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連載

西條奈加「隠居おてだま」 vol.46

母が再縁した家を弟と訪れた瓢吉。――西條奈加「隠居おてだま」#12-2

西條奈加「隠居おてだま」

※本記事は連載小説です。

>>前話を読む

「兄ちゃん、眠そうだね。夜更かししたの?」
 弟の手を引いて、しませいどうへと向かいながら、何度も大あくびをする。
「夜中に親父に叩き起こされてよ……逸は、覚えてねえのか?」
「うん、覚えてねえ……おいら何でも、すぐ忘れちまうんだ」
「そいつは、頼もしいかぎりだな」
 適当に相槌を打って、またあくびの数を稼ぐ。
 今日は、母が再縁した家を、訪ねることになっていた。湯島聖堂に近い船着場まで、母のおよねが迎えにきて、ともに乗合船に乗った。かんがわからおおかわに出て、大川の河口に架かるえいたいばしに至るまで、瓢吉はずっと寝こけていたが、ここで舟を乗り換えた。
 この先は海を行くために、帆掛け船を使うのだ。伝馬船ほどの小型の舟ながら、船足は速く、右手に見えるはま殿てんぞうじようがとぶように過ぎていく。兄弟もこのときばかりは船縁に張りついて夢中で景色に見入った。
 やがてたかなわの船着場に着いて、そこから三丁ほど歩いた。
「へえ、思っていたより立派な構えじゃねえか」
 障子戸には『かねはち』と大書され、その横に、ちやうすだてと添えてある。
 母が再縁した兼八は、茶臼の目立師をしていた。
 石臼の上下の境に、のみたがねで溝を刻むのが目立師だ。茶臼は粉を挽く臼よりも小形で、石の目立てによって抹茶の味が大きく変わる。また石臼は摩耗するだけに、小まめな修繕や調整も欠かせない。
 さる高名な茶人がひいについたことから、兼八は目立師として名が売れた。いまは職人や弟子を五人抱えていた。
「よく来てくれたな。ゆっくりくつろいでくれ」
 当の兼八は、口が重く愛想のない男だったが、向けられた眼差しは優しい。瓢吉は、かえって好感をもった。
 調子のいい者は、噓やへつらいを紛れ込ませるために、口達者にならざるを得ない。外ならぬ瓢吉自身がその手合いで、時折、自分の口に嫌気がさす。
 手技という絶対の拠り所があるからこそ、口に頼らずに己を通すことができるのだろうか。職人の姿に、憧れに近い気持ちがわいた。
 そして兄弟を誰よりも歓迎してくれたのが、兼八の娘のおこまだった。
「よろしくね、瓢吉さん。弟になるのだから、瓢ちゃんでいい?」
 いきなりてらいのない笑顔を向けられて、妙にどぎまぎしながらうなずく。
「あたしのことは、おこまでも姉さんでもいいからね」
「姉さん……」
 口の中でころがすと、これまで味わったことのない甘い味がする。
 十三のおこまは、瓢吉とは三つ違いのはずだが、ずっと大人びて見えた。
「あなたが逸郎ちゃんね、まあ、可愛いこと」
 兄の腰に張りついている、逸郎の頭をなでる。参詣客で慣れているだけに、逸郎はとびきりの笑顔を返す。
「お母さん、お迎えご苦労さま。朝が早かったから、大変だったでしょ」
「川舟で、たっぷり休んできたから大丈夫さ。瓢吉と一緒に寝こけちまってね。懐の番は、逸郎がしてくれたんだよ」
「昨日、あんまり寝てねえからよ。を漕ぐ音がまた、子守歌みてえで」
「楽しみで、眠れなかったんでしょ? あたしも同じ。だって弟なんて初めてだもの。しかもふたりも!」
 昨晩の父の顚末を明かすわけにもいかず、ひとまずそういうことにした。
「あ、その包みは『おたふく』ね!」
「ああ、おこまの好物のじよ饅頭を買ってきたんだ。それと、この子たちの好きな団子もね」
 母は途中で、おたふくという菓子屋に寄った。母がさし出す土産の包みを、おこまは嬉しそうに受けとる。
 おこまがこの家に来て、まだひと月ほどときいていた。
 なさぬ仲の母娘ながら、思った以上に睦まじい。
「気丈な子でね……おっかさんを亡くしてつらいはずなのに、あたしらの前では明るくふるまって。せめて精一杯のことを、してあげたいと思ってね」
 家まで歩く道すがら、母はおこまについてきかせてくれた。
 実母の四十九日を済ませてから、おこまは兼八とおよねのもとに引き取られた。
「最初から母親面するつもりはなくて、親戚の叔母さんくらいに思っておくれと言ったんだ。でもあの子は、お母さんと呼んでくれてね。亡くなった母親がおっかさんで、あたしがお母さん、というわけさ」
 互いの気遣いも功を奏し、気性も合いそうだ。ふたりのやりとりをながめて瓢吉は察した。
 奥で饅頭や団子をいただき、四人でおしゃべりに興じる。兄にくらべると引っ込み思案な逸郎も、ほどなく打ち解けて、母やおこまに笑顔をふりまく。
 ひるには兼八も加わって、母の手料理を味わった。芋の煮ころがしもかれいの煮つけも、瓢吉の舌は覚えていた。
「うお! この芋の煮ころがし、懐かしいな。甘くてほっくりして、昔とおんなじだ。逸は、覚えてるか?」
「ううん、覚えてない……」
「まだ小さかったんだから、無理もないね。さ、たんとお上がりな」
 懐かしいと言われたことも、覚えてないと告げられたことも、同じくらい痛かったのかもしれない。母はたんこぶをさすってでもいるような、苦笑いをこぼした。
「よかったら、浜に行かない? 高輪の名物は、何と言っても海だもの」
 昼餉が済むと、おこまに誘われた。おこまと兄弟を、馴染ませようとの気遣いか。母は後片付けを引き受けて、子供三人を送り出した。

▶#12-3へつづく


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