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連載

三羽省吾「共犯者」 vol.22

死体遺棄事件の発端は、二十七年前の出来事だった――。報道の使命と家族の絆を巡るサスペンス・ミステリ。 三羽省吾「共犯者」#15-2

三羽省吾「共犯者」

※この記事は、期間限定公開です。

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 兄・和貴がコーポを出たのは午前八時だった。
 その日、宮治夏樹は塾で午前十時からの講義があった。プリントの最終チェックなどの準備に三十分ほど掛かるので、和貴を送り出してすぐに塾へ向かうべきだったのだが、夏樹はどうしても電話をしなければならないと思った。
 いつも使うバス停から後方を気にしながら二キロほど歩き、なんとか公衆電話を見付けた。留守番電話に短くメッセージを入れ、二分後に再度同じ番号へ掛ける。
「朝っぱらから悪い。今夜、電話していいか?」
 樹理亜は数秒黙ってから『なんかあったが? お兄さんのこと?』とたずねた。電話だと方言が多く出ることはいつも通りだが、少し鼻声のように聞こえるのが気になった。
「ちゃんと寝てるのか? また、朝まで考え事してたんじゃないのか?」
『なんも、ちゃんと寝とるよ。ほんで、お兄さんのこと?』
「あぁ、そうだ。お前も取材がどこまで進んでるのか、聞きたがってただろう」
『ざっくり教えてもらえるなら、今でもええよ』
「いや、そんなに簡単な話じゃないし、俺はもう仕事に行かないといけない。今夜八時くらいに電話するから」
『なんか、気になる言い方やね。私、出掛けることなんかほとんどないし、いつもならいきなり来るがやのに』
「うん、まぁ、そうだけど……とにかく今夜、詳しく話す。今日は取り敢えず、コンビニにも図書館にも行くなよ」
『誰かに見張られとるってことやね、それ』
「いや、今のところはまだ、その可能性があるってだけだ」
 樹理亜は『分かった、ほなね』と言って電話を切った。
 ふと、樹理亜が昨夜の和貴との会話の内容をすべて知っているのではないかと感じたが、夏樹はすぐにその考えを打ち消した。彼女があの小料理屋のどこかに潜んでいたとか、夏樹の持ち物に盗聴器を仕掛けていたなどということは、ある筈がない。
 彼女は単に勘がいいだけだ。夏樹がいつもと違う時間帯に電話をし、いつもは言わない今夜の電話予告をしただけで、鋭くなにかを感じ取ったのだ。
 ひょっとしたら、夏樹が今夜話そうとしていることまで、薄々勘付いているのかもしれない。
 そこまで考えて、夏樹は「いや」と首を振った。
 もしそうなら、昨夜の和貴の話は憶測の部分も含め、すべて当たっているということになる。

 しかし、あの夜はあまりに驚いてしまいなにも言えなかったが、冷静になって考えると、和貴の話には憶測が多過ぎた。
 特に、光が事件に関わっているという部分については、殆どが憶測と言っていい。光が複合バットを所有していること、グローブが左利き用であること、そして児童相談所に呼び出されていること。いずれも事件とつながっていると考えることは可能だが、同時に偶然や勘違いと言い切ることも可能だ。
 しかし問題なのは、それらの話を和貴から聞かされた時に、夏樹自身が狼狽うろたえてしまったことだ。そして今もなお、すべてを偶然や勘違いだと断言出来ないでいる。
 一方、あのATMに残された毛髪のDNA型の件については、自分でも驚くほど、どうでもいいと思えた。
 佐合優馬のキャッシュカードを使ったのは、夏樹だった。樹理亜が捨てることを躊躇ためらい夏樹に託した佐合の財布の中にあったカードを抜き取り、彼女が乗っていたミニバンで福井県かつやま市まで行って使った。
 樹理亜には言わず、自分で勝手に決行したことだ。
 狙いは、第三の男の存在を匂わせ、捜査を混乱させることだった。
 そして、故意に毛髪を落として帰った。
 被害者とも重要参考人とも血縁関係にある人物と分かれば、捜査はますます混乱する。そう思ってのことだ。
 当然、自分に捜査の手が及ぶことも考えたが、幼い頃に何度か会ったくめはらという伯母の存在が、その不安を和らげてくれた。
 粂原は、生まれて初めて出会った優しい大人だった。夏樹はまだ幼かったので、彼女から聞いた話のすべてを覚えているわけではない。しかし、
「あなたのお父さんには、きょうだいが四人もいるのよ。今ではみんな結婚して、上は二十歳代、下は礼音くんと同じくらいの子供がいるの。男の子が七人で、女の子が五人。みんな礼音くんと樹理亜ちゃんのいとこなんだから、いつか会えるといいわね」
 この言葉はやけに記憶に残っている。自分と樹理亜が二人切りではないのだと感じ、とてもうれしかったことを覚えている。今から思えば、その十二人が自分や樹理亜と同じような環境で生きていると勘違いしていたわけだが、それにしても嬉しかったことは事実だ。
 あれから四半世紀以上がったが、その記憶は役に立った。
 男が七人もいれば、そのうち何人かは夏樹と似た背格好の者もいるだろう。つまり防犯カメラの映像と毛髪によって、捜査本部はまずそちらを捜査せざるを得ない。佐合がどのような人物であったかを親から聞かされていれば、任意のDNA型提供に抵抗する者もいるかもしれない。だとすれば、捜査本部が他家の養子となっている夏樹に辿たどり着くまでに数ヵ月は要するのではないか。
 そんなふうに思っていたところに、和貴のあの話だった。
 実母のことは高校を卒業した直後に遠くから見ただけで、その時はただ生活にくたびれた中年女性にしか見えなかった。
 だが、若い頃に性に奔放な女性だったとしても、なんの不思議もない。ほかの男の子供を腹に宿しながら佐合優馬=疋田りようと籍を入れたとしても特段異常と呼ぶほどのことではない、ような気がする。
 ただ一人の血縁上のきょうだい、それもただのきょうだいではなく、修羅場をくぐり抜け生き延びた同志だと思っていた樹理亜が、実は自分と赤の他人だと言われた。
 ショックかと問われればショックだ。
 だがしかし、修羅場をくぐり抜け生き延びた同志という点では、なんら疑う余地はない。
 もっと若い頃であれば、自分のアイデンティティーについて鬱々と思い悩んだかもしれない。だが今となっては、自分と樹理亜が同志であるという厳然たる事実だけあれば充分だった。
 和貴の話には、それよりもはるかに気になる部分があった。
 出来ることなら和貴にではなく、鳥内幸次郎に直接会って確認したい内容だ。
 確認したいことは、二点ある。
 一点目は、佐合優馬の直接の死因は後頭部を殴打されたことでなく、首を絞められたことによる窒息死と公表されている。これが本当か否か。
 二点目は、佐合の遺体が手指や顔面、首元まで薬品で損壊されていたことは公表されているが、その理由について捜査本部はどう見ているのか。
 和貴の言葉がすべて真実だと仮定するなら、以下のような可能性が考えられる。
 手指を損壊するのは、通常なら指紋を消して遺体の身元の特定を遅れさせる為、あるいは爪の間に残った遺留物を消し去る為だ。だが本件の場合は逆、つまり遺留物があったと思わせる為ではないか。
 首元の損壊もそう。絞められたひも状の凶器がなんであるか分からないようにすると見せかけ、実はよしかわ線──ひっかき傷などの首を絞められた際の抵抗を示すサイン──がない事実を消し去る為ではないか。
 そう考えると、顔面の損壊は手指と首元だけをしつように損壊したのでは不自然だから、とも考えられる。
 遺棄現場があのおくの山中、かつて違法な産廃投棄場だったということも、地方警察の司法解剖がずさんで、外観所見のみによって判断されることが多いことを期待してのものかもしれない。
 だがこれらを鳥内にけば、夏樹が第三者の存在を疑っていることに気付かれてしまう可能性が高い。もし鳥内も捜査本部も布村光のことを疑っていないとしたら、それこそやぶへびというものだ。
 そもそも、いくら重要参考人とはいえ四半世紀も会っていない妹のことをなぜそれほど気にするのか、と問われるとなにも言い返せない。
 白黒はっきりさせるのは簡単だ。樹理亜に訊けばいい。
 兄からこういう話を聞いたが本当なのか、光は事件現場にいたのか、ただいただけでなく殺害に関わったのか、お前は俺に噓を吐いていたのか、と。

 それからの一週間、夏樹は「警察に目を付けられているかもしれないから」と言って、樹理亜のアパートを訪ねることを避けた。
 食料品も生活用品もストックがあったので、樹理亜はアパートから一歩も出ずに過ごしたようだった。
 ただ電話は、夏樹の方から二日に一回のペースで掛けた。
 その電話で夏樹は、和貴が事件の構図をほぼ把握していること、だがその和貴にも捜査本部がどこまで真相に近付いているか分からないらしいことを、丁寧に説明した。
 だが自分のDNA型のことは言い出せず、最も訊きたかった布村光が事件に関わっているか否かも、質問することは出来なかった。
 今夜の電話で訊こう……明日にしよう……今日こそははっきり言おう……。
 そんなことを延々と考え続け、結局は実行出来ずに、この一週間の講義は殆ど通り一遍、教材をなぞるようなやり方だけで進行させてしまった。
『お盆くらい帰って来なさいよ。お墓参りして、花火大会見て、そうめんとかスイカとか食べて、ねぇ』
 お盆が過ぎてすぐ、結子から毎年恒例の電話があった。
「ごめん、この時期は塾の方が大変なんだよ。秋になったらなったで、高校の方が体育祭だ文化祭だって、薄給の非常勤講師まで借り出される始末でさ」
 夏樹の方も、恒例の言葉で答える。
『しょうがないわねぇ。まぁ、お父さんを見てるから、教師が年中忙しいのは分かるけど』
 これまた恒例の結子の言葉。
 だが今年はその後に『あんたはねぇ』と続いた。
『宮治家のお墓参りなんて、あんまり意味がないって思ってるかもしれないけど、そんなことないんだよ』
 受話器を握り締め、夏樹はハッと息を吞んだ。
 根拠はない。だが、養父母は和貴からすべての事情を聞いているのだと察せられた。
 結子は、自分も嫁入りした身だが宮治家の代々墓にお参りするのは将来入居する家の下見みたいなものなのだとか、昭和初期までは養子縁組などしょっちゅうあったことだとか、変に意識しているあなたの方がおかしいのだとか、喋り続けていた。
 夏樹はなんとか「変に意識してるってことはないんだよ」と答え、いつまで待っても終わりそうにない結子の言葉を遮った。
「いや、ごめん。お墓参りってもの自体がさ、八歳まで経験なかったものだから、どうも慣れないって言うか……」
 結子の方でも、いらぬことを言ったと気付いたのだろう。『四半世紀経っても?』とひとしきり笑い、『ちゃんと食べて、しっかり睡眠を取りなさいよ』と優しく言って電話を切った。

 その翌朝、夏樹は普段より二十分ほど早く家を出て、いつもは使わないコンビニまで足を伸ばした。雑誌コーナーには、水曜日発売の週刊誌が『本日発売』のプレートが貼られた棚に並んでいる。
 まず『真相 BAZOOKA』を手に取る。合併号後の最新号だからか、通常より若干分厚い。
 白川村殺人死体遺棄事件に関する記事は、岐阜県警の違法捜査疑惑に関する続報に終始していた。文末には(宮)とある。佐合優馬や重要参考人Aに関しては、冒頭の経緯を説明する部分で少し触れられているだけだった。
 ポルノ雑誌コーナーの近くに三冊置かれたBAZOOKAに対して、『週刊ホウオウ』は棚の最も目立つ中段に五冊、下段の台にも『週刊少年マガジン』と並んで十冊ほど平置きされている。
 その一冊に手を伸ばし、まず目次を開いた。
 大きな見出しの中に、白川村殺人死体遺棄事件という文字はない。だが、少しホッとしながら小さな文字をザッと見回していると『某ゴシップ誌』『M記者』という文字が目に飛び込んで来た。
『某ゴシップ誌のM記者、親族が関わる事件について手心を加えるかのような記事を執筆!?』
 慌ててそのページを繰ると、こんな内容が書かれていた。
 某ゴシップ誌のM記者は、かつて全国紙と弊社で辣腕を振るった事件記者だけあって、そのゴシップ誌にしては硬派な白川村殺人死体遺棄事件の取材を数ヵ月にわたって続けている。筆者も個人的に知る人物であり、その実力は認めるところである。しかし、取材の過程で自身の親族が事件に関わっていることを察すると、記事の内容をガラリと岐阜県警の違法捜査に変えた。狙いは、世間の耳目を自身の親族かららす為としか思えない。このような私情まみれの記事を書くことは、いかにゴシップ誌といえども許されることではない。記者クラブに所属せず、警視庁並びに各道府県警にデスクを持たない社の記者とはいえ、同じ報道関係者として、我が鳳凰出版はM記者を徹底的に糾弾するものである。これは本件とは無関係であるが、M記者は弊社に所属していた頃には……。
「なんだよ、これ」
 思わず、夏樹の口からそんな言葉があふれ出た。
 記事には、更に驚くべきことが書かれていた。
 重要参考人Nは養女であり、本件被害者である佐合優馬は彼女の血縁上の父親であることと、M記者の弟も養子で実父は佐合であることだ。
 記事の大半は、この事実に気付いたM記者が記事の方向を変えたのではないか、もしそうなら報道に携わる者として許されない行為だと糾弾する内容で、複雑な家族と血縁の関係はさらりと触れられているだけだった。
 だがこの事実は、和貴もずっと以前から気付いていながら敢えて書かなかった、本件の肝とも言える部分だ。
 背後でスナックコーナーに商品を補充していた店員から「あのぉ」と声を掛けられた。
 立ち読み用に、各雑誌一冊だけテープを貼らずに設置しているのだが、夏樹はその一冊を強く握り締めていた。
「あんまりしわになるような読み方はぁ、他のお客様にもご迷惑なんでぇ」
「あ、すみません。じゃ、これ買いますんで」
「ほんですかぁ? したらぁ、こちらこそすんませぇん」
 しわくちゃの『週刊ホウオウ』を手にコンビニを出て、夏樹はスマホを取り出して和貴に電話を掛けようとした。だがすぐに思い留まった。出版社に勤めていると、他社のものでも単行本や文庫本なら一般発売の数日前、月刊誌や週刊誌も一日前には早刷りと呼ばれるものを手にすることが出来ると、和貴から聞いたことがある。
 和貴のことだ。『週刊ホウオウ』は毎週チェックしているだろう。この記事のことは既に知っている筈だ。
 夏樹はスマホをポケットに仕舞い、駐車場の隅にあった公衆電話に向かった。

▶#15-3へつづく
◎第 15 回全文は「カドブンノベル」2020年2月号でお楽しみいただけます!


「カドブンノベル」2020年2月号

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