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連載

夢枕 獏「蠱毒の城――月の船――」 vol.16

【連載小説】生死を賭けた試練に挑む、遣唐使・井真成。生き残った真成らは杜子春に率いられ旅に出る。夢枕獏「蠱毒の城――月の船――」#93〈後編〉

夢枕 獏「蠱毒の城――月の船――」

※本記事は連載小説です。

>>前編を読む

 さて──
 西伯と対面をはたした時、呂尚が使っていた一本針であるが、これは、呂尚が釣る気がなかったという意になるかどうかということを、ここで考察しておきたい。
 逸話によっては、この時、呂尚は針さえ付けていなかったというものもあるが、実は鉤や針を使わない釣りというのは、存在するのである。
 ふたつ、ある。
 ひとつは、メダカ釣りである。
 釣りの道というのはまことに奥が深く、メダカを釣るための釣法というのが、この世に存在する。使う鉤は、小さなタナゴ鉤で、これをさらにヤスリで研いで小さくし、エサは、赤虫を使う。赤虫というのは、ユスリカのボウフラのことで、たいへんに小さい。これを鉤にちょんがけして投ずれば、メダカが寄ってきてこれにいつく。しかし、口が小さいため、鉤までは口の中に入らない。けれど、竿さおを立てれば、メダカは水からあがってきて釣られてしまうのである。
 メダカというのは、見かけによらずどうもうな魚で、一度喰いついたら、なかなかはなそうとしない。このため、鉤が口に掛からなくとも、エサをくわえたまま釣られてしまうのである。
 これは、鉤は使用するものの、魚の口に掛けるためのものではないので、原理的には鉤のいらない釣りになる。
 もうひとつは、じゆ釣りという釣法で、これは、糸の先に、ゴカイやイソメなどを何匹も縛りつけるか、やはり、何匹ものエサに、木綿釣などを使って糸をくぐらせ、その先にぶら下げるのである。これを水中に投ずると、ハゼが喰いついてくる。このカジカも獰猛で、いったん喰いつくと、すぐにははなさない。しばらくエサを咥えたままでいるので、その間に釣りあげてしまうのである。
 エサを糸の先につける時に、鉤を使うこともあるが、原理的には、メダカ釣りと同様に鉤で釣るわけではない。
 さて、一本鉤──直な針のことだ。
 実は、この一本鉤、昔は、普通に使っていた鉤で、主に、うなぎなどを釣る時に使われ、通称、地獄鉤とも呼ばれている。
 たとえば、木綿針の両端をとがらせて、その中央近くに糸を縛りつける。糸を針に巻く時、その場所を中央よりも少しずらしておくのがコツなのだが、これにエサをつけ、この仕掛けを、短い竿の先に短くつけて、鰻のいそうな岩や石の間に差し込むと、これを鰻がみ込む。
 そこで引けば、左右、いずれかの針の先がまず、鰻の食道のいずれかにひっかかり、さらに引けば、左右の端がひっかかって、鰻が釣れてしまうのである。
 時に、針の左右が、鰻の首のところから、肉を突きやぶって出てくることも少なくなく、地獄鉤と呼ばれるのは、〝し〟の字形の鉤ではたまにはずれることもあるが、この一本鉤の場合は絶対にはずれることがないからである。
 この釣法が、鰻のみならず、ほぼ全ての魚種に対して有効であるのは言うまでもない。
 つまり──
 この直針、実は、縄文時代の釣り鉤としては、普通にあるかたちであり、呂尚が、この一本鉤を使って釣りをしていたというのは、充分あり得ることなのである。
 このおり鉤として使用される材料は、鹿の角であったり、動物の骨であったりするのだが、両端を尖らせ、中央のあたりを、糸を縛りつけておくために、多少削ってあるというのが特徴である。
 さらに書いておけば、まだ、空中にある虫やエサに、水中から魚が飛びつくというのは普通にあることであり、呂尚がやっていたという釣りは、充分にあり得ることであり、骨鉤を水中で引いたり、空中に垂らして、これに魚を喰いつかせる釣りというのは、今も昔も存在する釣りなのである。

(五)

 ともあれ、しんせいが命ぜられたのは、呂尚の使用していた針の探索であった。
 しかも、『史記』に記されている呂尚が釣りをしていた渭水の北岸というのは、まさに、今、真成たちのいる、せいきようの、このじようようの地であったのである。

第94回(前編)につづく
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