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連載

藤野恵美「きみの傷跡」 vol.4

花見スポットで行われる、大学写真部の新入生歓迎コンパ。新歓ブースで話したあの子は……!? 藤野恵美「きみの傷跡」#2-2

藤野恵美「きみの傷跡」

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      4

 しず姉ちゃんと合流したあと、新歓祭をまわって、いろんなサークルを見た。どこも面白そうで、ここに入ったらどんな大学生活が待っているのだろう、とわくわくした。
 しず姉ちゃんは自分の所属している団体にも誘ってくれたのだけど、そこまで頼りきりになるのも悪い。私が高校に行けなくなって、ずっと家にいることについて、しず姉ちゃんはとても心配していた。大学に合格したときには、だれよりも喜んでくれた。お互いにひとりっ子だから、本当の姉妹みたいな気分で育ってきた。でも、だからこそ、大学ではひとりでもちゃんとやれるところを見せたいと思う。
「花宮さんのカメラって、自分で選んだの?」
 名札に「椿」とだけ書かれた写真部のひとに言われて、私はうなずく。
 椿先輩というこの女性は、ブースに展示してあったポートレートのひとだ。海辺でたたずんでいたアンニュイな女性。実物はまったくだるそうにはしていないので、あの写真はそういう瞬間の表情をうまく切り取ったものなのだろう。
「はい。自分で選びました。あんまり性能とかわかってなくて、見た目というか、持ったときのフィット感で選んだんですけど」
「なるほど。フィット感、大事だよね」
 そう言って、うなずいたのは笹川先輩だ。
 それから、猫とくつろいでいるのが星野先輩である。
 猫、可愛いな、猫。
 そのやわらかそうな毛並みに触りたくて、うずうずしてしまう。
「カメラに興味を持ったきっかけは?」
 椿先輩の質問に、私は少し考える。
 きっかけ……。
 うーん、なにかあったかな。特にこれといった出来事は思いつかない。ふつう、きっかけとかあるものなんだろうか。
「うち、母子家庭なので、父親のことをよく知らないんですね。それで、母はあんまり詳しく教えてはくれないんですけど、私の父親というひとは、どうやらカメラマンだったみたいなんです。だから、なんとなく、私もカメラやってみようかなと思って」
 そんなふうに話すと、変な空気になった。
 ああ、そうか、母子家庭とかいきなり言われたら戸惑うんだ、一般的な家庭のひとは。
 失敗だ。こういう場でのあたりさわりのない会話というものに慣れていないので、つい、思ったことをそのまま正直に口にしてしまった。
 しず姉ちゃんが「あっちゃー」という顔をする。それから、フォローするように言った。
「ちなみに、まいの母親って、花宮カレンなんですよ」
 すると、椿先輩が私の顔をまじまじと見て、納得したように声をあげた。
「ああ、そう言われたら、似てるかも! 私、結構、好きなんだよね、花宮カレン」
 椿先輩は花宮カレンと言われてすぐにわかったみたいだけれど、笹川先輩と星野先輩は曖昧な表情を浮かべている。
 それに気づいて、椿先輩が説明してくれた。
「知らない? 花宮カレン。元アナウンサーで、最近はエッセイストとしても活躍している。恋愛の達人っていうか、恋多き女として有名だよね」
 椿先輩の言葉に、しず姉ちゃんがうなずく。
「そうなんです。だから、まいの家庭って、ちょっと、ふつうとはちがうんですよ」
「そっか、花宮カレンの娘なのか」
 それなら仕方ないわね、とでも言いたげな目つきで、椿先輩は私のことを見た。
 花宮カレンの娘。
 その事実をしず姉ちゃんがばらしてしまったことについて、複雑な心境になる。
 母のことは自分から積極的に知らせたいとは思わない。そのせいで嫌味や悪口を言われることも多かった。どちらかといえば意識されたくないことだ。けれども、こちらが隠しているつもりはなくても、あとで知ったときに、伝えていなかったことで「裏切られた」と思うひともいたりする。それなら、最初から知らせておいたほうが面倒が少ない。しず姉ちゃんもそう考えたから、先に話してしまったのだろう。
「ちなみに、私の母は花宮カレンの妹なんですけど、べつに美人でもなんでもなくて、ただの主婦です。私、ちいさいころから、いつもれいなカレンさんに憧れてましたけど、実際、ああいうひとが母親だと大変なことも多いだろうなと思いますよ」
 しず姉ちゃんの言葉のおかげで、羨望とか嫉妬とかじゃなく同情するような方向で、その事実は受け入れてもらえたようだった。
「まいちゃんも、芸能界とか目指してたりするの?」
 椿先輩から「まいちゃん」と呼ばれて、どきりとした。さっき会ったばかりだけど、こんなふうに親密な呼び方をされると、なんだか一気に仲良くなったような感じだ。
「まさか、まさか」
 両手を顔の前で振って、おおに否定する。
 椿先輩は「似てるかも」と言ってくれたけれど、あまり母に似ていないことは自覚していた。幼いころから「花宮カレンの娘にしては期待はずれだな」というまなざしを向けられることが多かった。私は母のように華のあるタイプではなく、地味で背も低い。
「私が目指しているのは、法曹界です」
「ああ、法学部なんだもんね。そこのふたりも、法学部なんだよ。いろいろ教えてもらったら?」
 椿先輩に視線を向けられ、笹川先輩が言う。
「そうそう、さっきも、履修とかアドバイスするからって話をしてたんですよ。な、星野」
 笹川先輩に言われて、星野先輩も「ああ」とうなずく。
 相変わらず、その膝の上では猫がまるくなっていた。
 猫、いいなあ、猫。
 なでなでしたい……。
「教科書って、もう買った?」
 笹川先輩の言葉に、私は首を横に振る。
「まだです」
「去年の分とか、よかったら譲るけど」
「えっ、いいんですか!」
「どうせ使わないし。星野、去年の時間割は?」
「え? あ、ああ、あるけど」
 星野先輩は膝立ちになって、ポケットからスマホを取り出す。星野先輩が動いたので、猫は膝からひょいと降りると、どこかに走っていった。
 ごめんよ、猫……。
 せっかく気持ち良さそうに寝ていたのに、邪魔しちゃって、申し訳ない気分になった。
「これ、去年の」
 星野先輩はそう言って、スマホの画面を笹川先輩に向ける。
「だからさ、僕じゃなくて、花宮さんに見せようよ」
 笹川先輩が苦笑しながら言うと、星野先輩はこちらにスマホを差し出した。
 そこには履修表の写真があった。
「私、手書きで時間割を作ったんですけど、たしかに写メで撮っちゃえば手っ取り早いですよね」
 来年からはそうしよう。
 私は手帳を広げて、自分の時間割を見せる。
「こういう感じで、時間割を組んでみたんですけど」
「数学とか、取ってるのか」
 星野先輩が驚いたように言った。
「えっ、ダメですか?」
「いや、めずらしいなと思って」
「あ、でも、星野先輩も、数学、取ってますよね」
 見せてもらった時間割を見て、そのことに気づく。
「法学部なのに、わざわざ数学を取るやつなんか、俺くらいだろうと……」
「私、数学わりと好きなんです」
「前期は代数で、テキストあるから」
「ありがとうございます」
 星野先輩は不愛想だけれど、いいひとみたいだ。
 私たちは連絡先を交換して、教科書を受け取る日を決めた。
 それから、新歓撮影会にも誘われた。
 園に行って、みんなで写真を撮る会だそうで、私も参加させてもらうことにした。
 そんなに遅くならないうちに解散となり、私はしず姉ちゃんと駅に向かった。
「写真部にするの?」
「うん、決めた」
 やっぱり、自分の好きなことをやるのが一番だと思う。
 学内ではまだ飲み会をつづけているサークルもあった。大きな声で話したり、背中を叩いて笑いあっていたりして、楽しそうではあるのだけれど、ちょっと怖いと思ってしまう。写真部の新歓コンパは騒ぐひとがいなくて、落ちついていた。そういう雰囲気も、自分に合っている気がした。
「先輩たちも、すごく親切だったし。教科書、譲ってもらうことになっちゃったけど、なにかお返しとかしたほうがいいかな?」
 私の言葉を打ち消すように、しず姉ちゃんは片手を振った。
「お返しなんかいいって。新入生がゲットできるなら、去年の教科書くらい安いもんでしょ」
 夜空に半月が浮かんでいた。
 私はカメラを構えて、シャッターを切る。
 でも、たぶん、そんなにいい写真にはなっていないだろう。
「月の写真って、難しいんだよね」
 カメラを下ろして、私は言う。
「望遠レンズがあったら、もっと上手に撮れるのかなあって思うんだけど」
 さっき、写真部の先輩たちと話していたときにもレンズの話題になり、単焦点レンズのつぎに手に入れるべきは望遠レンズか広角レンズかという議論が交わされていた。
 これまで、ずっと、ひとりで写真を撮っていた。写真を見せる相手も、母やしず姉ちゃんくらいだった。
 それが、大学という場所で、同好の士と出会って、いろんな話ができるのが、楽しくてたまらない。
「サークルって、べつに入らなくてもいいんだからね。ひとづきあいが面倒だったら、やめておくっていうのもひとつの手だよ?」
 しず姉ちゃんは、私が高校に行けなくなった理由を知っている。
 だから、どこかれ物にさわるようなところがある。
 そんなふうに気を遣わないでほしい。
 私はもう、吹っ切れているのだから。
 いつまでも引きずっていても仕方ない。とらわれていたら苦しいだけ。大したことじゃない。忘れてしまおう。そう思えるまで、二年かかった。
 平気。
 特別なことじゃない。
 さっきだって、男のひとたちがいたけれど、ふつうに過ごすことができた。
 少しは緊張したけれど、恐怖を感じたりはしなかった。
「ほんとに、写真部でいいの?」
 しず姉ちゃんが心配そうな表情を浮かべて、私に確認する。
「女の子ばかりのサークルとかのほうがよくない?」
 以前の自分だったら、そうしたいと思っていたかもしれない。
 安全な場所にいることを選んだ。
 でも、傷はえたから。
 たった一度のことで、人生の選択肢を奪われたくない。
 おびえて、立ちすくんで、動けないのは、もう嫌だ。
 自分の意思で、決めたい。
 前を向いて、進んでいきたい。
 それは私にとって、自由を取り戻すということ。
「だいじょうぶだって」
 しず姉ちゃんは、私がこれ以上、傷つかないようにと考えてくれている。私はとてもひどい目に遭ったわいそうな子で、心に大きな傷を負っていると思っているのだ。
「椿先輩とか女のひともいるんだし」
 私は明るい口調で言うけれど、しず姉ちゃんはまだ表情を曇らせたままだ。
「でも、ほんと、気をつけるんだよ? わかってるとは思うけど」
「うん、わかってる」
 隙を見せない。常に警戒を怠らない。異性とふたりきりにならない。
 もう二度と、あんな目に遭わないために。
 駅までの道にも桜がたくさん咲いていた。
 夜桜は幻想的で美しい。けれども、地面に視線を向けると、空き缶や割り箸などのゴミが落ちているのに気づいてしまう。
 この世界が綺麗なだけじゃない場所だってことはわかっている。
 私は顔をあげて、カメラを構えた。
 レンズ越しの世界。
 桜にピントを合わせて、背景となるショーウィンドウのあかりや車のライトなどの光をうまく玉ボケにすれば、きらきらと輝く宝石箱みたいな写真になるはずだ。
 写真を撮ることで、私はどうにか、この世界は美しいと信じることができた。

>>#3-1へつづく
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◎「きみの傷跡」第2回全文は、「カドブンノベル」2019年10月号に掲載されております。
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