どこまでが許される親切心で、どこから先が好意の押しつけになる? 藤野恵美「きみの傷跡」#4-1
藤野恵美「きみの傷跡」

前回までのあらすじ
大学2年生の星野は、男子校出身で女子に免疫がない。所属している写真部の新入生勧誘に友人の笹川と臨んでいたが、カメラを首から下げた女子と出会い、一瞬で心を摑まれた。その1年生・花宮は、ある理由で高校に行けなくなった過去がある。男性が苦手なのも、その「傷」のせいだ。でも、過去の一度のことで人生の選択肢を奪われたくないと、前に進む決心をした。写真部に入部した花宮は、新歓撮影会で星野にレンズを借りて撮影を楽しんだ。
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7
新歓撮影会はつつがなく終了した。
「花宮さんが
ドリンクバーでジンジャーエールを入れてきたものの、それには口をつけず、俺はつぶやく。
「そうだな」
笹川はそう言うと、ホットコーヒーに砂糖を入れた。
「おい、笹川。そうだな、って、まさか、おまえも花宮さんのこと……」
思わず目を見開くと、笹川は苦笑を浮かべた。
「心配するな。たしかに可愛らしい子だなとは思うが、特別な感情は持ってないから。僕はどちらかというと、ああいう守ってあげたくなるような妹系よりも、しっかりしたお姉さん系が好きなんだ」
「そうか。それを聞いて、安心した」
「正式に入部を決めてくれたみたいで、よかったな」
笹川の言葉に、俺もうなずく。
「おまえのアドバイスどおり、できるだけ積極的に話しかけるようにしてみたのだが、あれでよかったのだろうか」
花宮さんと駅で待ち合わせることになり、笹川も呼び出そうとしたところ、ひとつ条件をつけられた。
それは笹川もいちおう同行するが、あくまでも補佐であり「俺が主となって花宮さんと会話をする」というものだった。
女性の扱いに不慣れな俺が会話の相手をするより、共学出身の笹川のほうが適任だと思って、新歓コンパのときなどは黒子に徹していたのだが、その態度に指導が入った。花宮さんにしてみれば、俺の態度は不愛想で、取っ付きにくいものであり、写真部に対する心証も悪くなってしまうかもしれない。
笹川にそう忠告され、行いを改めることにしたのだ。
そういうわけで、新歓撮影会においては、最大限の努力をして、花宮さんをもてなしたつもりだが……。
「基本的な部分での会話は悪くなかったと思うぞ」
笹川の発言に、俺は眉根を寄せた。
「なんか引っかかる言い方だな。悪かった部分は、どこだよ」
「うーん、悪いってわけじゃないけど。撮影会のとき、レンズをあげようとしただろ? あれはやりすぎだ」
「え、そうなのか?」
「ああ。花宮さんも、ちょっと引いてたぞ」
「レンズを欲しがっていたみたいだし、喜んでくれるかと思ったんだが」
「ふつう、ものをもらったらお返しとか考えるからな。レンズってそこそこ高価なものだし、そりゃ、遠慮するだろ。ちょっと好意が先走ってる感があったかな」
「うわー、しまった」
なんたる失態。
自分では問題なくやりおおせたと思っていただけに、ダメージが大きい。
俺は頭を抱えて、ファミレスのテーブルに突っ伏した。
「まあ、でも、そこまでドン引きってこともなかったし、許容範囲内だと思うぞ」
「そんなの見極められるか。難易度高すぎだろ!」
どこまでが許される親切心で、どこから先が好意の押しつけになるのか。
俺の見たところ、花宮さんはとても可愛らしい笑顔を浮かべており、その表情からは迷惑がっている様子などまったく読み取れなかった。
しかし、言われてみれば、笹川の指摘は正しいような気もする。
ドン引きではなかったものの、少し困らせてしまったのかもしれないと知り、ショックを隠せない。
「難しい……。女子の気持ちなんか、どうやったらわかるんだよ……」
「
笹川はしたり顔でそんなことを言う。
「いや、そうは言っても、意識してしまうだろ」
「結構、慣れるもんだよ」
「おまえ……、共学出身だからっていい気になりやがって……」
冗談半分で、俺は笹川をにらみつける。
経験値の差というものは大きい。こちらは中学高校と六年にもわたって、女子と接する機会がなかったのだから、そのブランクたるや相当なものである。
「だいたい、笹川だって、えらそうに言うけど彼女いるわけじゃないだろ」
一矢報いようと思ったのだが、笹川は俺の発言にダメージを受けた様子はなかった。
「だが、ぼくには恋愛関係における実績がある」
「実績?」
「ぼくの的確なアドバイスによって、高校時代に親友が恋愛を成就させ、めちゃくちゃ可愛い彼女を作った、という実績だ」
「マジか。師匠と呼ばせてくれ」
俺の高校時代なんて、恋愛どころか女っ気すら一切なかった。
それを思うと、いま、こうして友人とファミレスで気になる女子のことについて話しているのだ、というだけで胸が熱くなる。
「それで、その的確なアドバイスっていうのは、具体的にはどういうものなんだ?」
笹川は
「星野の場合だと、さっきも言ったけど、あんまり女子ってことを意識しないで、自然に振る舞うのがいいんじゃないかと思う。前のめりで来られると、相手は引くから。それから、とにかく相手を観察することだな」
「観察しても、女子の考えていることなんか、さっぱり読めないんだが」
「男子も女子も、そんなに変わらないって。星野は空気が読めないわけじゃないんだから、緊張しなければ空まわりしないだろ」
「まあ、心がけるようにはしてみるが……。でも、それって、失点しないための方法にしか過ぎないよな。もっと、こう、すごいアドバイスはないのか?」
「焦らず、こつこつ、距離をつめていくことが大切だと思うぞ。単純接触効果って、知っているか?」
笹川の言葉に、俺は首を横に振る。
「はじめて聞いた」
「簡単に言うと、ひとはたくさん目にしたものに好意を持つということだ」
「いやいや、それは簡単に言いすぎだろ。じゃあ、なんだ、俺が花宮さんとたくさん会えば、好きになってもらえるとでも? そんなうまくいけば苦労はせん」
的確なアドバイスで恋愛を成就させたなんて豪語していたから、どんな秘策があるのかと期待していたのに、とんだ肩透かしであった。
「星野はさ、男子校をデメリットばかりみたいに言うけど、女子がいない環境っていうのも、自由で楽しそうだけどな。恋愛とかに
含みのある言い方をする笹川に、超えられない壁を感じた。
俺だって、そんなこと言えるような経験してみたかったぜ……。持てる者には持たざる者の悲しみはわかるまい……。
負けた気持ちでスマホを取り出して、写真部で使っている共有アプリを確認する。
「あっ、花宮さんがコメントつけてくれてる!」
俺の撮った写真の下には、花宮さんのアイコンと「青空とのコントラストが素敵です」という文章があり、一気にテンションが上がった。
もっとも、よく見ると、俺の写真だけではなく、ほかの部員たちの写真すべてにコメントがついていたのではあるが……。
その後、俺と笹川は「花宮さんの写真にどのようなコメントをつけると好感度が上がるか」ということについて、小一時間ほど作戦会議を行ったのであった。
写真部は週に一回、定例会を行っている。
定例会といっても、イベント前でなければ打ち合わせをする必要もないので、だらだら喋ったり、部室にあるゲームをやったりと、写真と関係のないことをして過ごすことも多い。
花宮さんは入部届を出して、正式に部員となったあと、一度も欠かさず定例会に出席していた。
定例会のある水曜の昼休みには、必ず、花宮さんと会うことができる……。
そのことが俺の人生にどれだけ彩りを加えてくれたことか。
俺は購買でパンを買って、部室へと向かう。
六月に入り、購買部はそんなに混まなくなってきた。最初はまじめに大学に通っていた新入生たちも、サボることを覚えはじめたのだろう。
そんなことを考えながら歩いていると、花宮さんを見かけた。
花宮さんはこちらに気づいていない。これは親密度を上げるチャンスだと考えるべきだろうか。一瞬、ひるんだが、勇気を出して、近づいていく。
「花宮さん。これから、部室?」
俺が声をかけると、花宮さんは振り向いた。
「あ、星野先輩。はい、部室に向かうところです」
「俺も。花宮さんは今日も弁当?」
「はい、今日も作ってきました」
にっこりと
その仕草の可愛さに、俺は
「えっ、あれ、自分で作ってんの?」
花宮さんはいつも弁当を持ってきているのだが、自作しているとは驚きだ。
弁当というと、親が作ってくれるものだというイメージがあった。しかし、ひとり暮らしなら自分で作るしかないわけだし、大学生ともなれば弁当を自作していてもおかしくはないか。
「簡単なものばかりですけど。昨日の夕飯の残りとか、朝ご飯とおなじおかずとか、手抜きです」
「いや、それでも、自分で作るってすごいよ。ひとり暮らしなんだっけ?」
「いえ、実家から通っています」
「そっか。俺、夕飯だけは自炊してるけど、弁当はさすがに……」
「そういえば、先輩、ご飯の写真、アップしていましたよね。
それを聞いて、気持ちが舞いあがりそうになる。
花宮さん、俺の写真、よく見てくれているんだな……。
「シズル感を出す練習っていうか。それに、料理って食べるとなくなるから、不毛な感じするけど、写真で残すと、モチベーションが保てるんだよな」
「そうですよね。私も気合を入れて作ったときは、写真を撮るようにしています。でも、料理の写真って難しいですよね」
「色味とか光沢の加減で、めちゃくちゃ
そんな話をしながら歩いていると、部室までの道はあっというまだった。
部室に入ると、すでに部長と
「合宿の写真ですか?」
テーブルに広げられた何十枚もの写真を見て、俺は言う。
そのほとんどが海の風景で、何枚かは見覚えがあった。
「そう。今年の夏合宿はどこにしようかと思って」
部長のとなりで、椿先輩が一枚の写真を
そこには海辺で花火をしている俺たちが写っている。
「まずはテーマを決めないとね」
そういえば、去年もこれくらいの時期の定例会で夏の合宿についての話し合いが行われたのだった。
「ちなみに、去年の夏合宿のテーマは『海と花火とスイカ割り』だった」
花宮さんのほうを見て、俺はそう説明をする。
「スイカ割りって、楽しそうですね」
花宮さんは興味を持ったようだったが、こちらは曖昧な表情を浮かべるしかなかった。
「それが、実際にやってみると、意外と地味で、そんなに楽しいものではなかったんだよな。食べ物を無駄にする罪悪感もあって、俺はもうやりたくないかも。いちおう、食べられそうなところは食べたんだけど、ぐちゃぐちゃで砂とかついてたし、ふつうに切って食べたほうがよかったなと……」
去年の微妙な空気を思い出しながら話すと、部長もうなずいた。
「そして、致命的なことに、あんまりフォトジェニックじゃないんだよな」
「むしろ、動画で撮ったほうが面白いですもんね」
「だよな。あれは失敗だった」
「でも、花火はよかったですよ。線香花火とか、かなりいい写真になりました」
部長と話しつつ、椅子に座って、パンをかじる。
花宮さんも弁当を広げていた。
さりげなく弁当の中身を観察する。プチトマトと卵焼き、それからピーマンとちりめんじゃこの炒め物だろうか。弁当箱は
いかにも女子の弁当だなあと思って、いつも可愛い花宮さんがますます可愛く見えたのであった。
▶#4-2へつづく
◎第 4 回全文は「カドブンノベル」2019年12月号でお楽しみいただけます!