新たな商いを小間物屋に持ちかけた徳兵衛と佳右衛門。――西條奈加「隠居おてだま」#8-1
西條奈加「隠居おてだま」

※本記事は連載小説です。
前回までのあらすじ
徳兵衛の末娘・お楽が、秋治という職人の子を身籠もり、嶋屋の面々は大慌て。縁付く前に子を授かるなぞ言語道断と、激怒する徳兵衛の様子が目に浮かぶ。二人の結婚を徳兵衛に許してもらうため、嶋屋総出でひと芝居打つことにした。お楽との関係を隠して隠居家を訪れた秋治は、自作の錺 細工に合う組紐を頼みたいと持ちかける。お楽の結婚への布石とはつゆ知らず、見事な錺と秋治の真っ直ぐな気質を、徳兵衛はすっかり気に入ってしまうのだった。
「ほう、これは……悪くない」
堺町はとなりの
柏屋は、
もっとも役者当人が店繰りに関わることは滅多になく、柏屋を実でまわしているのは、ふたりの番頭である。
ことに若い方の
半年ほど前、徳兵衛がもち込んだ
「また、派手な帯締めですな。役者の小道具としては映えますが、小売となると
「いや、悪くない」
この二の番頭にとっては、それが何よりの褒め文句だった。
中村勘三郎の定紋、
一方で、商売相手としては
長門屋と徳兵衛がふたりがかりで粘ったのは、この番頭が角切紐を、初手から売れると判じていたからだ。
「まずはひと月ほど置いてみて、売り物になるかどうか見定めないと。諸々の相談は、それからでも遅くはなかろうに」
長っ尻に疲れてきた一の番頭が、途中でほのめかしたが、若い番頭は譲らなかった。
「いいえ、それでは遅過ぎます。ひと月どころか、店に出せばたちまち客がつきます。売れ残る心配より、品薄をまず懸念すべきです」
徳兵衛にとっては、どんな褒め文句より嬉しい言葉だった。
「角切紐と銘打つ以上は、小売は
正直、縛りが多くて厄介な取引先だ。それでも
実際、相談が落着すると、後はとんとん拍子に進み、思いのほか早い売り出しとなった。
経兵衛の手強さも、そして手応えも、十二分に承知している。
今日、新たな品を薦めるにあたって、ふたりは念入りに相談を重ねてきた。
新作たる帯留を前にして、まずは長門屋佳右衛門が切り出した。
「お大名家の奥方から、角切紐の求めがあったと、以前、お訪ねした折に伺いましたが」
「さようです。あの折はまだ
奥方というのは、大名の妻のことではない。妻の暮らす奥御殿のことを差す。大名の妻や娘はもちろん、
「模様を揃えて、色はさまざまに。逆に色を揃えて模様を変える、などの注文も賜っております。いずれも、お家に
つまりは、家紋や家の由縁を元にした模様を新たに案じ、他家の前で見栄を張りたいということか。大名家や大身旗本ともなれば、観劇も奢っている。殿さまや奥さまの付き添いに、若衆や奥女中がずらりと桟敷に居並ぶさまは壮観である。揃いの派手な帯締めは、さぞかし周囲の目を引こう。
二、三十本となれば、一家だけでも五十六屋には手に余る。待たせれば、しびれを切らして
偽物を完全に封じるのは、無理な話だ。人気にとびつき便乗するのは、商いのひとつの常套でもあるからだ。流行とは字のとおり、うねりを伴う大きな流れである。三、四人の職人がまわす五十六屋では、止めようがない。
されど、みすみす商機を奪われるのも業腹だ。徳兵衛との相談から創を得て、佳右衛門は一計を案じた。
▶#8-2へつづく