけではないが、話したことで頭の中でぐるぐるとまわっていた感情があるべき場所に整頓されたようで、ようやく深く呼吸ができた。
「子どもを悪いもの、悪いことから守るのは大人の役目ですよね」
 要の言葉に大きく頷く。そのとおりだ。
「でも子ども自身がなにかを感じたり、自分で切り抜ける力を持っていると信じることも同じぐらい大事なんじゃないんですかね」
 そのふたつは矛盾しないと、希和にももちろん理解はできる。けれどもそのバランスが難しくて、いつも悩む。
 壁の時計を、ふたり同時に見上げた。
「新野小学校には僕が行きます。希和さんはちゃんを迎えに行ってもらえますか」
「わかりました」
 すばやく身支度を済ませる。どれだけ心配ごとを抱えていようと、仕事は仕事だ。
「そういえばちゃんが、来週こっちに帰ってくるんです」
 玄関で靴を履いていた要があとから来た希和を振り返って言う。
「へえ、そうなんですか」
 離島の診療所で働いている要の姉の理枝ちゃんが、しばらくこちらに滞在する予定だという。休みなのかと訊いたが、「そうなんじゃないですかね」と要の返答は要領を得ない。
「希和さんに会いたがってるんですけど、連絡先を教えてもかまいませんか」
「え、あ、はい。もちろん」
 理枝ちゃんが自分に会いたがっている。ほんとうだろうか。だってわたしなんかと会っても、なんにもメリットがないじゃないの。ついそう思ってしまう。
 メリット。嫌な言葉だ。自分はいつから人とつきあうのにメリットだとかデメリットだとか考えるようになったのだろう。

 市内の小学校には「キッズサポーター」というボランティア制度がある。住民が子どもの見守りをするというもので、登録しているのはたいてい地域のお年寄りだ。下校の時間帯に学校近くの横断歩道などに立っている。市から支給された蛍光グリーンのベストとキャップを着用する決まりになっているから、遠くから見てもすぐわかる。希和が校門に到着した時、美亜ちゃんはすでにそこに立って待っていた。隣にはキッズサポーターの男性がいる。
「来た! きわさん!」
 あわてて駆け寄った。美亜ちゃんが甲高い声を上げると同時に、キッズサポーターの男性が「遅いよ、あんた」と顔をしかめた。六十代後半ぐらいだろうか。ならば、実家の父と同年代ということになる。「たけやま」という名札を確認して、頭を下げた。
「ずっとここで待ってたよ、この子。ねえ、暑いんだからさあ、あんまり待たせないであげてよ。それに、雨の日だったらどうすんの?」
 美亜ちゃんが校門から出てくる時間はまちまちだ。時間割にあわせて行っても三十分近くこちらが待たされることもあるし、今日のように美亜ちゃんのほうが先に出てきて待っていることもある。竹山は「あんた、仕事ならちゃんとしないと」とか「それで金取ってるんでしょ? 私らと違ってさあ」と、なおも文句を言いたそうだった。
 前にも竹山とは別のキッズサポーターの男性に因縁をつけられたことがあった。その人も竹山も、やたらと「自分は無償のボランティアだ」ということを強調した。
 彼らは民間学童という組織を、子どもを利用してあくどいかねもうけをしていると思いこんでいるようだった。キッズサポーターをしている人びとの総意でないことはわかっているが、最近ではこの蛍光グリーンのベストを見ただけで身構えるようになってしまった。
 相手の誤解を解こうという気力すらなく「はあ」「へえ」「ほう」と返事のように聞こえるただの息を吐いてごまかした。この場をうまく切り抜けるためだとしても「すみません」などとはぜったいに言うまいと思った。愛想笑いを浮かべることも。
「じゃあ行こうか、美亜ちゃん」
 まだなにか言おうとしている竹山に背を向け、急いで歩き出す。たぶんわたしが身長二メートルぐらいの屈強な男性だったらあんなこと言わないんだろうな、と想像したら薄い怒りが湧く。
 振り返って、数秒じっと見つめた。竹山がかすかに眉間にしわを寄せる。
 あなたはそうやって自分より弱そうな相手に難癖をつけることで日常の憂さをはらすぐらいしか楽しみがないんでしょ、とほんとうは言いたい。言わないけれども、視線にこめたつもりだった。
『アフタースクールかね』に勤める前から似たような経験は何度もしてきた。自分のような女はどこに行ってもそうだ。どこに行っても「びしっと言ってやらなきゃ」とはりきる人々のターゲットになる。
 歩きながら、美亜ちゃんに「待たせてごめんね」と言うと、どうでもよさげに首を振り、休み時間に校庭で拾ったという葉っぱを見せてきた。なんの葉っぱなのかはわからないが、ところどころ虫食いの穴が開いている。
「これ、きれいなの」
 太陽に向けてくるくる動かすとその穴からこぼれる光がきらきらするのだと、うれしそうに何度も目の高さに持ち上げる。
「よかったね。でも歩いてる時はあぶないからそれやめようね」
 つないだ手のひらが汗ばんだ。子どもは体温が高い。最後に晴基と手をつないで歩いたのは、もうずいぶん前のことだ。
「どこかに飾ってもいい?」
 どこか、とは『アフタースクール鐘』のどこか、らしかった。
「飾るより、押し花にしたほうがいいかもしれないね。おうちに持って帰らないの?」
「うん。ママに怒られる」
「そうなんだ」
 歩きながら、さりげなく美亜ちゃんを観察する。子どもが葉っぱを拾ってくることを嫌がっただけで、それが過剰な抑圧の証拠であるとは言い切れない。
「きたないから、だめだって」
「美亜ちゃんのママは、きれい好きなんだね」
「……美亜ちゃん、いっぱい怒られる」
「そうなの?」
 美亜ちゃんだめな子なの。ぽろりとこぼれたような言葉に、胸をしめつけられる。そんなことないよ、という返答は希和の自分の心からの言葉であるのに、いかにもうそくさく響いた。

#4-3へつづく
◎第 4 回全文は「カドブンノベル」2020年8月号でお楽しみいただけます!


「カドブンノベル」2020年8月号

「カドブンノベル」2020年8月号


MAGAZINES

カドブンノベル

最新号
2020年9月号

8月10日 配信

怪と幽

最新号
Vol.004

4月28日 発売

小説 野性時代

第201号
2020年8月号

7月13日 発売

ランキング

アクセスランキング

新着コンテンツ

TOP