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連載

藤野恵美「きみの傷跡」 vol.22

【連載小説】先輩と肌が触れ合うのが嫌なわけではない。誤解を解くためにも、過去を話したほうがいいと思った。藤野恵美「きみの傷跡」#11-2

藤野恵美「きみの傷跡」

※本記事は連載小説です。

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      22

 ほし先輩が連れて行ってくれたお蕎麦屋さんはおいしかったし、映画はとても感動的で面白かった。
 デートは楽しい。
 でも……。
 映画館を出たあと、ぶらぶらと雑貨屋さんなどをのぞいて、お茶をしようということになった。
「俺、腹減ったから、がっつりパンケーキとか食いたいかも。花宮さんは?」
 その言い方に、私はくすりと笑う。
「え? なんか、変なこと言った?」
 星野先輩は戸惑ったように、こちらを見た。
「いえ、パンケーキはあまり、がっつり食べるものではない気がしたので」
「俺が前に食べたパンケーキって、トッピングがてんこ盛りで、がっつり系ラーメンみたいだったけど」
「たしかに、そういうパンケーキもありますよね。写真映えしそうだなと思いつつ、私は食べ切れそうにないので、注文したことはないのですが、ほかのテーブルに運ばれていくのを見ると、つい目で追っちゃいます」
 そんなことを言いながら、ふと疑問が浮かぶ。
 星野先輩、だれとパンケーキを食べたのだろう……。
 パンケーキのあるような店には、男性がひとりで行くことはあまりないように思えた。
「お友達と行ったのですか?」
 私が訊くと、星野先輩は少し気まずそうな顔をした。
「パンケーキ? いや、そういうわけじゃないんだが」
 だれと行ったのかは教えてもらえなくて、しかも、話をらそうとしている気配を感じた。
「あ、そこにカフェ、あるけど」
 そう言って、星野先輩は足早にカフェへと進んでいく。
 星野先輩がパンケーキを食べたとき、いっしょにいた相手は女性だったのでは……。
 そんな想像をすると、胸の奥がちりちりと痛んだ。
 この気持ちは、ヤキモチというものなのかもしれない。
 過去に、彼女とか、いたのかな……。
 通っていたのは男子校で、クリスマスには彼女のいない友達とパーティーをしたと話していたけれど、だからといって、だれともつきあったことがない、という証拠にはならない。たまたま、クリスマスの時期だけ、フリーだったという可能性もある。
 それに、大学に入ってからだって出会いはあっただろうし……。
「花宮さんはなにがいい?」
 カフェのテーブルにつくと、星野先輩はメニューを広げて、こちらに向けた。
「クリームブリュレと紅茶にします」
 星野先輩は軽く手をあげて、店員さんを呼ぶと、注文を伝える。
 やがて、星野先輩が頼んだパンケーキセットが運ばれてきたので、私はカメラを手にした。
「撮っていいですか?」
「もちろん」
 星野先輩はカトラリーやペーパーナプキンをテーブルの端に移動させ、撮影に適した場所にパンケーキの皿を配置してくれた。
 私はファインダー越しに、パンケーキを見つめる。
 真っ白でつややかな生クリームに、ベリーの鮮やかな赤が美しく、ふわふわのパンケーキが何枚も重なっているので迫力があり、素晴らしくフォトジェニックだ。
「すごくいい感じに撮れました」
 顔をあげると、星野先輩が優しい目でこちらを見ていたので、胸がどきりとした。
「窓側の席だから、自然光が入って、よかったな」
「はい。パンケーキの立体感がうまく出せたと思います」
 映画館では横に並んでいたので、お互いを見ることはなかったけれど、こうやって向かい合わせに座っていると、どきどきしてしまう。
 目が合うと、星野先輩は視線を外して、私の持っているカメラのほうを見た。
「花宮さんを見てると、俺もカメラをはじめたころの気持ちを思い出すっていうか、ほんと、楽しそうでいいなって思うよ」
「星野先輩は、もう、カメラ、そんなに楽しくないんですか?」
「楽しくないわけじゃないんだが、生活の一部になった感があって。最初のころは、できあがりにわくわくしたり、自分がうまくなっていくのが面白くて、夢中だったけれど、花宮さんの初々しさに比べると、俺はそういう新鮮さがなくなっているなと思った」
 星野先輩がこんなふうに自分の考えていることを話すのは、めずらしい気がした。
 つきあうことになって、関係が変わったからなのかもしれない。以前の星野先輩はどちらかというと無口なほうで、一線を引いているようなところがあった。けれど、こうしていろいろと話してくれると、打ち解けた感じがして、うれしい気持ちになる。
 自分の考えを話すこと……。
 心のなかを明かすこと……。
 親密な関係になっていく上で、それは必要なことなのだと思う。
 だから、私も過去のことを話そうと決めた。
 でも、なかなかタイミングが難しい。
 いっしょにランチを食べたり、映画を観たりするのは、楽しいのだけれども、大事な話をするような雰囲気にはならない。ほかにひとがいるようなところでは話題にできないし、意気込んだものの、今日みたいなデートでは打ち明けるのは無理そうだ。
 クリームブリュレが運ばれてきたので、そちらにもカメラを向ける。
 カラメルの透明感と焦げたところの茶色のグラデーションが美しい。
 一枚だけ撮ると、カメラをしまって、星野先輩に声をかけた。
「お待たせしました」
「もういいのか?」
 星野先輩はパンケーキに手をつけず、待ってくれていた。
「はい。私も早く食べたいです」
 スプーンを手に取ると、クリームブリュレの表面を軽く叩くようにして、カラメルを割っていく。
 ぱりぱりと小気味いい音がして、カラメルにひびが入り、いくつものかけらに砕けた。
「そういうの、楽しいよな」
 星野先輩はそう言って、笑みを浮かべる。
「冬とか、水溜まりに氷が張っているのを踏んで、割ったりするの、俺も好き」
 その意見を深読みして、余計なことまで考えてしまう。
「雪が積もったところにも、一番最初に足跡をつけたいですか?」
「ああ、そうだな。真っ白な新雪を踏んで、自分の足跡をつけるのも、楽しいよな」
 星野先輩はなにも悪いことは言っていない。
 けれど、その言葉はぐさりと胸に刺さった。
 母からは絶対にそんなふうに思ってはいけないと言われているけれど、世間には「汚された」という表現がある。私だって、くだらない価値観だと思う。でも、実際問題として、純潔とか処女性というものを重要視する文化はいまも存在しているのだ。気にしたら負け。それはわかっている。母の言うことは正しい。けれど、どうしても気にせずにはいられない自分がいて……。
 クリームブリュレに視線を落とす。
 割れたカラメルのかけら……。
 スプーンですくって、口に運ぶ。
 嚙み砕くと、じゃりっとして、とても甘いのに苦い。
「花宮さん? どうかした?」
 少し黙っていたら、星野先輩が心配そうな顔をして、こちらを見た。
「あ、いえ、パンケーキ、おいしいですか?」
「うん、うまいよ。かなりボリュームある」
 うなずいたあと、星野先輩はパンケーキの皿をこちらに寄せた。
「花宮さんも、食べるなら……。このへん、手をつけてないから」
 パウダーシュガーがたくさんかかっているあたりを示して、星野先輩は言う。
 お言葉に甘えて、私も一口、パンケーキを味見させてもらうことにした。
「ありがとうございます。ふんわりしていて、おいしいですね。リコッタチーズが入っているタイプですよね、これ」
「そうなのか。俺にはよくわからんが」
「クリームブリュレも、どうぞ」
 容器ごと渡そうとしたところ、星野先輩は大きく手を振った。
「いや、いいよ、いいって」
 私もシェアしようと思ったのに、かたくなに拒否されてしまった。
 ひとつの皿のものをふたりで分け合うのは、カップルっぽいと思ったのだけれど……。
 そしてまた、疑惑が生じる。
 星野先輩は以前にも、だれかとパンケーキをシェアしたことがあるのかも……。
 もし、私とつきあう以前に特別な関係になった女性がいて、その相手とこんなふうにデートをしたことがあったと考えると、嫌な気持ちになってしまう。
 そう考えて、逆の立場に置き換える。
 私の過去のことを知ったら、きっと、星野先輩も……。
「星野先輩は、私が過去にだれかとつきあったことがあるかとか、気になりますか?」
 私が言うと、星野先輩は動揺したように、目を泳がせた。
「そりゃ、まあ、気になるかと言われたら、気になるが……」
 ためらいつつ、私は口を開く。
「私はこれまで、そういうことがなく、はじめてなのです」
 その言葉を聞いて、星野先輩はわかりやすく、ほっとした表情を浮かべた。
 噓はついていない。
 男性とつきあったことは、ないのだから。
「星野先輩はどうなのですか?」
 私の問いかけに、星野先輩はあっさりと答えた。
「俺も、花宮さんがはじめての彼女だけど」
「えっ、それじゃ、パンケーキを食べに行った相手は……?」
 星野先輩は少しきょとんとしたあと、おかしそうに笑った。
「ああ、それ、母親」
「そうだったんですね。私、てっきり……」
「もしかして、元カノとか思ったのか?」
 笑いを嚙み殺すようにして、星野先輩が言う。その口調に、からかうような響きがあったので、つい言い返してしまった。
「さっき、話を逸らされたので、都合の悪いことなのかと」
「いい年して親と出かけてるなんて、どうかと思うだろ。しかも、母親とか。だから、言わなかっただけで、他意はない」
 そう説明をして、星野先輩はまた笑みを漏らす。そして、それを隠すように片手で口元を覆った。
 変な勘違いをしたのが恥ずかしく、私はうつむき、黙々とスプーンを動かす。
 私がクリームブリュレを食べ終わり、紅茶を飲み干すと、星野先輩はテーブルの上の伝票に手を伸ばした。
「そろそろ行くか。混んできたし」
「あの、お茶代、払います」
「いいよ、べつに」
「でも、お昼もチケット代も払っていただいたのに……」
「いいって。デートなんだから」
 こういうところは平等にしたい性質なので、わだかまりを感じないではなかったけれど、星野先輩のほうが年上だし、顔を立てるということもあるし、ここは素直に受け入れたほうがいいのかな……。
 そんなことを考えているあいだに、星野先輩はさっさと会計を済ませてしまった。
 カフェを出たあとは、駅に向かう。
 改札を抜けると、べつの電車に乗るため、星野先輩は「じゃあ、また」と言って、ホームへと歩いて行った。
 別れ際のあまりの素っ気なさに、少し切なくなる。
 離れがたい気持ちになって、私は胸が締めつけられるようなのに、星野先輩はそうじゃないのだろうか……。
 帰りの電車で、私はさっそくお礼のメッセージを送ることにした。
「今日はありがとうございました。お蕎麦もおいしくて、映画も面白くて、カフェも素敵で、とても楽しかったです!」
 星野先輩からはすぐに返信があった。
「それはよかった」
「今度のデートなのですが、私の家に来ませんか?」
 また映画デートにして、星野先輩におごってもらうのは心苦しい。なので、そんな提案をしてみた。
 それに、家なら、まわりを気にせず、ゆっくりと話をすることができる。
「このあいだ、カニ丼をごちそうしていただいたので」
「今度は私に料理を作らせてください」
 つづけてメッセージを送ると、ややあって、星野先輩からの返信が表示された。
「わかった」
「なにが食べたいですか?」
「なんでも。花宮さんの得意料理で」
「そう言われると、プレッシャーです」
 スマホを握って、そんなやりとりをしていると、うっかり乗り過ごしそうになった。

 星野先輩が家に来ることを伝えると、母はとても喜んで、会うのを楽しみにしていた。けれど、直前になって、出張が入ったのだった。
 私としては、母に紹介したかったので残念な気持ちもあるけれど、星野先輩とふたりでゆっくり話がしたかったので、ちょうどよかったと思うところもあった。
 おもてなしの料理は、さんざん悩んだ挙句、カレーを作ることにした。
 以前、星野先輩が好きだと話していたインドっぽいカレーではなく、すじ肉を赤ワインで煮込んだカレーなのだけれど、気に入ってもらえるかな……。
 キッチンで鍋をかき混ぜながら、そんなことを思う。
 このあいだのデートのとき、星野先輩は指一本、私に触れようとしなかった。
 手をつなぐこともなかったし、映画館でも腕が触れないように過剰に警戒して、まるで接触を避けているみたいだった。
 あの日、キスのあと、あんな反応を見せてしまったからだろう……。
 星野先輩と触れ合うことが嫌なわけではないのだ。その誤解を解くためにも、過去のことを話したほうがいいと思った。
 火を止めて、時計を見る。約束の時間まであと三十分だ。
 最寄駅で待ち合わせにするつもりだったのだけれど、星野先輩は自力でたどり着けるので迎えは必要ないと主張して、私は家で待つという段取りになったのだった。
 もうすぐ、星野先輩が来るかと思うと、そわそわしてしまう。
 うちのマンションはわりと大きくて、わかりやすい場所にあるので、迷うことはないとは思うけれど……。
 約束の時間を少し過ぎて、ようやくインターフォンが鳴った。モニターを見ると、星野先輩が映っていた。
「俺だけど」
「はい、開けますね」
 オートロックを解除したあと、待ちきれなくて玄関に向かう。
 廊下に出て、エレベーターホールまで行き、液晶に表示されている数字を見つめていると、子どものころを思い出した。
 母が仕事で帰りが遅くなったときなど、心細くて、待ち遠しくて、こうしてよくエレベーターの前でお出迎えをしたものだ。
 エレベーターが到着して、扉が開くと、星野先輩が出てきた。
 私を見つけて、少し驚いたように目を見開く。
「おお、花宮さん。びっくりした」
「いらっしゃい、星野先輩。あの、母なんですけど、今日、仕事が入っちゃって」
「そうなのか」
 玄関ドアを開けて、部屋に入ると、星野先輩はふっと笑った。
「カレーだな」
「はい、正解です」
「いい匂い。やばい、めちゃくちゃおなかいてきた」
「すぐに用意しますね」
「あ、花宮さん、待って。これ」
 キッチンに向かおうとした私を呼び止めて、星野先輩は手に持っていた紙袋を差し出した。
「プリン。食後のデザートに」
「ありがとうございます。冷蔵庫に入れておきますね」
 プリンを渡されて、私は頰が熱くなり、星野先輩の顔をまともに見られなかった。
 あの日とおなじだから、どうしてもキスしたときのことを思い出してしまう。
「よかったら、ソファーに座っていてください」
 星野先輩にそう声をかけて、食事の用意をする。
 今日こそ、過去のことを打ち明けるつもりだ。
 このあいだみたいにキスをすることになったら、そこで「ちょっと待ってください」とストップをかける。そして、実は過去にこんなことがあったので、心の準備が……と話を切り出せば、自然な感じで伝えることができるだろう。
 頭のなかでシミュレーションをして、ますます顔が熱くなった。
 星野先輩がどんな反応を見せるかと考えると、不安でたまらない気持ちになる。
 話すことが本当に正しい選択なのかは、いまでも自信がなかった。
 打ち明けたい。
 知られたくない。
 心を決めたはずなのに、揺らいでしまう。
 おたまでカレーをすくおうとしたら、緊張のあまり、手が震えていた。
 深呼吸をして、まずは落ちつく。
 そして、何事もなかったかのようにカレーを器によそうと、私はそれをダイニングテーブルに運んだ。

#12-1へつづく
◎第 11 回全文は「カドブンノベル」2020年7月号でお楽しみいただけます!


「カドブンノベル」2020年7月号

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