menu
menu

連載

藤野恵美「きみの傷跡」 vol.23

【連載小説】今日は彼女の部屋でふたりきり。先日の振舞いを反省し、なにもしないと決めている、のだが……。 藤野恵美「きみの傷跡」#12-1

藤野恵美「きみの傷跡」

※本記事は連載小説です。



前回までのあらすじ

男子校出身の大学2年生・星野は、写真部の新入生勧誘で出会った花宮まいに一目惚れ。花宮は、ある理由で高校に行けなくなった過去があり男性が苦手だが、撮影会や合宿で少しずつ仲良くなるうち、花宮も星野のことが好きになり、ふたりは付き合い始める。家でのデートで、星野はキスからそのまま花宮を押し倒してしまうが、その瞬間明らかに拒絶される。その後のやり取りは普段通りだったものの、反省する星野。今日は花宮の家をデートで訪れた。

詳しくは 「この連載の一覧
または 電子書籍「カドブンノベル」へ

      23

 はなみやさんの作ってくれたカレーはおいしすぎて、もう結婚するしかないと思った。
「どうですか?」
 俺が食べるのをじっと見つめて、花宮さんはたずねる。
「すげえ、うまい。こんなの作れるなんて、すごいとしか言いようがないな」
「私、高校に行かなかった分、家で料理をしていたので」
「それなら、いつでも……」
 嫁に行ける、というフレーズが頭に浮かんだが、ポリコレ的にまずい気がして、口をつぐんだ。
 しばさきさんからもらった女性問題についてのパンフレットが頭をよぎったりして、気を引き締める。
 だいたい、うちの父親はくだらない下ネタやセクハラ発言を連発しては、母親から冷ややかな目で見られており、俺は「ああはなるまい」と肝に銘じていたのだ。
「いつでも?」
 首をかしげる花宮さんに、俺は言葉をつづけた。
「ひとり暮らしができるよな」
「そうですね。私がひとり暮らしをすることになったら、母のほうが困りそうです」
 くすりと笑って、花宮さんは言う。
ほし先輩も、ちゃんと自炊してますよね。写真を見るたび、いろんなものを作って、すごいなあと思っています」
「いやいや、あれは気合を入れて作ったときだけ、アップしてるから。ふだんの俺の料理はやばいよ。袋麵とか鍋で食ってるし」
「その写真も、見ました! みんなでラーメンの写真ばっかりアップしていたの、面白かったです」
 部活動の一環として、スナップ写真をネット上にアップして、コメントをつけあっているのだが、あるとき、ささがわが食べに行った某有名店のラーメンの写真につづいて、部長が負けじと大盛りチャーシュー麵の写真をアップしたところ、ほかの部員たちからもぞくぞくとラーメン写真が集まり、ラーメン博覧会のような流れになったことがあった。そのオチとして、俺は自分のしょぼい袋麵の写真を公開したのだった。
 すっかり忘れていたが、それを花宮さんが楽しんでくれていたのだと知り、妙にうれしい気持ちになる。
「私も参加したかったのですが、残念ながら、手持ちにラーメンの写真がなくて」
「結構、ラーメンって写真を撮りにくいんだよな。早く食いたいし。部長の場合、写真を撮るのに熱中して、麵が伸びるだろうって店主に怒られて、出入り禁止になった店があるらしい」
 そんな会話をしていて、ふと思い出す。
「明日、笹川と会う予定なんだが、花宮さんとつきあうことになったこと、話してもいいか?」
 笹川にはアドバイスをもらったりしたので、ここは報告しておくべきだろう。
「花宮さんが知られたくないなら、黙っておくが……」
「いえ、だいじょうぶです」
「まあ、どうせ、隠そうとしたところでバレると思うし。俺、すぐ顔に出るから」
「私も隠しごとは苦手です」
 柴崎さんと会ったことは、花宮さんに話さないようにとくぎを刺されていた。
 あれも、隠しごとになってしまうのだろうか。なんらやましいことはないのだが、隠しごとだと考えると、少し心苦しい。
「花宮さんは、俺とつきあうことになったって、だれかに話した?」
「母に……。それから、従姉いとこがおなじ大学に通っているので、その従姉にも話しました」
「新歓でいっしょだったひとだろ? 柴崎さん、だっけ?」
「そうです。私は、しずねえちゃんって呼んでいるんですけど、本当の姉妹みたいな感じで、よく家にも泊まりに来るんです」
 あのときのこと、柴崎さんにどこまで話したのか……。
 気になるところだが、やぶへびになるのもあれなので、なにも言わずに食事をつづける。
 それにしても、うまいカレーだ。
 すじ肉がとろとろに煮込まれていて……。
「あの、星野先輩」
 花宮さんの声に、俺はスプーンを持った手を止めて、顔をあげた。
「うん?」
「えっと……」
 花宮さんは言葉を途切れさせて、カレーの皿へと視線を向ける。
 そして、少し黙ったあと、また、俺のほうを見た。
「おかわりも、ありますから」
「遠慮なく、もらうとしよう」
 残りのカレーをスプーンでかき集め、急いで食べて、空になった皿を差し出す。
 その様子を見て、花宮さんはおかしそうに笑った。
「いっぱい食べてもらえて、うれしいです」
 花宮さんはそう言って、カレーのおかわりを運んでくる。
 食べ終わると、俺は椅子から立ちあがり、食器を持って、キッチンへと向かった。
「ごちそうさま。ほんと、うまかった」
 先日、俺の家でカニ丼を食べた際には、花宮さんが食器を洗ってくれたので、今回はこちらの番だろう。
 そう判断して、食器を洗おうと思ったのだが、花宮さんは大きく手を振って、俺の行動をさえぎった。
「いいです、いいです。食洗機に突っ込んじゃいますから」
「そうか。なんか、食ってばっかで申し訳ないが」
 花宮さんは食器をざっと水で流すと、食洗機に入れ、冷蔵庫のほうに目を向けた。
「プリン、食後のデザートにと思ったのですが、おなかいっぱいなので、少し、私の部屋でおしゃべりしませんか?」
「ああ、うん」
 花宮さんに連れられ、廊下を歩き、部屋へと向かう。
 部屋に入った瞬間、さわやかな香りを感じた。
 とてもいい匂いなので、思わず、深く息を吸い込む。
「部屋の匂い、嫌じゃないですか?」
 花宮さんは言いながら、部屋の明かりをつけた。
「嫌というか、むしろ、めちゃくちゃいい匂いだと思うんだが」
「よかったです。アロマを使っているんですけど、ひとによって好みがあるので」
「へえ、アロマか」
「部屋がカレーの匂いになるのは嫌なので、消臭効果のあるレモングラスがブレンドされたアロマオイルをいておきました」
「ああ、たしかに、レモンっぽい」
 鼻をくんくんさせて、俺は部屋を見渡す。
 シンプルなインテリアで、きちんと整理整頓され、すっきりとした部屋だ。壁際にはベッドがあり、そちらに視線が引き寄せられた。よからぬ方向に考えを巡らせそうになったが、平常心を取り戻す。
 手を出さない。
 そう決めたのだ。
「お、こいつ、見覚えがあるぞ」
 ベッドに置いてあったカピバラのぬいぐるみに気づき、俺は手を伸ばした。そして、そいつの頭をでる。
「そうです。合宿のときの……」
 カピバラのほかにも、ベッドにはいくつものぬいぐるみが並べられていた。
「ぬいぐるみ、好きなのか?」
「はい。これ以上、増やさないようにと思っているのに、あのときは我慢できなくて、つい、この子を連れて帰っちゃいました」
 ぬいぐるみが好きならプレゼントしようかと思ったのだが、増やさないようにしているということは避けたほうがいいか……。
「私の部屋、クッションがなくて。ラグの上、どこでも座ってください」
 花宮さんはベッドにもたれるようにして座ると、俺にそう声をかけた。
 彼女の部屋でふたりきり……という状況にあっても、今日の俺はさほど動じることはなく、平静を保っていられた。
 もし、先の展開を期待していたならば、頭のなかは大変なことになっていただろう。
 最終目的があると、そこにたどり着くまでは失点が許されず、緊張の連続だ。不合格のらくいんを押されたなら、先に進めなくなってしまう。絶対にしくじるわけにはいかない。評価を上げ、チャンスを逃さず、確実に点を取っていく。そんなふうに考えていると、デートの最中は一瞬たりとも気が抜けないものだ。
 だが、なにもしないと決め、下心なしで接していると、無用なプレッシャーを感じずに済んだ。おかげで、今日はいつもよりリラックスして、花宮さんと過ごすことができており、そんな自分に気づいて、新たな扉が開かれたようである。
 以前、笹川から「相手が女子だということを意識しないで、緊張しなければ、空まわりしない」とアドバイスをもらったことを思い出す。あのときはいまいち、ぴんとこなかったが、まさにこういうことなのだろう。
 近すぎず、しかし不自然に遠すぎもしない絶妙な位置に座って、俺は本棚を見あげた。
「前々から思っていたんだが、花宮さんってかなりに勉強しているよな」
 本棚には大学で使う教科書のほかに、大量の参考書が並んでおり、あきらかに司法試験に向けたテキストもあった。
 法学部には、法曹を目指して法科大学院へ進学するつもりのガチロー勢と、学部卒で就職するつもりの学生が混在しているが、この本棚の並びは前者のものだろう。
「本棚、あんまり見ないでください。恥ずかしいです」
 花宮さんは顔を赤く染め、手を振って、俺の視線を遮ろうとした。
「ああ、すまん。てっきり、見られてまずいものは隠しているだろうから、ここに出ているのは見てもいいのだと……」
 俺の言葉に、花宮さんはきょとんとした表情でこちらを見る。
「いや、ほら、遊びに来るから、いろいろと準備というか……」
 そんなふうに説明をして、はたと気づく。
「あ、いま、俺、墓穴を掘ったな」
 つまり、自分は花宮さんが部屋に来たときには見られるとまずいものを隠したのだ、と告白したも同然である。
 語るに落ちるとは、このことでは……。
 花宮さんも気づいたようで、くすくすと笑い出した。
「星野先輩の本棚、哲学書とか、なんだか賢そうな本がいっぱい並んでいるなあと思っていましたが、あれ、見せるためのラインナップだったのですね」
 今度は俺のほうが赤面するしかない。
「その件については、あまり深く追及しないでくれ」
 そして、話題を変えるべく、質問する。
「弁護士志望なのか?」
「いちおう、そのつもりで……。母には、向いてないって言われますけど」
 花宮さんはうつむいて、言葉をつづけた。
「争いごとが苦手なのに、どうして、よりによって弁護士なんて選ぶのか、と……。もともと、法学部に行くことも、あまり賛成されてなくて。最終的には、私のやりたいことを尊重してくれたのですが」
「そうだったのか。まあ、先は長いし、険しい道だもんな」
「星野先輩も、法曹コースなんですよね」
「うちは父親が弁護士で、事務所をやってるから、刷り込まれたというか。それこそ、ほかにやりたいことが見つかったら、その道に進んでいいとは言われていたんだが、結局、そこまで夢中になれるものもなくて」
 そう言って、肩をすくめたあと、問いかける。
「花宮さんは、なんで?」
「志望動機ですか? 私、以前、弁護士さんのお世話になったことがあって、そのときに相談に乗ってくれた方が、女性だったのですが、とても素敵だったのです。弱い立場のひとを助けたいって気持ちで、仕事をなさっていて……。それで、法律という武器を手に入れたら、私も、もっと強くなって、だれかの力になれるのかなと思って、大学で学んでみようと考えました」
 真剣な口調で、花宮さんはそう語った。
「なんか、面接してるみたいだな」
 冗談っぽく言うと、花宮さんは照れ笑いを浮かべた。
「すみません。大学でも、ときどき、熱が入りすぎて、まわりと温度差があるのは、自覚しているのですが」
「ひとによるよな。ゼミになると、モチベーションの有無が如実に表れてくるし。まあ、勉強熱心なのはいいことだ。まわりなんか、気にしなくていいだろ」
 軽くうなずいて、俺は言葉をつづける。
「俺が見た感じでは、案外、花宮さんは弁護士に向いてる気がするが」
 それを聞いて、花宮さんはうれしそうに目を輝かせた。
「えっ、本当ですか?」
「ああ。花宮さんって大人しそうに見えるけど、話しているとロジカルで、油断ならないなって思うところもあるし」
「そんなふうに言われたの、はじめてです」
 花宮さんは驚いたような表情を浮かべるが、悪い意味には受け取っていないようだ。
「まずは試験を突破していけるかというところだが、その点、自分のペースでこつこつ努力できるタイプは強いだろ。花宮さんは高校に行かずに、大学に受かったわけで、試験に対するメンタル的なタフさもあると思うし」
 法律家を目指す者は、狭き門をくぐらなければならない。
 俺はこれまで受験においては挫折というものを経験したことがないので、逆に、今後のことを考えると不安があった。花宮さんのように一般的なルートを外れたあとにちゃんと自分の進むべき道を選んだひとには、独特の強さがあるのではないかという気がする。
「父親の話とか聞いてると、弁護士になったあとも、誠実さっていうか、信頼される人格であることが求められるみたいで。そういう面でも、花宮さんみたいに優しい雰囲気で話しやすい弁護士は、需要がありそうだと思うぞ」
 俺の言葉に、花宮さんは目を大きく見開いたまま、瞳を潤ませた。
 えっ? これ、泣きそうな顔……?
 花宮さんはうつむくと、指で涙を拭うような仕草をする。
 ななな、なんで……。
 思いがけない反応に、どういうことなのか理解が追いつかず、言葉も出ない。
 やっぱり、泣いてる……? 俺が泣かせてしまったのか……? まずいことを言ったつもりはないのだが、なぜ……。
 そこで、はたと気づく。
 ああ、そうだ。花宮さんの家庭はシングルマザーで、父親が……。
「あっ、すまん、父親の話をしたのは無神経だったか」
 俺が言うと、花宮さんは目をまたたかせたあと、首を横に振った。
「いえ、そういうことではなく……。私、ずっと、高校に行けなくなったこと、自分の弱さだと思っていて……。なのに、前向きにとらえてもらったのが、うれしくて……。星野先輩の言葉が心にしみて、ちょっとうるうるしちゃいました」
 まだ目元がほんのりと赤いが、花宮さんは笑みを浮かべており、俺は胸を撫で下ろす。
「そうか、びっくりした」
「家庭環境のことは、気にしないでください」
 はっきりとした声で、花宮さんは言った。
「変に気を遣われて、おうちの話をしてもらえないほうが悲しいので」
「そうなのか」
「はい。私にとっては、それがずっと、ふつうのことだといいますか。星野先輩も、ひとりっ子ですよね?」
「ああ」
「きょうだいがいなくても、べつに楽しく過ごせるし、さみしいとも思わないのに、かわいそうだと決めつけられたら、嫌じゃないですか」
「そうだな。その気持ちはわかる」
「おなじような感じで、私にとっては父がいない家庭というものが当たり前で、何不自由なく育っているので、そのことで泣いたりすることはありません」
 真剣な顔つきで理路整然と語る花宮さんを見ていると、俺は微笑ほほえましい気持ちになった。
「ほら、そうやって論証によって、俺を説得しようとするところ。やっぱり、適性があるって」
 俺の指摘に、花宮さんも表情をゆるめる。
「あ……、ほんとですね」
 そして、会話が途切れた。
 しばらく無言で見つめあうことになる。
「あの、星野先輩」
 呼ばれて、俺は答えた。
「なんだ?」
 花宮さんは口をつぐんだが、なにか言いたげな表情だ。
「どうかしたか?」
「いえ……」
 そうつぶやいたあと、花宮さんは目をそらして、うつむく。
「気になることがあるなら、言ってほしいんだが」
 俺がうながすと、花宮さんは顔をあげた。
「えっと……」
 こちらを見て、言葉をつづける。
「今日は、キス、しないんですか?」
 上目遣いでそんなことを言われ、心拍数が跳ねあがった。
「なっ……、なっ……」
 呼吸困難に陥りつつも、どうにかぼんのうを振り払って、俺は明言する。
「今日は、なにもしない」
 だから安心してほしい。
 そのような意味を込めて答えたつもりだったのだが、花宮さんは悲しそうな表情を浮かべた。
「えっ……、そうなんですか……」
 なぜに、そんなしょんぼりとした声を出すのだ。
 これでは、まるで……。
「花宮さんは、したいのか、キス」
 そう口走って、はっと我に返る。
 なにを訊いているんだ、俺は……。
 花宮さんは耳まで真っ赤になると、こくりとうなずいた。
 どうなっているんだ、この状況は……。
 俺の理性が試されているのか……。

#12-2へつづく
◎第 12 回全文は「カドブンノベル」2020年8月号でお楽しみいただけます!


「カドブンノベル」2020年8月号

「カドブンノベル」2020年8月号


関連書籍

MAGAZINES

カドブンノベル

最新号
2020年9月号

8月10日 配信

怪と幽

最新号
Vol.004

4月28日 発売

小説 野性時代

第201号
2020年8月号

7月13日 発売

ランキング

アクセスランキング

新着コンテンツ

TOP