どこにでもついてくる七歳の弟を振り切って、瓢吉が向かった先は。――西條奈加「隠居おてだま」#11-1
西條奈加「隠居おてだま」

※本記事は連載小説です。
前回までのあらすじ
老舗糸問屋の元主人・徳兵衛が巣鴨村に隠居家を構えて一年余り。風雅な余生を送るはずの隠居家は、孫の千代太が連れてきた子供たちでいつしか大所帯になっていた。徳兵衛は組紐屋「五十六屋」をはじめ、派手な色柄で売り出した「角切紐」で評判を呼ぶ一方、子供たちは「千代太屋」の屋号を掲げ、王子権現の参詣案内で食い扶持を稼いでいる。千代太屋の中心となって商いを回す瓢吉には、大きな転機が訪れようとしていた。
五 のっぺらぼう
弟というのは、実に厄介なものだ。
「兄ちゃん、どこ行くの?」
目立たぬように抜け出したつもりが、
「ええと、何だ……ちょいと用足しにな」
「おいらも行く!」
「逸、すぐ戻るから、皆と一緒にいろ」
「一緒に行く!」
はああ、と
逸郎は七歳。十歳の兄とくらべれば、当然、足の速さもはしっこさも
「雨上がりで道がぬかるんでいやす。
「気をつけてくだせえ」
「お堂までは石畳でやすが、その先はちょいと難儀で。
「お話ししやす」
兄弟は王子権現の境内で、参詣案内をして稼いでいる。とはいえ客あしらいも荷物持ちも兄任せで、口上すらろくに言えない。兄の言葉尻を真似るのが精一杯の有様だが、愛らしいと
兄というのは、実に世知辛いものだ。甘ったれで泣き虫な弟の世話を、
兄と同じにできることは何もないくせに、何でも一緒にやりたがる。
弟がごねるたびに、やれやれとため息が出る。
だが、今日ばかりは連れていけない。待ち合わせの相手から、ひとりで来るようにと含められているからだ。
「いなくなるのは、ほんのちょっとだ。大急ぎで戻ってくるから」
「嫌だ!」
「皆と一緒に待っててくれたら、帰りに団子を買ってやるぞ」
「いーやーだー!」
なだめてもすかしても団子で釣っても、今日に限って意固地に言い張る。だんだん腹が立ってきて、約束の刻限も迫っている。
「いい加減にしろ! 駄目だって言ってるだろ!」
つい、きつい調子で怒鳴っていた。弟の丸い輪郭がたちまち崩れ、まるで打たれたように大きな泣き声があがる。
「あーっ、瓢ちゃんが逸ちゃんを泣かせたあ」
「泣かせた、泣かせた。瓢ちゃんが弟を
「苛めてねえぞ! 勝手を抜かすな!」
ともに参詣案内をする仲間のうち、小さい連中が
「どうした、瓢? 何か
「勘、いいところに。こいつをしばらく頼めねえか。おれ、約束があってよ」
「約束?」
勘七の耳に口を寄せて、こそりと告げる。へえ、と意外そうに、勘七が目を見張る。
「こいつは連れていけねえし、四半時ほどで戻るからよ」
「わかった。逸郎はおれが面倒見るよ」
勘七は即座にうなずいた。瓢吉と同じ歳だけに、通りが早い。
この隙にと、急いで背を向けて走り出す。
「おいらも行くーっ! 兄ちゃんと一緒に行くーっ!」
「逸郎、おれたちと一緒に、待っていような」
勘七のなだめる声と、弟の泣きわめく声が、交互に追ってくる。
「置いていかないでよーっ! 兄ちゃあん、兄ちゃあん──!」
山門を抜けても、逸郎の声だけはどこまでも追いかけてきた。
▶#11-2へつづく