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連載

西條奈加「隠居おてだま」 vol.29

新たな商いを小間物屋に持ちかけた徳兵衛と佳右衛門。――西條奈加「隠居おてだま」#8-1

西條奈加「隠居おてだま」

※本記事は連載小説です。

前回までのあらすじ

徳兵衛の末娘・お楽が、秋治という職人の子を身籠もり、嶋屋の面々は大慌て。縁付く前に子を授かるなぞ言語道断と、激怒する徳兵衛の様子が目に浮かぶ。二人の結婚を徳兵衛に許してもらうため、嶋屋総出でひと芝居打つことにした。お楽との関係を隠して隠居家を訪れた秋治は、自作のかざり細工に合う組紐を頼みたいと持ちかける。お楽の結婚への布石とはつゆ知らず、見事な錺と秋治の真っ直ぐな気質を、徳兵衛はすっかり気に入ってしまうのだった。

「ほう、これは……悪くない」
 おびどめをじっくりとあらためて、ため息のように番頭はもらした。思わずなが右衛もんと、目顔を交わし合う。
 とくと佳右衛門は、日本橋さかい町の小間物店、かしわを訪ねていた。
 堺町はとなりのふき町と合わせて、江戸随一の芝居町であり、役者と縁続きの店や料理屋も多い。歌舞伎役者が屋号で呼ばれるのもそれ故だ。
 柏屋は、なかむら座の看板役者、十一代中村かんざぶろうの屋号であった。
 もっとも役者当人が店繰りに関わることは滅多になく、柏屋を実でまわしているのは、ふたりの番頭である。
 ことに若い方のきようやりだと、徳兵衛も認めている。商人にしては愛想に欠けるが、目のつけ所がなかなかに鋭い。
 半年ほど前、徳兵衛がもち込んだろくの品に、真っ先に関心を寄せたのもこの番頭である。
「また、派手な帯締めですな。役者の小道具としては映えますが、小売となるとさばけるかどうか」
 としかさの一の番頭が尻込みしたのに対し、経兵衛はたった一言、ぽつりと告げた。
「いや、悪くない」
 この二の番頭にとっては、それが何よりの褒め文句だった。
 中村勘三郎の定紋、すみきりいちようにあやかって、角切紐と名付けたのも経兵衛である。
 一方で、商売相手としてはしたたかだ。値段はもちろん、卸す時期や品数をこと細かに定め、質や量が満たない場合は、罰則まで設けられた。商談はふた時にもおよび、常に堂々とした佇まいの長門屋佳右衛門ですら、額にびっしりと汗をかいていた。
 長門屋と徳兵衛がふたりがかりで粘ったのは、この番頭が角切紐を、初手から売れると判じていたからだ。
「まずはひと月ほど置いてみて、売り物になるかどうか見定めないと。諸々の相談は、それからでも遅くはなかろうに」
 長っ尻に疲れてきた一の番頭が、途中でほのめかしたが、若い番頭は譲らなかった。
「いいえ、それでは遅過ぎます。ひと月どころか、店に出せばたちまち客がつきます。売れ残る心配より、品薄をまず懸念すべきです」
 徳兵衛にとっては、どんな褒め文句より嬉しい言葉だった。
「角切紐と銘打つ以上は、小売は柏屋うちのみ、他には決して卸さないと約束してください。本家本元との条も、加えさせていただきますよ」
 正直、縛りが多くて厄介な取引先だ。それでもれいな面相の奥に、角切紐への並々ならぬ関心と本気が感じられる。だからこそ徳兵衛と長門屋は、この番頭に託すことにした。
 実際、相談が落着すると、後はとんとん拍子に進み、思いのほか早い売り出しとなった。
 経兵衛の手強さも、そして手応えも、十二分に承知している。
 今日、新たな品を薦めるにあたって、ふたりは念入りに相談を重ねてきた。
 たる帯留を前にして、まずは長門屋佳右衛門が切り出した。
「お大名家の奥方から、角切紐の求めがあったと、以前、お訪ねした折に伺いましたが」
「さようです。あの折はまだいつのみでしたが、みるみる増えましてね。すべてに入用の数を納めるには、一年はかかりましょう」
 というのは、大名の妻のことではない。妻の暮らす奥御殿のことを差す。大名の妻や娘はもちろん、数多あまた仕える奥女中たちも含まれ、おそらく角切紐の人気を御殿に伝え広めたのは奥女中たちだ。よって数も、一家につき二、三十本に上り、中にはあつらえを頼まれることもあるという。
「模様を揃えて、色はさまざまに。逆に色を揃えて模様を変える、などの注文も賜っております。いずれも、お家にちなんだ他家にはない色柄をと、そこばかりは同じですが」
 つまりは、家紋や家の由縁を元にした模様を新たに案じ、他家の前で見栄を張りたいということか。大名家や大身旗本ともなれば、観劇も奢っている。殿さまや奥さまの付き添いに、若衆や奥女中がずらりと桟敷に居並ぶさまは壮観である。揃いの派手な帯締めは、さぞかし周囲の目を引こう。
 二、三十本となれば、一家だけでも五十六屋には手に余る。待たせれば、しびれを切らしてに鞍替えすることもままあろう。角切紐を真似たが、早晩出回ることは、すでに見越していた。
 偽物を完全に封じるのは、無理な話だ。人気にとびつき便乗するのは、商いのひとつの常套でもあるからだ。流行とは字のとおり、うねりを伴う大きな流れである。三、四人の職人がまわす五十六屋では、止めようがない。
 されど、みすみす商機を奪われるのも業腹だ。徳兵衛との相談から創を得て、佳右衛門は一計を案じた。

▶#8-2へつづく


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