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連載

渡辺 優「きみがいた世界は完璧でした、が」 vol.24

【連載小説】帰省中の日野は、中学時代に自分を見下していたかつての同級生に遭遇し……。 渡辺 優「きみがいた世界は完璧でした、が」#8-2

渡辺 優「きみがいた世界は完璧でした、が」

※本記事は連載小説です。

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「やべー、めっちゃ久しぶり」
 ファッキンクソ野郎岡村は、当時となんら変わらぬイラつく笑みを浮かべ言いました。俺は内心激しく動揺しつつ、「おお、岡村くん」と、できるだけナチュラルにニュートラルに聞こえるよう呼吸を整え答えました。うわあああ岡村だ! あああ岡村だ! あああああああ! という気持ちが顔にでないように。
「え、なんかヒノックスちょっと瘦せた?」
「あ、うん、まああの、ちょっとだけうん、やせ」
「やべーウケる」
「え? ほほ。そう? はは……」
「やーマジで懐かしいわ」
「おお、うん、そだねー。ねえ、まったく……」
 いいから早くお茶のバーコードを読んでくれ。そして串唐揚げ醬油味と共に売ってくれ。私語をつつしめコンビニ店員。オーナーに言いつけるぞ。オーナー! 岡村くんが真面目にレジを打ってくれません!
 しかし俺の内心など岡村が気にするはずもなく、やつは無意味にお茶のペットボトルをぐるぐるもてあそんで(俺のお茶を!)、「えー、ていうかヒノックス今なにしてんの?」と気軽な調子できました。「あ」と、俺は一瞬言葉に詰まり──。
 この瞬間を妄想したことがあります。
 岡村とか、よしかわとか、中学時代のクラスメイト。中学時代、俺のことを取るに足らないどうでもいい箸にも棒にも掛からぬ存在としてみくびっていたやつらに、地元の街でばったり出会う。やあやあ久しぶり、今なにしてる? そんな会話が交わされ、俺は答える。『俺今東京にいるんだよね』。やつらの顔にいかにも悔しそうな敗者の表情が浮かび、『ぐぬぬ』とか『うぐう』とか、敗者の鳴き声を上げる。そうなんです、あのが、今ひとりで東京にいるんですよ。超クールじゃないですか? お前らはどうせ実家でしょう。この空気のしい田舎でね、ぬくぬくと暮らしているのでしょう。ね、お前らがみくびっていたあの日野が大都会東京にひとりで暮らしているというのにね! やっぱあれだね、中学なんてこども時代のカーストなんてまったく意味をなさないものなのだね、そうだねそうだね。余裕の笑みで立ち去る俺。
 今、まさに妄想通りの展開が訪れています。目の前には怨敵ファッキン岡村。俺が日々着ているのと同じ制服に袖を通し、でも絶対俺の方が時給も高いし! 言ってやる、妄想の中で何度も告げてきたその決め台詞ぜりふを今こそ言ってやる。俺は大きく息を吸いました。
「あ、俺はあの、今、東京の大学行ってる。あの、東京の。今はちょっと帰省中で」
「へー」
 岡村はやや目を見開き、
「いいなー。ライブ行き放題じゃん」
「え、ああ、おん」
「こっちぜんぜんツアーとかも来ないからさー」
「へえ」
「こっちから行くたび交通費かかんのだいぶつらいしさー」
「ほお」
 岡村はっぽく呟きながら、ようやくお茶のペットボトルのバーコードを読んでくれました。「あとなんだっけ? 串唐揚げ?」
「あ、はい」
 手際よく消毒用アルコールをワンプッシュし、串唐揚げをテイクする岡村。「常温ですけど温めますか?」という定型文を滑らかに発音します。俺は「あ、いえそのままで」と答えてから少し考え、「岡村くんは、今なにしてる感じ?」とたずねました。
「俺は地元。T大の経済。サークルでバンド組んだり」
「おお……、そっか」
「ヒノックス、サークルは?」
「え? えっと、俺はあの、サバゲー。サバイバル、ゲーム」
「あー、ぽいわー」
「え、へへ。そう?」
「いいなー東京、遊ぶとこ多そうだし」
「あーうん。まあね、でもほら、狭いけどね、いろいろ……」
「二百二十円になります」
「あ、Suicaで……」
 電子音とともに会計を終え、それぞれペットボトルと串唐揚げが入った袋を受け取ります。「じゃあ……」
「おー。じゃあまた、同窓会あたりで」
 岡村は再びあのにやっとした笑みを浮かべ、あざましたー、と俺を見送りました。
 コンビニを出た俺は一瞬実家への帰路へと足を踏みだしかけ、違う、電車に乗るのだ、新幹線に乗り換えて、東京へと帰るのだということを思い出し、改札を抜けました。吹きさらしのホームには春の柔らかな陽光が降り注ぎ、田んぼの土と水の匂いがどこからともなく漂っていました。

 ゆっくりと動き出した窓の外をながめながら、ばあちゃんのおにぎりを頰張ります。
 絶妙な塩味、すかさず唐揚げ、締めにお茶。二列並びの窓際の席にぴったりと身を寄せて味わう、奇跡のマリアージュ。外を流れていたビル群はすぐに住宅地へと移り変わり、数分とたぬ間に新緑のあふれる千山万水の景色へと至りました。東京まで二時間弱。Uターンラッシュにはまだ早く、夕暮れ時の車内は八割ほどの乗車率といったところ。どこか遠くの席から、子供のはしゃぐような明るい声が途切れ途切れに聞こえてきます。
 穏やかな気持ちで遠い山々を眺めながら、俺は先ほどの岡村との会話を思い返していました。もう何度目になるかもわからない、牛でもそんなにはせんだろうという回数のはんすう。望んでしているわけではありません。脳が勝手にリプレイを続けるのです。牛の胃袋と同じだね。
 岡村は普通でした。なんというか、ものすごく普通でした。数年ぶりにクラスメイトとばったり再会した人間のごくごく平均的な動作に終始していた。そりゃそうか。だって俺は数年ぶりにばったり再会したクラスメイト。うん、そうそうそりゃあそう。でも俺はあいつにしょっちゅう鞄を蹴りたおされていたクラスメイトなんですけど?
 岡村の目に、俺の鞄を蹴っていたことに対する反省の念や後悔の色や気まずさは一ミリも観測できず、また、よし久しぶりにまたこいつの鞄を蹴ったり雑に揶揄からかったりして見下してやろう、みたいな攻撃性も感知できませんでした。過去を悔いておらず、かといって過去のままのクソガキでもなく、なんていうか……普通。ごくごくフラット。あれ、俺って岡村と友達だったんだっけ? と自らの記憶を疑いそうになるほどに。俺の鞄をものすごく蹴っていたことなんて、あいつは覚えてないのかな。
 俺が今東京にいるってことも別に悔しそうでなかったなあ。
「へー」と答えた岡村の顔。それはまさしく、ああ今こいつは「へー」と思っているんだなあ、ということが如実に読み取れる顔でした。濁りのない澄みきった「へー」。やつにとって東京はものすごくクールでクレイジーなせんぼうの地とかいうわけでは決してなく、「ライブ行き放題」という特典の付いたラッキーな土地、程度の認識だったみたいです。俺はあんまりライブとか行かないから、よくわかんないけど。
 不思議なのは、因縁の岡村との対面にこんな肩透かしを食らった自分が、風景を楽しみながら心穏やかに普通に飯を食っている、ということ。もたもたレジを打っていた岡村のにやけた笑い面を思い返しても、べつに腹も立ちません。あれがあいつのナチュラルな笑い顔なのだろうなあ、という所感だけで、俺はなにも感じてはいない。しかし一方で、関連して呼び起こされる記憶として中学時代の岡村を思い浮かべると、いまだなにも変わらずフレッシュに腹が立ちます。
 俺が倒したかったのは、あくまで中学時代の岡村だったのかもしれない。そして俺も、今の俺ではなく、中学時代の俺として挑んだうえでやつより優位に立ちたかったのかもしれない。今の岡村なんてどうでもいいし、今の俺には他にもっとやるべきことがあるし。
 俺は元クラスメイトの岡村ではなく、クラスメイトの岡村を倒したかった。でも十四歳の俺らはもちろんもうどこにもいないので、今なお鮮烈に思い起こせる過去のうつくつを晴らすことは永遠にできないのか。なにひとつ取り戻すこともできず、永遠にとらわれたままなのか。
 そしてこんなあれこれを考えているのももちろん俺だけなんだろうなあ。岡村はコンビニに突如現れた俺のことなんてなにひとつ反芻することなく、引き続きレジを打ったり串唐揚げを補充したりの労働に勤しんでいるんだろうなあ。
 おにぎりと唐揚げをすっきりと胃に収め、俺はお茶で喉を潤しながら窓の外の鮮やかな緑をあらためて眺めました。みずみずしくまぶしく美しい景色。しかし新幹線はゴウッという音と共にトンネルに入り、窓は一転してどこかうつろな目をした俺の顔を映します。脳内でひとり孤独に右往左往している、迷える豚野郎の顔を。
 そして俺はまた、彼女のことを考えます。宮城エマさんのことを。うれしいことも、悲しいことも、どんなことでも、俺の巡る思考は結局彼女に着地する。
 座席の前ポケットに突っ込んでいたスマホを取り出し、呼吸よりも慣れた動作でSNSを開きました。彼女のアカウント、その最新の投稿は二日前。愛知県の実家に帰省し、飼い猫のモモちゃんに寄り添って撮ったツーショット。いかにも幸福そうな彼女の愛くるしい笑みと、ちょっとクセのあるアンニュイな表情をした黒猫とのコントラストが芸術的な一枚です。
 数週間前、あのサークル棟で彼女を泣かせたのは、この猫だったのでした。
 病気になったモモちゃん。彼女の頰を滑り落ちたあの光のしずくは、この猫ちゃんを案じて流されたもの。ああ、それはなんて美しい、清らかな慈悲の涙でしょう。
 そこを勝手に勘違いしたのは俺です。彼女がストーカーにおびえ不安と恐怖から涙しているものと思いこんだ。なぜならあのとき俺の頭の中はストーカーのことでいっぱいだったからで、彼女が実家で猫を飼っていたことは知らなかった。なんなら彼女に実家があることも知らなかったし、今だってなにも知らない。彼女が今どこで誰と何をしているかも、その薄い色彩の瞳に何を映しているのかも、どんな気持ちで何を考えているのかも、彼女が何を知っていて何を知らないのかも知らない。俺が知ることのできる情報のすべては、この手の中にあるスマホの小さな画面に表示されている画像のみ。
「ふー……」
 鼻から息をらし窓を見やると、新幹線はまだトンネルの中で目が合うのは虚ろな俺。そのぽっちゃりフェイスを眺めていると、「ひとり相撲」という言葉がごく自然に湧き上がってきました。おお、これは俺の人生を象徴するかのような言葉じゃないか。墓石に彫るってもらうのは|《ひとり相撲》にしようかな。
 フィクションなら──と考えます。もし彼女がゲームのなかの登場人物なら、そのキャラクターに関する情報はすべて適宜適切なタイミングで開示されるのにな。そして開示された以上のスチルは世界にも存在しない。きちんとやりこんで二周三周とクリアしたなら、彼女についてなにかを見逃すという事態など発生しようもありません。涙の理由を読み間違えることなど、絶対に……。
 しかし彼女はこの世界の一秒一秒をかかさず生きてる人間です。人というのは他の人間を完璧に知ることなんて土台できない生き物なのです。そうだ、俺だけじゃなくて、みんな他人のことなんてほとんどわからずひとり相撲をとってるようなものじゃないか。お前もお前もお前も。
 俺は彼女を知らない。そして彼女も俺を知らない。さらに、彼女はストーカーのことについてはSNS上の存在にすらピンと来ていないご様子でした。『シ』はもうひと月以上にわたりせっせと彼女のSNS投稿に暴言を吐き続け、この最新のモモちゃんとの画像にだって、『猫はかわいい』『猫が嫌がってる』『猫虐待』『猫の方が一億倍かわいい』などのアンチコメントをつけています。毎回投稿のたびに現れる『シ』の存在を一切気にしていない……ということは宮城さんって、あんまりこういうコメントとか読まないタイプかな。そうかもな。学内やサバゲーかいわいでの噂についても、くだらないと一蹴しておりました。あまりこう、ひとの視線とか評価とかが気にならないなのかも。それはなんというか……、とても、強い。
 じゃあ、いいのかな。
 俺は別に、なにもしなくていいのかな。
 だって彼女は、傷ついていない。害されてもいない。モモちゃんも元気になってみんなハッピーで本当によかった。となるとやはり俺にできることはもうお祝いくらいです。モモちゃんの病気を診てくれたお医者様に感謝の手紙でも書こうかな。だって彼女を悲しみから救ったのはそのドクターなのですから。彼女の認識している世界にストーカーはいない。すなわち俺が倒すべき相手もいない。
 じゃ、やめよっか。ね? と、俺は窓に映る自分に首を傾げてみせます。虚ろな俺は答えます。いいや。俺はやめないけどね。
 あー、うん。だよね。
 数日考えて気づきました。なんだか俺は、やっぱり、どうしても、ストーカー『シ』の野郎を捕まえたいみたいです。彼女に暴言を吐き続ける人間の存在が、どうしても我慢ならない。
 いや、そんなら俺だって彼女のSNSのコメント欄を見るのをめればいいのですけど。我慢ならない存在を世界から一つ残らず消し去ることなんて不可能だということは、よくわかっています。青臭いガキじゃない、俺ももう大人にならなければならない年齢です。静かに目を閉じてやり過ごすことしかできない世の不条理もあると知っている。
 でも俺は、彼女だけは、彼女のことについてだけは、何一つやり過ごすことができないのです。「しょうがないじゃん」とか、「まあいっか」とか、自分のことだったらいくらでも妥協できるラインを、彼女の上には引くことができない。このおもいに対してだけは、どうしても潔癖になってしまう。
 俺は彼女を守りたい。
 そう簡単にはいかないということは、ここ数日を費やした徒労でわかっています。この世界は努力や想いの強さが直接成果につながるふうにはできていない。
 ならばどれだけかかっても構わない。俺は地道に、くじけずに、作戦を続けます。ザラキが犯人候補を絞ってくれていることを受けて、いくつか考えていることもあるのですよ。ネットで見たんですけど、指紋採取セットっていうのが売ってたりするんですね。俺はまだ部室の鍵を持ってるから、夜間とか、人目につかないように指紋を採取して、侵入者の特定ができないかなあ、とか。あとは、やっぱり張り込みですね。ストーカーが彼女の写真を撮った場所、そこを特定して昼夜を問わず張り込めば、いずれは決定的な瞬間に遭遇し、現行犯逮捕も不可能ではないような気がしています。なんならネット上でちょっと、かるーく『シ』をあおって、また部室に姿を現すよう仕向けてみたり……。
 窓に映る俺の目が、きらりと光ったように見えました。次の瞬間車両はトンネルを抜け、現れたのは遠く広がる一面の空。美しい。彼女と旅したいにしえの飛行機から見た空のようだ。
 そのとき、手のひらに握りしめたままのスマホが震えました。見ると、ザラキからメッセージ。

『犯人わかったわ』

「え!」
 え、え、え?
「マジで?」
 隣の席のサラリーマン風の男がこちらを向きました。俺は彼と顔を見合わせ、そのげんそうな目を見つめ、抑えきれぬ驚きを再び口にします。
「マジで?」
 新幹線は時速約二八〇キロの速さで俺を東京に運びます。これはしくも、一般的なエアガンの弾速と同じくらいのスピードです。いつか彼女が、雑誌のインタビューで話していたのを覚えています。

#8-3へつづく
◎最終回全文は「カドブンノベル」2020年8月号でお楽しみいただけます!


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