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連載

藤野恵美「きみの傷跡」 vol.14

先輩から好意を向けられていることに、気づかないほど鈍感じゃない。そして迎えた朝は……。藤野恵美「きみの傷跡」#7-2

藤野恵美「きみの傷跡」

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      14

 卓球をしたあと、椿先輩といっしょにお風呂に入って、部屋に戻った。
 自分の荷物の横に座り、ドライヤーを取り出す。お風呂には脱衣所しかなくて、鏡すらついていなかった。いつも母との旅行で泊まるホテルはアメニティとかも充実しているので、設備の簡素さが逆に新鮮だ。しず姉ちゃんにアドバイスをもらっていなければ、いろいろと忘れものをしてしまっただろう。
「ドライヤー、使ってもいいですか?」
 コンセントの近くに移動して、椿先輩に声をかけた。
「昨日も言ったけど、いちいち確認せずに勝手に使っていいから」
 椿先輩は濡れた髪にタオルを巻いたままで、スマホの画面を見ながら、そう答えた。
 ドライヤーを使うとうるさくなるし、コンセントもひとつしか空いていないので、断りを入れたほうがいいかと考えたのだけれど、気を使い過ぎて、かえってうつとうしかったのかもしれない。
 高校の修学旅行などに参加していれば、こういう場合の適度な距離感についても経験を積めたのだと思う。でも、私はひとりでいる時間が多かったから、集団生活のスキルが低いままだ。もともと女子同士のあいあいとしたノリが得意なほうではない上に、椿先輩は謎めいたひとなので、どんな態度で接するのがベストなのか判断に迷うところが多かった。
 私が相談できる相手といえば、母か、しず姉ちゃんしかいない。
 当初、私は合宿で寝るとき用の服として、いつも使っている綿素材のパジャマを持って行くつもりだったのだが、しず姉ちゃんにダメ出しされ、いっしょにルームウェアを買いに行ったのだった。寝巻きっぽさがなくて、くつろぎ過ぎている雰囲気は出ないけれど、リラックスできるような無難なルームウェアをしず姉ちゃんに選んでもらえて、とても助かった。
 ちなみに、椿先輩が着ているのは、買い物のときにしず姉ちゃんがディスプレイを見ながら「絶対にナシ」だと話していたメルヘン系のレースがたくさんついたお姫様っぽいルームウェアだったから少し驚いたけれど、似合っているので、これはこれでありなのかなという気もした。
「お先でした」
 ドライヤーで髪を乾かし終わると、小声でそう言って、自分の荷物を置いてあるところに戻った。
 椿先輩はすでに布団を敷いていたので、私もおなじようにする。
 私と交代するように、椿先輩は自分のドライヤーを取り出して、コンセントのある場所に移動した。
 やっぱり、先にコンセントを使わずに、椿先輩が終わるのを待ったほうがよかったのだろうか。でも、椿先輩はなかなかドライヤーを使おうとしなかったし、順番を譲ってくれているつもりなのかな……というふうにも思えたのだ。
「花宮さん、もう寝るでしょ?」
 椿先輩は髪を乾かしたあと、そう話しかけてきた。
「男子の部屋に行くなら、止めないけど」
「いえ、行きません」
 私は大きく首を横に振る。
 しず姉ちゃんの情報によると、サークルによっては、合宿の夜は床一面にブルーシートを敷いて、段ボール箱にゴミ袋を入れて、吐くまで飲んだりするらしいけれど、写真部ではそもそもアルコールをたしなむひとのほうが少数派だ。昨日の夜も、みんなでトランプなどをしたあと、早々にお開きとなった。
 もし、事前にしず姉ちゃんからなにも教えてもらわず、危険なサークルに入ってしまっていたらと考えて、ぞっとする。平穏な日常のどこに落とし穴が潜んでいるか、わからない。ほんの少し道をまちがえただけで、取り返しのつかない事態になってしまうことがあるのを、私はよく知っているから……。
「電気、消してもいい?」
 椿先輩は立ちあがって、電気のスイッチに手を伸ばした。
「はい、だいじょうぶです」
「男子たちも明日の撮影に備えて、今日は早めに寝るだろうし」
 明日の朝は海岸で日の出の写真を撮ろうという計画があった。
 早起きをできたら……という条件がつくので、参加者がいるかどうかは微妙だと部長さんは心配していたけれど。
「あ、そうだ。アラーム、何時にかけておいたらいいですか?」
「四時起きとか言ってたけど。たぶん、寝てると思うから、放っておいて、ひとりで行って。アラームかける気もないし」
「わかりました」
 椿先輩が明かりを消したので、部屋が暗くなる。
 私は布団に入ると、スマホのアラームをセットして、枕元に置いた。
「うわっ、ウザッ!」
 椿先輩の声に反応して、びくっと体が震える。
 横を向くと、椿先輩はスマホの画面を見ていた。
 私に対しての言葉じゃなかったようなので、ほっと胸を撫でおろす。
「はあ、まったく、あいつら……」
 うつ伏せの姿勢でスマホの画面をタップしながら、椿先輩はつぶやいた。
「こういうの、マジ、面倒なんだけど……」
 ひとり言だから返事をする必要はないのだろうと思うのだけれど、気になってしまう。
 なにかあったんですか、とか声をかけたほうがいいのかな……。でも、立ち入られたくないことかもしれないし……。
 布団に横になって、そんなことを考えていると、椿先輩が言った。
「花宮さんって、彼氏いる?」
「え? えっと……」
 いきなりの質問に戸惑いながら、私は椿先輩のほうを見る。
「彼氏、ですか? いえ……」
 布団に入ったまま、私は首を横に振った。
「だよね。じゃあ、次の質問」
 椿先輩はスマホを置いて、こちらを向いた。
「うちのメンバーで、気になる相手というか、つきあってもいいなと思うのはだれ?」
 気になる相手……。
 ふと、星野先輩のことが頭に浮かんだ。
 写真部のなかで、一番、話しやすい相手といえば星野先輩だけど……。
「あの、私、恋愛にはあまり興味がないといいますか……」
 まだリハビリ中のようなもので、そこまでの段階にたどりついていない。
「それなら、くぎを刺しておいたほうがいいかもね」
 椿先輩のほうを見て、私は言葉のつづきを待つ。
「このままだと、花宮さん、面倒なことになりそうだよ。まあ、モテモテ気分を味わいたいなら、余計な口出しはしないけど」
 椿先輩が言おうとしていることの意味が、いまいち、よくわからない。
「どういうことでしょうか?」
「色恋沙汰に巻き込まれたくないなら、いっそ彼氏持ちだって言って、予防線を張っておくのもいいかも」
「あの、すみません、話が見えなくて……」
「ここ、まあまあ居心地がいいから、人間関係を悪化させて欲しくないんだよね。花宮さん、自覚ない? 天然なの?」
 薄闇のなか、椿先輩はじっとこちらを見てくる。
 いまの椿先輩はメイクを落としているせいか、いつもより幼い感じがした。
「経験者だから言うけど、どうでもいい男に好かれても、ストーカー化したりとか、リスクも多いし、面倒なだけだからね。トラブルを避けたいなら、いまのうちに、はっきり言っといたほうがいいかも」
「ストーカー、ですか?」
「そう。バイトの帰りに待ち伏せされたりして、ほんと、気持ち悪かった」
「それは怖いですね」
「こっちは自分が好きだから可愛い格好をしてるだけなのに、変な男が寄ってくるから、マジ、迷惑する」
 私はいつも、見られることを意識して、なるべく肌の露出の少ない服装をしている。もう二度と被害に遭いたくないから。
 椿先輩はたまにふとももが見えるほど短いスカートを穿いていることがあって、私はひそかに心配していたのだけれど、やはり、そういう服装は異性の目をきつけて、トラブルの元にもなってしまうのだろう。それでも、覚悟の上で、椿先輩は自分の好きな服を着ているのだ。それはとても勇気のある行為のように思えた。
「もし、部内の人間関係で困った事態になりそうだったら、早めに相談して」
「はい、わかりました。ありがとうございます」
 話は終わったとばかりに、椿先輩は布団を肩口まで引きあげた。
 私も上を向いて、目を閉じて、眠ろうとする。使い慣れた枕じゃないから、どうにも寝心地が悪い。それに、シーツもごわごわして肌触りが気になってしまう。
 椿先輩はすぐに眠ったようで、規則正しい寝息が聞こえてきた。けれど、私はなかなか寝つくことができなかった。
 たぶん、椿先輩が言っているのは、星野先輩のことなのだと思う。
 星野先輩から好意を向けられていることに、気づかないほど鈍感じゃない。
 椿先輩が忠告してくれたように、他人から好かれることにはリスクがある。好きだから、手に入れたい……。その欲望に突き動かされて、犯罪をおかす人間もいる。
 星野先輩がそうではないと、どうして言い切れるだろうか。
 いまのところ優しい先輩だけれど、ひようへんするかもしれない。私が知っているのは、星野先輩の一面にしか過ぎないのだ。
 でも……。
 結局、一睡もできないまま、アラームが鳴り、私はそっと布団から出た。
 椿先輩を起こさないように気をつけながら、身支度を整えて、カメラを持ち、部屋をあとにする。
 宿泊施設の玄関に行くと、すでに星野先輩のすがたがあった。
「おはようございます。早いですね」
 小声であいさつをすると、星野先輩も小声で言った。
「おはよう。なんか、眠れなくて。これ、帰りの電車で爆睡コースかも」
 それから、星野先輩は私の顔をじっと見た。
「どうかしましたか?」
「あ、いや、目の下、くまができてる」
 そう指摘されて、ものすごく恥ずかしくなった。
 かっと顔に血がのぼって、耳がどんどん熱くなる。
「えっ……」
 私の反応に、星野先輩は戸惑い、あわてた様子だった。
「ごめん。変なこと、言って」
「いえ、いいんです。寝不足だから……」
 自分の顔が赤くなっていると思うと、ますます恥ずかしい気持ちが強くなって、ほほりが止まらない。
 そこに、部長さんがやって来た。
「駄目だ。ほかのやつら、起きやしねえ」
 部長さんはそう言ったあと、私と星野先輩を見て、言葉をつづける。
「っていうか、やっぱ、俺も二度寝するわ。じゃ!」
 部長さんはくるりときびすを返して、すたすたと歩き去って行った。
 こういう感じで気をまわされることについて、椿先輩は心配してくれているのだろう。
 もし、ここにいるのが私にとって苦手なタイプの男性だったら、ふたりきりで残されても困ったと思う。
 けれど、私はいま、嫌な気持ちにはならなかった。星野先輩とふたりで日の出の写真を撮りに行くことに、まったく抵抗がない。それどころか、夜明け前でまだ暗い外の道を歩くのに、星野先輩がいっしょなら安心だ、とすら思ったのだ。
「あー、それじゃ、行くか」
「はい」
 私たちは薄暗い道を進んで、海へと向かう。
 海の匂いがした。空気は湿り気を帯びているけれど、昼間ほど蒸し暑くなく、風が吹くと爽やかだ。
「朝はさすがに涼しくて、歩きやすいな」
「そうですね」
 歩いているうちに、東のほうの空がしらじらと明るくなってきた。
「このあたりにするか」
 砂浜の近くの遊歩道みたいなところで、星野先輩は立ち止まった。
「もう少し先に行ってもいいが、時間的にそろそろ場所を決めないと」
 星野先輩の言葉に、私もうなずく。
 海辺にはだれもおらず、ただ波の音だけが響いていた。
「日が出てきましたね」
「ちょっと出遅れたけど、まあ、いい感じの空だ」
 言いながら、星野先輩は三脚をセットした。
「三脚、使うなら貸すけど?」
「いえ、だいじょうぶです」
 私は首を振って、カメラを構えた。
 水平線からのぼる朝日の光が海面に反射して、どこまでもきらきらと輝いている。白くけぶるような空には青とオレンジとあかね色が溶けあい、幻想的な色合いを作り出す。
 その奇跡みたいな一瞬の光景を見ていると、心細いような、けいけんな気持ちになって、胸が締めつけられた。
 幼いころ、母とハワイに行ったとき、夕日があまりに美しくて、思わず泣いてしまったことがあった。母には「感受性が強すぎる」と呆れられたけれど、私にしてみれば母が平気な顔をしていることのほうが不思議だった。
 さすがに、いまはもう泣き出したりはしない。でも、心を揺さぶられて、じっとしていられないような気持ちが、写真を撮るという行為につながっているのだと思う。
 カメラの設定を調節して、刻一刻と色合いが変化していく空の様子を写していく。
 夢中で写真を撮っているうちに、空は青みを増してきた。朝焼けの色は薄くなり、ついには消えてしまう。
 なんとなく視線を感じて、振り返ると、すでに星野先輩は撮影を終えて、三脚も片づけていた。
「すみません。お待たせして……」
「いや、好きなだけ撮っていいから」
 星野先輩がそう言ってくれたので、私はカメラを構えて、再び、空に向けた。
「それでは、もう一枚だけ」
 もう東の空は赤くは染まっていないけれど、雲間から斜めの光線が照射され、荘厳な美しさで太陽は輝いていた。
 シャッターを切ったあと、私はまた振り向いて、星野先輩に言う。
「美しい風景を見ると、胸の奥がきゅっと痛くなるんです」
「ああ、わかる。俺も」
 星野先輩はうなずき、笑みを浮かべる。
 その笑顔を見た瞬間、胸が締めつけられた。
 美しい風景を見たときと、おなじだ。
 ここに、私の「好き」なものがある。
 そう感じると、写真を撮りたくなる。
 無意識のうちにカメラを構えて、星野先輩に向かってシャッターを切っていた。
 どうしよう、私、星野先輩のことが好きなのかもしれない。
 男のひとを好きになることなんてないだろうと思っていたのに……。

#8-1へつづく
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