menu
menu

連載

夢枕 獏「蠱毒の城――月の船――」 vol.3

遣唐使・井真成が、生死を賭けた試練に挑む! 真成に託された役目とは果たして――。夢枕獏「蠱毒の城――月の船――」#81-1

夢枕 獏「蠱毒の城――月の船――」


前回までのあらすじ

遣唐使の井真成は、黄金の杯を奪い合う殺し合いに参加する。真成は椿麗、天籟、夢蘭を仲間にするが、椿麗が攫われてしまう。その首謀者・銭惟演は奇妙な神女像を信仰していた。真成は、鼠公と名乗る鼠が呼び出した黄雲雕と共に椿麗を救出し、神女の館に向かう。そこには銭惟演も現れるが、雲雕の剣でついに息絶える。そして殺し合いは終わりを迎えるが、生き残った十二名の前に現れた杜子春と呼ばれる青年は、我らはこれから旅に出るのだと告げる。

十五章 杜子春とししゆん

(五)承前

 不老不死の薬をふたり分。
 ここで、記しておかねばならないのだが、羿げい西せいおうから手に入れたのは、あくまでも不老不死の薬であるということである。
 しかし飲んだからといって、天へ昇ることができるわけではない。天へ昇って再びじようが天女となるためには、ふたり分をひとりで飲まなければならない。
 嫦娥は、不老不死の薬を手に入れてもどってきた羿のことを喜んだものの、薬がひとり分ずつしかないことについては不満であった。
「なんでもっと頂いてこなかったの?」
「いやいや、こんろんさんにある不死樹は、数千年に一度しか花が咲かず、数千年に一度しか実がならぬのだ。不老不死の仙薬はこの実から作るのだから、そんなにたくさんは、西王母さまだって、持ち合わせがないのだ。頂く時に、もうこれしかありませんよと、あちらさまがおっしゃったのだ。もっとくれとは言えるものじゃない。それにな、このおれだからこそ、あちらも、この大切な仙薬を分けてくれたのだよ」
「でも、お願いくらいはしてみてもよかったのではないかしら」
「頂く身で、もっとよこせとはとても言えるものではないよ。それに、おまえだって、本当のところは、歳をとって死ぬことがいやなんじゃなかったのかい。死後にゆうに落ちて、黒いこんなどと一緒に暮らしたくないというのが、本当のところなんじゃないのか。おれはそうだよ。何しろ、西王母さまのおられる崑崙山は、高さが一万一千里百十四歩と二尺六寸もあるのだ。このおれだから登ることができたのだよ。お屋敷の前には大きな門があって、なんと九頭ものかいめいじゆうがその門を守っているのだ。このおれ、羿さまだからこそ、その門をくぐることもできたのだ……」
 不老不死で充分じゃないか。
 今さら、天界にもどったとて、あそこでは窮屈なことばかりさ──
「おれは、この地上で人間として暮らしてゆくのが性に合っているのだ」
 羿がいくらそう言っても、嫦娥は納得しない。
「わたしは、天に帰りたいの!」
 そう言ったきり、ついに、羿と口を利くのをやめてしまったのである。
 羿がどう声をかけても、口を開かない。
 この羿の足元にいるのが、てんこうであった。
 羿が天上界から連れてきた黒い犬である。
 妻とけんしてしまい、口も利かぬ間になった時、飼っている犬や猫に語りかけるふりをして、妻に語りかけるというのは、はるか古代から現代まで変わらない。
「まあ、今日のところは、このくらいでやめて、頂いた薬はとっておいて、適当な祭日を選んで、嫦娥とふたりで飲むことにするか──」
 嫦娥はこれをしっかり聞いていて、
〝これはたいへん、祭日が来ないうちになんとかしなくては──〟
 心のうちでこのように考えた。
 そこで、ある夜、夫である羿の留守に、嫦娥はこの仙薬を取り出して、ふたり分、まとめていっぺんにひとりで飲んでしまったのである。
 すると、嫦娥は自分の身体からだがどんどん軽くなってゆくのを感じた。
 足が自分の重さを感じていないのがわかる。
 身体はさらに軽くなり、かかとが持ちあがって爪先が床に触れているだけだ。
 ついにその爪先も床から離れ、自分の身体が宙に浮いている。
 窓から外に漂い出ると、ふわりふわりとさらに身体が浮いて空に昇ってゆく。
 いつの間にか、足の下に地上は遠くなって、見えるのは、雲と、星と、月だけだ。
 このまま天府へゆこうと思ったのだが、ここで嫦娥は考えた。
 もしも天府へ行ったとて、天帝から羿の罪がゆるされたわけではない。夫と一緒に天を追放された身としては、どこへゆけばいいのであろうか。
 天府にもどっても、昔通りの暮らしができるわけではないということに気がついたのである。
 どうしようかと迷っていると、地上から自分を追って浮きあがってくるがいた。
 これが、羿の飼っていた黒い天狗であった。
 天狗は、主の留守に、嫦娥が仙薬を飲んでしまったことに気づき、薬を入れていた器、に残っていた薬をめて、身を軽くして嫦娥を追ってきたのである。
 天狗がたいへんにどうもうで、主の羿の言うことしかきかないのはよくわかっている。
 そこで、これは困ったと、嫦娥は近くにあった月に逃げ込んでしまった。
 追ってきた天狗は、嫦娥の逃げ込んだ月ごとくわえてひとみにしてしまったのだ。
 これにびっくりしたのが天府の者たちである。
 様子を見にゆくと、どうやら大きな犬がさっきまで月のあったところにいる。
 どうもこの犬が、月を吞み込んでしまったのではないか。
 そこで、天帝と西王母が天兵王将を派遣してこの犬を捕えてみると、どこかで見たことがある。
「おまえ、こう羿げいの飼っていた犬ではないか」
 ということで、月と嫦娥を吐き出させて、天帝は、天狗を、天界の南天門の門番としたのである。
 この天狗、後の世ではこうてんけんと呼ばれるようになり、ろうしんくんに連れられてせいてんたいせいそんくうと闘ったり、ほうきぼしと呼ばれたりするようになるのである。
 で、この天狗、いまだに時々、月を食べたり、太陽を食べたりする。
 そのたびに、月食や日食が起こるということになるのだが、地上では、天狗に月や太陽を食べさせないために、太鼓やたたき、ばく竿かんを鳴らして騒ぐのである。
 で、嫦娥の方は、天界へはもどることができず、ひきがえるの姿となって、月で不老不死の仙薬を永遠に作り続けることとなったのである。
 いや、嫦娥は蟾蜍などにならず、美しいまま仙薬を作っているのだという説もあれば、うさぎになったとする説もある。
 残った羿であるが、たいへんにかなしんだ。
 しかし、どうすることもできない。
 そして、羿は、自分の弓の弟子であったほうもうに、桃の木で作ったこんぼうぼくさつされて死ぬのである。
 これが、后羿、嫦娥、天狗の物語、神話のあらましである。
 このこと、『なん』や『さんかいきよう』、『天記』などにも話の一部が記されていて、杜子春が口にした、
「天狗が月を食べるから月食がおこる」
 というのは、唐の頃にあって、科挙の試験を受けるくらいの教養のある者たちにとっては、一般的な知識であった。

>>#81-2へつづく ※9/24(火)公開
「カドブンノベル」2019年10月号収録「蠱毒の城――月の船――」第81回より


「カドブンノベル」2019年10月号

「カドブンノベル」2019年10月号


※掲載しているすべてのコンテンツの無断複写・転載を禁じます。


カドブンノベル

最新号 2019年10月号

9月9日 配信

ランキング

アクセスランキング

新着コンテンツ

TOP