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連載

渡辺 優「きみがいた世界は完璧でした、が」 vol.16

日野はしかけた監視カメラを確認するが、映っていたのは驚くべき光景で――。 渡辺 優「きみがいた世界は完璧でした、が」#6-2

渡辺 優「きみがいた世界は完璧でした、が」

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 薄暗いうちに目覚め、顔を洗いました。窓を開け、一日の天気を確認し、朝食の準備に取り掛かります。今日はスクランブルエッグに、袋に半分残っていたウィンナー、解凍した白飯というお手軽かつ最強の組み合わせ。
 食べながら、エマさんのSNSをチェックしました。投稿はなし。続いて「シ」のツイッターアカウントをチェック。同じく動きはなし。
 ここのところ、エマさんはどのSNSにも投稿を行っていません。俺がその涙を目撃してから、まだ一度も。仕方ないことと思います。今はストーカーの存在を知ってしまったショックで、そんな、SNSどころではないのでしょう。彼女のファンとしては、もちろんとても寂しいですが。
 食べ終えた食器を手早く洗い、いつものリュックを背負って部屋を出ました。歩きながら、何度か「彼氏三人」というワードがそよ風のようなさりげなさで脳裏をよぎりました。そのたびに俺は全力で頭を振り、不穏な言葉を脳内から振り払いました。人通りがないからいいものの、これではまるで早朝の町をはいかいする不審者。
 最寄り駅の駅舎を前方に認めたとき、ようやくビルの谷間からのぞいた太陽が、俺の額を温かく照らしました。

 部室に仕掛けた隠しカメラは、一定の速度以上で動くものが画角に進入したときのみ稼働するセンサー機能付きの物。つまり部室に何者かが侵入したときのみ録画してくれる、コスパ抜群のすぐれモノです。それでも連続稼働時間はバッテリーフル充電から十二時間程度で、丸一日部室の様子を監視できるようなスペックはありません。
 その回収に当たり、自分がどのくらいの期待を抱いているのか、自分自身でもよくわかりませんでした。カメラが張っていたのは、一昨日の二十一時から翌朝九時前後まで。もういきなり犯人が映っているかもしれない! と高揚したかと思えば、いや普通に考えてなにも映っていないでしょそんな時間、と冷静になり、まだ誰もいない薄緑の芝生を横切りながら、俺の感情はふり幅大きく揺れ動いていました。
 息を切らして上っていくサークル棟の階段、念のため足音を忍ばせてはいたのですが、どの階にもやはり、ひとの気配はありません。鍵を開け、部室内の壁時計を見ると、時刻は七時半。うちの大学は一限の授業が九時開始ですから、開門直後のこんな早朝に登校する不謹慎な学部生は誰もいなくて当然です。なんらかの目的を持って、人目を忍び行動する者以外は。
 俺は早速、机脇に積まれた空箱の山に取りかかりました。奥に埋もれた東京マルイMP7A1の空き箱の中、俺の仕掛けたカメラは一昨日と寸分たがわぬポジションでそこにありました。ビニルテープを外し、スリットからマイクロSDを抜き出し、スマホに挿入。窓際のパイプ椅子に座り、読み込みを待ちます。
 わー、なんだかスパイみたい!
 うきうきした気持ちで待つこと約二十秒。画面に表示された情報に、俺は息を飲みました。
 二つ。
 SDの中に、動画データが二つあります。詳細情報を見ると、ひとつ目の撮影時刻は二十一時二十四分から、三分間。
 これは……、と少し考えて、すぐに気が付きました。これは俺がカメラを仕掛け終えてから、部室を出ていくまでが撮影されたデータでしょう。そうだそうだ、と再生してみると、やはりそこにはややカメラから視線の外れた、俺のチャーミングなぽっちゃりフェイスが映し出されました。
 レンズ位置を確認する俺。
 カメラを横から覗きこみ、なにやら微調整を加える俺。
 空き箱のふたを閉める動作。一瞬ブラックアウト。再び俺。箱の位置を確認、調整。ちょっと満足げに頷く俺。時計を確認し、荷物をまとめ、足早に部室を後にする俺。
 わー、なんだか、犯罪者みたい……。
 三分間の俺ビデオ。無防備な自分の姿を、こう、客観的に観測するのって、なんか嫌ですね。特に目が嫌でした。俺ってこんなに、うつろな目をしてるかな? もっとこう、きらきらしたハイライトの入った瞳で日々生きているつもりでいたんですけど……。
 自分の瞳にショックを受けている場合ではありません。これは別に、いいのです。ちゃんとカメラが機能していたということがわかりました。オーケー、オーライ。問題は、二つ目のデータ。
 こちらにはまったく思いあたる節がありません。撮影時刻は、朝、八時五分から、八時四十二分まで。三十分以上! そんな朝早く、そんな長い時間、誰がなんの用で部室に滞在していたのでしょう? これはもしや、もしやマジで、俺はいきなりヒットを取ってしまったのでは?
 深呼吸を二回。
 かすかに震える指で、二つ目のデータをタップしました。
 映し出された画面。まず気が付いたのは明るさでした。朝の光がたっぷりと差し込む部室。そう、これが撮影されたのは、今現在の部室とほとんど同じ時刻。
 画面右手に動くものあり。……人です!
 長机を捉えたカメラ、ちょうどぎりぎり顔の映らない高さで移動する、人。水色の、カーディガン?
 女子!
 女子らしき影が、机の端に荷物を降ろし……。左手に移動、フェードアウト。……再びイン。パイプ椅子を引き……あ!
 窓際のパイプ椅子に座った人物。それは、さかきさんでした。
 俺は目の焦点の合う限界ぎりぎりまでスマホに顔を近づけます。間違いない。二つに結んだ長い髪、ややたれ気味の眉と目尻。なで肩のラインに、パステルカラーの装い。どこからどう見ても榊さんです。
 どういうことでしょう。こんな時間に、サークル棟の四階まで、ひとりきりで、いったいなにをしに来たというのでしょう。まさか、ストーカーの意外な正体は、しずかちゃん系女子の榊さん?
 確かに、これがもし推理モノのゲームやなにかで、「意外な犯人」という枠でキャスティングを考えるなら、榊さんははまり役、申し分ない「意外な犯人」と思えます。いや、しかしこの画面に映る榊さんは、どうも今一つそんな感じがしない。なんというか、ストーカーとしての緊張感、高揚感に欠けるというか。こう……すごくリラックスしているように見えるというか。
 斜めからのアングルで、ちょうどすっぽりとその上半身が画面に収まった榊さんは、突然ぐわっと欠伸あくびをしました。顔の半分が口になろうかという勢いの大胆な欠伸。これはなんというか……意外な欠伸。
 そこで俺は、突如としてある重要な問題に思い至りました。
 これって、俺が見ていい映像なのだろうか? という。
 いや、今さらな話ではありますけど、でもこれ、俺が見ているのって、隠し撮りです。女子の隠し撮り。顔見知りの年下の女の子の盗撮映像。えっ、待ってそんなつもりなかった。
 俺はスマホを顔から離しました。えっと、どうしましょう。本当にこんなつもりはなかったのです。犯人が映っているか、なにも映っていないか、そのどちらかの予想しかしていなかった。それ以外のなにかが映っていたとしても、それは例えば部長とばやかわ先輩の終わりなきサバゲー談議であるとか、空き時間に次の授業のレポートに取り組む必死な西にしくんであるとか、俺が普段から目にしている何気ない日常の光景にすぎないと考えていました。それが、こんな、無防備な女子の全力の欠伸を……。
 画面の中、榊さんは依然リラックスした様子で、ポケットから取り出したスマホをいじっています。その頭がかすかに揺れています。音声は入っていませんが、もしかして、鼻歌でも歌っていそうなご様子。
 どうしよう……まるで自室にいるかのようなくつろぎ方です。
 動揺の収まらぬ頭で遠目に眺めていると、榊さんがふと、机に置いた荷物に手を伸ばしました。俺は再びスマホにピントを合わせます。
 そうだ、まだ、榊さんが白だと決まったわけではない。この荷物、わいらしいまるっとしたフォルムのトートバッグの中から、なにか決定的なものを取りだすかもしれない。エマさんを隠し撮りした写真とか、ぼう中傷のビラとか、なにか、よくないもの。危険物。なんかもうそうであってほしいです。でないと俺は──。
 かばんの中を探る榊さんの腕。ややあって、取りだされたのは小さな……小さなポケットティッシュ。榊さんはそこから一枚引き抜き、顔に……ああ、鼻を……思い切り、鼻を……。
 もう無理だ!
 俺はスマホを突き刺す勢いでタップし、動画の再生を止めました。
 メニューを開き、削除。データの削除、キャッシュの削除。繊細な動作のままならぬ指でなんとかSDカードを引き抜きます。
 ものすごい罪悪感が、身体からだの奥底から湧き上がり全身にまとわりつくのを感じました。組んだ両手に額を乗せ、のしかかる重圧に耐えようと身を固くするものの、口から意味をなさないうめき声が漏れるのを止められない。駄目だ。こんなの耐えられない。ありえない罪を犯してしまいました。俺は見てしまった。榊さんが鼻をかむシーンを見てしまった!
 少しの間、そうしてじっとしていました。
 じっとして、今起こった出来事について考えていました。
 なぜ、どうしてこんなことになってしまったのでしょう。だって、盗撮、盗聴は罪にならないのではなかったか? ひとの下着や裸体が映るような場所の盗撮はアウト。なら部室はセーフ、そのはずでは? 皆が利用する部室、サークル内部の者である俺がカメラを仕掛ける分には、何も問題ないと思っていたのに。でも駄目です。耐えられない。法律がどのような判断を下そうと、俺の本能が叫んでいるのです。こんなのは絶対によくないと。
 というかもしかして、法律的にもさっきの映像はかなりぎりぎりだったのでは?
 俺は途中で映像を止めましたが、もしあの三十分の記録の中に、一瞬でも榊さんの下着やなにかが映りこんでいたならば、その瞬間に俺はまごうことなく盗撮犯です。なにも言い逃れはできません。迷惑防止条例、または軽犯罪法違反で逮捕。学校は退学になり、実家の両親は嘆き悲しみ、なにより榊さんを深く傷つけ、取り返しのつかない事態になっていたかもしれない。いえ、そうでなくてももう俺は見てしまったわけです。榊さんのでかい欠伸を。鼻をかむ姿を!
 犯してしまった罪と、犯していたかもしれない罪の恐怖に、腹の底から震えがこみ上げてきます。駄目です。これは……中止です。監視カメラ作戦は現時刻をもって中止。即刻カメラと、あとなんか不安なので盗聴器も回収の上、撤収。
 そう決めて立ち上がった瞬間、部室の扉から、ガチャガチャと鍵穴の鳴る音がしました。扉の向こう、ひとの気配。こんな時間に、誰が。
 逃げることも隠れることもできず、俺は腰を浮かせたそのままの姿勢でただぼうぜんと、扉が開かれるのを待っていました。

#6-2へつづく
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