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連載

渡辺 優「きみがいた世界は完璧でした、が」 vol.12

卑劣な盗撮犯に写真をばらまかれたエマは、部室の前で涙を流すが……。 渡辺 優「きみがいた世界は完璧でした、が」#5-1

渡辺 優「きみがいた世界は完璧でした、が」

※この記事は、期間限定公開です。


前回までのあらすじ

ゲームオタクの大学生・日野は、偶然訪れたサバゲーサークルの新歓イベントで、かつて熱中していたゲームのヒロインにそっくりな宮城絵茉(エマ)に恋をした。二度告白するも振られ、今後は彼女を遠く見守ることを決意するが、その折彼女のSNSに『シ』と名乗る人物から誹謗中傷のコメントがつけられ、盗撮写真が部室にばらまかれる。犯人特定のためザラキ、ヤマグッチと作戦会議を開くが、そんなある日、エマが部室の前で涙を流しているのを目撃する。

詳しくは 「この連載の一覧
または 電子書籍「カドブンノベル」へ

   五

 幾度も折り返しどこまでも下っていく階段。そこに彼女の靴音が響いていました。
 無心でその後を追う俺はさながらシンデレラを追いかけるプリンスなんちゃら。なんて、ふざけたことを考えている余裕もありません。
 彼女の奏でる硬質な靴音のひとつひとつが、彼女の胸の痛みを物語るように痛々しく、鋭く真っぐに俺の脳内にも響いていました。肺の奥がえぐられるように苦しいのは、たった今上ったばかりの階段を駆け下りているという運動量のせいばかりではありません。
 彼女が泣いていた。
 彼女は、今、泣いている。
 彼女が泣いている世界では、俺は呼吸すらままならない。
 追いかけて、それからどうしようという具体的な考えがあるわけではありません。俺にできることなんてなにもないかもしれない。俺に彼女の涙をとめることができるだなんて、そんなおこがましい考えは、とても。
 それでもそばにいることはできる。
 彼女がひとりきりで泣かなくてもいいように。
 階段を下りて、下りて、下りていくうち、俺の頭には懐かしい記憶が呼び起こされていました。俺は以前にも、泣いている女の子をこうして追いかけたことがあります。ええ、何度かあります。あれは、そう、俺がプレイしてきたいくつものゲームの中で。
 望まない結婚を押し付けられ泣く女の子を追いかけたり、村の神のいけにえとなり泣く女の子を追いかけたり、生き別れの兄が世界征服をたくらむ悪の親玉だったことを知り泣く女の子を追いかけたり。ゲームのヒロインというものはありとあらゆる世の残酷さにさらされ、人知れず涙差しぐむけなな生き物なのです。そしてそんな彼女たちを孤独に泣かせまいと追いかける主人公、俺。ヒロインに追いついた主人公は彼女たちの話を聞き、なだめ、ときに抱きしめ、その苦しみを分かち合うことで彼女らを慰め守ります。泣く女の子を追いかけるのは、ヒロインと打ち解け、その心に一歩近づくためのエモーショナルでポピュラーなイベント。
 そう。
 あの主人公たちのようにはなれなくても。
 せめて彼女のそばにいられたら。
 最後の数段を飛ぶように下りて、俺は一階に辿たどりつきました。西へと延びる廊下、足音の最後の残響が聞こえます。目を細めると、講義棟へと続く奥の扉が閉じ、差し込む光が途切れるのが遠く見えました。
 駆け出しながら思いました。
 彼女、足速いな。
 今さら恥ずかしがることでもないと思うのではっきり言いますけど、俺ってまあそんなに足は速い方じゃないです。持久力もいまいち。とはいえ同級生の女の子、重ための足音がガンガン鳴るようなかかとの高い靴を履いた女の子に全力疾走でこんなにも追いつけないってすごいですよね。彼女ってたぶん女子の中でもめちゃめちゃ足が速いんじゃないかな。
 乳酸がまり重くなるだいたいむちを打ち、それでも俺は走り続けました。息は上がり、必死に吸い込む空気はゼイゼイと喉に張り付きます。それでも走り続けなければならないんだ。なぜなら彼女が泣いているから。彼女を泣かせたままでなんていられない。
 そして辿りついた重い扉へと手をかけ、走ってきた勢いのまま肩で押し開けました。開かれた扉の向こう、「うおっ」と声が上がり、人影がよろめきました。
「あ、すいません」
 俺は慌てて足を止めました。そこに立っていたのは、一年の、かわぐちくん。いや、かわしまくんだったかな? そんな感じの。
「っと、びびった」
「ごめんごめん、今、ちょっと、急いでて」
「うわ。汗すごいっすよ。大丈夫ですか?」
「うん、まあちょっと……、うん……」
 一度立ち止まると、ここぞとばかりに肺が酸素を欲しがります。俺は呼吸を整えながら、川島くん越しに講義棟への石畳、中庭へと視線を巡らせました。白いシャツをまとい艶やかな髪をなびかせる彼女の後ろ姿は、どこにも見えません。
「あの、今、みやさんが出てこなかった?」
「え、宮城さん? ここからですか?」
「うん」
「見てませんけど」
「そう……そっか」
 ふーっと長く息を吐き、空を仰ぎます。
 どうやら俺は、完全に彼女を見失ってしまったのでした。

 部室に戻ると、テーブルの向こう、窓際の椅子にさかきさんとしらさんが並んで座っていました。俺の姿を認めた榊さんは腰を浮かし、「どうでした?」と首をかしげました。
「いや、それが……残念ながら、見失ってしまいました」
「あ、そうですか……」
 再び椅子に座りなおす榊さん。
「いや、ほんと、面目ないです。すみません」
「え、そんな、さんが謝ることじゃ」
「そうですよ。意味わかんないのは宮城センパイの方じゃないですか」
「や、ちゃん、それは……」
「あの」
 俺の背後から、川島くんが言いました。
「宮城さん、なにかあったんですか? 日野さん、ずっとゼイゼイ言ってて説明してくれないし……」
 いえ、川島くんになにも話せずにいたのは息切れのせいではなく、なにも知らない彼に一体どこまで打ち明けていいものか、決めかねていたためです。先日の写真事件はもちろん、宮城さんが泣いていたことだって決して気安く言いふらしていいことではありません。でも、彼女の涙は榊さんたちにも見られているわけだし、現段階では極秘扱いの写真事件のことだって、このままサークルの皆に伏せ続けていいものか……。まあ、たった今駆け下りたばかりの階段をまた上るという苦行にゼイゼイ言ってたのは事実ですけど。
「私たちもわかんないよね」
 そう応えたのは白木さんでした。
「いきなり入ってきたと思ったら、うちらの顔見て舌打ちして出てったんですよ、宮城センパイ」
「もしかして、私たちのこと覚えてなくて、知らないひとが勝手に入ってると思ったとか」
「だったら黙って出ていかないでしょ」
「うーん、そっか」
「え? ちょ、ちょっと待ってください」
 俺はふたりの間に手をかざし話を止めました。ちょっと待って、あれ?
「宮城さん、ふたりからあの話を聞いて、その、飛び出したんではないの?」
「え? ああ、違いますよ。来てすぐ出てったんですって。ね?」
「うん……」
 榊さんは浅くうなずきます。
 どういうことでしょう。では、なぜ彼女は涙を……。
「あの話って?」
「ほら、写真が」
「ああ」
 川島くんの問いに、白木さんが短く答えました。え、ちょっと、待って。
「あれ、写真の話、知ってるの? ふたり……」
「あ、菜々美ちゃんには私が話しました」
「あー……」
「私はそれ聞いて、川島くんに話しました。別に隠す必要あると思わなかったし」
「いや、でも俺、その前にもう西にしさんから聞いてましたよ。ばやかわさんも部長から聞いたって言ってましたし、みんな知ってるんじゃないすか」
 なるほど。いや、まあ、そっか。鍵の管理すらがばがばなうちのサークルで、繊細な情報の管理なんてできようはずもなかったか。うん。まあ、しょうがない。
 そうか、では宮城さんもきっと部長か誰かから写真の話を聞いて、居ても立っても居られずに、部室を見に来た。そこで遭遇した思わぬ先客の存在が写真事件についての動揺をあおり、落涙……。そういうことですね。
「なるほど」
「まあうちらは詳しい事情はわかんないですけど。でもだいぶ感じ悪いよね、チッっていったよ、あのひと」
「いや、菜々美ちゃん」
「だって事実でしょ」
 ねえ。ちょっと、さっきから白木さん、このちびっ子は、宮城さんに対してやけにみついてくるんじゃない?
 まあ、宮城さんはエリナに比べるとちょっとクールなタイプだから、よく知らないひとには誤解されやすいっていうのはわかるんですけど。いやでも、ねえ、ちょっとひっかかります。
「あれ、ていうか、あれ? おふたりは、今日はどうやって部室に入ったんです? 部室の鍵……え、もしかして鍵開けっぱなしだった?」
「あ、いえ、違います」
「川島くんがもらったやつからスペア作ってもらったんです。私たちだけ持ってないの、不便だし」
「ああ、そう……」
 もう本当がばがば。嫌んなっちゃう。
 このままではダメだ。このままじゃ彼女を守れない。

「あ、じゃあバイトがあるので、俺はこのへんで」
 彼女にまかれ部室に戻ってから一時間後。
 明日に予定されているショップ巡りの計画が話し合われている最中、俺は席を立ちました。
「大変だね」
 さきほど顔を見せたばかりの小早川先輩がぼそりとつぶやきました。先輩は確か、いちどもバイトをしたことがないとか。
「え、日野さんどこでバイトしてるんすか」
「コンビニだよ」
「あーコンビニかー。コンビニはちょっとな」
「私たちもそろそろ次の講義移動しよっか。エレベーター混むし」
「あ、じゃあ俺も移動しまっす」
「小早川先輩は?」と尋ねると、「俺はまだいる」とかすれた返事がありました。結局先輩をひとり残し、俺たちは部室を出ることになりました。去り際、川島くんが「また変態が来たら倒しといてくださいね」と軽口をたたき、小早川先輩がかすかな笑い声を返していました。
「笑い事じゃないんですけどね」
 俺は笑いながらそう言いました。そして考えます。昼間はどの学年のどの学科に講義があって、誰が多忙で誰が暇なのかわからない。長い時間、部室で確実にひとりになれるタイミングがあるとすれば、夜か早朝。なんにせよ、一旦家に帰る必要があります。モノを取ってこないことには。
「では、俺は地獄行きなので」
 講義棟へ続く石畳を行く三人と別れ、俺は正門に向かう芝生を突っ切るコースへと足を向けました。固い緑の葉を踏みしめながら、スマホを取り出し、電話帳から地獄の番号を呼び出します。
 発信、を押すとき、誰が出るだろうということは極力考えないようにしました。店長が出たらと思うとおじづいてしまいそうだったので。幸いにも、「はい、SマートH駅店です」と電話口に出たのは、バイト仲間である主婦のさんでした。俺は挨拶もそこそこに用件を伝えました。
「あの、ちょっと熱がでちゃって、申し訳ないんですが今日のシフトは……」

#5-2へつづく
◎第 5 回全文は「カドブンノベル」2020年2月号でお楽しみいただけます!


「カドブンノベル」2020年2月号

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