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連載

渡辺 優「きみがいた世界は完璧でした、が」 vol.23

【連載小説】ストーカーの潜入捜査中、偶然憧れのエマと遭遇した日野は……。 渡辺 優「きみがいた世界は完璧でした、が」#8-1

渡辺 優「きみがいた世界は完璧でした、が」

※本記事は連載小説です。



前回までのあらすじ

ゲームオタクの大学生・日野は、偶然訪れたサバゲーサークルの新歓でかつて熱中していたゲームのヒロインにそっくりな宮城絵茉(エマ)に恋をした。二度告白するも振られ、今後は彼女を遠く見守ることを決意するが、彼女に害をなすストーカーが現れる。日野は犯人を突き止めようとするが、調査のため部室に監視力メラを仕掛けたことがばれ、サークル内で孤立してしまう。それでも調査を続ける日野は、犯人候補が通う大学でエマと遭遇する。

 世界から、すべての音が消えました。
 世界。
 この途方もなく広い世界の、不安定に揺らぐ大地。
 名もなき無数の人々が行き交う、この街で。
 ああ。
 偶然君に会えるなんて。
「あ……こんにちは」
 そう発した俺の声も。
 すぐに無音の街に吸い込まれて、でも。
 彼女の両の瞳が、俺をとらえ。
「ああ……、こんにちは」
 彼女のその声が、言葉が。
 世界に息吹を与え。
 俺は泣きそうになりました。
 世界があまりに美しすぎて。
 きみがあまりに美しすぎて。
 今日が俺の命日かと。
 どうか俺の墓石には、《こんにちは》と彫ってください。
「あの、あ、いや偶然ですね。こんなところでお目にかかれるとは。ね、こんな、ほんとこんな……へへ、ああ、いや、いやーこんにちは。あれ、あの、お買い物とかですか?」
「いえ」
「あ、そう、そうなんですね。奇遇ですね、俺もです。俺はあの、あれですよ。そこの大学にね、用があってっていう、あれでね」
「あ」
 そこでみやさんは一瞬言葉を切り、「私もです」とささやくように言いました。
「え! え! そうなんですか? いやそれはほんとになんというか、え、奇跡的な、いや、偶然ですね、ほんと」
「彼氏がそこの大学で」
「え、あ! そう! そうでした! いやそうでしたじゃない! そうなんですね! へえ! や、あの、そうでしたか!」
「はあ」
 俺はそこでようやく、ほんの一メートルほど先に立つ彼女の姿をはっきりと正面から捉えました。それまでは、光に向かって話しているように目の焦点を合わせられていなかった。その瞳しか見えていなかった。
 彼女は明るいブルーのワンピースを着て、肩までの髪を後ろに結んでいるようでした。柔らかそうなおくれ毛が陽光を蓄え風に揺れているのを認め、俺の眼球は再びピント調節機能を失います。高濃度のエネルギー体と向き合っているかのような。
「や、それはなんというか、いいですね! あの、素晴らしい午後ですね! 午後? 午前? えっ……と今って何時? あれ? あ、いや、とにかくね、素敵だなあ! ねえ……」
 脳に浮かんだ言葉を次々と口がしやべります。発言を精査する余裕がないのは、脳のほとんどの領域が他の情報の処理で忙しいからです。つまりあの、俺ってこれ、今、宮城さんと会話をしているよね? という現実の把握業務。交差点で偶然会った宮城さんと世間話を繰り広げている? 待ってくれ、これって本当に現実? どう思う? 俺は現実だと思うけど俺はどう思う? え? 俺は現実じゃないんじゃないかと思う。俺は? 俺は宮城さんがとても美しいと思う。俺も俺も。
「いや……ぜんぜん素敵じゃないですけどね」
 と、彼女はふいにうつむきつぶやきました。
「え!」俺の喉からはバカでかい声が出ます。「それは、え、どういう……」
「いや、べつに……なんでもないんですけど」
 伏せられた彼女のまつ毛。そのかげの落ちる瞳に宿る、憂い。それを認めた瞬間、あわあわと現状把握にいそしんでいた脳内の俺たちはいっせいに職務放棄し口々に同じ意思を叫び始めます。俺は彼女を守らなければならない! と。
 そうだ、そうなんだ。俺は見たんだこないだ彼女に会ったとき、あの、涙を。今、彼女は暗闇の中にいる。彼女を取り巻く大きな問題。頰を滑り落ちた、あの、涙。
「あの!」
 こみ上げる思いに後押しされたでかい声に、彼女はふっと視線を上げました。色の薄いこうさい。どこまでも澄んだ、それでいて、深い。
「あの、えっと……。どうぞあの、気にしないでください!」
「え?」
「いやあの……ストーカーのことも、うわさのことも。どうかそんな……そんなあの、くだらない人間らのことに、思い悩むこと、ないですよ。ほんと、ひどいですよね、ほんと。でもほんと、あの、俺が」
 俺がどうにかします。俺がストーカーを捕まえます。
 そう伝えたい気持ちを、ぐっとこらえて飲み込みました。俺はあくまで彼女を遠くから見守ると決めた男です。今発生しているこの遭遇は、あくまで恐るべき偶然の神がいたずらに引き寄せたアクシデントでしかありません。そこに乗じて、ともすれば彼女に恩を着せることになりかねない決意表明などおこがましい。俺が彼女のためにしているすべてのことは彼女には知る必要のないことです。ただせめて、その心に広がる暗雲を、すこしでも払いたい。今、俺は彼女を励ましたい。
「えっといや……あの、だからなんていうか、元気だしてください」
「はあ」
「いやすみませんあの、俺なんかが、こんな、ねえ」
「あの」
「え、ええ、はい」
「なに言ってるんですか?」
「え?」
「ストーカーとかって……」
「え、いやあの、ほら、あの……部室の」
「部室?」
「はい。いや、写真とか……。あと、あの、ツイッターの、とか」
「いや……」
 さらり、と前髪を揺らして、彼女は首をかしげました。
「ぜんぜんわかんない。マジでなに言ってるんですか?」
 わずかに眉をひそめたその美しい顔から読み取れるのは……困惑。
 それはまぎれもなく、マジでなに言ってるんですか? という、気持ち。
「え」
 困惑する彼女に、俺も困惑しました。え、だって、なぜ。なぜ伝わらないのでしょう。あの憎むべき、もはや我らがサークルメンバー全員が知るところとなったストーカーの話ですよ? もしかして俺は日本語を喋ってるつもりでただブヒブヒ言っちゃってる? いやまさか、そんなファンタジーな。
「えっと……」
「それに、噂? なんの噂ですか?」
「あ、いや」
「私の?」
「いえ」
「まあいいんですけどなんでも。噂とかほんとくだらないし」
 宮城さんは視線をそらすとわずかにあごを上げ、どこか遠く、この薄汚れたせわしない街を超えた、遠くかなを見やりました。いだ大海を見据えるような、風吹きすさぶ草原を見渡すような、愚かな人間どもをはるか天上から見下ろすような、その視線。
 俺は、もしかして、と気がつきました。
 もしかして。宮城さん、マジで知らないのかな。自分のストーカーのこと。
 いや、そんなはずはない。だって。
「あの、もう信号変わるんで」
「あ、ああはい」
 すみません、と身体からだをずらすと、宮城さんはさつそうとした足取りで俺の横をすり抜け、信号が変わる直前の交差点へ、誰よりも先に踏み出していました。その背中、揺れる髪に俺は一瞬れ、しかしすぐにはっとして、「あの!」と声を上げました。
 俺の声など、雑踏にき消えて終わり……という感覚がぎりましたが、一拍の後、青に変わった信号に人々が無感動に押し流されていく中、宮城さんはゆっくりと振り返りました。陽光を浴びて、全身に光をたたえながら。「はい?」と、その唇が動きました。
「あの……ではあの、どうして、どうして泣いていたんですか? あのとき」
「あのとき?」
「あの、こないだ、サークル棟で。あの、部室の前で」
「ああ」
 人波の中、宮城さんは涼し気な顔で、「実家の猫が」と言いました。
「病気になっちゃって。急な連絡だったから、ちょっと動揺して。ひとりになれる場所探してたんだけど、なくて」
「え、ああ……」
「でも、持ち直したんで、うちのモモちゃん」
 そのとき。
 宮城さんはふわりとほほみ。
 彼女の瞳に絶えず宿っていたあの翳が、跡形もなく消えました。

 実家に帰ることにしました。
 東京に疲れて、夢破れて、孤独に耐えかねて、人の温もりを求めて……というわけではまったくなくて、ゴールデンウィークだからです。ほんの二泊三日の軽めの帰省。まあ、たまには両親や年老いた祖父母や二つ年下の弟に顔を見せてやらねばな、という義務感とでもいいますか。俺がいなくてみな大層さみしがっているでしょうからね。
 といってもほんの数か月前、元旦からの数日間も律儀に帰省していた俺のレア度は家族のなかでそんなに高い方じゃない感じになっていたらしく、玄関に姿を現した俺を認めた母の第一声は、「あれ? 今日だっけ?」というなんとも張り合いのないものでした。他の家族からもにたりよったりなぬるい歓迎を一通り受け、俺は着替えもろもろの入ったリュックサックを下ろすため、二階にある自室へと足を向けました。
「……ただいまー……」
 黄緑色のくたびれたカーテン。
 所々塗装の剝げた木枠のベッド。
 通販で買った折り畳みの座椅子。
 ポケモンのイラストが入ったクッション付きの椅子と、セットの学習机。
 組み立て式のアルミ棚。古いテレビに、ゲーム機に、コントローラー。
 この部屋に居て、目に入るすべてが俺の原風景です。すべてが懐かしく、俺は座椅子に腰を下ろししばらくぼんやりと正面の棚を眺めました。ずらりと並んだゲームソフト(ダウンロードよりパッケージ派です)、その中に、俺が中学の時に鬼ハマりしていたそのゲームはあります。俺がエリナと出会うきっかけとなったゲーム、『ロスト・ワールズ・ファースト・クロニクル』。
 ……エリナ。
 そう、ちょうどこの座椅子で、小遣いをめて買ったその小さなテレビに向き合い、俺はいつもゲームをプレイしていました。この座椅子。ここがあらゆる冒険の繰り広げられていた現場。俺はここでエリナと出会い、そして……別れた。
 崩れゆく塔を脱出した俺たちはその後、過去すべての文明の始まりと終わりの歴史を収めた「時のない神殿」への扉を開きます。人間と「人ならざるもの」との激化する争いにより幕を閉じようとしている俺たちの世界。その崩壊を防ぐための、「終わりをつかさどる神」との最後の戦いのなか。エリナは古来受け継がれてきた儀式を利用しその魔力のすべてを解き放ち──。
『さよなら。それから……ありがとう。もし、もういちど会えたら、またいっしょに』
 また、いっしょに。
 それがエリナの、最後の言葉でした。
 光に包まれた世界。
「終わりを司る神」は、「始まりの光」へと姿を変え。
 乱れていた人々の心は安寧を取り戻し。
 世界には平和が訪れました。
 ただ……彼女が。
 光の中に身をささげた彼女が果たしてどうなったのか。その行方はようとして知れず……。
 彼女を探し、世界をひとり旅する俺。
 思い出の「しらの教会」を訪れる俺。彼女と心を通わせたその裏庭に、ひとりたたずむ俺。静かな旋律のBGMと共に、カメラは朝露にひっそりとれる白百合を捉え。
 そして流れるエンドロール。スペシャルサンクス、ユー。繊細なカリグラフィのFINの文字。
 十四歳の俺は、この座椅子に涙を落としながら。
 彼女に救われたこの世界を、この命を、ひとりみしめていたのでした。そして……。
はるー。ごはんだよー」
 そして……そうだ。ちょうどあの時もこんなふうに、下界から声がした。壮大な冒険の余韻をぶった切る現実からの声。ちょっと待ってくれたまえ母さん。今あなたの息子は長く続いた冒険の終わり、そして心から愛していた人との壮絶な別れを経験してですね。人間の意志の力強さや尊さですとか、自己犠牲の精神の気高さですとか、しかし残される者の悲しみや苦しみ、喪失の痛み、それでも広がる無慈悲で美しい世界、ああ無情、でも俺は生きていくよ彼女の救ってくれたこの命を、みたいなものすごい量の学びと人生経験を得ているところで。それをごはんだよーってあなた。ねえ、今はそんなのんにごはんだよーなんて場合じゃないでしょうがよ。いやでもひとり暮らしをするようになって気づきましたけど毎日ごはんを作ってくれるひとがいるって本当にありがたいことですよね。父さん母さんいつもありがとう。おかげさまであなたたちの息子さんはこんなに立派に成長し、今は大切な女性を守るための……そう、守るための……。
 でも彼女はストーカーのことを知らなかった。
 ああうん、そうだった。
 そうそう、そのことをずっと考えていましたよ俺は。うん。
 俺がなんとしてでも取り戻したかった彼女の笑顔を俺は先日見ました。うん。
 これってハッピーなことだよね?
 俺はお祝いをすべきだよね?
 うん、俺はそう、この事実にはどんな素敵なお祝いがふさわしいのかを考えて、考えて、その他諸々の熟考によりここのところやや寝不足で。
「春人ー! ごはん!」
「はーい!」
 俺は背負いっぱなしにしていたリュックサックを床に下ろし、座椅子から立ち上がりました。長年ヘビーな体重を支えてくれていたスプリングが、ギャッと悲鳴のような声をあげました。

 三日の間に、唐揚げ、焼肉、寿司、とんかつ等の幸福の品々を胃に収め、あっという間帰京の日取りとなりました。ひさしぶりに実家に滞在して食う以外の何をしていたかといえば、持ってきていたポータブルのゲーム機で遊んだり、同じく持ち帰っていた課題をちまちまと進めたり、スマホを眺めたり、と、まあ普段東京の部屋にいるときとそう変わらず、これといって特筆すべきことはなかったです。じいちゃんもばあちゃんも畑に出ていることが多かったし、弟は受験生で遊んでくれないし。
 帰りの新幹線の乗り換え時刻に余裕をもって、父が地元の駅まで車で送ってくれました。「じゃあまたね」と軽い挨拶で別れ、俺は車内で食べる遅めの昼食を調達しに、構内のコンビニに足を向けます。本当は牛タン弁当とか、はらこ飯弁当とか里心をかき立てるものが食いたいところだったんですけれど、なんとまあ不思議なことに金がなくてですね。リュックサックの中には、ばあちゃんが同情して握ってくれたでかいおにぎりがあります。あとはもう唐揚げさえ買えれば最強、文句はありません。
 俺は高校時代にも良く利用していた、今俺がバイトしているのと同じ系列のコンビニへと足を踏みいれました。入店メロディを聞くと地獄を思い出して気分が悪くなります。しかしすぐに、今俺はバイト中ではない、ここに店長はいない、という幸福な現実に気分が良くなります。その高低差を楽しむために俺はよく同系列の店を利用するのです。そして、レジに立つ同胞を眺めて心の中でエールを送る。オーナーっぽいひとが優しそうだとほんとうにうらやましくなる。
「いらっしゃいませー」と気だるげに声をあげた手前のレジの人間は、俺と同世代くらいの若者に見えました。茶色の髪をした、ほんのり軽薄そうな。俺は小さなペットボトルのお茶を手にそのレジに並び、「串唐揚げのしよう味ひとつお願いします」とオーダーしました。君の唐揚げさばきを見せてもらおうではないか、バイト歴一年のこの俺に。
 揚々と構える俺に、しかし店員はなにやら不審な動きを見せました。てきぱきした動作が求められるコンビニ店員、のはずが、若者はお茶を受け取った手を止め顔を上げ一拍の間を置くと、ひと言「おい」と発しました。
 おい? おい、って、おいおいおい。なんだねこの店員は。お客様に向かって「おい」とはおい。なんなんだね、ちょっと教育がなっていないのではないかね。
 俺は超びっくりして店員をまじまじ見ました。無礼な若者は右の口角をつり上げてにやっと笑い、それでようやく気づきました。「ヒノックスじゃん」とこちらを呼ぶその顔は、おかむら。中学時代、俺のすねだのかばんだのジャージだのをしょっちゅう意味もなく蹴っ飛ばしてはにやついていた、ファッキンクソ野郎岡村。

#8-2へつづく
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