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連載

西條奈加「隠居おてだま」 vol.35

なにやら様子がおかしい職人のおうね。そのため息の理由とは。――西條奈加「隠居おてだま」#9-3

西條奈加「隠居おてだま」

※本記事は連載小説です。

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 冬は日が短く、手習いを終えた頃には、日はだいぶ西の空深くに傾いている。
 豆塾の子供たちは、にぎやかに遅い昼餉をとっていたが、あれ、とてるは気づいた。
「おかしいな、いつもならすっ飛んでくるのに」
 豆塾の顔ぶれに交じって、遅い昼餉を楽しみにしている者がもうひとりいる。職人のおうねである。細いからだに似合わぬ大食いで、ことに米の飯が大好きだ。毎食必ず二膳三膳とお代わりし、朝昼晩と三食食べてもまだ足りない。
「あんたはいっそ、四食にしたらどうだい。豆塾の子供らと一緒に食べれば、少しはおしのぎになるだろ」
 食べ盛りの娘に、食うなとも言えない。おわさは諦めたようにそう達し、以来、おうねは遅い昼餉の折には、必ず顔を見せるようになった。
 仕事の切れが悪いのだろうか。一応、ようすを見てこようと、てるは座敷を出た。しかし組場に向かう前に、おうねを見つけた。
 この家は百姓家だけに、戸口には囲炉裏を切った板間と、広い土間がある。おうねは戸の陰に張りついて、外をうかがっていた。
「おうねさん、こんなところで何を?」
 いきなり背中から声をかけられて、びっくりしたのだろう。泡を食って、おうねがふり向いた。
「何だ、おてるか……脅かすない」
、食べないんですか?」
 おうねは遅い昼餉を、おやつと呼んでいる。
「もちろん食うだよ。食うだが……」と、やはり外が気になるようだ。
 おうねと頭を上下に並べて、外を窺う。一組の男女が立ち話をしていたが、特に色っぽい風情もなく、ある意味よく見る光景だ。
「なあ、おてる、あれ見で、どう思う? あんふたり、惚れ合ってんだべか?」
「どうでしょう……あたしには何とも」
「んだなあ、おらもわがらね」
 はああ、と大きなため息をつく。家の外で談笑しているのは、おわさの息子の善三と、嶋屋の女中のおきのだった。
「もしかして、おくにさんのため?」
「うおっ! おめ、気づいてただか」
「何となく……外から箒の音がするたびに、おくにさんの糸玉の調子が外れるから」
 善三が竹箒を使いながら外を通ると、きまっておくにの手捌きに乱れが生じる。
 そうかあ、と応じて、てるの袖を引く。囲炉裏のある板間に、並んで腰を下ろした。
「どうも姉ちゃだら本気でな、だどもおきのちゃに気い使って何も言えん。どうにかしてやりてえと思ってな」
「つまり、善さんとおきのさんが、いい仲かどうか確かめたいと?」
「んだ、ふたりにきいた方が早いんべが、ねつちゃがどうしたって承知しね。困っちまってな」
 おくにの性格からすると、それもうなずける。相手がおきのとなれば、なおさらだ。
 おきのは桐生姉妹の従姉妹にあたり、徳兵衛が姉妹を江戸に呼び寄せたのも、おきのの仲立ちがあってこそだ。ことにおくにとおきのは仲が良く、仮におきのが善三をしたっているなら、己の気持ちを殺してでもその幸せを祈る──そんな決意まで固めているという。
「おらだったら遠慮なんぞせず、ぱっと言っちまうだが、姉ちゃにはできね。善さんとおきのちゃだら似合いだっつって、心にもねえこどを」
「善さんとおくにさんも、似合いだと思いますけどね」
 決して世辞ではなく、収まりは悪くない。ただ善三もまた、もとは嶋屋の奉公人で、おきのとは隠居家で顔を合わせる機会も多い。桐生の姉妹が来るまでは、この家の若い者といえばこのふたりだけ。気安い間柄となっても、何ら不思議はない。
「せっかく江戸に上っただ、もっと粋な男がいくらでもいっぺと、おらなんぞ思うだが」
「若い男は、善さんだけだから。ぽっとなるのも仕方ないですね」
 善三は上背があり、力仕事をこなすだけに相応にたくましい。決して色男とは言えず無口だが、人当たりは優しい。組場の女たちにも、馴れ馴れしく接するような真似をせず、それでいて頼み事をすれば即座に請け合ってくれる。
 桐生にいた頃は、家から出ることすらあまりなく、江戸に出てもやはり、組場に詰めきりの暮らしぶりだ。十七のおくににとって、善三は初めて出会った異性と言える。
「どうせなら、もっと詳しい者にたずねてみては? ほら、あそこに……」
 囲炉裏の間の隣座敷では、先に飯を終えた男の子たちがはしゃいでいる。その脇でにこにこ眺めている身なりの良い子供を、てるは手招きした。

▶#9-4へつづく


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