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連載

夢枕 獏「蠱毒の城――月の船――」 vol.8

遣唐使・井真成が、生死を賭けた試練に挑む! 真成に託された役目とは果たして――。夢枕獏「蠱毒の城――月の船――」#83-2

夢枕 獏「蠱毒の城――月の船――」

※この記事は、2020年2月10日(月)までの期間限定公開です。

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 やがて、朝になった。
 東の空が明るくなり、正面から陽が昇った。
 このころ、くそがしたくてたまらなくなったが、これもそこでそのまま、ひり出した。
 陽がほどよく昇った頃、あたりが急に騒がしくなった。
 座した場所から東の山麓を見ると、岩や木立ちの間を、幾つものはたさしものや、やりの頭が動いている。眼を凝らせば、騎馬の群れや、かつちゆうを身につけた兵たちが、何千、何万と、谷を埋めつくしており、彼らの雄たけびの声まで届いてくるではないか。
 彼らは、いずれも、この家を目指しているらしい。
 やがて、武者の軍団が到着し、大将を名のる者が姿を現わした。
 その丈、一丈あまり。
 人も馬も、輝く黄金の甲冑を身につけている。
 そのすぐ背後に、数百人の護衛の者を従えている。
「こりゃ、そこな者。この家のあるじはどこへ行ったのじゃ。おまえ、名を何という?」
 大将がこのように問うてきたが、杜子春はもちろん答えない。
「言わぬか。言わねば、その首、斬り落としてくれるぞ」
 大将は剣を抜き放ち、声を荒らげた。
 それでも、杜子春は答えない。
「我らがおんたいしようたずねたことに答えぬとは、生意気じゃ。殺してしまえ」
 兵たちが、わらわらと剣を抜き、弓に矢をつがえた。
 それでも、杜子春は答えない。
 兵たちは、杜子春に向かって、剣で斬り下げてきたり、矢を射てきたりしたが、それは脅しで、剣は空を切り、矢は杜子春のすぐ目の前の板の上に突き刺さった。
「ええい、これではらちが明かぬわ。皆の者、この屋の主人を捜せ」
 大将が言うと、
「どこじゃ」
「出てこい」
 そんなことを口々につぶやきながら、この軍団は姿を消した。
 ほっとしていると、猛虎、毒龍、しゆんげいまむしが庭から現われて、杜子春に向かってえかかった。
 杜子春が、それでも答えずにいると、やがて、この動物たちは去った。
 すると、入れかわるようにして、さっき姿を消した大将が、軍団とともにもどってきた。
 牛の首をした地獄の獄卒や、馬の首をした獄卒、牙を生やした鬼が、大将に、付き従っている。
 そして、兵士たちがそれぞれ両手に抱えているので、何かと思って見れば、それは、山中で拾ったまきのようであった。
「おい。おまえの姓名を言え」
 大将が言った。
 さっきよりも口調が荒くなっている。
「名のれば許してやるが、名のらねば、この地獄の獄卒たちに、さすまたでおまえの胸を突かせるぞ」
 しかし、杜子春は答えない。
 すると、次には、獄卒たちの手によって、ひとりの女が引きたてられてきた。
 杜子春の妻であった。
「さあ、名を言うのだ。言わねばこの女を殺すぞ」
 大将が言う。
 杜子春は答えない。
「おのれ。このおれが、口先だけの者で、この女を殺したりはしないと考えているのか──」
 大将が叫ぶ。
 そこで、杜子春の妻は、むち打たれ、矢を射かけられ、剣で切られて、血みどろとなってしまった。
「ああ、あなた。わたしはもとより値打ちのない女ですが、それでも、あなたのもとへ嫁いで、十年いっしょに暮してきた女ですよ。なのに、どうして、わたしが、ここで、こうして鬼たちから責め苦を受けねばならないのでしょう。どうぞ、あなたがひと言、御自分の名を言えば、わたしはこの苦しみから解き放たれるのです。どうか、どうか──」
 妻は、涙ながらに訴えたが、それでも杜子春は答えない。
 すると、大将はいよいよ怒って、さらに激しく妻を責めたてた。
 火で焼かれたり、かなづちで膝の皿を砕かれたりした。
 妻は、血の涙をこぼしたり、泣きわめいたりしたが、杜子春は口を開こうとしない。
「では、こうしてくれるわ」
 大将は、自ら剣を抜いて、妻の足を、爪先から一寸ずつ、斬っていった。
 妻は、もう、人とは思えぬ声で叫び続け、杜子春に対して恨みごとを言うこともできない。
 この間に、庭の水を張った甕の周囲に運ばれてきた薪が置かれ、それに火がけられている。
 甕の中の水は熱湯となって、ぐらぐらと煮えたっている。
「この女を、その甕で煮るのじゃ」
 大将は言った。
 一寸刻みにされてもまだ生きていた妻を、その甕の中に放り込んで、煮殺してしまった。
 しかし、杜子春は、そこに平然として座し、口を開かないのはもちろん、眉ひとつ動かさない。
「こやつ、もはや妖術が完成しておる。このまま生かしておいては世のためにならぬ」
 大将はうなって、
「首をはねよ」
 兵士に命じたのである。
 そうして、杜子春は、首を切り落とされ、絶命した。
 死した後、杜子春は、冥土の使いに連れられて、えん大王の前に引き出された。
「こやつが、崋山は雲台峰のようみんであるか」
 杜子春をひとにらみして、
「名は何という?」
 そう問うてきた。
 ここでも、杜子春は口を開かない。
「これ、妖民よ、名を言わぬか」
 重ねて問われたが、杜子春はなお黙っている。
「ならば、自ら名を口にするまで、この妖民にあらゆる責め苦を与えよ」
 そうして、杜子春は、地獄にある考えられる限りの責め苦を受けることになったのである。
 真っ赤に焼けたあかがねの柱を抱かされた。
 溶けた銅を飲まされた。
 火の穴に放り込まれ、釜で煮られ、針の山、剣の樹に登らされ、身体からだを裂かれた。
 この世であれば、最初の責め苦で死に、楽になるのだが、すでに死者である杜子春は死ぬことがない。したがって、その責め苦はえいごうに続くのである。
 ついに獄卒も閻魔大王もあきらめて、
「この上は、すみやかにもとの地上に生まれかわらせてやるしかない」
 このように言ったのである。
「こやつは、陰気を受けた妖民であるから、男に生まれかわらせてはよろしくない。来世は女にするのがよかろう」
 そうして、杜子春は、そうしゆうぜん県のけんじようおうきんの家に、その娘として生まれることになったのであった。
 しかし、杜子春の生まれかわった娘は、子供の頃から身体が弱く、病気がちであった。
 常に、はりきゆう、薬、医師と、治療のことがむことがなかった。
 しかも、生まれた時から声をたてないという不思議な子供であった。
 泣きもしなければ、寝台から落ちた時も、あやまって囲炉裏の火の中へ落ちた時にも、声をあげなかった。

#84-1へつづく
◎第 83 回全文は「カドブンノベル」2019年12月号でお楽しみいただけます!


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