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連載

西條奈加「隠居おてだま」 vol.25

徳兵衛のもとに、お楽の相手・秋治が挨拶に訪れる。――西條奈加「隠居おてだま」#7-1

西條奈加「隠居おてだま」

※本記事は連載小説です。

前回までのあらすじ

徳兵衛の末娘・お楽が、秋治という職人の子を身籠もったとわかり、嶋屋の面々は大慌て。徳兵衛には到底許してもらえまいと、「代わりの縁談」を用意することにした。家格も申し分なく、お腹の子も一緒に引き受けてくれるという打ってつけの相手を見繕ったものの、これでお楽は幸せになれるのか、次兄の政二郎は案じていた。本当は秋治と一緒になりたいというお楽の気持ちを確かめた政二郎は、秋治の作った帯留かざりを手に思案する――。

三 商売気質

「おじいさま、会ってほしい人がいるの」
 に切り出されたとき、とくの背中がぞわりと粟立った。
「まさか、またどこぞで誰かを、拾うてきたわけではあるまいな?」
「拾ったんじゃなく、出会ったんだよ。二十日くらい前だったかな、しまの店先で」
 思わず額に手を当てて、天井を仰いだ。困っている者を見過ごせないのは、孫の性分だ。
 他人への優しさは長所のはずだが、相手の困り事をそのまま引き受けようとするのは、徳兵衛に言わせれば悪癖だ。小さなその身ではさばききれず、結局、尻拭いをさせられるのは徳兵衛である。
「そうほいほいと、厄介事を拾うでない。これ以上はご免だと、口を酸っぱくして言うたであろうが」
「厄介事じゃなく、新しい商いの話だよ」
「なに? 商いだと?」
 徳兵衛の目が、ちかりとまたたく。商いときくと、まるでねずみを見つけた猫のひげのように、徳兵衛の内の商売根性がぴんと立つ。同時に、疑いもまた頭をもたげる。
「よもや、押し売りのたぐいではなかろうな? よけいな物は、一切買わんぞ」
「売りたいんじゃなく、買いたいんだって」
「買うとは、何を?」
ろくくみひもだよ。かんちゃんのお母さんがこしらえる、紐が欲しいんだって」
「角切紐のことか? あれはあいにく、おろし先が決まっておってな。おいそれとは……」
「そうじゃなくて……うーんと、何て言ったっけ」
 九歳の子供には、説明し難いようだ。らちが明かず、徳兵衛の方が根負けした。
「わかったわかった。会うだけ会うてやるから、ここへ通しなさい」
「わ、ほんと? ありがとう、おじいさま!」
 いかにも嬉しそうに笑み崩れ、釣られて苦笑が漏れる。我ながら孫に甘いと自嘲がわいた。千代太は廊下から戸口に戻り、ひとりの若い男を伴ってきた。
 整った顔立ちだが、ひどく緊張しているのか面相が硬い。
「お初にお目にかかります。本日はふいのおとないにもかかわらず、お目通りがかないましたこと、まことにありがとう存じます」
 あきと名乗ったかざりしは、深々と頭を下げて、長々しく挨拶する。
 職人に多い伝法な口調ではなく、言葉遣いは行き届いていた。ではなく、と述べる。まずそこに、好感をもった。挨拶をしよることもなく、すこぶる礼儀正しい。
 むろん、これが次男と妻の入れ知恵だとは、徳兵衛は知る由もない。
「挨拶は、長ければ長いほどいい。向こうがさえぎるくらいでちょうどいい」
「口ぶりだけは、くれぐれもていねいに。できれば商人風の物言いを心掛ければ、なおよろしいですね」
 助言の甲斐あって、徳兵衛は挨拶をとどめて、用件に入るよう促した。それをしおに、千代太は行儀よく、座敷を出ていった。
「まずはこちらを、ご吟味ください」
 三つの小さなあいの包みを出して、それぞれを開いて畳に並べた。
 ほお、と予期せず声がもれる。
 亀に花、千鳥にづちひようたんに雲。取り合わせが少々妙ながら、いずれも美しい錺細工だった。しげしげとながめて、首をかしげる。
「しかし、これは何だ?」
おびどめという道具です。市中にはまだ、あまり出回っていませんが」
 細工は縦にふたつに割れて、両脇のに紐を通して帯を締める。職人に説かれて、徳兵衛も細工を手にとった。銀細工なぞとんと縁がないが、拵えが巧みで、きれいな仕上がりであることは、徳兵衛にもわかる。
「細工は、おまえさんが?」
「さようです。この帯留のための組紐を、五十六屋さんにお願いしたいと、本日は参上しました」
 なるほど、とひとまずは吞み込めたものの、疑問は残る。
「何故、わざわざ五十六屋うちに? 組紐なら、他にも商い店は多かろう」
「あっしの手彫りですから、この世にひとつっきりの錺です。意匠に合わせて、紐もそれぞれあつらえたく。錺が引き立つよう模様は抑えて、代わりに色は鮮やかに仕立てたい」
 耳を傾けながらも、徳兵衛は相手を、品以上にじっくりと吟味した。
 いい目をしている。真っ直ぐで熱心で、不器用なほどに混じり気がない。着物は質素ながら、まげや爪の手入れは行き届き、すっきりとした居住まいだ。
 商売とは、所詮は人だ。どんなに旨味のある話であろうとも、相手が信用できなければ取引はできない。ことに徳兵衛は、相手の見極めこそが商いの要だと、肝に銘じていた。
あでな紐なら、五十六屋さんがいちばんだと伺って、嶋屋さんにかおつなぎをお願いしたしだいです」
 主人のきちが承知して、ちょうど手習いから戻り、隠居家に向かう折であった千代太に案内を請うた──これは決して噓ではない。
 ただし嶋屋の者たちが、微に入り細を穿うがつようにして、綿密に立てた企てである。そして、ちょっぴりんでいる千代太には、いきさつをかなり端折って伝えられた。
「うわあ、おらくおばさんは、あの職人さんと一緒になるの?」
「ええ、少々行き違いがあったのですが、そのように収まりましてね」
「嬉しいなあ。前に会ったときにね、千代太も思ったんだ。お楽おばさんと、お似合いなのにって」
 大喜びではしゃぐ孫に、おは言った。
「あとはご隠居さまが許してくだされば、ですけどね。そのために、千代太にも一役買ってほしいのです」
「はい、おばあさま!」
 何事にも周到なお登勢と、策にけた次男のまさろうが画したもくだ。どこにも隙はなく、まず先触れ役を務めたのは、この家の女中のおわさと、息子のぜんぞうである。
 徳兵衛は短気なだけに、気分にがある。主人の機嫌をとっくりと見定めて、おわさは今朝、嶋屋に息子を走らせた。
「昨晩はめずらしく、たまきの旦那が訪ねてきて、たいそう楽しそうに話し込んでらした。おかげで今朝はすこぶるご機嫌だと、大内儀に伝えておくれ」
 母親に似ず無口な息子は、わかったと承知して、すぐにがも町へと走った。環屋とは、嶋屋のとなりの仏具問屋である。商売抜きの人づき合いが苦手な徳兵衛だが、温厚で信心深い環屋の主人とは、存外親しく口をきく。この環屋の来訪もまた、お登勢の仕込みである。
ひなびた隠居家ですが、紅葉ばかりは見事でしてね。よろしければ、一度お運びくださいまし。徳兵衛も、心待ちにしております」
 さりげなく、誘い文句をかけておいた。むろん、環屋の主人は何も知らない。言葉どおりに受けとめて、十月が十日ばかり過ぎた昨日、おうごんげんの名物たる卵焼きを携えて、隠居家を訪ねてきた。
 まるで丹念に張られたの巣である。政二郎が太い糸で輪郭を形作り、お登勢が細糸でていねいに隙間を埋める。その見事な蜘蛛の巣に、徳兵衛はすでに片足を乗せていた。
 帯留細工を手に、身を乗り出して秋治に説く。
の寸法からすると、通るのは細身の平紐となる。丸台なら平源氏組がよかろうが、高台なら、より肉の薄い組も叶う。来春には高台を入れるつもりでな、職人もいるから、試しに何本か作らせてもよいが」
「本当ですかい? そいつはかっちけねえ……いえ、たいそう有難いお話です。試しとはいえ、ご造作をかけますから、もちろん代金はきっちりお払いします。ちなみに紐のお代としては……このくらいの値で見当してまして」
 懐から小さなそろばんを出して珠を置き、徳兵衛に見せる。あらかじめ相場を調べて弾いた額だろう。組紐の仕入値としてはまずまずだが、肝心のところを見落としている。
「細い平紐なら、糸代はさほどかからない。もう少し、安く済みそうに思うが」
 畳に置かれた算盤に手を伸ばし、珠を置き換えた。
 少しびっくりした顔で、職人が徳兵衛を見詰める。その輪郭がゆっくりと解け、いかにも嬉しそうな笑顔になる。
「ご隠居さまは、正直なお方ですね。黙ってこの値を受ければもうけになるでしょうに、わざわざ下げようとなさるとは」
「利や儲けにばかり走っても、長続きはせぬわ。互いに相談を重ね、見極めて得心したあたいこそが、それこそ値打となる」
 偉そうに講釈したが、実を言えば物の値段というものは、決して一律ではない。需要もとめはいぶん、品の量、運ぶ手間暇、相手の懐や急ぎ具合。値の交渉をおろそかにすれば高値で引きとる羽目になり、あまりしつこく値下げをうのも疎まれる。
 ただ、この職人とは、れんのないまっとうな商いがしたい。長くつき合っていきたい相手だと、徳兵衛には思えたのだ。
「お心遣い、痛み入ります。ですが、元値のままで構いません。糸をうんとおごるつもりでおりますから」
 手仕事故、そう多くは作れない。この三つを仕上げるのに、二十日近くかかったと職人が説く。数が限られる代わりに、細工も紐も凝った拵えにしてあたいを上げたい。
「ということは、客は物持ちのおなに絞るということか。卸や小売りの先は、目途が立っておるのか?」
「いえ、これからでさ。まずは帯留として、立派な品に仕立てねばなりませんから」
 ふと、なが右衛もんの顔が浮かんだ。長門屋は組紐問屋だが、うえいけはたで小間物店も開いている。目新しい物が好きな佳右衛門なら、喜んで品を引き受けそうにも思えたが、かろうじて留まった。いまは角切紐の懸案を片づけるために、佳右衛門は奔走しているはずだ。時期がよろしくないと、徳兵衛らしい用心が先立った。
 ひとまず三つの細工に合わせて、試しの紐を三本作ることで話がついた。用意のいいことに、職人は前金を置いていくという。固辞しようとしたが、相手の方が譲らなかった。
「ご隠居さまにとって、あっしはまだ、どこの馬の骨ともわからない職人に過ぎません。せめてもの身の証しとして、収めてくださいまし」
「この金が、身の証しか……」
 職人らしくないが、文句は気に入った。律義者であることも伝わってくる。
「これから長のおつき合いを、どうぞよろしくお願いいたします」
「いや、こちらこそよしなに」
 職人の挨拶に、二重の意味が含まれていたとは、徳兵衛は夢にも思わなかった。

▶#7-2へつづく


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