お楽はある決意を胸に秘めて、父を相手に“芝居”を打つ。――西條奈加「隠居おてだま」#7-3
西條奈加「隠居おてだま」

※本記事は連載小説です。
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「で、今日は何だ? 用がなければ、おまえはこの家に足を向けまいて」
「ずいぶんな言いようね。でも、まあ、そのとおりなのだけど。正月のための帯締めをあつらえたくて、職人頭と相談に来たのよ。たしか、おはつだったかしら?」
「はつではなく、おはちだ。まったくおまえは、いい加減だな」
「名なぞどうでもいいわ。高く買っているのは、紐の趣向だもの。せっかくだから正月だけでなく、一月から三月まで、それぞれ月ごとに三本欲しいわね」
「三本は多かろう、二本にしておきなさい」
いつもの文句が口を
「待ちなさい、おはちはここに呼ぶから、行かずともよいわ」
「いやよ、お父さんの前で注文しても、楽しくないわ。どうせけちをつけるでしょうから」
「そうではない。おはちには、別の相談があってな。できれば、おまえの考えもききたい。まずは……これを見てくれんか」
先ほど職人が置いていった細工を、畳に並べた。娘の視線が、吸いつくように釘付けになり、大きく息を吐いた。
「……見事だわ」
銀細工が放つ光を受けたかのように、お楽の瞳はいつになく輝いていた。
決して、芝居ではない。意匠を創したのは外ならぬお楽だが、形に成して彫り上げたのは秋治だ。今日このときまで、仕上がりを見せなかったのは、次兄の差し金である。お楽は世辞にも芝居が上手いとは言えず、父の目を欺くための布石だった。
頭の中に描いた意匠を、大きく
秋治とは、あれから一度だけ会った。一切を打ち明け、事の成り行きを説いた。秋治は思う以上に喜んでくれて、帯留を手掛けることも承知した。
「模様の取り合わせが、少々妙にも思えるが……」
「あら、そこがいいのよ。ありきたりな趣向より、よほど面白いわ」
亀に花、千鳥に小槌、瓢簞に雲。お楽が意匠を伝えたときは、秋治も意外そうな顔をした。それでも筆をとり、お楽の言うままに下絵を引いた。小さな道具に仕立てるには、やはり無理があり、互いに案を講じながら、さまざまに工夫した。
──お楽、おまえ、商いを興してみないか?
次兄から告げられたときは、明け方の夢ほど現実味がなかったが、秋治と語り合いながら、帯留の意匠を紙の上に立ち上げたひと時は、これまでに感じたことのない張りと充足を、お楽にもたらした。
秋治と一緒に、帯留商いで身を立てよう──。そのためには、父の許しと助力が要る。
苦手な芝居とて、やり
「お父さん、この帯留をどこで?」
「ほう、さすがだな。帯留と知っておったか。先ほど、錺職人が訪ねてきてな。この細工につける組紐を、注文していった」
「職人てどんな人? 住まいはどこ?」
「きいてどうする」
「もちろん、品の注文に行くのよ。こんな帯留なら、何としても手に入れたいわ」
またか、と徳兵衛の口からため息がもれる。おはちの組紐を求めたときも、同じ執着を見せていた。
「名は秋治と言ってな、
「板橋宿の、弥次兵衛長屋ね、わかったわ」
その場所に、足繁く通っていたことなどおくびにも出さず、お楽はうなずく。
「まあ、そう急くでない。試しの紐ができしだい、取りに来ると言うておったからな」
「試しの紐は、いつ仕上がるの?」
「そうさなあ、
「来春までなんて、とても待てないわ。明日にでも、お義姉さんを誘って、その錺師に注文に行くわ」
せっかちに過ぎるが、これもまたいつものことだ。好きにしろ、と娘に告げた。
それよりも、徳兵衛には、娘に確かめたいことがある。
「お楽、ひとつきくが、帯留とやらは、この先、売れると思うか?」
「ええ、この帯留ならね」
徳兵衛にとっては、初めて目にする代物だ。海の物とも山の物ともつかないが、こと身を飾る品については、娘は一家言もっており、あながち的は外れていないと承知している。娘が説く帯留の仔細にも、身を入れてきき入った。
ついでに紐の色目や仕立てを、職人頭のおはちと相談する折にも同席させた。
「細工を引き立てるなら、やはり色は
「端に濃い色を通してはどう? 見映えが締まると思うの」
「白と黒の
「あら、面白いわね! 瓢簞に雲なら、馴染みそうだわ」
徳兵衛を脇に置き去りにして、女ふたりで相談が弾む。お楽は紐を、単なる添え物ではなく、細工の意匠を完成させるための背景や色彩と捉えた。その点だけはいたく感心したが、それにしても話が長い。
やがて豆塾の指南が終わると、千代太がやってきた。
「おじいさま、勘ちゃんと
「おお、そうかそうか。いや、構わんぞ。向こうで話をきくとするか」
これ幸いと腰を上げ、孫とともに座敷を出た。
三組の紐を手に、おはちの亭主の榎吉が訪ねてきたのは、暦が替わった霜月
▶#7-4へつづく