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連載

夢枕 獏「蠱毒の城――月の船――」 vol.15

【連載小説】生死を賭けた試練に挑む、遣唐使・井真成。生き残った真成らは杜子春に率いられ旅に出る。夢枕獏「蠱毒の城――月の船――」#93〈前編〉

夢枕 獏「蠱毒の城――月の船――」

※本記事は連載小説です。



前回までのあらすじ

遣唐使の井真成は、閉ざされた城内での殺し合いに参加する。そこで椿麗、毛天籟、夢蘭、黄雲雕の仲間を得、立ちはだかる敵・銭惟演を打ち破る。戦いの後、杜子春と呼ばれる青年が現れ、生き残った十二名を含む四十九名で旅に出ると告げる。真成は、城内でかつて人間を贄に使った蠱毒という呪法が行われたこと、自分たちの殺し合いもまた蟲毒であったことを知る。旅立った一行は大きな屋敷にたどり着き、真成は太公望の針を探すよう命じられる。

十九章 旅する死者

(四)

 たいこうぼうりよしようが、いかにして西せいはく──つまりしゆうぶんおうと近づきになったのかということは、『史記』や『荘子』、『なん』をはじめとする多くの書物に記されているが、諸説あって、いずれが事実であるかは定かでない。
 ただ、釣りが縁となったということは、その諸説が掲載された多くの書の説くところであり、両者が実在した人物であるなら、かなりの部分、真実を含んでいるのではないか。
 呂尚のことを太公望というのは、文王の先君太公が、会うことを長い間待ち望んでいた軍師となるべき人物こそが、呂尚であったからだと言われている。
「太公望呂尚は、東海のほとりの人である」
 と、『史記』は記す。
 呂尚の先祖は、その昔、がく──つまり地方長官として、をたすけて、治水事業について大きな功があったという。
 その姓はきよう氏で、夏、いんの時代には、支族でありながら、しんりよという封地をたまわった。その封地である呂をとって、呂尚と名のるようになったのである。
 呂尚が、いかにして、文王に仕えるようになったかについては、『史記』には、三説が記されている。
 時はまさに殷の時代──
 殷の王は、ちゆうである。
 一説によれば、呂尚は、博学の士であったという。最初は殷の紂に仕えていたのだが、しかし、紂が無道の人であったため、去って諸侯に遊説して歩いた。しかし、誰も優遇する者はなく、西へ行って、周の西伯──文王のもとに身を寄せたのであるという。
 また、別の説によれば、呂尚はどこにも仕官せず、海浜の地にいんせいしていたらしい。
 その頃、周の西伯が、紂王からゆうに拘禁されるということがあって、その臣下であるさんせいこうようが、前々から呂尚のうわさを聞きおよんでいたので、招いて助けを求めたというのである。
「私は、かねてより、西伯侯のことは聞きおよんでおります。西伯侯は、賢く、よく老人を敬い、養うということ、民の間でも評判でござります。どうして、これをお助けせずにおられましょうや」
なんかざらん〟
 こう言って、呂尚は、周の地に赴いたというのである。
 こうして、呂尚と、散宜生、閎夭は、三人で図り、天下に美女や、奇物を求め、これを集めて紂王のもとに献上して、西伯の罪の許しを請うた。それがうまくいって、西伯は自由の身となり、故国である周へ帰ることができたのである。
 もう一説が、一番世に知られている逸話である。
 時は、紀元前十一世紀──
「呂尚は、けだかつて窮困し、年老いたり」
 と『史記』は記す。
 その頃、呂尚は、老い、窮乏の日々を送っていたというのである。
じゆん』の「君道篇」によれば、
〝行年七十二。ぐんぜんとしてつ〟
 とあるから、七十二歳の、歯のくなった老人であった。
 さらに──
ぎよちようもつて周の西伯にもとむ〟
 とあるのは、魚釣りをしながら、呂尚は、西伯の知遇を求めていたということである。
 まるで、物語の出だしのような一文と言っていい。
 さて、西伯の方は、ちょうど、狩りに出かけようとしていたというのである。
 そこで占わせたところ、そのぼくに、
「狩の獲物は龍にあらず、みずちに非ず、虎に非ず、ひぐまに非ず、おうたすけなり」
 と出た。
 卜というのは、亀の甲を焼いて、そのひび割れを見て判断する占いのことだ。
 こうして、狩に出かけた西伯は、果たして呂尚と、すいの北岸で出会い、ともに語り合い、おおいに話がはずんで、出会えたことを互いに喜びあった。
 西伯は言う。
「我が先君太公よりいわく『まさに聖人有りて周にくべし。周以ておこらん』と──」
 わたしの先君である太公から、このように言われておりました。「いつかきっと聖人があらわれて周にやってくるだろう。周は、その聖人によって興隆することであろう」と──
「子は真に是れならんか。吾が太公、子を望むこと久し」
 まさに、西伯のこの言葉をもって、呂尚は太公望と呼ばれるようになったのである。
 この出会いについては、こうかん、まことしやかに伝えられている、逸話がある。
 それは、この時釣りをしていた呂尚が使用していた釣りばりが、まがっておらず、すぐな一本針であったという伝説である。
 通常、釣り鉤というのは〝し〟の形をしており、先が曲がっている。だから、魚の口にかかり、釣ることができるのである。
 しかも、伝説によれば、この針には、エサが付けられてないばかりか、水中にも投げ入れられておらず、糸からぶら下がって、宙に浮いていたというのである。
 これを見て興味を抱いた西伯が、
「もし、そこのお方、そのような針、そのようなやり方で、魚が釣れるのですか」
 このように問うた。
 これに対して、
「釣れましてござるよ」
 呂尚は、このように答えた。
「釣れたのは、あなたさま、周の西伯侯にござります」
 こうしてふたりは出会い、友人となり、西伯は呂尚を太公望と呼んで師と仰ぎ、共に協力して、殷の紂王を倒したという物語になってゆくのである。
 このあと、太公望呂尚は、せいの初代の王となるのだが、余談ながら、ひとつの逸話を紹介しておきたい。
 呂尚には、妻がいたというのである。
 この妻が、呂尚が、日々、何もせずに、釣りばかりしているのにあきれて、別れて出ていってしまった。しかし、後年、呂尚が斉の王になるにおよんで、復縁を願ったというのである。
 しかし、その復縁はかなわなかった。
 この時、呂尚が言った有名な台詞せりふは今も残っていて、それが、
「覆水盆に返らず」
 という言葉である。

後編につづく
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