嶋屋総出の“芝居”の最後、とどめの一押しをする次男だったが。――西條奈加「隠居おてだま」#7-4
西條奈加「隠居おてだま」

※本記事は連載小説です。
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「なんと、それぞれ二本、対の仕立てにしたのか」
「へい、女房がえらく入れ込みやしてね。つき合う羽目になりやして」
口ではこぼしながらも、顔が素直に笑みくずれる。思えば、夫婦が元の
「まずそれぞれの留め具に、ひと色のみで拵えて、対の品として、色や趣きを変えて組んでみやした」
「同じ道具で、ふたとおり使えるというわけか。商いにおいても、上手い工夫だ」
亀に花には、愛らしい桜色。千鳥に小槌には、金の色を想起させる山吹色。そして瓢簞に雲の細工には、空の色を思わせる清々しい水色が、ひと色紐として使われていた。
そして対の紐には、まったく逆の風情がある。
亀の甲羅を思わせる渋い茶に、千鳥が飛びかう海の色と見える深い藍。それぞれ細工を邪魔しないよう、真ん中に一本、あるいは上下に二本、細い線を入れてある。瓢簞に雲は、過日おはちが案じたとおり、白黒の矢絣に仕上がっている。
その場で錺師から預かった手間賃を渡し、
「おまえさんの腕を、とっくりと見せてもらった。来春から、働いてもらうのが楽しみだ」
徳兵衛の褒め文句は、酒手以上に効いたのか。榎吉の目尻が、嬉しそうに垂れ下がった。
そして錺師のときと同様に、組紐師と入れ違いに珍客が訪れた。次男の政二郎である。
「お父さん、これは?」
挨拶も早々に、畳に広げたままの細工と紐に目を落とす。帯留というものだと、娘からの受け売りの仔細を披露する。
「その帯留とやらの商いを、これから始めるおつもりですか?」
「いや、あくまで錺職人から紐を頼まれただけだ。わしとしては、関わるつもりは……」
「では、ぜひ私にやらせてください!」
常に利と理が勝った次男にはめずらしく、興奮気味に徳兵衛に乞う。
「道具としては手軽でありながら、格が高く美しい。これは売れますよ、お父さん! うんと値を奢っても、すぐに買い手がつくはずです」
「おまえがそこまで言うとは……」
次男の商才は、徳兵衛も認めている。政二郎が語る商い談議を、真剣に拝聴する。
「まずは物持ちの商家に売り込むのが上策でしょうが、私ならそうですね、狙いをお武家に絞ります。お大名やご大身の旗本、そのご息女や若いお女中が狙い目です」
「武家だと?」
徳兵衛のこめかみが、ぴくりとした。武家ときいて、つい食指が動いたのだ。
「ご息女というたが、帯留はもとより年寄り向きの品なのだぞ」
「古今東西、流行りは常に、若い娘から生まれます。役者や太夫の真似をして、素早く装いにとり入れる。機に乗じる敏こそが、流行りの肝であり、年寄りには真似のできない芸当ですよ」
「しかし、何故わざわざ武家なのだ? 流行りの大本となるのは、おまえが言うたとおり役者や太夫、つまりは芝居町や
「役者や太夫には、少々品が良過ぎます。もっと派手に目立つ品が好まれますから。……待てよ、銀細工ではなしに金や
「政二郎、話が逸れておるぞ。どうして武家なのだ?」
「ああ、すみません。上品で小ぶりな道具は、武家にこそ合うのではと。最初にとびつくのは姫さまやお女中だとしても、ほどなく贈り物として、奥方やご隠居にまで広まりましょう」
「なるほど、贈り物か」
「はい、この細工は、贈り物としても気が利いています。こちらは帯留としてではなく、紐を外して銀細工のみとするのが良いでしょう。たとえ身につけずとも、邪魔にはなりません」
さすがは政二郎だ。こと商いにおいては、たちまちのうちに確かな絵図を描く才がある。
「というわけで、お父さん。ぜひ、この細工を拵えた錺師に、顔繫ぎをお願いします」
「いや、それはできん。少なくとも、しばし待ちなさい」
「どうしてですか! 商売の機というものは、そのまま運に繫がるのですよ。逃せば悔いることになりかねない」
「実はな、わしも帯留とやらに、少々興がわいてな」
政二郎の瞳が、底光りした。用心深い徳兵衛だけに、即座に食いつくことはしないが、釣針のついた餌が気になってならないようだ。ここぞとばかりに、針を揺らす。
「五十六屋は、小売りはしないはず。もしや角切紐に関わっている、長門屋や
「まだ卸先に当てがないと申していたからな、秋治とかいう職人が望むなら、話を通してみても悪くはなかろうて」
「お父さんが、どうしてそこまで? 一度会っただけの、職人に過ぎないというのに」
「むろん、細工の見事もあるのだが……まあ、決め手は人となりに尽きる。あれは見るからに律義者だ。せっかく組紐を通して縁ができたのだ、良いつき合いができそうに思えてな」
我ながら、らしくないことを語っているが、政二郎は意外にも、深い笑みを返した。
「お父さんは、本当に変わりましたね。お気持ちはきっと、その職人にも伝わりましょう」
「これ、茶化すでない」
褒め文句は、慣れていない。次男の口を通すと、なおさらだ。
「お父さんがそこまで肩入れしているなら、仕方ない、帯留は諦めましょう。長門屋や柏屋相手では、
政二郎はさばさばと言って、座敷を出ていった。
隠居家の外まで見送りに出た、女中のおわさが、気づいたように声をかける。
「おや、どうされました? 冴えないお顔ですね。芝居は首尾よく運んだはずでは?」
「いや、あれは芝居じゃなく、半ば本気になってしまったよ。あの細工には、どうにも商売気をそそられる。己で商えないのが、いまさらながらに悔しくてね」
「ご気性の違う親子なのに、因果な
肩を落として帰っていく姿をながめながら、おわさは小声で呟いた。
▶#8-1へつづく