menu
menu

連載

藤野恵美「きみの傷跡」 vol.21

【連載小説】彼女をつい押し倒してしまった俺は、煩悩を追い払うため、滝に打たれることにした。藤野恵美「きみの傷跡」#11-1

藤野恵美「きみの傷跡」

※本記事は連載小説です。



前回までのあらすじ

男子校出身の大学2年生・星野は、写真部の新入生勧誘で出会った花宮まいに一目惚れ。花宮は、ある理由で高校に行けなくなった過去があり、その「傷」のせいで男性が苦手だ。けれど、一度のことで人生の選択肢を奪われたくないと決心し、入部する。撮影会や合宿で少しずつ仲良くなるうち、花宮も星野のことが好きになり、ふたりは付き合い始める。家でのデートで、星野はキスからそのまま押し倒してしまうが、その瞬間、花宮から明らかに拒絶される。

詳しくは 「この連載の一覧
または 電子書籍「カドブンノベル」へ

      21

 ぼんのうを追い払うため、滝に打たれることにした。
 まあ、正しく言えば、ここは銭湯で、俺の上に落ちてきているのは打たせ湯なのだが……。
 しかし、気持ち的には「滝行」である。
 水の勢いを全身で感じながら、先ほどの行いを反省する。
 まったく、己の自制心のなさには、ほとほとあきれてしまった。
 魔が差すとは、まさにああいう感じなのだろう。
 そんなつもりはなかったのに、はなみやさんのことを……。
 拒絶のまなざしを思い出して、身震いする。はっきりとした言葉があったわけではないが、あの表情を見れば、いかに鈍感な俺でも、花宮さんが嫌がっているのだと理解せずにはいられなかった。
 はあ、ミスった……。早まった。急ぎすぎた。がっつきすぎだ。申し訳なくて、恥ずかしくて、合わせる顔がない……。
 だが、もうひとりの俺が、心のなかで異議を申し立てる。
 花宮さんは俺のことを好きだと言ってくれて、両思いなのだから、あれくらい許されるのではないか。そうだ、致命的なミスというわけではない。ぎりぎりのところで思い止まったのだから、無罪だ。
 だが、そんなふうに自己弁護したところで、罪悪感は消えない。そして、心のなかで言い訳を探して、正当化しようとしている自分に、ますます情けない気持ちになる。
 俺がなんと言おうと、花宮さんにあんな顔をさせてしまったことは事実だ。
 心身を鍛え直すべく、打たせ湯のあとはサウナに向かった。
 タオルで体の水気を拭き、しっかりと絞って、腰に巻いてから、サウナ室へと足を踏み入れる。
 サウナ室には先客がふたりいた。どちらも上段に座って、めいそうするように目を閉じており、常連っぽい感じだ。サウナ室は階段状になっていて、上のほうが温度が高く、たいてい、そこは上級者が陣取るもので、ビギナーは下段からと相場が決まっている。なるべく物音を立てず、空気を動かさないよう気をつけながら、下段の空いているスペースに腰かけた。
 父がサウナ愛好家だったので、子どものころから銭湯に連れて行かれることが多かった。昔は熱い湯が苦手で、サウナにも入れず、なにが気持ちいいのかさっぱりわからなかったが、いまでは理解できる。
 サウナは自分との闘いなのだ。
 なにも持たず、裸の状態で己と向き合い、あえて苦痛を受け、じっと耐え忍ぶことで、達することのできる境地がある。
 すぐに全身から汗が吹き出してきた。息苦しいほどの熱気のなか、身動きひとつせず、汗がだらだらと流れ落ちていくのを感じる。
 限界まで我慢したあと、サウナ室から出て、水風呂まで行くと、手桶で水をすくって、頭からかぶった。汗を落としたあとは、覚悟を決め、水風呂につかる。刺すような冷たさに、思わず歯を嚙み締めながら、全身の血管が収縮するのを感じて、冷たさにひたすら耐える。
 冷水で締められ、縮こまったあとは、水風呂から出て、ベンチで休憩した。
 全身がぽかぽかしてきて、頭の芯からじんわりと心地よさが広がり、新しい自分になったかのようだ。
 ベンチから立ちあがり、すっきりとした気分で歩き出す。
 脱衣所に向かい、湯あがりのコーヒー牛乳を飲み、服を着て、ロッカーから鞄を取り出して、スマホをチェックしたところで、花宮さんからのメッセージに気づいた。
 心臓がバクバクするのを感じながら、文字を目で追う。
 内容はカニのお礼であり、あの件については一切触れられておらず、いたって普段どおりのテンションに思えたので、ほっとした。
 花宮さんはそんなに気にしていないと考えてもいいのだろうか……。
 その場ですぐさま返事を書く。
 次こそは失態を演ずることのないよう、心してデートに臨むとしよう。
 まずは映画館だが、どこがいいだろうか。あらかじめ座席指定できるところを調べておこう。あと、花宮さんの好みに合いそうな屋を探して……。
 綿密なプランを立てながら、帰路につく。
 花宮さんからはなかなか返信がなかったが、寝るまえになって、メッセージが届いた。
「お返事、遅くなってすみません! 来週は火曜日だけ予定が入っていますが、そのほかの日はだいじょうぶです」
「じゃあ、水曜にするか」
「はい。楽しみです!」
「映画、ネットで予約しとく。席、どのあたりがいいとかある?」
「あまり前方だと疲れるので、後ろのほうがいいです」
「了解。また連絡する」
 そう返信すると、映画館のサイトでさっそくチケットの予約をして、座席を選ぶ。
 センターブロックの後方で通路側のふたつ並んだ席があったので、そこに決めた。
 時間は午後二時二十五分からの上映なら、昼に待ち合わせて、ランチを食べて……という流れで、ちょうどいいだろう。
 予約が完了したところにメッセージが届いたので、花宮さんからだろうと思って、あわてて開く。
 だが、見たことのないアイコンだったので、少し戸惑った。
「こんばんは。花宮まいの従姉いとこしばさきしずくです。新歓でお会いしたのですが、覚えていますか?」
 柴崎さんのことは覚えていた。
 だが、あのとき、連絡先を教えた記憶はないのだが……。
 疑問に思いつつ、俺は返事を書く。
「こんばんは。覚えています」
「よかった! 夏休み中に大学に来る予定はありますか?」
 質問の意図がわからず、返信をためらっていると、重ねてメッセージが届いた。
「まいとつきあうことになったと聞きました」
「そのことで、少しお伝えしておきたいことがありまして」
「私はほぼ毎日、研究室に顔を出しています」
 次々にメッセージが送られてくる。
 なんだかよくわからないが、花宮さんのことなら話を聞いておくべきだろう。
「大学の近くに住んでるので、行こうと思えば、いつでも行けます」
 とりあえず、俺はそう返事を書いてみた。
「では明日の午後三時にライブラリ横のカフェテリアでお待ちしています」
「わかりました」
「あと、私から連絡があったことは、まいには知らせないでください。念のため」
 花宮さんに知らせるなとは、どういうことなのか……。
 気になったので、それについては、あえて返事をしないでおくことにした。

 翌日、早めに大学に行き、図書館で判例を読んだりして、時間が過ぎるのを待った。
 約束の時間が近づき、カフェテリアに向かうと、すでに柴崎さんのすがたはあった。
 ノートを広げ、イヤフォンをつけて、語学の勉強中であり、俺が来たことには気づいていないようだ。
 椅子を引き、机に手をついて、存在をアピールすると、柴崎さんはようやく顔をあげた。
「どうも」
 俺は軽く会釈して、向かいの席に座る。
 柴崎さんは無言のまま、じっとこちらを見つめてきた。その迫力に、少したじろぐ。目力が強いというか、色白できやしやなところは花宮さんとおなじだが、あまり似ている感じはしない。
「お呼び立てして、すみません」
 言葉は丁寧だが、どこか険のある口調で、柴崎さんは言った。
「まいが高校に行けなくなった出来事について、なにか、聞いています?」
 柴崎さんの言葉に、俺は首を左右に振る。
「いや、くわしいことは……」
 以前、その話題になったことがあったが、結局、はっきりとはわからないままだ。
 人間関係のトラブルっぽいようだったので、いじめとかだろうか……。
「そうですか。そのうち、まいが自分で話すこともあると思います。この件については、私のほうから言うべきではないと思うので、説明することはできませんが、とにかく、もし、まいが話したときには、あたたかく受け入れてあげてほしいんです」
 柴崎さんの話は、どうも要領を得ない。
「俺、察するとか、言葉の裏を読むとか、苦手なんで……。なんのことなのか、はっきり言ってもらえないと、よくわからないのですが」
「だから、それは私からは言えないのです。まいが自分で話すことに意味があると思うので。あなたのことを本当に信頼できると、まいが判断すれば、打ち明けるでしょう。そのときは、決して、あの子を責めるようなことは言わないでください」
「はあ……」
 さっぱり意味がわからず、そんな気の抜けた返事しかできない。
「万が一、まいを泣かすようなことがあれば、社会的に抹殺しますので、そのつもりで」
 さらりとおそろしい宣言をされて、ぜんとする。
「いや、それは……」
「自分でも過保護だとは思うんですけど、あの子、私の妹のようなものなので、放っておけなくて。私はこれ以上、まいに傷ついてほしくないんです」
 まっすぐにこちらを見つめるまなざしは、真剣そのものだ。
 柴崎さんがなにを言いたいのかは、いまいち理解できないが、花宮さんのことを本当に心配しているのだということは伝わってきた。
「あの子、ひどく傷ついて、家から一歩も出られないようになって……。いまの様子からは想像できないかもしれませんが、そんな時期もあったんです。もう生きているのもつらいみたいな状態なのに、こっちはどうしてあげることもできなくて……。自殺したらどうしようとか思って、気が気じゃなかったんですよ、正直」
「自殺って……。そこまで追いつめられるなんて、相当のことですよね。できれば、くわしく教えてほしいんですが……」
 俺は再度、そう頼んでみたが、聞き入れてはもらえなかった。
「まあ、自殺はこっちが勝手に心配していただけで、べつに未遂とかしたわけじゃないんですけど。あの子、優しくて繊細で、だからこそ、傷つきやすいというか」
「それは、わかるような気がします」
 俺がそう言うと、柴崎さんは少しだけ目元をほころばせた。
「ようやく回復したところなんです。なのに、また、なにかあったら、今度こそ立ち直れないかもしれません。だから、余計なお世話かもしれないけれど、忠告をしておこうと思いました」
「あの、忠告って、具体的に、俺はどうすれば……」
「あの子のこと、大切にしてください」
 柴崎さんの答えは、実にシンプルなものだった。
「それなら、言われなくても、そのつもりです」
 その言葉を聞いて、柴崎さんは納得したようにうなずいた。
「厳しいことも言いましたが、まいに恋人ができたのはうれしいですし、ふたりのことを応援したいと思っています。これ、読んでおいてください」
 柴崎さんは一冊のパンフレットを鞄から取り出すと、机に置いた。そして、席を立ち、そのまま去っていく。
 俺はパンフレットを手に取り、ぱらぱらとめくった。
 そこには、性暴力、デートDV、レイプドラッグ、セクシャルハラスメント、ストーカー被害といった言葉が並んでおり……。
 このパンフレットを渡すことで、柴崎さんはなにを伝えたいのかと考え、自分のしでかしたことに思い至り、かなり焦った。
 もしや、俺があの日、花宮さんを押し倒してしまったことがバレているのでは……。
 花宮さんは思い悩んで、柴崎さんに相談したのではないだろうか。それで、わざわざ、柴崎さんがくぎを刺しにきた、とか……。
 その可能性は十分にありうると思い、冷や汗が出てきた。
 柴崎さんに伝えたように、俺は花宮さんを大切にしたいと思っているのだ。その気持ちに偽りはない。それなのに、欲望に負けそうになったことはどれほど悔やんでも悔やみきれなかった。
 もう二度と、花宮さんをおびえさせるようなことはすまい……。
 パンフレットを閉じると、俺は改めてそう心に誓ったのであった。

#11-2へつづく
◎第 11 回全文は「カドブンノベル」2020年7月号でお楽しみいただけます!


「カドブンノベル」2020年7月号

「カドブンノベル」2020年7月号


関連書籍

MAGAZINES

カドブンノベル

最新号
2020年10月号

9月10日 配信

怪と幽

最新号
Vol.005

8月31日 発売

小説 野性時代

第203号
2020年10月号

9月12日 発売

ランキング

アクセスランキング

新着コンテンツ

TOP