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連載

西條奈加「隠居おてだま」 vol.45

なんと情けない父なのか。両親の離縁の理由を瓢吉は知ってしまった。――西條奈加「隠居おてだま」#12-1

西條奈加「隠居おてだま」

※本記事は連載小説です。

前回までのあらすじ

老舗糸問屋の元主人・徳兵衛が巣鴨村に構えた隠居家では、徳兵衛自身の手掛ける組紐屋「五十六屋」と、孫の千代太らによる王子権現の参詣商い「千代太屋」という二つの商いを回している。千代太屋の中心となって参詣案内をする瓢吉と逸郎の兄弟は、甲斐性のない父親に代わって食い扶持を稼いでいた。両親の離縁以来離れて暮らす母親から、また一緒に暮らそうと言われた瓢吉は、兄弟で巣鴨を離れる決意を固めるが、偶然、知らなかった父親の過去を聞かされることになり――。

 父のきねろくが、幼馴染のために色街通いを続けていた。
 知らされたひようきちは、しばしぽかんとした。
「そのだかだかに会いてえがために、父ちゃんは稼ぎをみいんなぎ込んで、何年も色街に通い詰めてたってことか?」
「おさんな。何でも、同じいしかわで育った仲だそうだ」
 かご職人仲間のとよが言い添える。酔い潰れた父を家まで運び、やはり酒で口が軽くなったのか、子供の耳にははばかりのある経緯を語り出した。
「仲って……夫婦約束でもしていたのか?」
「いやいや、そんなんじゃねえ。子供のときはたかの花で、ろくに口を利くことすらできなかったそうだぜ」
「何だそりゃ?」
「お志保さんはおもてだなのお嬢さんで、人形みたいにきれいな子でな、誰もが憧れていたそうだ。杵もそのひとりでな、もっとも裏長屋住まいのしがないりのせがれだから、指をくわえて遠くから見ているのが関の山だったそうだ」
「また締まらねえ上に、情けねえ話だな」
 下戸のくせに吞めない酒を吞み、豊治に担がれてご帰還した杵六は、のんいびきをかいている。やれやれと、ため息が出た。
「おれも一時は、同じ店に通ったからな。たしかに、あんな場末の店にはもったいねえようなべつぴんだ」
 杵六が出入りしていたのは、いたばし宿しゆくの『ひわ』というはただった。
 板橋・ないとうしん宿じゆくしながわせんじゆのいわゆる四宿は、江戸の四隅に配された五街道への門口である。四宿の旅籠には古くから、旅人を色でもてなすめしもりおんなが置かれ、岡場所のはしりとされる。かつての御改革により、方々の岡場所はお取り潰しの憂き目に遭ったが、四宿はあくまで旅籠と称し、しぶとく生き残った。
 鶸木屋も旅籠の看板を上げているが、その実は色宿で、十数人の遊女を抱えていた。
「そのお嬢さまが、何だって板橋宿の飯盛女なぞに?」
「親父さんが店繰りにしくじってな。借金取りに追い回されて、一家で小石川から夜逃げしたそうだ。その後も、運が向かなかったんだろうな。結局、身売りする羽目になったようだ」
「身売りするにせよ、別嬪のお嬢さまなら、もう少し格の高い引受先がありそうにも思うがな」
 子供の瓢吉でも、そのくらいは知っている。よしわらを甲とするなら、岡場所としての板橋宿はさしずめ丙だ。
「最初はな、もう少し華やかな店にいたそうだが、さすがにとうが立ってきて、それからは店を転々としたそうだ」
 いくつもの岡場所を経て、板橋宿に行き着いたと、豊治は相手の女の経緯を語った。
「杵はこう見えてお人好しだからな、お志保さんの苦労話にほだされたんだろうな」
 昔の憧れと、そして同情が、杵六の足を板橋宿に向けさせた。最初は女房の目をはばかって月に数えるほどだったのが、そのうち腰まで浸かり、なりふり構わず金の続くかぎり通い詰めるようになった。
「つまりはおれたちの暮らしの金も、その女にみついじまったってことか」
板橋宿ここを出されたら後がない。夜鷹にでも落ちるより他にないって泣きつかれてな」
 子供ながらに、世間の荒波に揉まれた瓢吉からすれば、あまりに他愛ない。
 客の前では、決して本心を見せない。一文でも多く引き出すためなら、子供ですら同情を武器にする。それが商売の鉄則で、参詣商いだろうと色商いだろうと、おそらく変わらない。
「遊女の手練手管ってやつじゃねえのかと、おれもいさめたんだがな。杵の奴ときたら、きく耳をもたなくて。そのうち、およねさんにもばれちまってな」
「そりゃあ母ちゃんが、頭にくるのも納得だ」
「およねさんが出ていってからは、意固地になったのか、ますます足繁くなって。おれもつき合いきれなくなっちまってな」
 女房に離縁され、仲間にも見放され、杵六はいっそうお志保にのめり込んだ。
 そのあいだ瓢吉といつろうは、ほったらかしにされた。子供達には背を向けて、日中は一心不乱に籠を編み、夜になると出掛けていく。父親の背中しか、瓢吉は覚えていない。
 いまもやはり、父は背中を向けて眠りこけており、まるで大きな海鼠なまこのように見える。
「で、この体たらくは何なんだ? さっき、別れがどうこう言ってたが」
「いや、それがよ、お志保さんが身請けされちまってな。身請けしたのは、やはり客のひとりだった商人だそうだ」
 杵六にとっては寝耳に水で、いつものとおり鶸木屋に出向いて、身請け話を初めて知らされた。どうてんと気落ちのあまり家に帰る気にもなれず、豊治を引っ張り出して酒につき合わせた。夜鳴き屋でたっぷりと、愚痴やら泣き言やらをこぼし、この有様だと豊治はため息をつく。
「結局、女に騙されて、いいカモにされてたってことじゃねえか。だらしがねえにも程がある」
「まあ、そのとおりなんだがな……ばちが当たったと、杵は言ってたよ。おまえたちは、およねさんのもとに行くんだろ? 同じ折に、お志保さんも失った。すべては身から出た錆、因果応報だと、くり返しこぼしていた」
 いまさら悔いても、後のまつりだ。こぼれた水は、盆には返らない。妻も、そして息子たちも、自分のもとを去っていく。
「目当ての女がいなくなって、親父はこの先どうするのかな……」
「案外、別の女に鞍替えして、また板橋に通うかもしれねえぞ。ひとりっきりじゃ、他にすることもねえからな」
 冗談のつもりか、そう口にして、豊治は腰を上げた。礼を言って、豊治を見送る。
 狭い座敷に戻ると、父の肩からずり落ちたはんてんをかけ直す。
「ほれ、風邪ひくぞ、馬鹿親父」
 と、眠っているはずの海鼠が身じろぎし、呟くようにこたえた。
「わかってらあ……おれは、何もしてやれねえ馬鹿親父だ。おめえらは、母ちゃんと達者で暮らせ」
 半ば寝言であったのか、あとは寝息だけが返った。

▶#12-2へつづく


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