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連載

西條奈加「隠居おてだま」 vol.31

帯留のとんでもない値段に、朴訥な下男は目を白黒させる。――西條奈加「隠居おてだま」#8-3

西條奈加「隠居おてだま」

※本記事は連載小説です。

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「ご機嫌が、よろしいですね。うまくまとまりやしたか」
 上首尾が、そのまま顔に出ていたのだろう。柏屋を辞して佳右衛門と別れると、口の重い下男が、めずらしく話しかけてきた。
 商談には、すけを連れていくのが常だが、今日はあいにくとからだがあかなかった。昨日いきなり、長門屋への訪問を決めたのだから無理もない。
「なるほど! 柏屋を説き伏せるのに、またとない土産です。私の方もちょうど、目ぼしい店や問屋をまとめましてね。問屋にはすでに根回しも済ませました。善は急げと言いますからね。どうせなら、これからさっそく柏屋を訪ねませんか」
 商いにおいては、いたって軽やかな男だ。帯留を見せると、佳右衛門はたちまち乗り気になって、今度ばかりは徳兵衛も否やはない。ふたりはその足で、柏屋に向かった。
「見当よりも、よほど上手く運んだわ。さすが柏屋の二の番頭だ、商売の種は見逃さんな。あの帯留は柏屋にとっても、次の目玉になりそうだと、一目で察したのだろうて。値の相談すらまとまらぬうちに、あの見本を引きとりたいと即座に言いおったわ」
 下男のぜんぞうは、手応えこそないものの、よけいな口を挟まぬだけに語る相手としては悪くない。柏屋との相談が、思う以上に都合よくまとまって、徳兵衛も舞い上がっていた。がもへ帰る道すがら、帯留の顚末をじようぜつに語る。
「値の相談を省いたのは、いくらでも高く売れると踏んだのだろうて。お大名の奥方なぞにいかがかと水を向けたらな、目の色が変わったわ。あの番頭は顔には出さぬが、目は案外正直でな」
「あの細工は、きれいなもんでしたが……高いとは、いかほどですか」
 火鉢の炭を足しにきた折などに、善三も帯留を目にしている。
「はっきりとは言わなんだが、五両は固い、十両でも捌けるかもしれないと……」
「じ、十両! あんな小さな留め金が、十両なんて!」
 その声でふり向くと、後ろに従っていた下男は、目を白黒させていた。ははは、とつい笑い声がこぼれた。
「あの手の品はな、値なぞあってないようなものだ。世間に出回っておらぬ品は、他所と比べようがないからな、相場の見当がつかぬのだ。加えて武家は、品を見る目は肥えているくせに、総じて価に疎く、しかも見栄っ張りだ」
 早晩、人気が出ましょうが、下々にはまだ広まっておりません。格別の品故に、まずはこちらさまにおもちしました──。
 どこぞの奥方に帯留を薦める絵が、容易に浮かぶ。あの二の番頭なら、造作もなかろう。
「それにしても、十両はさすがに……ぼったくりではねえですかい」
「そうとも言えん。珍や目新しさは、それだけで値を生むからな。ほれ、古い壺や茶器にも、とんでもない値がつくことがあろう。あれも同じ道理だ。品が限られ、求める者が多ければ、自ずと値はつり上がる」
「あっしには、さっぱりわけがわかりやせんや」
 若い下男は、首の裏に手を当てて、腑に落ちぬ顔をする。何故だか、安堵に近い気持ちがわいた。
 考えようによっては、すべてが金で決まる商人の世界は、何とも世知辛く理不尽ですらある。いたってぼくとつな善三からすれば、薄汚れて見えたとしても不思議はない。そのあたりまえの心情が、妙に愛おしく感じられた。
 良い商人とは、利を理詰めで考える。経兵衛しかり佳右衛門しかり、次男のまさろうや手代の喜介、ほかならぬ徳兵衛とて同じたぐいだ。
 そこには合理という、絶対の法則がある。無駄がなく、能率に富み、理屈にかなっていることが、目的を果たすための何よりの早道なのだ。
 そして、合理の逆にあるのが情である。得てして女が得意とする。
 男が仕事場から女をつまはじきにするのは、表店には入れず、仕事に口を出すなと叱るのは、情をもち込みたくないからだ。絶えず己の技と、向き合わねばならない職人も同じだ。情が交れば、技も合理も揺らぐ。それをいとうて、女を遠ざける。
「まあ、中には、おのような女もおるが……あれは変わり種と言えるからな」
 ついぼやきに似た、呟きがもれた。
「何か、言いやしたか?」
「ああ、いや……善三は、いくつになったかと思うてな」と、ごまかした。
 今年二十一で、年が明ければ二十二になると、律義にこたえる。
「そろそろ嫁をもらってもいい頃だ。見合い相手なぞ、見繕ってもよいぞ」
「えっ! 嫁ですかい? いやあ、急に言われても……困ったな」
「なんだ、好いた女子でもおるのか?」
「そそそ、そんなわけありやせんや。おれみたいな朴念仁には、色恋なぞ無縁の代物で……」
 耳まで真っ赤にして、実にわかりやすく狼狽する。この手のことには無頓着な徳兵衛ですら、ははん、と察しがつく。相手は誰なのか、人並みに興味もわいたが、色恋こそ面倒な情がしこたま絡まってくる。決して関わるまいと肝に銘じており、あえてつつく真似はしなかった。
「まあ、よいわ。無理に見合いを、仕立てるつもりもないからの」
 と、小銭入れにしている巾着を、懐中から出した。今日は上野の長門屋から、日本橋の柏屋まで、終日、下男を連れ回した。遠出をさせた駄賃だと、一朱銀の小粒を握らせる。
「ええっ! ご隠居さまが駄賃を? しかもこんなに!」
「何だ、その言い草は。びっくりの度が過ぎるであろうが」
 心外だと顔をしかめたが、善三が呆気にとられるのも無理はない。なにせりんしよくに、着物を着せれば徳兵衛だ。一朱はおよそ四百文、一文すら惜しむ主人がを寄越したのだ。驚きが過ぎると、妙な心配をし始める。
「お願いですから、ご隠居さま。明日ぽっくりなんてこたあ、なしにしてくだせえよ」
「勝手に殺すでないわ。商い事がうまくまとまったからな、祝儀じゃ祝儀。どこぞの娘に、贈り物でもうてやれ」
 手の中の小粒を、大事そうに握りしめ、善三はいかにも嬉しそうな笑みを広げた。
「ありがとうございます、ご隠居さま。帰りにおっかさんに、土産を買いやす」
 十両の細工にてらせば、一朱なぞはした金だ。それでも、こんな笑顔を向けられるなら悪くない。
 決して情のために金を使ったつもりはないが、たまにはいいかと、そんな気になった。

▶#8-4へつづく


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