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連載

西條奈加「隠居おてだま」 vol.50

何も知らない徳兵衛は充実した気持ちで商談を進めるが――。――西條奈加「隠居おてだま」#13-2

西條奈加「隠居おてだま」

※本記事は連載小説です。

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「ほう、このたびもまた、目新しい意匠ですな」
 徳兵衛が披露した帯留細工に、番頭が目を見張る。
 三人が密談を交わしていた頃、徳兵衛は日本橋さかい町のかしわにいた。
 柏屋は、歌舞伎役者が営む小間物屋だが、実で商いを廻しているのはふたりの番頭だ。
 ことに二の番頭のきようは、商いにおいてはそつがなく、気の抜けない相手だが、一方で手応えも感ずる。
「海老に萩、兎に波、に牡丹とは、意匠の合わせように妙がありますな」
 同席するなが右衛もんも、深くうなずいた。卸問屋の佳右衛門もまた、気骨あふれる商人だけに、三人が同席する商談の場は、緊張と高揚がないまぜになって、徳兵衛はいつにないたかぶりを覚える。
「兎に波は、たしかそのような家紋があったかと。こうして細工として形になると、より面白みが増しますが」
「いっそ客の家紋を帯留とするのはどうです? 新たな商売に繫がりそうにも思えます」
「良い策ですが、そちらは別の錺師に任せては? 意匠の合わせようの妙味こそが、秋治の売りなのですから」
 互いに思案を交わすごとに、商いの先行きが広がっていくようで実に楽しい。それぞれが培った商売魂に裏打ちされて、単なる夢物語では終わらず利にのつとってもいる。
「そういえば、かねがね気になっておりましたが、秋治ではいかにも名が軽い。もっと風雅な名にした方が、錺師としての重みが増すのでは?」
「それはよろしいですな。さっそく秋治と相談いたしましょう」
 経兵衛の申しように、徳兵衛は即座に応じた。
「ならばいっそ、顔合わせのための席を設けてはいかがです? 職人とのやりとりは、ご隠居さま任せにしておりましたが、そろそろ当人にうてみたくなりました」
 佳右衛門の言い分ももっともだ。堺町の料理屋で一席設けることにして、秋治に伝えておくと徳兵衛は請け合った。経兵衛が、並んだ細工にほれぼれと見入る。
「曲がりのない律義な人柄ときいておりますが、細工の意匠には何がしかの色気がある。職人と細工は別物と承知してはいますが、実に不思議なものですな」
「言われてみれば、たしかに……」
 うなずいた徳兵衛に、佳右衛門がたずねた。
「色気といえば、秋治はたしか独り者でしたな。いい交わした相手なぞは、いないのですか?」
「その辺りもとんと……。会うたときには、細工の話ばかりで」
「物堅いところは、ご隠居さまも同じですからな」
 佳右衛門は笑顔で話を収めたが、徳兵衛は手にした帯留に目を落とした。
 何だろう? 何かが目の前をかすめたように思えたのだが、瞬きするあいだに、つばめのようにたちまちとび去っていた。後には見極められなかった、もどかしさが残る。
「では、角切紐の話に移りましょうか。まずは墨付を与える件ですが、先に申し上げた十五軒とは話がつきました。墨付料においても、こちらの言い値が通りまして、正月から一斉に売り出す段取りにいたしました」
 佳右衛門の報告に気をとられ、覚えたもどかしさは遠のいていた。

「朝から嶋屋にお出掛けとは、おめずらしいですね」
 翌朝、徳兵衛は、下男のぜんぞうを伴って隠居家を出た。
「うむ、年明けから組紐師の数が増えるからな、これまで以上に糸の仕入れが増える。改めて値の相談をすべきかと思うてな」
 たとえ身内のあいだでも、商いにおいては筋を通さねば気が済まない性分だ。徳兵衛の言い値をそのまま承知した吉郎兵衛に、こんこんと説教したことすらある。
「おまえは嶋屋で、荷運び仕事があるのだろう? わしの帰りは気遣わんでよいぞ」
「へい、そういたしやす」と、善三は素直に返す。
 隠居家に移った頃は、無口で不愛想に見えた善三だが、近頃ではよく話をするようになった。慣れはお互いさまだが、若い下男の方が徳兵衛に懐いたと言えなくもない。
 嶋屋のような大所帯では、下男と親しく口を利く機会なぞ滅多になく、短気で小うるさい主人となればなおさらだ。しかし隠居してからは、徳兵衛も少しは鷹揚を覚え、また怒鳴るにも筋道立った理由があるのだと、間近で見ていて善三も学んだようだ。
 こうして供をする折に、雑談なども交わすようになったが、もともと口数の多い男ではないから、徳兵衛としても邪魔にならない。
 短い会話を終えると、善三は行儀よく口を閉じたが、小さな鼻歌がきこえてくる。
「このところ、ずいぶんと機嫌が良いな。何かいいことでもあったか?」
「え? いやあ、たいしたことではねえんですが……」
 ちらりと後ろをふり返り、下男の顔をながめる。
「そのにやついた顔は、もしや女か?」
「い、いや、ちげえやす! 決して色っぽい話なんぞじゃねえんです」
 大げさに否定しながらも、わかりやすくどぎまぎする。この手の話は不得手だけに、掘り下げるつもりはなかったが、歩きながら善三は遠慮がちに語り出した。
「実はこの前、こっぴどく振られちまいやして。と言っても、恋仲でも何でもねえ、勝手に岡惚れしていた人が、あっさりと嫁に行っちまいやしてね」
 善三の想い人が、組紐場を手伝う子持ちのおむらであったことは、隠居家中に知れ渡っているのだが、徳兵衛の耳にだけは入っていない。噂のたぐいを伝えるのは、おわさの仕事なのだが、こと息子の話となればおのずと口は堅くなる。
「まさか子持ち女に懸想していたなんて、きいたときには腰が抜けそうになりましたよ。二十歳そこそこで、わざわざ苦労をいこむことはありませんからね。おむらさんがくれて、やれやれですよ」
 お登勢を相手に、おわさはそんな愚痴もこぼしていたが、むろん徳兵衛は知る由もない。
 おわさは亭主を亡くし、善三を女手ひとつで育てた。いわばおむらと同じ立場なのだが、ひとり息子に幸せを望むのは、実に親らしい身勝手かもしれない。
 当の善三も、気持ちのけりがついたようで、さして湿っぽくない調子で語る。
「気落ちしたのは、振られちまったからじゃねえんです。おれは度胸がなくて、ただながめているだけでやした。それがてめえでも情けなくて」
「まあ、そうだな。手をこまねいているだけでは、商いの機もめぐってはこんからな」
 何事も商売に置き換えて理解するのが、徳兵衛の癖である。
「恋ってのは、身を投げ出してこそ。我が身が可愛いうちは、恋なぞできねえ──。きっとそういうもんなんでしょうね」
「なるほど……道理で苦手なわけだ」
 妙に合点がいって、小さく呟いた。たったひとりの相手のために身を投げ出すなぞ、徳兵衛にとっては怪談よりも恐ろしい。
「だが善三、袖にされてその浮かれようは、つじつまが合わんぞ」
「へへ、捨てる神あれば、拾う神ありってもんで」
「すでに他の女に、鞍替えしたというのか? さような身軽は、あまり感心せんな」
 徳兵衛がたちまち不機嫌をあらわにし、善三は慌てて弁解する。
「いやいや、そんなつもりはありやせん。あっしにとっちゃ、思ってもみなかった相手で。未だに戸惑っている有様でやして」
 まだほんの子供だと侮って、娘とは捉えていなかった。互いの不器用も手伝って、気持ちを確かめ合うような真似もしていないと、ばつが悪そうにぼそぼそと語る。
「それでもね、ご隠居さま。てめえの意気地のなさにがっくりしていた折に、おれを陰ながら見守ってくれる者がいた。そいつが何だか嬉しくて……それだけでさ」
 もっとも興味のない色恋の話を、目下の奉公人からきかされる。どうして律義に耳を傾けているのか、我ながら呆れる思いがしたが、たまにはいいかと、そんな気になった。
 しかし肝心なところは、釘を刺さねば済まないのが徳兵衛だ。
「その相手というのはまさか、隠居家の内におるのではなかろうな? わしは奉公人同士の色恋なぞ、認めぬぞ」
「え、ま、まさか! 滅相もない!」
 全力で否定され、ならばよし、と田舎道を歩き出す。
 鼻歌は途切れ、善三はしょんぼりと従った。

▶#13-3へつづく


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