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連載

西條奈加「隠居おてだま」 vol.26

気掛かりのありそうな娘に、珍しく寄り添いかけた徳兵衛だったが。――西條奈加「隠居おてだま」#7-2

西條奈加「隠居おてだま」

※本記事は連載小説です。

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「めずらしいな、どういう風の吹き回しだ?」
 職人が帰っていくと、まもなくまめじゆくに通う子供らのけんそうが響いてきた。慣れもあるが、お登勢が師匠についてから、やんちゃな子供らも多少は落ち着いたようにも感ずる。
 おわさのれた番茶で一服していると、また来客があった。
「なあに、きょとんとして。せっかく娘が訪ねてきたのだから、少しは嬉しそうにしてちょうだいな」
 末娘のお楽である。田舎にも父の暮らしにも、まったく関心を寄せず、用がない限り滅多に足を向けない。ただ、徳兵衛も娘のことで、少々気掛かりがあった。
「この前会うた折、顔色がよくなかったが……からだに障りでもなかろうな?」
「え? ええ、もちろん……この前って、長門屋さんから縁談をいただいたときね」
 徳兵衛が娘に見合話を伝えたのは、かれこれひと月ほど前になる。お楽の頰が、ひくりとしたが、上塗りするように笑顔を向けた。
「ちょうど秋から冬になった頃合で、いっとき調子を崩しただけよ。ほら、いまは見てのとおり、すっかり達者でしょ」
「たしかに……いや、むしろ少し太ったか?」
「まあ、お父さんたら! いくら娘でも、女子には禁句よ」
 むくれた顔で、幼い頃を思い出した。父の前では、常に不機嫌な子供だった。初めて授かった女児だけに、徳兵衛なりに大事に育んだつもりだが、むしろそれが裏目に出た。口ばかりうるさくて、そのくせ娘の欲しい物には無頓着だ。
 徳兵衛には娘の考えがまったく吞み込めず、血の繫がった親子であることが不思議なほどだ。長男や次男も、やはり似ているとは言い難いが、商いの話題なら多少は通じ合える。お楽にはそのとっかかりがひとつもなく、まるで逆に向かう舟に乗ってでもいるように、娘との間合いはどんどん開いていき、いまや姿形すらおぼろげに映る。
 それでも、娘はやはり娘だ。人並みな親としての情はある。
「今年の冬は、ひときわ寒いからな。からだだけはいとえよ」
 ちょっとびっくりした顔で、娘が父を見詰める。何か言いたそうに口を開けたが、躊躇ためらった後にまた閉ざした。そしてふたたび上塗りの笑みを向ける。
「お父さんも、からだは大事にしてね。もう歳なんだから」
「ふん、歳はよけいだ」
 一瞬満ちた、気詰まりな空気が払われて、徳兵衛はほっとした。
 男親のものぐさが、なせる業である。
 娘には何事か、気掛かりがある。察すれば、母親ならまず声をかける。話すだけでも楽になれようし、娘の肩の荷を共に担おうと傍に寄りそう。
 大方の父親は、この手のを嫌う。少なくとも、仕事より熱心に向き合わず、母親に丸投げした挙句、ひとたび事が起これば妻のせいにする。
 人の情緒ほど、面倒な代物はない。避けて通る方が、よほど楽に過ごせる。
 ただしそのつけは、老いてから訪れる。仕事や肩書を取っ払ってみると、おもんばかりに欠けた、偏屈な年寄りと化している。まわりには誰も寄りつかず、寄せつけず、寂しい老後に至るのも必然だ。
 ほかならぬ、徳兵衛自身がそうだった。千代太や子供たちがいなければ、女中より他に話し相手のいない、うらぶれた隠居になっていたに違いない。この一年半余は、それを学んだ年月だった。
 とはいえ、身内となれば気恥ずかしさが先に立つ。見て見ぬふりで、話を転じた。

▶#7-3へつづく


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