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連載

西條奈加「隠居おてだま」 vol.30

流行れば必ず真似をされるのが商売。偽物を封じる一手とは。――西條奈加「隠居おてだま」#8-2

西條奈加「隠居おてだま」

※本記事は連載小説です。

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「ここはいかがでしょう、柏屋さん自らが、墨付を与えては?」
 経兵衛が、にわかに目を見張る。察しのいい二の番頭は、即座に理解したようだ。なるほど、と呟いた。
 流行の川には、有象無象が舟を漕ぎ出す。勝手に行き交う数多の舟に、「墨付」と大書したのぼりを立てるのだ。幟のあるなしは、売り上げを大きく左右する。
「墨付を与える数は、どのくらいを見積もっておりますか?」
「柏屋さんしだいですが、初手はひとまず、小売店が十五軒ほど。卸問屋は五軒ほど見繕っております」
 佳右衛門が持参した一覧に、素早く目を通し、ふむ、とうなずく。その顔には、悪くないと書いてある。しかし同席する五十がらみの一の番頭は、たちまち青くなった。
「いきなり十五軒も商売がたきが増えては、うちは大損ですよ。どうしてわざわざ、敵に塩を送るような真似を」
「いや、柏屋の損を抑えるには、この手しかありません。真似物ばかりは防ぎようがない。ならばいっそ、目が届く内で真似をさせる方が、よほど御しやすい。むろん墨付は、ただではない。柏屋にとっては、濡れ手に粟で儲けを得られる上策です」
 一の番頭の説得は、経兵衛自らが引き受ける。
よしわらりようごくひろこうふかがわなぞはまだ許せる。だが、びき町のなりばかりはいただけない。よりによって柏屋うちのいちばんの商売敵に、儲けをくれてやることはなかろうに」
 堺町の中村座と、葺屋町のいちむらは、目と鼻の先にあり同じ芝居町を形成する。しかし河原かわらさきだけは、銀座に近い木挽町にあり、いちかわだんじゆうろうの屋号たる成田屋もまた木挽町にあった。
 七代市川團十郎は、河原崎座の座元と関わりが深く、人気絶頂の看板役者である。
 河原崎座は、江戸三座のひかえやぐらという立場にあり、中村座や市村座からすれば格下である。にもかかわらず、團十郎人気に支えられ評判をとっているのが小面憎い。
 当の役者以上に、芝居町の者たちの負けじ魂は際立っており、柏屋にとっての何よりの商売敵とは成田屋である。
 こればかりは容赦できないと一の番頭はごねたが、それすらも経兵衛は逆手にとる。
「放っておけば、成田屋はきっと、ます紐を売り出しますよ」
「何だと! 座長の定紋、三升と銘打って商うつもりか。そればかりは勘弁できない」
「ですから、先手を打つのです。かまで受けた無念を、今度はこっちがお返しするのです」
 鎌輪奴とは、げんろくの頃に流行った文様で、七代團十郎が使ったことから人気が再燃した。柏屋でもやはり、鎌輪奴文様の手拭いや浴衣は売れ行きが良かったが、昔気質かたぎな一の番頭としては、じくたる思いがあったようだ。
「なるほど! 成田屋が角切紐を商えば、いわば仇討ちが叶うというわけか。それはさぞかし、溜飲が下がろうな」
 さようです、と経兵衛はすまして請け合ったが、当のこの男には商いが何よりで、特に張り合うつもりはなさそうだ。成田屋の番頭が商売人であれば、やはり無駄な意地なぞ張るまいと、後になってこそりと告げた。
「小売の十五軒は、場所もほどよく散らばっておりますし、手前どもの商いにも障りはなさそうです。五軒の卸問屋は、長門屋さんと同業の紐問屋ですか?」
「紐問屋は二軒、残る三軒は小間物問屋です。いずれもおおだなで、商いも手堅い。しかし何よりも重んじたのは、出入りの組紐職人の質と数です」
 墨付は、実は柏屋だけに留まらない。小売の墨付は、柏屋から小間物店に与えるが、それとは別に卸の墨付は、長門屋から五軒の問屋に下される。そして問屋の墨付には、五十六屋の墨付も含まれていた。
 角切紐は、職人頭のおはちが創した、色と柄が要となる。その独特な感性は、誰もがおいそれと追随できるものではない。もちろん腕のある職人なら、真似くらいはできようが、所詮は二番煎じに過ぎず、やがては先細りする。
 相応の墨付料を払えば、長門屋を通して五十六屋から、新たな模様や趣向を入手できる。それを出入りの職人に組ませれば、墨付料を引いても、問屋と職人双方に儲けを生む。
 佳右衛門が内々で打診したところ、五軒の問屋はいずれも乗り気になった。
 もとより五十六屋には、捌ききれぬほどの注文が舞い込んでいる。待たせるくらいなら、他所の職人たちに任せる方が無理がなく、なおかつ墨付として趣向料も受けとれる。
 まさに一石三鳥といえる、妙案である。柏屋が承知してくれれば、佳右衛門は明日からさっそく段取りをつける構えだと、ふたりの番頭に告げた。
「ひとつだけ、少々気になることがございます」
 先刻までは墨付を後押しし、一の番頭を説き伏せておきながら、最後の壁となるのも、やはり経兵衛である。
まがいものが出回るくらいなら、墨付を与えた方がよほどまし。その料簡にはうなずけます。ただ、小売の手前どもとしては、多少の不安が残ります。いくら本家本元をうたっても、商売敵が増えることには変わりない。たとえば売値に差をつけるとか、売れた本数によって墨付料を割増しするなぞ、旨みをつけられぬものでしょうか?」
 やはりこの男は抜け目ない。商売相手としては、一の番頭の方がよほど楽に話が運ぼう。
 しかし徳兵衛も佳右衛門も、一筋縄ではいかない相手だと承知している。このくらいの求めがあることは、覚悟していた。
 佳右衛門が、徳兵衛に向かってうなずいた。後を任せるという意味だ。
「値決めに口を挟むのは、控えるべきかと。商いに差出口を出すに等しく、よけいな不快を招きましょう。墨付料の割増しも、噓や誤魔化しを生みかねず、やはり上策ではないと存じます」
「では、あらかじめ決めた墨付料より他は、手前どもには益がないと?」
「私どもは、別の旨みをご用意しました。まずはこちらを、ご覧くださいませ」
 ここで徳兵衛は、小風呂敷をほどいて、細長い桐箱を三つ並べた。ひとつずつ蓋を開け、ふたりの番頭の前にすべらせた。中身は言うまでもなく、あきの手による帯留である。おはちが意匠を工夫し、亭主のえのきちが高台で組んだ、二種の組紐も添えてある。
「柏屋さんならご存じでしょうが、帯留というものです。恥ずかしながら、私は初めて目にしましてな。正直、たいそう驚きました。あまり人気のない道具とききましたが、この品なら、どこに出しても恥ずかしくない。もしも柏屋さんがお気に召せば、新たな商いに繫がろうかと、おもちしたしだいです」
 帯留を手にとって、たっぷりとめつすがめつした後に、経兵衛は呟いた。
「ほう、これは……悪くない」
 二の番頭が興を寄せたなら、帯留商いは八分方まとまったも同じだ。思わず佳右衛門と目顔を交わし合い、徳兵衛は密かに興奮していた。
 五十六屋に、角切紐に次ぐ生計たつきの道が、拓けたように思えたからだ。

▶#8-3へつづく


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