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連載

藤野恵美「きみの傷跡」 vol.19

つきあいはじめの彼女を初めて家に招いた。いい雰囲気だったのに、キスから続けて俺は……。 藤野恵美「きみの傷跡」#10-1

藤野恵美「きみの傷跡」


前回までのあらすじ

男子校出身の大学2年生・星野は、写真部の新入生勧誘で出会った1年生の花宮まいに一瞬で心を摑まれた。花宮は、ある理由で高校に行けなくなった過去があり、その「傷」のせいで男性が苦手。けれど、過去の一度のことで人生の選択肢を奪われたくないと決心し、入部した。撮影会などを経て少しずつ仲良くなるふたり。花宮も星野のことが好きになり、花火大会でのデートを経て付き合い始める。星野は、お土産のカニを一緒に食べようと、花宮を家に誘う。

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      19

 部屋の掃除は念入りに行った。
 見られてまずいものはないはず……。
 もう一度、部屋を見まわして、おかしなところがないことを確認してから、俺は駅へと向かった。
 彼女がうちに遊びに来る、なんてことが自分の身に起こるなんて、いまでも信じられない気持ちだ。
 それにしても、謎である。
 どうして、俺ははなみやさんとつきあえるようになったのか……。
 いくら考えても、花宮さんが俺のことを好きになった理由がわからない。
 たとえば、あの花火の夜に、花宮さんが酔っ払いなどにからまれて、それを俺が助けた……とかいうような出来事でもあったなら、晴れて彼氏という立場になったのも納得がいく。しかし、俺は特になにかしたというわけではなく、なりゆき任せで告白したところ、なぜかうまくいったので、どうにも収まりが悪い。
 彼女ができたという喜びにひたりつつも、本当に俺でいいんだろうか……という不安が交錯して、浮かれてばかりもいられなかった。
 約束の時間より早めに着いたので、改札のところで、しばらく待つ。
 電車が到着して、改札を抜けるひとの流れに、花宮さんのすがたを見つけた。
「すみません、お待たせして」
 花宮さんは小走りでやってくると、申し訳なさそうに言う。
「いや、俺もいま来たところだから」
 どうも俺が早めに待ち合わせ場所に来るせいで、いつも花宮さんを焦らせているような気が……。
 まだ約束の時間になっておらず、べつに花宮さんは遅刻したわけではないので、謝る必要もないところなのだが、俺が先にいると、どうしても気を遣ってしまうのだろう。
 俺たちは並んで歩き出す。
 駅の建物から出ると、途端に熱気に包まれた。太陽は容赦なく照りつけており、肌がじりじりと焼け焦げそうだ。
「今日も暑いな」
「そうですね」
 そんな会話をしたあと、また沈黙が流れる。
 いま、となりにいる花宮さんは、俺の彼女なのだ……。
 そう思うと、妙に照れくさくて、なにを話せばいいのか、わからなくなった。
「ここだから」
 そうこうしているうちに、部屋に着いたので、俺は鍵を開ける。
「お邪魔します」
 花宮さんはそう言ったあと、靴を脱いだ。
「わあ、広いですね」
「散らかり放題だったのをなんとか片づけたから。まあ、そのへんに座って」
 エアコンのスイッチを入れ、俺はそう声をかけたのだが、花宮さんは立ったままで、手に持っていた紙袋を差し出した。
「あの、これ、食後のデザートに食べようと思って、プリンを持ってきました」
「おお、サンキュー。冷蔵庫に入れとくか」
 まずはカニを取り出してから、花宮さんから受け取ったプリンを冷蔵庫に入れる。
「なにか、お手伝いしましょうか?」
「いや、カニは浜でしてあるやつだし、特に手伝ってもらうようなことは……。で、これが、北海道から直送されてきたカニだ」
 カニの入った発泡スチロールの箱をテーブルへと運ぶ。
 ふたを開けると、花宮さんは目をまるくして、それをのぞきこんだ。
「すごーい。真っ赤でトゲトゲしていて、なんだか強そうなカニですね」
はなさきガニっていう種類で、夏が旬らしい」
「写真、撮ってもいいですか?」
「もちろん。そう思ったから、さばかずに、そのままで置いておいた」
 花宮さんはカメラを構えて、カニに近づく。
「この赤、ほんと、美しいですね。鮮やかで、自然の神秘を感じます」
「デザイン的に、見れば見るほど地球外生命体っぽいというか、これをあえて食おうとした最初の人類は勇気あるよな」
 花宮さんが撮影しているあいだに、飲み物を用意することにした。
「麦茶でいいか?」
「はい、ありがとうございます」
 俺がグラスを持ってくると、ようやく花宮さんは腰を下ろした。しかし、クッションがあるのに、わざわざ、なにもない床に座るのは、なぜなのか……。
「これ、使って」
 クッションを勧めると、花宮さんは遠慮がちに、そこに座る。
「このクッション、むにむにして、気持ちいいですね」
「ああ、それ、お……」
 おっと、危ない。
 いま、俺、とんでもない失言をするところだったぞ。円形の低反発クッションは、指で押すと適度な弾力があり、そのやわらかな触り心地が、女性の胸の感触に似ているということで、友達からもらったのだが……。
「お?」
 花宮さんは首をかしげて、聞き返す。
「俺の、友達が、クリスマスのプレゼントでくれたんだ。高校時代に、男同士でクリスマスパーティーをして、プレゼント交換までするという地獄のような一夜を過ごしたことがあって……」
「地獄のような一夜なのですか?」
「いや、だって、彼女のいない野郎ばっかりが集まって、ケーキを食ったり、プレゼントのラッピングを開けたりするの、マジ、きついって。自虐にもほどがある」
「聞いているかぎりでは、なんだか楽しそうにも思えますが」
「まあ、徹夜でゲームやったりして、楽しくなかったわけではないが、彼女持ちでパーティーに参加しなかったやつはその頃どうしていたのかと考えると……」
 あの場にいた全員が、いつかは恋人とふたりきりのクリスマスを過ごしたい……と願っていたことはたしかであろう。
 そこで、はっと気づく。
 俺たち、つきあうことになったのだから、今年のクリスマスは花宮さんと過ごせるということではないか!
 あれだよな、フレンチを予約したり、夜景の見えるところに行ったりして……。彼女のいるクリスマスということについて、頭のなかでシミュレーションしてみる。
 プレゼントも必要だ。アクセサリーなどが定番なのだと思うが、女子の好むものなんて、さっぱりわからない。センスにはじんも自信がないので、リクエストしてもらえると助かるのだが……。
「花宮さんは、ク……」
 そう言いかけて、我に返る。
 いやいや、待て待て。冷静に考えると、いま、まだ夏だし、クリスマスのプレゼントになにが欲しいとか、先走りすぎだ。
「く?」
 またしても首を傾げる花宮さんに、俺は言葉をつづける。
「靴下、はいているんだな、夏なのに」
 花宮さんはクッションの上で、きちんと両足をそろえて、正座をしていた。
「そうですね。このあいだは下駄だったので裸足でしたが、ふだんはスニーカーで靴下のことが多いです」
「痛かったところは、もう、だいじょうぶか?」
「はい、すっかり治りました」
「それはよかった。足、伸ばしていいからな。べつに正座じゃなくても」
 そんなにかしこまらなくてもいいと思うのだが、花宮さんからは身構えている感じがありありと伝わってくる。
 まあ、俺も緊張状態でノルアドレナリンが活発に分泌されている自覚があるので、ひとのことは言えないが……。
「それじゃ、カニ、食べるか」
 俺はそう言って、キッチンに向かった。
「いちおう、米も炊いてあるから。身をほじりながら食うか、カニ丼にするか、どっちがいい?」
「私はどちらでもいいですので、ほし先輩のおすすめでお願いします」
「半分はカニ丼にするか」
 皿とキッチンバサミを持ってくると、同封されていたカニのさばき方が書かれた紙を見ながら、甲羅をはずして、解体していく。
 カニの殻はあらゆるところがとがっており、脚を握ることもままならない。
「防御力が高くて、どこから攻めたらいいのか、難しいな」
 俺のつぶやきに、花宮さんもくすりと笑って、うなずく。
「なかなかの強敵って感じですね」
 すべての脚を折って、殻をいたあと、カニの爪に取りかかる。脚に比べると、爪の部分は強固で丸みもあって扱いにくいが、それでも平たくやわらかなところを見つけ、キッチンバサミで切れ目を入れることができた。
 つづいて、胴体である。真ん中は切りやすいが、脚の付け根の部分が手強い。
「さすがに硬いな」
 キッチンバサミを握る手に力をこめると、バキッと音がして、水分が飛び散った。
「あっ、すまん」
 テーブルだけじゃなく、花宮さんのいるあたりまで、カニから出た汁が飛んでしまったようだ。
「汚れなかったか?」
「だいじょうぶです。あの、テーブル、拭きましょうか?」
「ああ、頼む。そこにティッシュあるから」
 カニから手を離さず、俺はそちらへと目を向ける。
 俺が使っているパイプベッドはロフトになっていて、柵についた棚にティッシュの箱を置いているのだ。しかし、よくよく考えると、ベッドにティッシュの箱って、どうなんだ……。いや、考えすぎか。中学生じゃあるまいし、落ちつけ、俺……。
 花宮さんは箱からティッシュを引き出すと、テーブルの上を拭いてくれた。
 おかしな方向に妄想を繰り広げないよう、内なる男子中学生を封じこめ、紳士たる自分を呼び起こして、平静を保つ。
「ゴミ箱、ありますか?」
 ティッシュを片手に、花宮さんが言った。
「ああ、キッチンのレンジ台の横に……」
 カニに切りこみを入れつつ、俺は答える。
「ついでに、もう一枚、皿を持ってきてくれるか?」
「わかりました」
 花宮さんは立ちあがって、キッチンへと向かった。
「お皿、これでいいですか?」
「ああ。胴体のところ、丼用にほぐしておこうと思って」
「それなら、私も手伝います」
 花宮さんも箸を手にして、ふたりでカニの身を取り出す作業をする。
 お互いに黙々と作業を行っており、会話はないが、不思議と気まずい雰囲気にはならない。
 むしろ、共同作業のおかげで打ち解けるというか、花宮さんの張り詰めていた気持ちが、少しはゆるんだように思えた。
 あっという間に、カニの身が皿に山盛りになる。
「よし、これで食えるぞ」
「ふたりでやると、早かったですね」
「花宮さんも、水道でもなんでも勝手に使っていいから、手を洗ったりして」
「わかりました」
 俺はキッチンの流し台のところで手を洗うと、丼の用意をした。花宮さんもおなじように手を洗う。
「カニ丼に、しようは?」
 俺の声に、花宮さんは答えた。
「少しだけ、かけてください」
 丼にご飯を入れ、ほぐしたカニの身をのせて、爪や脚の部分もトッピングして、醬油を少し垂らす。
「あと、も散らすか」
「わあ、おいしそうです」
 花宮さんは完成したカニ丼を見ると、はしゃいだ声をあげた。
「では、食べるとしよう」
「いただきまーす」
 口に運ぶと、カニのうまみが広がり、さすが北海道直送だけあって鮮度がよく、カニの味が濃厚だ。
「うーん、おいしいです」
 花宮さんも幸せそうな顔を見せてくれたので、カニをさばいたがあったというものだ。
「このカニ、はじめて食べましたが、すごくいいお味ですね」
「だよな。肉厚だから水っぽいかと思ったが、そんなこともなくてうまみが強い」
 カニの味をたんのうしたあとは、デザートに花宮さんが持ってきてくれたプリンを食べることにした。
「紅茶でいいか?」
「はい。あの、私、食器を洗います」
 そう言って花宮さんは立ちあがると、俺といっしょにキッチンにやってくる。
「いいって、そんなの。あとでやるから」
「でも、なにもしないでいるのも、申し訳ないので……」
「そうか。じゃあ、頼むか」
「スポンジと洗剤はここにあるものを使ったらいいですか?」
「ああ、うん、適当で」
 自分の部屋のキッチンに花宮さんがいて、食器を洗っているすがたを見ていると、なんだか現実とは思えないような気がしてきた。
 新婚っぽいというか……。
 恋人どころか、夫婦だろ、これ……。
 ぼんやりしていると湯が沸いたので、あわてて火を止めて、紅茶の用意をする。
 水道の蛇口を閉めると、花宮さんはこちらを振り向いた。
「洗い終わったものを拭く布巾とか、ありますか?」
「いや、いつも自然乾燥だから。そのまま置いといて」
 ふたりでテーブルに戻り、プリンを食べる。
 高級そうな瓶に入ったプリンは、とろとろとしており、スプーンからこぼれ落ちそうだった。
「うまいな、このプリン」
 俺が言うと、花宮さんはうれしそうに笑った。
「お口に合って、よかったです」
「俺の好きなタイプだ。プリンって、固め系となめらか系があるよな」
「そうなんですよ。固めの焼きプリンもたまにはいいですけど、やっぱり、なめらかな舌触りのとろけるプリンが最高です」
「なるほど。ほかに好きなものは?」
「好きな、食べもの、ですよね……」
 少し考えたあと、花宮さんは答えた。
「おとか、好きです。ざらざらした田舎いなか蕎麦じゃなく、細めで繊細な喉越しのさらしなが好きで、母には好みがうるさいっていつも言われています」
「蕎麦か。じゃあ、今度はどっか、蕎麦の店、調べておく」
「星野先輩の好きなものはなんですか?」
「俺? うーん、そうだな、あんまり食にこだわりはないんだが、カレーは無性に食べたくなるときがあるかも」
「インドカレーですか?」
「そう。カレー自体はレトルトでもいいけど、ナンは店じゃないと食べられないからな。花宮さん、辛いものは?」
「激辛でなければ、だいじょうぶです。私もカレーはわりと好きですので」
「そっか。じゃあ、カレーも食べに行こうぜ」
 次からのデートの布石がどんどん打てているようで、我ながらいい流れの会話ではないだろうかという気がしていた。
 しかし、花宮さんはまたしても緊張した様子になり、真剣な顔つきで、こちらを見たのだった。
「あの、星野先輩」
「うん? なんだ?」
「えっと、その……、私、少し、気になっていることがありまして……」
 花宮さんは目をらすと、うつむいて、言い出しにくそうにしている。
 なんだろう。
 まさか、別れ話ってことはないよな……。
「あの花火の日に、星野先輩、告白をしてくれましたよね? そのことなのですが……」
 そこでまた言葉が途切れて、俺には嫌な予感しかなかった。
 あのときはその場の流れで告白を受け入れたものの、あとからよく考えた結果、やっぱり、無理……とか……。
「そこにこだわるのもどうかなとも思うのですが、いちおう、はっきりさせておきたくて……。私としては、告白というのは、自分の気持ちを告げることだと思うのです。なので、できたら、私のことをどう思っているのか、きちんと言葉にしてもらいたいといいますか……」
 思いがけないことを言われて、俺は拍子抜けすると同時に混乱した。
「えっ? 俺、言わなかったっけ?」
「告白したら、つきあってくれるか、とは言われましたけど……」
 たしかに思い返してみると、そうだったような気もする。
 あのときはいっぱいいっぱいで、勢いに任せた感じだったから……。
 とりあえず、お断りされなかったことに、ほっとした。
 そうか、花宮さん、そこを気にしていたのか……。
 めちゃくちゃ恥ずかしいが、ここは言わねばならないところだろう。
 覚悟を決めて、俺は一気に告げる。
「花宮さんのことをどう思っているかっていうと、もちろん、好きだ」
 はにかみの表情を浮かべながらも、花宮さんはうれしそうな声を出した。
「ありがとうございます」
 それから、こっちを見つめて、言葉をつづける。
「私も、星野先輩のこと、好きです」
 可愛さが臨界点に達して、なにかが決壊した。
 気がつくと、俺は手を伸ばして、花宮さんの肩に触れ、自分の顔を近づけていた。
 甘くて、やわらかい……。
 食べてしまいたいほど可愛い、という言いまわしがあるが、まさにこういう気持ちなのかもしれない。
 キスは三回目のデートのときに……とか、いろいろと考えていたのに、すべて吹き飛んで、頭のなかが真っ白になった。
 花宮さんは抵抗しない。嫌がっている感じはなかった。キスの感触があまりに気持ちよくて、止められなくなる。くちびるの感覚だけでなく、手で触れている部分がどこも、きやしやで、やわらかくて、とろけそうで……。
 そのまま、花宮さんの体を床へと押し倒す。
 そこで、あきらかに空気が変わった。
 花宮さんの体が強張り、拒絶されたのが伝わってくる。
 甘い雰囲気が跡形もなく消え、花宮さんの心のシャッターが降りたのが、はっきりとわかったのだ。ガシャン、と。閉ざされた。
 俺はあわてて、身を離す。
「ごめん! そんなつもりでは……」
 花宮さんは床に仰向けの姿勢で、ショックを受けたように、目を大きく見開いていた。顔色を失って、紙みたいに真っ白だ。
 本当に、手を出すつもりなんかなかった。先週つきあうことになったばかりなんだから、いくらなんでも早すぎるだろう。
「ちがうんだ! なにもしないから!」
 俺は膝立ちの姿勢で両手をあげて、全面降伏のポーズを示す。
 花宮さんはゆっくりと身を起こすと、何度もまばたきをした。
「あの、今日は、もう、帰ります……」
 そう言うと、花宮さんは鞄を胸に抱きしめるように持ち、部屋を出ようとする。その足取りはふらふらしていて、支えたくなったが、体に触れることはためらわれた。
「待って。駅まで送るから」
 ふたりで並んで、駅までの道を歩く。
 そのあいだ、花宮さんは一言も声を発さなかった。重苦しい沈黙だけが流れる。
 別れ際、改札のところで、とにかくなにか言わなければと思って、俺は口を開いた。
「本当に、ごめん」
 花宮さんは困ったような顔をして、首を横に振った。
「謝らないでください。星野先輩は悪くないですから」
 だが、どう考えても、悪いのは俺だろう。
 これでは体目当てだと思われても仕方がない……。
 ひどい自己嫌悪で、呼吸をするのも苦しく、押し潰されそうだった。

#10-2へつづく
◎第 10 回全文は「カドブンノベル」2020年6月号でお楽しみいただけます!


「カドブンノベル」2020年6月号

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