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連載

夢枕 獏「蠱毒の城――月の船――」 vol.8

遣唐使・井真成が、生死を賭けた試練に挑む! 真成に託された役目とは果たして――。夢枕獏「蠱毒の城――月の船――」#84〈前編〉

夢枕 獏「蠱毒の城――月の船――」

※この記事は、期間限定公開です。



前回までのあらすじ

遣唐使の井真成は、閉ざされた城内で黄金の杯を奪い合う殺し合いに参加する。そこで椿麗、毛天籟、夢蘭、黄雲雕の仲間を得、立ちはだかる敵・銭惟演を打ち破る。殺し合いが終わると、杜子春と呼ばれる青年が現れ、真成ら生き残った 12 名を含む 49 名で旅に出るのだと告げる。かつて杜子春は、恩人の仙人に言葉を発しないよう命じられ、その言いつけを守り絶命。その後、女に生まれ変わるが、生まれた時から声をたてない子供であった。

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 十六章 どくの使者

(二)承前

 このようにしてしゆんは育ってゆき、長じて絶世の美女となった。
 しかし、どのような時でも、言葉を発しないだけでなく、うめき声さえあげぬため、世間からはじよと思われていた。
 普通、耳が聴こえぬ者は、言葉を口にすることはないが、声は発することができる。これは、声を発する器官として喉の機能はきちんとあるのだが、耳が聴こえぬため言葉を聞くことができないので、言葉を覚えられず、音声としての言語を発声できないためだ。このことで言えば、杜子春は、一応耳は聴こえるらしく、家人や他の者の言うことには、顎を引いてうなずいたり、やるように言われたことはきちんとやることができた。
 掃除や、料理、裁縫は他の者よりずっと上手にできたし、声を発しないことでは親戚の者たちからからかわれたりもしたが、いつも静かに笑っていたので、人からは慕われた。
 同郷の者で、けいというしんがいて、この男が杜子春の美貌のうわさを耳にして、仲人を立てて求婚してきた。
 杜子春の両親は、
「うちの娘はしゃべることができませんので、一緒になっても、御不自由なことが多くありましょう」
 と辞退したのだが、
「世には、おしゃべりな女房で困っている家もたくさんござります。妻として賢夫人であることの方が、何よりです。言葉など必要ござりませぬ」
 盧はこう言って、杜子春との結婚を強く望んだのである。
 これに、両親も折れて、ふたりの結婚が許されたのであった。
 盧はさっそく作法どおりの支度をととのえて、杜子春を妻としてむかえた。
 言葉こそ発しないものの、杜子春はよく働き、ふたりは仲のよい夫婦として数年をすごし、ひとりの息子をさずかった。
 この子がまた生まれた時からわいらしく、聡明で、二歳の頃にはもう、読み書きができるようになっていた。
 夫の盧は、この息子のことが自慢でしようがない。
「うちの息子はたいしたものだ。ゆくゆくはわが家を支えて、天下にその名をとどろかせることであろう」
 息子を抱きながら、盧は杜子春に話しかけるのだが、杜子春はうなずくばかりで声を発するということがない。
 さすがに、ある時、盧は腹を立てて、
「おまえはどうして、そんなに口を利かないのだ。わたしの言うことはわかっているのだろう。それはつまり、言葉を理解しているということだ。なのに、何故、しゃべろうとしないのだ」
 杜子春に対して恨みごとを口にした。
「むかし、こくの大夫は妻をむかえたが、この妻が、何年もの間、夫に口を利くということをしなかった。それは、この大夫が容貌醜く、姿も怪異であったため、妻はそれを馬鹿にしてしゃべらなかったのだ。それでも、ある日一緒に車に乗って野を行く時、きじに出合った。この雉を夫が射とめると、妻ははじめて手をたたいて喜び、おおいに声をあげて笑ったというではないか──」
 このようにいきどおりをぶちまけた。
「このおれは、弓矢のことでは賈大夫にはおよばぬかもしれないが、文学の道については、賈大夫が雉を射る手並以上のものを持っているのだ。それでも、おまえはものを言わぬのか。夫が妻に馬鹿にされては、息子を持ったところで何の役に立つことがあろうか──」
 しゃべっているうちに、盧はますますげつこうして、
「こうしてくれるわ」
 抱いていた息子の両足を持ちあげ、空高く振りあげて、その頭を庭の石におもいきり叩きつけた。
 頭は砕け、のう漿しようは飛び散り、石が血で真っ赤になった。
 ここではじめて、杜子春は老人との約束を忘れ、思わず、
ああっ」
 と、声をあげていた。
 その途端に、杜子春は、もとの老人の家の床に座して、庭の、水の張られたかめを眺めている自分に気がついたのである。
 ずい分長い歳月が過ぎたような気もするが、実際は、老人がいなくなってから、ひと呼吸、ふた呼吸もしないうちのことのようであった。
 見回せば、薬を練る炉からあがっていた紫のほのおが、倍以上にも高く燃えあがっていて、その焰が柱や天井にも燃え移っていた。
「この馬鹿者めが!」
 大きな声が響いた。
 見れば、の前にあの老人が立っていた。

後編につづく
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