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連載

西條奈加「隠居おてだま」 vol.39

思わぬ縁談話が明らかになって、一番驚いたのは――。――西條奈加「隠居おてだま」#10-3

西條奈加「隠居おてだま」

※本記事は連載小説です。

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「どうしたの、てる姉。今日は変な顔になってるよ」
「これ、りつ、それを言うなら、顔色が悪い、だろ」
 りつの母のおしんが、脇から口を添える。寝坊して、慌てて隠居家に向かう途中で、おしんとりつ、よしに行き合った。いつもはよしの母のおむらも一緒なのだが、今朝は姿が見えない。
「おむらちゃんは、ちょいと用があってね、今日は遅れてくるんだ。それよりおてる、大丈夫かい? 本当に加減が悪そうだよ」
「からだは平気です。昨日よく眠れなかっただけで……」
「何か、あったのかい? よかったら、話してごらんな」
 おしんは大柄な女で、笑顔すらたくましさを感じさせる。おしんもまた、亭主が長患いを抱えている。境遇が似ていることも手伝って、田舎道を歩きながら、促されるまま昨日のてんまつを語っていた。
「なるほどね、おてるはその男に、おっかさんを取られたくないんだね?」
「そういう子供っぽい話じゃなく……」
「いいんだよ、おてるはまだ、子供なんだから」
 反論しようとしたが、大らかな笑顔とぶつかると、何故だか何も言えなくなった。
「おてるはしっかりものだから、ちょっと心配だったんだ。仲間内でも、皆の姉さん役を務めているだろ。無理をさせてるんじゃないかって、案じられてね。きっとおっかさんの前でも、いい子でいるだろ?」
「それは、よしやりつだって……」
「あの子たちは、家に帰るとそうでもないんだ。よしは、ああ見えて頑固でね。言い出したらきかないし、うちのりつは気まぐれでこらえ性がない。なかなかに手を焼いているよ」
 はしゃぎながら少し先を行く、よしとりつをながめた。他の仲間にくらべれば行儀もよく、特に面倒を起こしたこともない。意外に思えたが、母親の前では甘えているのだろう。
 そういえば、と思い出した。よしとりつは八歳。てるもそのくらいまでは、帰りが遅いとか、もっと構ってほしいとか、あたりまえに母にぶつけていた。けれど母が寝付いてからは、一切を封印した。病の母は、子供の自分より、弱い存在に思えたからだ。
「おてるは色んなことを、我慢してきたろ? だったら今度ばかりは、我を通してもばちは当たらないよ。どうせなら、納得がいくまで抗えばいいさ。おっかさんにも、相手の男にもね」
「いいの? それで」
「構わないさ。いっそ相手の男の、本気や辛抱を見極められるなら、いいじゃないか」
「でも……」
 我を通すということは、母の気持ちを無下にすることだ。櫛をもらったとき、母は頰を染めていた。あの瞬間、母は、てるの母ではなくなった──ように思えた。
「恋って、厄介なものですね。関わりのないこっちまで、面倒に巻き込まれる」
 十一の子供が、すべてを悟ったように語る。思わず浮かんだ笑みを、おしんは唇の端で押し留めた。
「たしかにね、七面倒くさいものさ。当人がいちばん大変でね、そうだねえ、昨日までまあるく穏やかだった気持ちが、あっちこっちから引っ張られて往生するようなものかね」
 てるの気持ちもまさに、そんなありさまだ。母と小与蔵のことを考えるごとに、慌てたり戸惑ったり、落ち込んだり苛ついたりと、何とも忙しい。
「それでもね、恋ってのは悪かないよ。まるで一足飛びに、冬から春になっちまった感じでね。己でもおかしいくらい、有頂天になっちまう」
「おしんさんもやっぱり、ご亭主と惚れ合って?」
「あたしのはすでに昔話だがね、最近ごく身近で、ながめることになってね」
「身近、というと?」
「おむらちゃんだよ」
「えっ! おむらさん、再縁するんですか?」
「実はそうなんだ。相手が若いからさ、最初は尻込みしていた。でも、向こうが熱心でね。懲りずに何度も通ってきた。そのうちおむらちゃんも、ほだされちまってね」
 おむらは大柄なおしんとは対をなし、背丈が低くふっくらしている。ばく癖の抜けない亭主と離縁して、からだの利かない実母を抱えている。歳や実母のことが引け目になっていたようだが、相手の男の一言が、おむらの気持ちを決めさせた。
『一家三人の面倒を、押しつけられるなんて思っちゃいない。おれもあんたの一家に、加えてほしいだけなんだ!』って。あたしら夫婦もその場にいたんだがね、いい口説き文句だと思えたよ」
 おしんとおむらは、姉妹のように仲がよく、いまは同じ長屋のとなり同士に住んでいる。再縁が決まるまでの経緯を、間近でながめる羽目になったのはそのためだ。
「よしは……よしは何て? 嫌じゃなかったのかな、新しいお父さんのこと」
 おしんに向かってたずねたが、先を行くよしが、くるりとふり返った。
「ちょっとだけ、嫌だった。だって、本当のおとっちゃんじゃないもの」
 三つも年下なのに、真顔のよしは、ひどく大人びて見えた。
 よしは母の再縁を打ち明けられて、二日間ほど不機嫌だったと、おしんがこそりと告げる。その気持ちは、てるには痛いほどわかる。
「でもね、おじちゃんのことは嫌いじゃないし、りっちゃんとホントのきようだいになるのは嬉しいから」
「よっちゃん、姉妹じゃなく従姉妹でしょ」と、りつが横から口を出す。
「え、従姉妹? ってことは……」
「そうなんだ。おむらちゃんは、あたしの亭主の弟と一緒になるんだよ」
 ちょうど隠居家の前に着いた折で、戸口の敷居をまたぎながら、おしんが告げる。
 とたんに内から、びっくりするような大きな音がした。
「おむらさんが所帯をもつって……本当ですかい?」
 土間に茫然と突っ立っているのは、善三だった。足許には、逆さになった鍋がころがって、水が広がっている。水を張った鍋を、とり落としたようだ。
「あ、ああ、本当だよ。いまごろふたりで、名主さんに挨拶に行ってる頃さ」
「そうですかい……そいつは目出てえこって。お祝いを言わねえと」
「そんな葬式みたいな顔で言われても。善三さん、あんたまさか……」
「おしんさん、後生ですから、黙っていてくだせえ」
 鍋を拾い上げた善三は、哀れなほどにがっくりと肩を落として、裏口から出ていった。
「あたし、てっきり善さんの想い人は、おきのさんだと……」
「どうやら、違ったようだね。おむらちゃんも存外、罪な女だねえ」
 女と子供の口は、御上でさえ封じられない。おむらの再婚と、善三の失恋は、その日の昼には、隠居家中に広まった。

▶#10-4へつづく


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