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連載

三羽省吾「共犯者」 vol.2

死体遺棄事件の発端は、二十七年前の出来事だった――。報道の使命と家族の絆を巡るサスペンス・ミステリ。 三羽省吾「共犯者」#10-2

三羽省吾「共犯者」

『光の家』を出たのは、兄の方が先だった。なにも分からないまま様々な手続きが進む中、兄は自分達が別々の場所で暮らすのだということと、今後自由に連絡を取り合うことが出来ないであろうことを、なんとなく察していた。
 兄は泣きじゃくる妹に「お守りだよ」と、小さく折り畳んだ紙片を渡した。そこには、差出人は記さずに手紙を書け、というメッセージとともに平塚の住所と兄の新しい姓名が書かれていた。
 兄にとってその紙片は、一つの賭けだった。
 妹は保育園や幼稚園に通わず、家でも絵本の読み聞かせなどして貰っていなかったので、平仮名もまともに読むことが出来なかった。そのメッセージの意味が分かるようになるまで何年掛かるか分からないし、それまで小さな紙片を無くさずに持っていられるかも分からない。
 しかし手紙は届いた。離れ離れになってから、三年後のことだった。
 それからきょうだいは年に数度、手紙のやり取りをするようになった。内容はいつも簡単な近況報告で、互いの養家のことや友達のことなどは殆ど書かなかった。二人とも養親には「社会科の授業で、会ったことのない遠くの友達と文通をしている」と伝えていた。
 兄は高校生になって初めて携帯電話を持ち、妹もその三年後に持つようになった。それ以降はメールでやりとりするようになり、たまに電話で会話も交わすようになった。
 大学生になり、兄は一人暮らしを始めた。コンパやクラブ活動には興味がなく、授業以外はアルバイトばかりしていたので金はあった。富山くらい、行こうと思えばいつでも行くことが出来た。
 だが行かなかった。妹の方からも「会いたい」とは言って来なかった。
 子供の頃からの習慣で惰性的に連絡は取り合っていたが、互いに「会いたい」というワードを出さないようにチキンレースでもやっているような感じだった。
 初めての再会は、妹から届いた「結婚を考えている」というメールがきっかけだった。今から十三年前のことだ。
 兄はアルバイトで金をめては海外を放浪するという生活を始めた頃で、再会が実現したのは連絡を受けてから三ヵ月後のことだった。『光の家』を出て十四年、妹はまだ二十歳とはいえ立派な女性になっていた。兄は長髪でひげだらけの、立派なバックパッカーだった。
「三ヵ月前なら相談したかったんだけど、もう報告になっちゃう」
 互いの外見の変化について少し照れながらあれこれ喋った後、妹はそう言った。高岡市内にある彼女の職場近くの喫茶店で、妹は自動車販売センター事務員の制服を着ていた。
 妹が兄に言いたかったのは結婚のことではなく、そのきっかけとなった妊娠のことだった。
「産んでいいのかどうか相談したかったんだけど、もう中絶は出来ないんだって。合法的にはね」
 兄は勘違いして、夫になる男について「そんなに問題のあるやつなのか?」と訊ねた。
 それに対して妹は薄く笑い「とってもいい人。私から見れば、びっくりするくらいの善人」と答えた。
「じゃあ、なにも問題ないだろう。養家……ご両親がすごく堅物で、順番がどうこう言ってるなら、俺に相談されても困るけど」
「ううん、それも問題ない。お父さんはちょっとゴネたけど、あの人が畳に額をこすり付けて、もう解決済み」
「だったら幸せなことじゃないか」
 アイスティーを一口飲んでから、妹は「ホントにそう思う?」と上目遣いで兄を見詰めた。そこで兄も、彼女がなにを気にしているのかに気付いた。
遺伝子、のこしていいのかなって」
 兄は、即答することが出来なかった。十秒だったか一分だったか三十分だったか、今となっては覚えていない。
 とにかく長い間、沈黙してしまった。
「こんなに早い結婚、しかもデキ婚って意外だった?」
 沈黙する兄を気遣うかのように、妹が話題を変えた。
 意外だと答えるほどには妹のことを知らない兄は返事に困り、やはり黙り込むしかなかった。
 すると妹が「ほんま言うとね」と話を続けた。
 幼い頃からずっと、養父以外の大人の男性がこわくて仕方がなかった。だがその一方で、家庭を持つことに強い憧れを持ってもいた。
 高岡の養父母は口数が多い方ではないのだが、日々の暮らしのふとした場面で互いに思い合っているのだということが分かる、そんな夫婦だった。
「例えば、一緒に買物に行くとお父さんが黙って荷物を全部持ったり。お母さんは〝おい〟と言われただけで、お茶の催促か新聞を探しているのか分かったり。まぁ、世間一般ではよくある夫婦関係かもしれないけど、私には驚きの連続で」
 そんな二人に大切に育てられているうちに、自分も早く家庭を持ちたいと思うようになったと言う。
「男の人が恐くてしょうがないのに、矛盾もええとこよね」
 妹のその言葉に、兄は「関係ないよ」と答えた。お腹の子の父親がいかに優しく素晴らしい人物か、妹が間接的に訴えているのだと分かってはいたが、それに対する返答としては不適切な言葉だった。
 だがもう、遅かった。
「最近はなにかと言えば遺伝子遺伝子だけど、そんなの関係ない。新しい命の誕生は、喜ばしいことだ。そうに決まってる」
 一つ前の話題への答えだった。
 兄は窓の外の国道八号線に視線を逸らした。視界の隅に、妹が安心したようにニッコリ微笑むのが見えたような気がした。
 昼休みの一時間は、十四年の空白を埋めるにはあまりに短かった。
 夏樹は最後に、今後連絡を取り合う時はメールを使わず、用のある方が公衆電話から相手の携帯電話に掛けるようにしようと提案した。特に深い考えがあってのことではないが、ふとそうした方が良いと思い付いたことだった。
 妹は少し戸惑っていたが、少し考えてから「そうね」と同意した。
 確か、年が明けて間もない頃のことだった。雪に覆われた八号線は巨大なレフ板のようで、反射した陽光がやけにまぶしかったことを覚えている。
 そんなことを思い出しながら、夏樹は両手で包み込むように持った湯飲みを見下ろしていた。
「私の話を聞きたくないから、そんな昔の話をするの?」
 ジュリアはジュリアで、なにか別のことを考えているようだった。夏樹と同じようにうつむいて、空の湯飲みを見詰めたまま訊ねた。
「お前の話って?」
「あのことに決まってるでしょ」
「だいたいのことは聞いたから」
 ジュリアが湯飲みをちやだいに置いた。
「細かいことは知りたくない?」
 夏樹もそれに倣って湯飲みを置き、「いいか?」と諭すように言った。
「お前は覚悟を決めてるんだろ? だったらそれでいいと俺は思ってるし、いつかメールに書いたように、お前が困っていたら俺は協力を惜しまない。けど、お前の思惑通りに事が進めば、俺も事情をかれることになる。そうなった場合、俺は本当に細かいことを知らない方がいいと思うんだ」
 膝を抱えて小さく前後に揺れていたジュリアが「うそきたくない?」と訊ねる。夏樹は「それもある」と即答。
「正直に言えば、予防線だ。噓が下手だからな」
 目を伏せるジュリアに、夏樹は再度「いいか?」と話し掛けた。
「最初に打ち明けてくれた時にも言ったろう。お前は、なに一つ気に病む必要はないんだ。俺が同じ立場なら同じことをやってる。いや、むしろやりたかったくらいだ。無責任な世間の声がなんと言おうと、法律がどうであろうと、関係ないんだよ」
 短く、はなをすすり上げるような音が聞こえた。夏樹の位置からでは、顔を伏せたジュリアの表情はうかがえない。
 すると、顔を伏せたままのジュリアが「お兄ちゃん……」とくぐもった声で呟いた。
 手紙やメールにはよく『お兄ちゃん』と書かれていたが、十三年前の再会以降、彼女が夏樹をそう呼ぶことはなかった。話し掛ける時はだいたい「ねぇ」とか「あの」だ。
 夏樹は少し戸惑いながら「なんだ?」と問い返した。
「あの時、迎えに来てくれたこと、すっごくよく覚えてる」
「〝あの時〟って?」
 ジュリアはおもむろに立ち上がり、冷蔵庫に向かいながら「少しまない?」と訊いた。夏樹は「じゃあビールでも買って来るよ」と答えたが、戻って来たジュリアの手には発泡酒の缶が二つあった。
 夏樹が買ったものではない。
「自分で買ったのか?」
「うん、ちょっと遠くのコンビニで。帽子とマスク姿でね」
「吞みたいなら言ってくれよ。俺がいくらでも買って来て……」
 差し出された缶を受け取ろうとしたら、途中で止められた。
「覚えてない?」
 中途半端な位置で右手を止めた夏樹は「だから〝あの時〟っていつのことだよ」と訊ねた。
「山の中に置いてけぼりにされた時、迎えに来てくれたでしょ? あのまま放っておかれたら、私、たぶん死んでたと思う」
「え?」
「覚えてない?」
「あ、いや……」
 山の中に放置されたその数時間は、長らく恐いだけの思い出だった。だが高岡の養家で幸せな日々を過ごしているうちに、連れ戻しに来てくれた兄が必死に自分を呼ぶ声、冷えきった身体を包み込んだ大きなジャンパーの温かさ、繫いでくれた手の温もり、それらが喜ばしい思い出としてよみがえったのだという。
「五歳だったけど、すごく鮮明に覚えてるんだよね」
 発泡酒を一口だけ吞んで缶をペコペコ鳴らしながら、ジュリアはとつとつと喋った。目は充血し、鼻の頭も赤くなっている。しかしその表情は、楽しい思い出を披露しているかのように晴れ晴れとしていた。
ひかるが生まれてから、特によく思い出すようになって。あの時、お兄ちゃんが迎えに来てくれなかったらこの子もいなかったんだって思うと、改めて感謝するようになって……」
 ジュリアはそこで言葉を切り、喉を鳴らして発泡酒を吞んだ。なにかを吐き出す為に、無理に流し込んでいるように見えた。
 シャツの袖で口元を拭い、深く息を吐く。そして、
「だから、あそこにした」
 唐突なその言葉に、夏樹は「え?」と言って十秒ほど黙ってしまった。それからやっと出た言葉は、「そっか」というものだった。
 混乱していた。
 夏樹が繰り返し見る山のゴミ捨て場に置き去りにされた夢は、実体験ではない。ジュリアの体験だ。夏樹はその恐怖や心細さを何度も想像し、夢に見るようになったのだ。
 ジュリアは記憶違いをしている。
 だがそれを伝えることは出来ない。
 動揺を見せないように、今度は夏樹の方が立ち上がって窓辺へ行き立付けの悪い窓を開けた。
 眼前にはすぐ隣のビルがあったが、見上げると少しだけ星空が見えた。アパートとビルの隙間の、帯状の星空だ。
 窓辺に腰を下ろして細長い星空を見上げながら発泡酒を吞み、もう一度「そっか」と呟いた。
 ジュリアが小さく「うん」と答えた。

>>#10-3へつづく ※8/28(水)公開
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「カドブンノベル」2019年9月号収録「共犯者」第 10 回より


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