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連載

三羽省吾「共犯者」 vol.12

死体遺棄事件の発端は、二十七年前の出来事だった――。報道の使命と家族の絆を巡るサスペンス・ミステリ。 三羽省吾「共犯者」#12-4

三羽省吾「共犯者」

※この記事は2020年1月10日(金)までの期間限定公開です。

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 *

「兄貴から、電話があった」
「へぇ、どんな用件で?」
「お前は知らないだろうけど、あの事件、また違う角度から騒ぎになってる。ネットだけじゃなくて、テレビでも。兄貴の記事がきっかけだ」
「お兄さんが追ってる事件って、白川村のことだったんだ」
「あぁ、この間はうそいてすまない」
「いいよ、知ってる。岐阜県警の違法捜査とかなんとか、そういうやつでしょ?」
「え?」
「ネットニュースで、少しね」
「ネットニュースって、ネットカフェや漫画喫茶は身分証が必要なんじゃないのか?」
「図書館。パソコンを利用するには会員登録しなきゃならないけど、それほど厳重に監視されてるわけでもないから、こっそりね。当然、雑誌や新聞は読み放題だし」
「お前……」
「お兄ちゃんが気を利かせてネットに繫がらないプリペイド携帯を渡してくれたことも、アパートにテレビを置かなかったことも分かってる。けど完全に情報をシャットアウトするなんて今どきは、ね?」
 宮治夏樹は「そっか」と呟いて、冷めたほうじ茶を口に運んだ。
 二ヵ月半が過ぎ、小さなアパートは生活感が色濃くなっていた。壁にはカレンダーが吊るされ、キッチンには三角コーナーとスポンジホルダー、トイレには便座シートとペーパーのストックホルダーが備わっている。普通の新居ならば、それらは喜ばしい変化なのだろう。
 だが夏樹は、ここを訪ねる度に重苦しい気分に見舞われる。
 あと七ヵ月。このままならクリア出来るかもしれない。
 そう思っていたのだが、昨夜以降は言いようのない不安にさいなまれている。
 きっかけは、かずからの電話だ。

 和貴から電話があったのは、昨夜のことだった。
『飛んで火に入るサマーバグ』
「なにそれ、飛んで火に入る夏の虫?」
『そう。この前、が急にそんなこと言うもんだから、なんだそれって訊いたら〝グンちゃんに英語教えて貰った〟ってな』
「ははは、ぐんさんらしいや」
『笑い事じゃねぇよ。平塚に引っ越して、しょっちゅう郡司達と接するようになったら、莉菜のやつ小ちゃいルーおおしばみたいになっちまうぞ』
 そんな下らない話を枕にして、和貴は『あのな』と強引に話題を変えた。
『実は、お前に伝えなければならん事実がある。今、取材してる事件の被害者、佐合優馬はお前の実父だ』
 和貴のその言葉に、夏樹は出来る限り冷静に「うん、気付いてた。ネットに疋田亮二って名前が出てたから」と答えた。
『ネット、見てるのか。じゃあ、警察が追ってる重要参考人がお前の実の妹であることは?』
 その問いには、たっぷり間を置いてから「え?」と答えた。夏樹としては、これも百点満点の対応だったと思う。
『知らなかったのか?』
「うん。妹のことは覚えてるけど、施設で別れた後は連絡を取り合ってないから。俺と同じで、名前も変わってる筈だし」
 夏樹のその答えに、和貴は間髪をれずに『本当に?』と再確認した。
 そこで夏樹は、マズいと直感した。
 この電話は、あの事件の構図をある程度把握した上でのものだ。
 根拠はない。だが、そうに違いないと警戒を強めた。
 それから和貴は、警察が佐合と布村のDNA型を採取し、両者が親子関係にあることを把握したこと、戸籍謄本をさかのぼって夏樹の存在に行き着いたこと、それによって一時期は夏樹も警察に監視されていたことを説明した。
『気付いてなかったのか?』
「うん、全然。いつ頃のこと?」
『具体的には聞いてないが、さすがに気になるか?』
「いや、どうせ職場と自宅の往復だっただろうし……そういうのって、こうさんからの情報?」
『あぁ、鳥内管理官からだ』
「そう……父さんと母さんも知ってるなら、心配を掛けちゃったのかな」
 今度は和貴の方がたっぷり間を置いて『その通りだ』と答えた。
『お前にはなんの責任もないが、親父もお袋も、えらく心配してる。はいじまさんもな』
 その言葉が、夏樹を更に混乱させた。
 夏樹が宮治家の養子となったきっかけが配島であることは、和貴は知らない筈だった。それを知っているということは、弘貴か配島が夏樹の知らないところで和貴に説明したのか、それとも事件を取材する中で偶然知ったのか……それとも……これは、どういうことなのだ……。
 考え続ける夏樹の耳に『それはそうと』という和貴の声が届く。
『来週のどこかで、また北陸方面へ行く用事があるんだ。二ヵ月以上経ってるし、もう本や書類は別のアパートに移してるんだよな? 出張費の節約で、泊めて貰っていいかな?』
「あ、うん、いいけど……実はこの暑さだから、ほとんど荷物を運べてないんだ」
『じゃあ、ここ三ヵ月ほどは空の部屋に家賃を払ってるんだ。馬鹿みたいだな』
「あぁ、そうだな。暑さを計算に入れてなかったなんて、ホントに馬鹿だよ」
 和貴は再度、長い間を置いてから『ふ~ん』と言った。
 夏樹の脳裏を、様々な思いが過っていた。
『じゃあな、来週のどこかで』
「出来れば前もって言ってくれよな。どこか適当な店、押さえるから」
『いいって。また焼鳥買ってく』
「もうちょっといいものを頼むよ」
『はは、了解了解』
 そんなふうに笑って電話を切った後も、夏樹は考え続けた。
 やはり和貴は、事件の全体像を摑んでいるのではないか。さっきの会話の中には、なにかを再確認する為のトラップやブラフが隠されていたのではないか。
 自分は、く対応出来たのだろうか。知らず知らずのうちに、ジュリアと接していなければ知り得ない事実などを、口にしなかっただろうか……。

「ねぇ」
 すっかり冷たくなった湯飲みを両手で包んで考え込む夏樹に、ジュリアが言った。
「話は変わるんだけど」
「うん?」
「『光の家』を出た後、お母さんには会った? 私のお母さんじゃなくて、お兄ちゃんの実の母親」
「あぁ、会った……と言うより、見たよ」
 夏樹の実母は、夫である疋田亮二の最初の服役と同時に離婚手続きをし、夏樹──当時の礼音──を秩父市にある疋田の養家に預けた。夏樹が一歳から三歳に掛けてのことだ。
 だから夏樹には、その頃の記憶が殆どない。
 しかし一つだけ、確かなことがある。血縁のない祖父母が、自分達がいなくなった後の夏樹のことを、気に掛けてくれていたということだ。
 疋田亮二が出所してすぐに、夏樹は疋田の元に戻された。疋田は間もなく別の女と再婚し、樹理亜が生まれる。それから八歳になるまで、夏樹は祖父母がいかに自分のことを心配してくれていたか、考えることもなかった。
 宮治家の養子となって数年が経ってから、夏樹はそのことに気付く。きっかけは、祖父母に「これはいつか礼音くんのためになるから、絶対に捨てては駄目だよ」と渡された秩父の有名な神社のお守りが破れてしまったことだった。
 お守りの中には、夏樹の実母の離婚後の住所と電話番号を書き記した紙片があった。
 高校を卒業した直後、夏樹は無駄足になるのは承知でその紙片にあった住所を訪ねた。ボロアパートの玄関前まで行ったが呼び鈴を押すことは出来ず、近所の電柱の影で二時間以上その玄関を観察し続けた。
「夕方の六時くらいだったかな」
 さらに数十分後、二階の角にある部屋の扉から一人の女性が出て来た。タイトなミニスカート姿で、派手な化粧をしていた。
「恐らく夜の仕事をしてたんだろうな。まだ四十代手前だった筈だけど、凄く歳を取ってるように見えてね。色々と言ってやるつもりだったんだけど、その気も失せたよ」
 自嘲気味に笑うと、ジュリアも笑みを返した。
「その背中を見送って玄関前に行ったら〝たかはしれい〟って表札、というか厚紙にマジックで書いて貼ってあって、それ見て『確かあの人の実家は高橋姓だったなぁ』なんて思い出して……」
 ジュリアは笑顔のまま、卓袱ちやぶだいを見下ろしていた。子猫の動画でも見ているような柔和な笑みだった。
 話を終えた夏樹が「どうした?」と訊ねると、ジュリアは柔らかくほほんだまま「考えること、おんなじなんだなぁと思って」と呟いた。
「え?」
「私もやったよ」
「なにを?」
「私の場合は、高校を出てすぐに『光の家』へ行ったの。養父母には内緒で。数ヵ月いただけの私のことなんか誰も覚えていないだろうと思ってたんだけど、ベテランの人が覚えててくれてね」
「へぇ……」
 ジュリアは『光の家』で、実母の所在について訊ねた。戸籍上の親子関係がなくなった場合、親の側は子供の所在を確認することは出来ない。だが子供の側には、本人の希望があれば知る権利があった。
「ただ私達の場合は事情が事情だし、最初は断わられたの。けど、ここまで成長しました、無事に高校を卒業しました、短大に進学することになりましたと報告したいだけだって必死に訴えたら、岐阜を離れた直後の住所を教えてくれた」
 ジュリアの実母が岐阜を離れてから、既に十三年が経っていた。半ばもういないかもしれないと諦めつつ、ジュリアはその足で大阪市内のマンションを訪ねた。
 オートロックなので玄関前まで行くことは出来なかった。夏樹と同じように、インターホンを押す勇気もなかった。教えられた部屋番号の郵便受けには『TACHIBANA』という、実母の旧姓とは違う苗字があった。
 そしてやはり、エントランスの側で一時間も二時間も出入りする人々を観察し続けた。
「三時間近く待ってたのかな。確かこんな顔だったなって人が出て来たの。再婚したみたいで、小さな女の子を連れててね、なんだかすごく若々しく見えた。それで、私を生んだのは十代の頃だったんだって思い出して……」
 口ごもるジュリアに、夏樹は思わず「もういい、忘れろ」と言った。だがジュリアは「違うの」と首を振った。
「なにが違うんだよ。つまりあの女……お前の実母は、岐阜を離れる時には既に別の男と出来てたってことじゃないか。そんなこと、忘れちまえ」
 夏樹のその言葉に、ジュリアはやや声を張って「だから、そういうことじゃなくて」と言った。
「マンションは立派だし、着てるものも高そうだった。女の子は瘦せてもいないし、可愛い服を着てたし、お母さんと手を繫いでニコニコしてた。それを見て、あぁ幸せそうだなって、安心したの」
 十秒だったか三十秒だったか、それとも数分だったのか分からない。とにかく長いこと沈黙してから、夏樹が訊ねた。それだけは、確認せずにはいられなかった。
「幸せそうって、お母さんが? 女の子が?」
 両手で抱えた膝の上に顎を乗せて、ジュリアは微笑んだ。さっきの柔和な笑みとは違う、どこか寂しそうな笑顔だった。
「両方」
 その答えを聞いて、夏樹はもうなにも言うことが出来なかった。

「じゃあ次回は、お兄さんとどんな話をしたのか聞かせてね」
 帰り際、そう言うジュリアに夏樹は「分かった」と答えてアパートを出た。
 アパートは狭い路地裏にあり、ジュリアの部屋の玄関からはほかの住宅の塀や生け垣しか見えない。路地を抜けやや広い通りに出ても、人は見当たらず停車中の車もなかった。
 取り敢えず目が届く範囲には、尾行や張り込みの気配はない。
 一つ息を吐き、夏樹は夜道を歩きだした。
 半島をかすめて太平洋上で温帯低気圧になった大型台風の影響か、曇りの多い北陸の夜空は見事に晴れ上がっていた。
 プラネタリウムかとまごうほどの星空を見上げながら、しかし夏樹の心中は曇っていた。
 ジュリアが指名手配されないのは、彼女にとっても夏樹にとっても喜ばしいことだが、一歩退いて考えると不自然なことのように思われる。
 状況証拠だけならば、ジュリアは重要参考人などではなく被疑者となる筈だ。だがか、そういう扱いにならない。
 警察関係者でも事件記者でもない夏樹に考えられる理由は、一つしかない。
 佐合優馬とジュリアの関係に気付いた捜査本部が、無差別殺人に繫がることはないと判断し、自首が成立する条件を残してくれている場合だ。
 しかし事件の早期解決を第一義とする警察組織が、そんな恩情的な措置を取ることがあるものだろうか。
 和貴に訊けば、ほかの可能性も教えてくれるかもしれない。だが夏樹がこの事件について質問することは、非常に危険な気がする。
 コンビニに寄って缶ビールを一本買い、会計をしている時、店員の後方にある煙草の棚に目が留まった。
「いちばん軽いメンソールって、どれですか?」
 やめて十年ほど経つ煙草を、久々に買った。
 海外を放浪していた頃は、煙草ばかりか馬鹿みたいに強い酒や、日本では違法なものも摂取した。そうすることで人間関係を築くことが出来るのなら、前後不覚になることも、合法も非合法もどうでもよかった。
 久し振りの煙草は、深く吞み込まずすぐに煙を吐き出したのに、頭がクラクラした。
 気晴らしのつもりだったのだが、ここ半年余りえて考えないようにしてきたことが改めて頭を過った。
 子供の頃、ジュリアと手紙のやり取りをしていることを養父母にも和貴にも秘密にしていたのは、育てて貰っているという感覚があまりにも強く、申し訳ないような気がしたからだ。
 携帯電話でジュリアと連絡を取り合うようになった頃、そういう感覚は間違っていると思うようになったのだが、それでもやはり彼女の存在を家族に打ち明けることは出来なかった。
 いつか、いつかと思い続けているうちに、今日まで来てしまった。今更だが、最後のチャンスはジュリアから妊娠を告げられたあの時だったのだと感じる。
 しかし今回のことがあり、結果論としては、言い出せなかったことは奏功したのかもしれない。
「結果論? 逆だろう」
 誰かが、耳元で囁く。
 立ち止まって辺りを見回すが、国道を激しく車が行き来しているものの、歩行者は夏樹以外誰もいない。
「いつかこんな日が来る、初めからそう思ってたんだろ?」
 そんなことはない。ただ単に、言いそびれていただけだ。
「じゃあ、いつかこんな日が来る可能性も想定していた、とでも言い換えようか」
 だから、もしそうだとしても、それは結果論なんだよ。
「結果論だとしても、つまりは平塚の家族を巻き込みたくなかったということだろ?」
 巻き込みたくなかったって、なににだ。
「とぼけるな。お前のその、汚れた血にだよ」
 自分の内なる声に、噓を吐き通すことは出来ない。
 夏樹は「そうかもしれないな」と声に出して答えた。
 見上げると、上空の星空が吐き出した煙で少しだけ曇って見えた。

#13-1へつづく
◎第 13 回は「カドブンノベル」2019年12月号(11/10発売)でお楽しみいただけます!
 第 12 回全文はこちらに収録→「カドブンノベル」2019年11月号


「カドブンノベル」2019年11月号


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