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連載

藤野恵美「きみの傷跡」 vol.12

先輩とふたり、バスに乗って、またカピバラを見に行くことになった。藤野恵美「きみの傷跡」#6-2

藤野恵美「きみの傷跡」

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      12

 星野先輩とふたり、バスに乗って、またカピバラを見に行くことになった。
 星野先輩はとなりの座席にいて、距離が近い。でも、わりと平気だ。いつかベンチでとなりに座ったときには、考えすぎちゃって、だんだん、怖くなってしまったけれど、今日はそういう感覚にならなかった。
 私のなかで、星野先輩は大学の「先輩」というカテゴリーに入っていて、それは椿先輩とおなじだから、苦手な「男性」だと意識しないようになってきているのかもしれない。
「あの、すみません、つきあわせてしまって……」
 バスに揺られながら、私は謝る。
「いや、全然」
 そう言ったきり、星野先輩は黙りこんだ。
「やっぱり、私、椿先輩の分も買ってきますから……」
 思わず、そう提案する。
 せっかく、ひとりで気楽に過ごせると思っていたのに、星野先輩がそばにいると気を使ってしまう。だから、別行動がとれるならそうしたいという気持ちもあった。
「でも、頼まれたのは俺だし。椿先輩も言ってたけど、大きいの、ふたつも持って帰るのは大変だろ」
 そう言ったあと、星野先輩はつけ加える。
「花宮さんにしてみたら、迷惑かもしれないけど」
「いえ、迷惑とか、そういうことは……」
 否定してみるものの、本当のことを言えば、ひとりになりたかったな……と思っていた。
 沈黙が重い。
 ひとりなら静かなのはあたりまえで、むしろ、そこに心地よさを感じるのだけれど、だれかといっしょなのに会話がないと、気詰まりだと感じるのは、なぜなのだろう。
「試験、どうだった?」
 唐突な星野先輩の質問に、少し戸惑う。
「えっと、なんとか乗り切ることができました。先輩に教えていただいた過去問、すごく助かりました」
「役に立ったなら、よかった」
 会話が終わり、また沈黙が流れる。
 しばらくして、星野先輩は口を開いた。
「苦手な科目は?」
 星野先輩の質問に、少し考えてから答える。
「商法とか会社法とかって、あまりみがないので、イメージしにくいところが多くて難しいです」
「商事法は改正も多いし、ややこしいよな」
「試験で『法の理念と実態のかい』の問題があって、私、信義則で答えたんですけど、商慣習について書くべきところだったんじゃないかなと思いついて、あとで、かなり、へこみました」
「ああ、それな。ちょうどいい判例が思いつかないと、とりあえず信義則でなんとかしてみようと考えるのはある」
「信義誠実の原則って、もう、言葉からしてかっこいいですもんね」
 お互いに相手の信頼を裏切らず、誠意を持って行動しなければならないという原則で、私はその言葉を学んで「うんうん、そうだよね」と非常に共感したのだった。
 また会話が途切れたので、私は口を開く。
「えっと……」
「あのさ……」
 同時に、星野先輩もなにか話そうとしたので、声がかぶさってしまった。
「あ、どうぞ」
「いや、俺の話はどうでもいいから」
「いえ、私の話もたいしたことじゃないので……」
 お互いに遠慮して、再び沈黙が流れる。
 星野先輩のほうを見ると、目が合った途端に、視線をそらされた。
「たぬき・むじな事件って、やった?」
 またしても唐突に星野先輩は言う。
 私とおなじように沈黙を気まずいと思って、話題を提供してくれているのだろう。
「はい、やりました。名前にインパクトがあるので、いったい、どんな事件だろうと思って、面白かったです」
「むささび・もま事件も面白いよな」
「名前が可愛いおかげで、事実の錯誤と違法性の錯誤については、ばっちり理解できました」
 私はそう言って、星野先輩を見あげる。
 星野先輩は居心地悪そうに目を泳がせると、そわそわとした様子で顔を背けた。
 その反応を見て、星野先輩も緊張しているのかな……と思った。いつもより無口なのも、緊張してるせいなのだろう。
 私もいっしょにいる相手には気を使うほうだけど、星野先輩はそれ以上に緊張しているみたいだ。
 不思議なもので、ガチガチに緊張している星野先輩を見ていると、こちらはかえって落ちついてきた。
 バスを降りて、星野先輩といっしょに、またカピバラを見に行く。
 園内に入ってしまえば、動物たちを眺めたり、カメラを向けたりと、広々とした場所でいろいろな行動をできるので、バスに乗っていたときのように会話で間を持たせなければというプレッシャーもなく、のびのびと過ごせた。
 私が写真を撮っているあいだ、星野先輩もいろんなところにカメラを向けていた。私が移動すると、星野先輩もついてくる。
 お互い、好きに写真を撮っているので、気楽といえば気楽だけど、星野先輩はどう思っているのだろう……。
「あの、私、このあと、カワウソを見に行きたいのですが」
「ああ、わかった」
 自分の行きたいところばかりにつきあわせているので、なんだか申し訳ない気分になる。
 カワウソの可愛らしさを満喫して、星野先輩のほうを見ると、見知らぬ家族連れの写真を撮っていた。幼稚園くらいの子供と、その両親と祖父母だろう。星野先輩は写真を撮ったあと、カメラを父親らしきひとに返して、お礼を言われていた。
「写真を撮ってください、って頼まれて」
 私の視線に気づいて、星野先輩はそう説明する。
「カメラ持ってると、よく頼まれますよね」
「だよな」
「私は他人のカメラで写真を撮るのって苦手なので、できれば断りたいのですが……」
「そうなのか?」
「家族の思い出になるような写真を自分が撮るって、責任重大じゃないですか。一眼レフを持っているから、たぶん、写真のうまいひとだって期待して頼むと思うんですよね。でも、私、実際のところは腕はないですし、上手に撮れないのが、申し訳なくて……」
「いや、その辺で観光写真を頼むのに、そこまで期待しないだろ」
 星野先輩はちょっとあきれたように笑った。
「俺、そんなふうに考えたことなかったな。頼まれたら、はいはい、撮りますよーって気軽に引き受けて、シャッターを押してるけど。友達と金閣寺に行ったときなんか、外国人観光客に撮影を頼まれすぎて、危うく置いて行かれそうになった」
 星野先輩のおおらかさに、私も思わず笑ってしまう。
 動物たちの写真をたくさん撮ったあと、私たちはサボテンの温室に向かった。
 昨日は動物たちのエリアに時間をかけたので、こちらはじっくりと見ることができなかった。両手をあげてバンザイしているみたいなサボテンが面白くて、いいアングルを探していると、後ろのほうで声が聞こえた。
「すみません、撮ってもらっていいですか?」
「ええ、いいですけど」
 どうやら、また、星野先輩は撮影を頼まれたみたいだ。
 振り返って、星野先輩のほうを見ると、恋人同士らしき男女に、お礼を言われていた。
 私と目が合って、星野先輩はわずかに苦笑する。私も「またですね」という意味をこめて微笑みを返す。
 星野先輩には親しみやすい雰囲気がある。それに、撮影してもらうためには自分のカメラやスマホを渡すことになるので、信用できそうな人物に声をかけるだろう。そう考えると、星野先輩を選ぶのはわかる気がした。
「つぎは? どうする?」
 星野先輩の問いかけに、私はサボテンを販売しているコーナーを目指した。
「サボテン狩りをしたいのです」
 地面にさまざまな種類のサボテンや多肉植物が植えられていて、気に入ったものを選び、お土産として持ち帰ることができるのだ。
「へえ、面白そうだな」
 星野先輩も乗り気だったので、ふたりでサボテンを選ぶことにした。サボテンは素手では触れないので、長いお箸を渡されて、それでつまみあげる。
 たくさん並んでいるサボテンたちのうちから、私はころんとしたまるいサボテンを選んだ。白くて細いトゲがたくさんついている。うまく育てたら、白い花が咲くらしい。
 慎重にサボテンをお箸でつかんで、カゴへと移動させる。砂はさらさらしており、根も深くなく、思ったよりも簡単に、地面から引き抜くことができた。
「それ、まるっこくて可愛いな」
 私のサボテンを見て、星野先輩が言う。
「三年くらいしたら花が咲くそうなので、大切に育てようと思います」
「おう、三年か。先は長いな」
 星野先輩が選んだのは、平べったくて肉厚でトゲの太いサボテンだった。
「大きいですね」
「ちゃんと世話できるか自信がないので、丈夫そうなのを選んでみた」
 それぞれのサボテンを係のひとに鉢植えにしてもらったあと、私たちはレストランに向かうことにした。
「おなか、空きましたね」
「ああ、かなり」
 ゆっくり見ているうちに、いつのまにかランチの時間も過ぎていた。
「ごはんのこと、すっかり忘れていました」
「マジか。俺、空腹で死にそうだったんだが……」
「えっ、すみません」
 私が謝ると、星野先輩は慌てたように言った。
「あ、いや、そういう意味じゃなく。べつに責めてるわけじゃないから」
 レストランはあまり混雑しておらず、私たちが案内されたテーブルの椅子には、カピバラのぬいぐるみが置かれていた。
「カピバラと相席ですね」
 私はカメラを構えて、写真を撮る。カピバラのぬいぐるみだけを大きく撮ったあと、引きにして、レストラン全体の雰囲気もわかるように撮影した。ほかにも動物のぬいぐるみがたくさん置かれ、ジャングルみたいで楽しい。
 料理を注文したあと、星野先輩は自分の指先が気になるようで、こすり合せたり、じっと見つめたりしていた。
「指、どうかしましたか?」
「いや、ちょっと痛いっていうか、チクチクして」
 ひとさし指の先を見て、星野先輩が答える。
「だいじょうぶですか?」
「ああ、トゲっぽいものが刺さっているみたいだけど、まあ、平気だろう」
「えっ、サボテンのトゲですか?」
「刺さったときは気づかなかったんだが」
「見せてください」
 私が手を出すと、星野先輩は手のひらを上に向けて、そこに重ねた。
 指の先を見ると、たしかに黒っぽいものがあった。
「ちょっと待ってください。五円玉を使って、トゲを抜く方法があるんです」
 私はそう言うと、財布から五円玉を取り出して、穴の部分をトゲが刺さっているところに当てた。そうすることで、周囲の肉が盛りあがって、トゲを抜きやすくすることができるのだ。子供のころ、スガワラさんに教えてもらったことがあった。
「ほら、取れました」
「おお、すごい。助かったよ」
 トゲを抜くため、私は星野先輩の手を握っていた。
 深く考えず、自然と体が動いたのだ。
 星野先輩の手に触れても、あまり心理的な抵抗がなかった。
 男性なのに……。
 これまで感じたことのない感覚に、自分でも驚く。
 食事を済ませると、私たちはお土産売り場に行った。
 カピバラの大きなぬいぐるみを抱きあげて、うん、やっぱり、この子を連れて帰ろう……と決意する。
 星野先輩も、頼まれていたハシビロコウのぬいぐるみを無事に手に入れることができたようだった。
「荷物、持とうか?」
 片手にサボテン、片手にぬいぐるみの入った袋を持っていると、星野先輩が言った。
「えっと、だいじょうぶです」
「いや、でも、どっちか持つよ」
 星野先輩が手を差し出したままなので、ぬいぐるみを持ってもらうことにした。
「代わりに、私、サボテン、持ちますね」
 星野先輩の持っていたサボテンを受け取って、私たちはバス停へと向かう。
 並んで座って、バスに揺られながら、星野先輩と会話をする。話題は期末試験の対策についてだった。
 バスに乗っているあいだ、星野先輩はぬいぐるみの入った袋をふたつひざの上に乗せて、しっかりと手で押さえていた。
 楽しかったな、と思う。
 行きのバスのときには、ひとりになりたいと思っていたけれど、星野先輩とふたりでいても、そんなに疲れなかったのだ。
 どうしてなんだろう……。
 私は不思議な気持ちで、星野先輩を見あげた。

#7-1へつづく
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