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連載

渡辺 優「きみがいた世界は完璧でした、が」 vol.13

泣いていた彼女を救うため、日野は驚くべき行動に出るが――。渡辺 優「きみがいた世界は完璧でした、が」#5-2

渡辺 優「きみがいた世界は完璧でした、が」

※この記事は、期間限定公開です。

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 彼女の涙を見た瞬間から、もう心は決まっていたのです。
 いえ、でも、もっと決定的に腹をくくったのは、必死で追った彼女に追いつけず、その姿を見失ったとき。
 ゲームの主人公なら、泣いている女の子に追いつけないなんてことはありえない。でも現実の俺の体力と脚力では、彼女のそばに寄り添い話を聞くどころか彼女のもとにたどり着くことさえかなわなかった。俺はヒーローにはなれない男。いや、厳密に言うと、俺の身体からだはヒーローにはなれないただの肉。この世には精神力だけでは越えられないフィジカルの壁がある。わかりきっていた事実を、あらためて突きつけられました。
 それでも彼女を守りたいと望むなら、ゲームの主人公なら決してとらないような手段にも手を染めなくてはなりますまい。それはたとえば盗聴であったりとか、盗撮であったりとか。
 いや、大丈夫です。
 マジで大丈夫なんです。
 あの、盗聴とか盗撮って、実はそれ自体は違法ではないのですよ。盗聴罪とか盗撮罪とかいう罪はない。それらが罪となるのはあくまでその副次的な行為や結果についてで、盗聴盗撮それ自体を禁じる法はこの国にはないのです。今のところ。
 ひとの家の中ですとか更衣室ですとか、トイレとか銭湯とか、ひとが服を脱ぐ可能性が高いと判断できる場所を盗撮するのは犯罪です。軽犯罪法違反となります。そういうのは明らかに目的が性犯罪ですからね。ふつうにダメなやつです。それから、私有地に勝手に入って盗聴器やカメラを仕掛けたりしたら、不法侵入になります。そりゃそうです。
 しかしうちの部室は、基本的に服を着替えたりといった用途に使われることはまずありません。例外として、新歓や学祭の時期、迷彩服を着て客引きを行う際の着替えに使うことはありますが、いずれも数ヶ月先の話。それまでにカメラを回収してしまえば問題ないはず。そして部室は私有地ですが俺は部員で内部の者なので不法侵入については完全にクリア。ですよね? 法律的な観点から見て、俺がこれからしようとしていることは罪でもなんでもないはずなのです。
「よし」
 俺は熟読していた超小型カメラの説明書を閉じ、リュックの内ポケットにつっこみました。
 今朝大学に行く前に、宅配便で届いたばかりのカメラと盗聴器。玄関に放置していたままだったそれらを、部室からまっすぐ帰宅し開封してから約二時間。それぞれの使い方、諸注意に加え、うっかり犯罪者にならないための法知識を学んでいたら思いの外時間がっていました。おかげさまで、準備は万端です。今の俺ならとてもスマートに、スムーズに、なおかつクリーンに盗撮、盗聴が可能でしょう。
 諸機器を詰めたリュックを背負い、俺は力強く玄関を出ました。
 たとえヒーローに足る筋肉がなくても、俺はもう大人です。自らの無力さを嘆くことしかできない少年ではないのです。

 悠々と大学に戻った俺は、芝生を挟んでサークル棟を斜めから望める、学内の喫茶店へと入りました。窓際の席を選び、腰を落ち着けます。のけぞるような体勢で外を見れば、遠くサークル棟の窓、四階東端の我らが部室にあかりがともっているのがかろうじて視認できます。ポジショニングは上々です。
 正面の席におろしたリュックの中には、去年某ゲームのフェスのために買った双眼鏡も入っています。その十六倍のレンズで部室内の様子をのぞき見たい衝動に駆られましたが、さすがに他人の目もある場では怪しすぎるので我慢です。このまま日が落ちれば窓からの灯りはもっと確認しやすくなるでしょう。今回のミッションで必要な情報は、その点灯の有無のみ。
 俺はひとつ息をつき、財布を手に席を立ちました。腹ごしらえに、スモークチキンレタスサンドウィッチを。たまには野菜もとらなきゃね。
 プレートを手に席に戻ると、テーブルの上、スマホが震えていました。
 ああ。また店長かな?
 欠勤の連絡を入れてからというもの、十数分おきにバイト先から着信が入り続けていたのですけど、俺はそれらをすべて無視していました。おそらく、俺の欠勤に納得がいかない店長が、文句と嫌みと説教のために電話をかけてきているのでしょう。長い付き合いですからね、店長のことなんてなんでもお見通しです。
 サンドウィッチと共に注文したオレンジジュースを一口飲み、俺は震えるスマホをぼんやりと眺めました。地獄のトップである店長の不興を買い、その呼びかけを無視し続けている、という状況にあって、自分が少しもおびえていないことが不思議でした。
 いえ、怯えのような感覚は、あるにはあるような気もしています。ああああやばいなあ店長ぜったいキレてるなあ熱が出たって絶対うそだってバレてるなああ困ったなあ次の出勤めちゃくちゃ気まずいよなあ嫌だな嫌だな、という気持ちが、胸の奥に確かにある。
 ただ、それよりはるかに強い気持ち、そんな怯えなど容易たやすく封じ込められるだけの強い思いが、この胸を占めていました。俺は今、絶対に正しいことをしているのだという確信がある。これは必要なことなのだという使命感。そんな自信に裏打ちされた勇気。
 そう、今の俺には勇気が湧いているのです。勇気! これが勇気。なんて素晴らしい感覚でしょう。彼女のための勇気!
 スマホの振動が止まりました。もし、また次かかってきたら、思い切って出てみようかしらん。今なら勇気を出して、こんしんの発熱の演技ができそうですよ。もしかしたら店長から「おだいじに」「無理するなよ」「いつもありがとう」という言葉だって誘い出せるかも知れません。
 宮城さんのSNSのチェックをしつつサンドウィッチを堪能していると、予想通り、手の中のスマホが再びの振動。胸の中で、大きく勇気が膨らみます。しかし予想に反し、SNSの画面を遮り表示された通知は、ラインのメッセージでした。送り主は、ザラキ。
『言いづらいんだけど』
『宮城さん、彼氏いた』
『大丈夫?』
 勇気が……。
 勇気がしぼむ、感触が。
 いえ、しかし。俺は指先を動かし、返信を打ちます。
『大丈夫!』
 そう。
 俺は大丈夫です。

 意外と早く仕事は完了しそうでした。
 夕日の残光も消え、闇に包まれたキャンパス。対岸の喫茶店から部室の灯りが消えるのを確認した俺は、その場でさらに十五分ほど待機した後サークル棟へと移動しました。皆が普段よく使っている東側の階段とは反対に位置する、西の階段を上り四階を目指します。本日三回目の上昇運動。腹の中、サンドウィッチが燃えています。
 四階に着いてスマホを見ると、時刻は二十一時ジャストでした。うちのサークル棟は二十一時半には完全退去が義務付けられています。廊下の明かりはすでに消え、しかし並んだ扉のうちのいくつかからは、まだ細い明かりとひとの気配が漏れていました。手前の手品サークルにはまだひとがいる。俺は忍び足で廊下を進みました。うちの隣の黒魔術研究会は、どうやらすでに無人のようです。
 我らがサバゲーサークル前の廊下、ちょうど、今日彼女が涙を落としていたまさにその辺りに、俺はリュックを下ろしました。音を立てぬよう慎重に部室の鍵を開きます。しかし二台あるカメラのうちのひとつは、廊下に取り付けるつもりです。当初は二台とも室内に、と考えたのですが、ひとの出入りを見張るだけなら廊下側でも問題ないですし、廊下の方が、ほら、万が一にも着替え的なシーンが映りこむ可能性が低いといいますか……。
 消火器の設置されている壁のくぼみに、良さそうなスペースを見つけました。消火器の陰に取り付ければ、長辺五センチ程度のカメラは立っている人間からは完全な死角に隠れます。火事さえ起きなければ、この消火器が使われることさえなければ問題ないでしょう。火事だけは絶対に起こさないようにしよう。
 床にひざまずき、スマホの明かりを頼りにダクトテープでカメラを貼り付けながら、もし今廊下にひとが出てきてこのシーンを見られたら一発アウトだな、と考えました。今の俺はこれ以上ないくらいにわかりやすく、暗闇の中こっそり隠しカメラを取り付ける男、です。
 いえ、もちろん俺には大義があるわけで、やましいことなんてなにひとつないのですけど……。
 と、ちょうどカメラを貼り終えたタイミングで、遠く扉のきしむ音がしました。見ると、薄く開かれた扉のシルエットと、廊下に漏れる細い光。手品サークル!
 俺はリュックをつかみ、後ろ手にドアノブをひねって背中から我らが部室に滑り込みました。そっと扉を閉じ、息を吐きます。大丈夫。手品野郎どもは室内から顔を出す前でした。見られてはいない。セーフセーフ。
 足音や話し声が近づく気配がないことを数十秒確かめ、俺はもうひとつ深く息を吐きました。座ったまま身体を反転させると、広い窓の外、夜空が仰げました。外からの光で、室内は廊下よりずっと明るい。立ち上がれば、先ほどまで俺が待機していた喫茶店が見えるはずです。
 時間は無限にあるわけではない。俺は低い姿勢のまま、作業を再開させることにしました。もうひとつのカメラは奥に積まれた空き箱の中へ。マルチプラグ型の盗聴器はコンセントへ。
 ふと。
 床をっていると、本当にふと、先ほどのザラキとのラインのやりとりが思い出されました。
 宮城さんに彼氏がいた。
 そう。
 しかし大丈夫。その事実を告げられてなお、俺は大義を見失いはしませんでした。彼女に恋人がいようと、いなかろうと、彼女という存在の絶対的な輝きにはなにも影響を与えはしません。他人の存在なんて関係ない。俺は彼女を守るだけ。オーケー。ザラキから突然の報告を受けてなおその大義を見失わなかった自分を誇りに思います。だから、そう、今はとにかく手を動かそう。
 机の下にもぐりこみ、普段使われないデッドスペースにあるコンセントに、盗聴器を挿します。充電させながらの稼働が可能な優れもの。あ、いや、でもちょっと待って。
 ザラキの勘違いってことは、ないかな?
 報告を受けてからその、俺は大丈夫であるという事実のはんすうに気を取られて、情報ソースの確認を失念していました。
 ザラキはSNSで情報を集めていたけれど、ほら、ネットの情報とかってアレじゃん。だいぶアレじゃん? ザラキってけっこうピュアなところがあるから、そういうアレな情報を信じちゃったりすること、あると思うんだよね。
 いや、でも違う。どちらでもいいんですよそんなことは。ストーカー退治にはまったく関係ないからね、そんなこと。
 ところで彼氏ってもしかして俺がついこないだそこですれ違ったあの男かな?
 いやどうでもいいんですけど。だって彼女の涙を目撃したのは俺なのだし。そう、俺だけが……。
 ザラキとは、週末に会う予定になっています。ヤマグッチも一緒に、作戦会議の第二回目のつもりでした。あそこの雰囲気が気に入ったのか、エビのドリアが気に入ったのかはわかりませんが、ザラキの希望で前回と同じファミレスに集う予定です。
 宮城さんの彼氏うんぬんについては、そのときに直接詳細を聞くことができるでしょう。俺の方は……廊下にカメラを仕掛けた、ということくらいは、打ち明けようかと考えていました。それくらいなら引かれないですよね? たぶん。いやどうなんだろう。やめといた方がいいのかな。俺ってちょっと、他人が引く引かないのポイントに疎いとこあるから……。
 考えながらも手を動かし、すべての設置ミッションを終えました。スマホを見ると、二十一時半六分前。ノーミスでこのタイム。これはSランククリアといって差し支えないのではないでしょうか。荷物をまとめ、撤収作業に入ります。
 明日の午後はショップ巡りに参加します。カメラ等の購入で金欠に追い打ちがかかった俺に買えるものなどなにひとつありませんが、新入生諸氏の付き添いのため。宮城さんが参加してくれる可能性は、ほぼゼロでしょう。あの涙。卑劣なストーカーの出現が、彼女のサークル離れに拍車をかけたことは明白。もしかしたら、彼女はついにサークルを辞めることだって考えているかもしれません。
 最後にいちど部室を振り返り、俺ははじめてここで宮城さんの姿を目にしたあの日に、遠く思いをせました。

#5-3へつづく
◎第 5 回全文は「カドブンノベル」2020年2月号でお楽しみいただけます!


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